261 鮮血の想い
今回も誤字報告をしてくれた方、本当に助かります。ありがとうございました。
ディスティニーが指を突き立て、動きを止めている『鮮血の魔神』ヴェロニカ・イルスカイヤに――カイエはトリストルとディスティニーにしたのと同じ質問をする。
「なあ、ヴェロニカ……おまえたち魔神と神の化身は、こっちの世界で何を企んでいるんだよ?」
トリストルは別として、ディスティニーが嘘をついているとは思わなかったが。物事の捉え方はそれぞれ違うから、新しい情報が得られるかもしれないとカイエは考えていた。
「何言ってんだ、てめえ……他の奴がどうかは知らねえが、俺は別に何も企んじゃいねえ! てめえのせいで向こうの世界が壊れたから、無傷なこっちの世界で、新たな勝負を始めたってだけの話だ!」
カイエが最後の引き金を引いた神の化身魔神との戦いで――カイエたちの世界は一度滅び掛けた。
その後、長い時間を掛けて世界は復興したが。神の化身と魔神が栄華を極めていた時代に比べれば、復興した世界など残骸に過ぎなかった。
だから、彼らは手付かずだったもう一つの世界で、新たな戦いを始めたのだ。
「ふーん……世界が壊れたのは俺のせいね。まあ、間違っちゃいないけどな」
「そんな事は、今さらどうでも良い! 俺は……俺を倒したてめえを、叩き潰してやりたいだけだ!」
カイエを睨みつける金色の瞳に浮かぶのは憎しみではなく、自分が敗北した事に対する悔しさだけだった。
「なるほどね……それで、おまえも今度は世界を壊さないために、制約に従って力を抑えているって訳だ。だけどさ……本気を出さない戦いなんて、面白いのかよ?」
カイエが揶揄うように笑うと――ヴェロニカは国場を噛みしめて、犬歯を剥き出しにする。
「面白い筈なんてねえだろうが……俺は戦いがしたい訳じゃねえ。魂を削り合う本気の殺し合いがしてえんだよ!」
ヴェロニカは制約について納得などしていないが、制約を破れば、他の神の化身と魔神を全て敵に回す事になる。そうなれば所詮は多勢に無勢であり、ヴェロニカにどれほどの力があろうと、彼らに弄り殺しにされるだけだ。
だから、ヴェロニカは神の化身と魔神の戦いに興味を失い、己の鍛錬と、自らに牙を剥くような強者を育てる事に時間を費やしてきた。
そのために造ったのが闘技場だが――今となっては、ヴェロニカも強者を育てる事にさほど期待している訳ではない。
何故ならば、いまだに闘技場の王者を倒す者すら現われておらず、配下の闘技場の王者たちも、ヴェロニカに戦いを挑もうとすらしないのだから。
「なあ、カイエ……こんな下らない話はもう良いだろう? さっさと、殺し合いを始めようぜ!」
かつて自分を倒したカイエという強敵との再会に、ヴェロニカは獰猛な獣のような笑みを浮かべる――本気で戦う事すら出来ない日々に鬱憤を貯めながら、ヴェロニカは、いつ来るとも知らない雪辱を晴らす機会を待ち侘びていたのだ。
しかし――
「ヴェロニカ、五月蠅い……おまえはカイエの質問に答えれば良い」
スカイブルーの髪の少女『暴風の魔神』ディスティニーが、金色の瞳に冷たい殺意を浮かべる――ヴェロニカの首に突き立てた細い指先に、少女はさらに力が込める。
「ディスティニー、てめえ……俺の殺し合いを邪魔するつもりか?」
語気の強さとは裏腹に、ヴェロニカは明らかに躊躇っていた――ディスティニーは殺し合いを楽しむタイプではなく、無表情で相手を殺戮するような女だ。
確かに強さは認めるが、何を考えているのか解らず。ヴェロニカは苦手意識を持っていたのだが……
「ヴェロニカ、邪魔しているのはおまえの方……それに、何度も言わせないで。おまえではカイエの相手にはならない」
ディスティニーがクスリと笑う――ここまで言われては、ヴェロニカも黙っていなかった。
「そうかよ……良いぜ、ディスティニー! 邪魔をするなら、てめえを先にやってやるよ!」
血の色の髪をした雌獅子が咆哮を上げる。激しく燃え上がる殺意と冷たい殺意が正面からぶつかり合う――しかし、それは空振りに終わった。
「……カイエ、痛い」
いきなり後頭部を殴られて、ディスティニーは涙目で抗議する。
「おい、ディスティニー……余計な真似はするなよ? そもそも、いつまでヴェロニカを拘束してるつもりだ?」
