272 ローズの本気
『偽神』は魔力を司る存在だから『魔神』には違いないが――真の意味の『魔神』に比べれば、その力は神と天使ほどの差がある。
しかし、それでも人族の身であるローズが『偽神』を超える魔力を放つなど――普通に考えれば、あり得ない話だった。
「それが……てめえの実力って訳だ!」
ヴェロニカは殺意と犬歯を剥き出しにして笑う――予想外の強敵の出現を、ヴェロニカは歓迎していた。
「だったら……俺も本気で戦ってやるよ!」
そう言うなり、ヴェロニカは躍り掛かる。二本の大剣に全力で魔力を込めて、本気で殺すつもりで別々の方向と角度から叩き込んだ。
光の神の力を宿す神剣アルブレナであれば――ヴェロニカの最初の一撃を受止める事は出来るかも知れない。しかし、その衝撃にローズの身体が持つ保証はなく。しかも……もう一本の大剣を受ける術はないのだ。
だから、ヴェロニカは己の勝利と同時にローズの死を確信していたのだが――
「おい……冗談だろ?」
ローズは立ったまま、ヴェロニカの二本の大剣を受け止めていた。一本は神剣アルブレナで……もう一本は、小手の部分から放たれた光の盾で。
「結構きついけど……我慢できないほどじゃないわね。私だって……カイエとアルジャルスに鍛えて貰ったんだから!」
ローズの褐色の瞳は真っ直ぐにヴェロニカを見据える――このときになって、ヴェロニカは気づく……神剣アルブレナの光が、さらに増していく事に。
確かにローズの魔力は、ヴェロニカに比べれば小動物程度に過ぎないが――実際にヴェロニカの一撃を受け止めているし、そこから今も力を増しているのだ。
「こんな塵屑みたいな魔力で、俺に勝つつもりかよ……笑わせるぜ!」
ヴェロニカは続けざまに剣を叩き込むが――その全てをローズは受け止めた上に、受ける度に力が増す。戦慄を覚えるヴェロニカの耳に……カイエの声が聞こえた。
「おい、ヴェロニカ……俺の嫁を侮るなよ?」
ヴェロニカが振り向くと――直ぐ後ろで、カイエが面白がるように笑みを浮かべていた。
「確かに魔力の量は、おまえの方が遥かに上だけどさ……魔力の使い方や操作に関しては、ローズの方が何倍も上手いからさ。このくらいの事は、ローズなら当然出来るんだよ」
などと言ってるが……カイエとて内心は穏やかじゃなかった。
昨日の夜。ヴェロニカ対策として。カイエは時間を止めた空間で、ローズと模擬戦を繰り返した――だから、ディスティのところに行くのが昼過ぎになった理由は、楽しみ過ぎたからではなく……精神的に消耗したローズを休ませるためだった。
アルジャルスに、時間を止めた空間の模擬戦で鍛えられて――ローズは確かに強くなったが。それでも、ヴェロニカに勝てるレベルじゃない。もし、ヴェロニカが本気でローズを殺す気で来たら……ヴェロニカの近接戦闘能力は、魔神の中でも屈指の実力なのだ。
だから、カイエはギリギリまでローズの力の底上げをした。カイエとの濃厚な時間はローズをさらに強くして……今のローズならば、ヴェロニカにも簡単に殺される事はないだろうと思っている。
しかし、それでも――ローズが傷つかないように、いつでも手出しできるようにと……カイエはヴェロニカの背後で構えていたのだ。
「カイエは、もう……私に過保護過ぎよ!」
それは当のローズが一番解っていて……顔が真っ赤になる。それでも――懸命に気を抜かずに、ヴェロニカを見据えていた。
「ヴェロニカ・イルスカイヤ……あなたは、まだ私と戦うの?」
カイエを想えば想うほど、ローズは強くなれる――冗談のような話だが、これは事実だった。カイエを思う気持ちとともに光の魔力が溢れ出す。いや、それだけじゃなくて……
カイエと一緒になりたい、カイエをもっと知りたい……その気持ちが、ローズの超絶的な魔力操作能力を生み出しているのだ。
その力が――ヴェロニカの二本の大剣を、ジリジリと押し返す。
(俺は……『鮮血の魔神』ヴェロニカ・イルスカイヤだぞ! それが……何で、人族如きに……)
言葉に発することは出来ない口惜しさ――声に出してしまえば、認めてしまう事になる。だが、絶対に認める訳にはいかない……
その結果――ヴェロニカは、言葉を持たない狂った野獣になろうとする。
人族に過ぎないローズとヴェロニカの最も大きな差は――その魔力の量だ。魔神であるヴェロニカは、ほとんど無限と言える魔力を引き出す事が出来るが……ローズはそうじゃない。
だから――ローズに勝つのは、手段さえ選ばなければ簡単な事だ。ローズの魔力が枯渇するまで……一撃必殺の攻撃を怒涛のように繰り返せば良い。
