221 一方、ガルナッシュでは……
聖剣ヴェルサンドラが放つ金色の聖なる光が、不死王ギュネイ・コールドフィンを消滅させた事で、戦いは幕切れとなった。
今のエマが魔力を放てば、不死者の王の細胞の一片まで燃やし尽くすことなど簡単な事だった。
「エスト殿といい、エマ殿といい……相変わらず、規格外の力だな」
聖王国の兵士たちもロズニアの戦士たちも、わずか数分で上級不死者の軍勢を壊滅させた二人に呆然としていたが。ブラッドルフは冷や汗を流しながらも、当然の事だと受け止める。そしてもう一人――
「エスト殿、エマ殿……お二人のご尽力に感謝します!」
聖王国護衛部隊の指揮官であるアレックス・ブラウンも怯む事なく、二人に敬礼して感謝の言葉を述べる。砂色の短髪の若干二十五歳の若き指揮官は、ジャグリーンが指名しただけあって、確かに肝が据わっていた。
「ああ、別にお礼なんて良いよ。みんなが囮になってくれたから、犠牲者が一人も出なかったんだし」
今夜襲撃が行われる事を護衛部隊とロズニアの戦士たちにも話した上で、エストとエマは相手が攻撃を仕掛けて来るギリギリまで引き付けて欲しいと依頼していた。
街道には他にも隊商や、少人数のグループで行動する旅人がおり。彼らを襲撃に巻き込まないために、ロザリーの下僕である悪魔たちの姿を敢えて見せることで、自分たちから半径二キロ以内には近づけさせなかった。
それでも乱戦になれば、逃亡する襲撃者によって他者に被害が出る可能性があったから、襲撃者全員を一ヵ所に集めて、一気に殲滅する必要があったのだ。
「アレックスさんも、良く頑張ってくれたよね。こっちこそ、ありがとう!」
気遣い上手のエマは護衛隊長の名前をきちんと覚えており、ニッコリ笑って礼を言う――年下の少女の眩しい笑顔に、アレックスは一瞬でノックアウトされた。
(い、いや、待て……勘違いするな、俺! 相手は最強の聖騎士だし……人妻だろうが!)
そんなアレックスの内心の葛藤には全く気づかずに、
「でも、ブラッドルフさん……相変わらずはないんじゃないの? 私もエストも毎日鍛錬してるんだから、前よりも強くなってる筈だよ」
エマは文句を言う。
「ああ、そうか……それは済まなかったな……」
どこまで強くなるつもりだよと、ブラッドルフは顔を引きつらせる。
罪作りなエマに一人だけ気づいていたエストは、慈悲深い笑みを浮かべてアレックスの肩をポンと叩くのだった。
※ ※ ※ ※
場所は変わって、ガルナッシュ連邦国――
人族と魔族の交流を始めると最初に決断したのはガルナッシュ連邦国だが、最初に訪れるメンバーの人選をグレゴリー・ベクターに任せたので。距離的な条件もあって、人族の船がガルナッシュに到着したのは、ブラッドルフたちが聖王国を訪れたのとほとんど同時期だった。
「なるほど……意匠の違いはあるが、魔族の街も根元の部分は人族の街と大差ないようですが。こと商材に関しては……非常に魅力的なモノが溢れているようですね」
ストラジア大陸南東の湾岸にある第二都市カーンバルクにて、豪商グレゴリーはメリッサの父親であるジャスティン・メルヴィンと握手を交わした。
第一氏族メルヴィンの氏族長であるジャスティンが、わざわざ自ら出向いて来た理由は――
『人族と魔族が対等な関係を築く事が目的なんだからさ……まさかジャスティンが偉そうにふんぞり返ってるなんて事はないよな?』
と、カイエに釘を刺されていた事と、もう一つ……利に敏い彼は、人族との交易で得られる利益が膨大なものになる可能性に気づいていたからだ。
(へえー……ジャスティンも案外やるじゃないの)
二人の会談に同席したアリスは、早速グレゴリーと交渉を始めるジャスティンを興味深そうに眺めていた。グレゴリーの船には高級酒や絹の織物、品質の良い穀物など、人族の様々な国々の商材が満載されており。魔族への贈り物として気前良く差し出した品々を、ジャスティンは食い入るように見ていた。
「あんたも、こういうところはジャスティンを見習った方が良いんじゃないの?」
隣にいるメリッサに小声で囁くが、
「ああ……そうだね。僕ももっと頑張らないと……」
一応意図は伝わったようだが、いまいちピンと来ていない感じのメリッサに、アリスは苦笑する。
(メリッサを見てると……昔のエマを思い出すわね。戦闘に関しては、それなりに上達したけど、他の事は……でも良いわ。今回は良い機会だから、私がメリッサを鍛えてあげるわよ)