カイエに呆れた顔で言われて、ディスティニーはシュンとなる。
「カイエ、私はカイエの役に立ちたいの……駄目?」
潤んだ瞳で、上目遣いに見つめる――それでも指先だけは、正確にヴェロニカの喉元を狙ったままだた。
そして、対するヴェロニカはというと……始めて見るディスティニーの乙女な姿に、唖然として言葉を失っていた。
そんな二人の様子に、カイエは少しだけヴェロニカに同情していた。
「別に良いけど……ディスティニー、邪魔だけはするなよ」
念押しすると、仕切り直しだと再びヴェロニカを見る。
「ヴェロニカ、おまえとは約束通りに戦ってやるからさ……その前に、もう一つだけ訊かせてくれよ」
カイエはヴェロニカの性格は知っており、ここまでの反応は予想通りのモノだった。ヴェロニカは謀をするような性格ではなく、彼女が話した事は事実だろう。
そもそも、ディスティニーやトリストルも含めて、大半の神の化身と魔神は放漫な性格であり、他者の考えている事などに興味はない。だから、これ以上話を訊いても、他の神の化身や魔神に関する情報を得るのは難しいだろう。
そこで、カイエが最後に訊いたのは――もう一つの懸念事項についてだった。
「『深淵の学派』……この名前に聞き覚えはないか? もしくは、俺たちの世界からこっち側に来た人族や魔族について、知っている事があったら教えてくれよ」
『深淵の学派』――それは魔法装置があった遺跡で、異世界へと旅立った神の化身と魔神について書かれていた文献に、署名されていた名称だ。
「人族か魔族が、こっちに世界に来ただって……そんな話、聞いたことねえぞ!」
「だろうな……ヴェロニカなら、そう言うとは思ってたけどさ」
カイエの反応に、ヴェロニカは『だったら、なんで訊いたんだ?』と顔を顰め寝るが――カイエが確かめたかったのは、ヴェロニカが何も知らないという事実なのだ。
トリストルには、彼の性格を考えて意図的に質問しなかったが。ディスティニーに質問したときも、同じような応えが返って来た――
こったの世界に来る前から、カイエは『深淵の学派』について調べていた。こっちに来てからも、『暁の光』のメンバーやアルメラとログナを含めて、情報収集する際は、それとなく訊いていたのだが……『深淵の学派』に関する痕跡は一切掴めていない。
さらには、『深淵の学派』は神の化身と魔神を追ってこっち世界に来た筈なのに、少なくとも二人の魔神が、彼らの存在すら知らないのだ。
どう考えても意図的に痕跡を残していない『深淵の学派』の巧妙なやり口に――カイエは興味を抱いていた。『深淵の学派』という名前だけは文献に書かれていたが、彼らが人族か魔族なのか、それすら解っていないのだ。
(神の化身と魔神についても、『深淵の学派』ついても……本気で探らないと、埒があきそうにないな)
これまでは手探りで情報を集めてきたが。こっちの世界についても、ある程度の事は解って来たから、そろそろ当たりを付けて行動すべきだろう。
しかし、それは今後の事であり――
「それじゃ、話は終わりだ……ディスティニー、ヴェロニカを放してやれよ」
「うん。カイエ、解った……」
ディスティニーはカイエの意図を理解して、ヴェロニカをアッサリと解放する。
余りにも簡単にディスティニーが引いたので、『本当に何を考えているんだ?』とヴェロニカは一瞬だけ顔を顰めるが……
「カイエ……まさか、てめえともう一度殺し合えるとはな……」
待ち侘びていた殺し合いの時が到来した事を実感して――ヴェロニカは犬歯を剥き出しにして、獰猛に笑う。
「俺が雪辱を晴らすために……どれだけの時間を費やしてきたか解るか? もう昔の俺じゃないって事を……てめえに教えてやるぜ!!!」
そう叫ぶなり――ヴェロニカは一切躊躇う事なく、神の化身と魔神たちと交わした制約を破る。
鍛え抜かれた褐色の身体から、膨大な領の深紅の魔力が一気に溢れ出し――『鮮血の魔神』ヴェロニカ・イルスカイヤは、本来の力を顕わにする。
血のように赤い高濃度の魔力を全身に纏い、まるで生き物のように脈動する二本の赤黒い大剣を手にする。それは正しく――『鮮血の魔神』の名に相応しい姿だった。
「カイエ……あのときみたいに、俺を楽しませてくれよ!!!」
ヴェロニカは初撃に全ての魔力を込めて――カイエ・ラクシエルに躍り掛かった。