そのためには……理性などむしろ邪魔だから、ヴェロニカは手放そうとする。ヴェロニカが理想とする剣技を極める事とは相反するが――身体が剣技を覚えているから、殺すだけなら問題ない。しかし――
「そこまでだな、ヴェロニカ……おまえは、また俺に殺されたいのか?」
カイエの冷徹な声――ヴェロニカは我に返ると、漆黒の瞳が殺意を込めてヴェロニカを見据えていた。
こんな顔のカイエを……ローズは見た事がないが。ディスティとヴェロニカは知っている――千年以上前の戦いで、二人は殺意に塗れたカイエの姿を目にしているのだ。
「俺は……何をしようとしていたんだ?」
カイエに殺意を向けられて――ヴェロニカは愕然とする。理性を失い狂った野獣と化した先にあるのは……破滅しかないというのに。自分はローズに勝つために……それを選択しようとしたのだ。
しかも……本来の力を解放しても、他の魔神や神の化身たちに気づかれていないのは。カイエのおかげなのに……
「カイエ、すまねえ……俺は……」
肩を落として俯くヴェロニカに――ローズは満面の笑みを浮かべる。
「やっぱり、ヴェロニカは本気じゃなかったんだね……でも、私も結構頑張ったでしょ? だから……また相手になってよ!」
ヴェロニカが何をするつもりだったのか――カイエの態度から、ローズも大体解っていたが。結局のところ……それがヴェロニカの実力という事だ。それにカイエが止めたのも……そうなったヴェロニカに、ローズでは勝てないからだ。
だから、ローズは悔しいと思う気持ちと――手段を択ばずに勝とうとしたヴェロニカに、どこか共感めいたモノを感じるのだ。
「俺は……てめえを殺そうとしたんだぞ!」
ヴェロニカは唖然としているが――
「何を言ってるのよ? 本気で戦ったんだから……相手を殺すつもりなのは当然でしょ?」
ローズは勇者として魔王軍と戦って来たから――戦いと殺し合いが同義だという事は理解している。魔王軍との戦いだって……お互いが守りたいモノ、手に入れたいモノのために、相手を殺す以外の選択はなかった。
このとき――ローズの覚悟を、ヴェロニカは理解した。
「てめえも……普通の奴から見たら、頭のネジがぶっ飛んでるって言われるぜ!」
「もう、失礼ね……でも、間違っていないかも。だって、私は……カイエやみんなのためなら死ねるから」
ローズはニッコリと笑う――だけど、それが本気だという事を、ヴェロニカは本能的に理解した。
「おい、ローズ。おまえなあ……」
怒った声のカイエに――
「ごめんね、カイエ……でも、私は簡単に死ぬつもりなんてないから!」
ローズはカイエに思いきり抱きついて――真っ直ぐに見つめる。
「カイエだって……そうでしょ? みんなを泣かせたくないし、ずっと一緒に居たいから……どっちかを選ばなければいけない瞬間までは絶対に死なないし、死なせない。私だって……そう思ってるよ」
ローズの本気を――カイエはしっかりと受け止める。
「ああ、そうだな……俺もローズと同じだ。みんなの事は俺が守るし、俺も簡単には死なない……みんなで一緒に居たいからな」
「うん……それと、カイエ。さっきは守ろうとしてくれて、ありがとう……嬉しかったよ」
互いを強く抱きしめて、唇を重ねる二人――ローズはディスティに申し訳ないと思いながら、カイエの温もりに包まれる。
そして取り残される形になったヴェロニカは――突然、ガハハと腹を抱えて笑う。
「てめえらは……何やってんだよ! これじゃ、俺が馬鹿みてえじゃねえか!」
本当に馬鹿みたいだ――自分は何に勝とうとしたのか? 何のために、もっと強くなりたいと思ったのか? 誰よりも強くなりたいという欲望は今でもあるが……カイエとローズを見ていると、そんなモノが馬鹿らしく思えてくる。
「ヴェロニカが馬鹿なのは昔から」
カイエとの約束を守って、ここまでディスティは黙って見ていたが。全て丸く収まったと悟って、口を挟んで来た。
「てめえ……ディスティニー、今度はてめえが相手になるか?」
「ふん……馬鹿なヴェロニカは、いつまでも私をディスティニーに呼んでいれば良い」
「……はあ? てめえは、何を言ってんだよ?」
そしてもう一つ……ヴェロニカは気づいた事がある。どうして自分が、ローズと戦う事に固執したのか?
その理由は――最強だと自分が認めたカイエの隣に、ローズが寄り添っている事が許せなかったからだ……だけど、今ならば認めるしかない。
ローズこそが……カイエの隣に立つのに相応しい存在だと。
(だけどな……俺も負ける気はねえからな!)
それが戦いという意味なのか、それとも別の意味なのか――ヴェロニカ本人も解っていなかった。