このとき、アリスが悪人の笑みを浮かべている事に――メリッサは気づいていなかった。
グレゴリーは護衛として、最上位クラスの冒険者たちを雇っていたから。直接的な警護については然程心配する必要はなかったが――
多数の魔族に囲まれるような事態になれば、両者に死傷者が出ることは避けられず。それが魔族と人族の今後の交流に影を落とすことになるから、それは避けたいとアリスは考えていた。
十大氏族の現氏族長たちは、カイエたちの実力を直接目にしているから。カイエの意向に逆らってまで、人族を害しようなどとは全く考えていなかったが――
十大氏族も一枚岩ではなく、元氏族長やその他の血族の中には『所詮は人族』とカイエたちを侮っている者がおり。
闘技場での彼らの活躍についても『闘技場の戦いなど見世物なのだから、闘士《グラジエータ―》の強さなど演出だろう』と、端から信じない者も少なからずいた。
十大氏族以外の氏族についても状況は似たようなもので。十大氏族の氏族長たちの働き掛けで、人族との交流に対する反発はある程度抑えられていたが……水面下では不穏な動きがある事を、アリスは把握していた。
それでも一定層以下の魔族に対しては、アリスが独自に作り上げた諜報組織――もっと正確に言えば犯罪組織を使って、脅しを含めた様々な工作によって彼らの動きを封じていた。
さらに言えば、来訪した人族を魔族が殺す事で問題を大きくする前に、魔族同士の殺し合いという形で反人族の首謀者を始末する事も考えていたのだが――
『そのやり方は……本来の趣旨に反するだろ? なあ、アリス……おまえなら、もっと上手くやれる筈だよな?』
と、考えを察したカイエに言われていたので――
(ホント……面倒な事を言ってくれるわよね? でも、カイエが期待してるんだから……やってやろうじゃないの!)
アリスは脅しまでに留めて、直接的な手段に訴えてはいない。
『おまえらさ、この国にやって来る人族に文句があるなら……まず最初に俺たちに言えよ? 俺たちが人族の代表として、全部聞いてやるからさ』
闘技場での試合の度に、カイエが宣言する事によって、反発は少しずつ抑えられて来てはいるが。魔族と人族の確執は根深く、人族を害しようと考える魔族たちは後を絶たなかった。
そんな状況を打開するために――
「やあ、皆さん……僕はメリッサ・メルヴィン。第一氏族メルヴィンの氏族長、ジャスティン・メルヴィンの娘だよ」
反人族の決起集会を狙い撃ちにして、アリスはメリッサをサプライズで登場させた。
ときにはカイエお手製の漆黒のハーフプレートと、黒く光るバスタードソードという完全装備で。またあるときには、純白のドレスという普段のメリッサとは真逆のイメージで……
藍色の艶やかな髪と、鍛え上げられた完璧な身体――メリッサの美しさに、魔族たちの目が釘付けになる。
「あの……アリス。この格好はさすがに……恥ずかしいんだけど」
メリッサは抗議の視線を向けて来たが、アリスは容赦しなかった。
「何言ってるのよ、メリッサ。あんたは第一氏族の姫君なんだから……その武器を最大限に生かして、きちんと仕事をしなさいよ!」
アリスの演技指導に従って、メリッサは人族を受け入れる事で得られる利権を、強かな笑みを浮かべながら彼らの耳元に囁く……最初はぎこちなかったが、回数をこなすうちにサマになって来た。
最大権力者であるメルヴィンの圧力という『鞭』と、その美しき姫君であるメリッサという『飴』を使えば――篭絡される者たちが続出するのも当然の結果だった。
「使えるモノは何でも使う……これは基本中の基本だからね? メリッサ、あんたもカイエの役に立ちたいなら、もっと色々と考えて行動しなさいよ。真正面から戦う以外にも方法があるって……これで少しは理解出来たわよね?」
文句があるなら言ってみなさいよと――アリスはフンと鼻を鳴らす。
「そうだね、アリス。これまで僕は、交渉事とかあまり得意じゃなかったけど……」
メリッサは戦い以外でも役に立てることを実感しながら、今の自分に何が出来るのか、何をすべきかを真剣に考える。
そんな彼女を、アリスは厳しくも温かい目で見守っていたのだが――
(メ、メリッサ……よもやおまえが、このような美姫であるとは……)
柱の陰から祖父のカスタロトが鼻血を流しながら見ている姿には……生暖かい視線を向けるしかなかった。




