212 混沌の魔神と光の神の化身の戦い
最難関級地下迷宮の最下層にある広大な空間に、大地を揺るがすような轟音が立て続けに鳴り響く――
カイエは瞬間移動を繰り返しながら、音速を変えた速度で漆黒の二本の大剣を振るっていた。
「へえー……その姿で戦う方が、サマになってるんじゃないか?」
「ぬかせ! おまえ如き……竜の姿にならずとも蹂躙出来るわ!」
光沢のある純白の髪と、磁器のように滑らかな肌――金色の瞳の美女は、周囲の空間に浮かぶ神剣アルブレナを思わせる一対の光の剣で、カイエの攻撃を完璧に防いでいた。
「凄い……カイエとアルジャルスが戦うところなんて、初めて見たわ!」
二人の戦いを見守るローズは、興奮気味に感嘆の言葉を呟く。
自分だって、この地下迷宮での偽物との戦いとカイエたちとの模擬戦で、以前と比べものにならないほど強くなった筈だが――二人の実力はレベルが違い過ぎる。
今は何とか目で追えているが……どちらも本気ではない事はローズにも解った。
二人が模擬戦を行うことになった切欠は、エレノアと偶然遭遇した日の喧嘩だが、今は喧嘩をしている訳ではない。
「なあ、アルジャルス……良い機会だし、俺と模擬戦をしないか?」
カイエもローズたちとの模擬戦を日課にしていたが、それは彼女たちの鍛錬のためで。カイエ自身にとっては『軽い運動』に過ぎなかった。
カイエも能力を錆び付かせないために、模擬戦とは別に毎日鍛錬用メニューをこなしているのだが。実力が近い相手との戦った方が効果があるに決まっており――
「面白い……本物の強者の実力を、おまえに教えてやるわ!」
アルジャルスも本気で戦える相手を求めていたのは同じであり。こうして二人の模擬戦が実現した訳だった。
カイエとアルジャルスの動きは、時間の経過とともに加速して行き、二人が全身から放つ膨大な魔力は、ぶつかり合うたびに轟音を響かせる。
混沌の魔力を全身に纏いながら戦う――防御不可能な『混沌の魔力』は模擬戦では禁じ手だったが。膨大な光の魔力を放つアルジャルスであれば、混沌に侵食されるよりも速く光の鎧を構築する事が出来る。
「私……ちょっと自信が無くなっちゃったよ」
ローズの隣で、エマが溜息を漏らす。実力の違いを思い知らされたのは、ローズだけでは無かったようだ。
「まあ、仕方のない事だがな。あの二人に勝てる者など、この世界には……エレノア姉様くらいか? しかし、エレノア姉様なら、自信を無くしたなど甘い事を言う暇があるなら、もっと鍛錬を積めと言うだろうな」
そう言いながらエストも、二人が操る魔力の精度に思わず息を飲んだ。
一見すると、カイエもアルジャルスも無暗やたらと魔力を垂れ流しているように見えるが――実際は真逆であり、自身の魔力を完璧にコントロールしていた。
他者から見れば、膨大な魔力があるのだから、そこまでする必要は無いかと思うかも知れないが。二人は魔力の流れを最適化して必要な箇所に集中する事で、最大限まで威力を高めている。
(これほどの魔力を完璧に制御するなど……鍛錬によって、私にも可能になるのか?)
今は全く想像もできないが――カイエに添い遂げると決めた以上、絶対に諦めはしないと、エストは決意を新たにする。
「私に言わせれば……不意打ちの仕方とか、相手の意識の隙を突くやり方とか。もう……あれだけ力があるのに、そこ《・・》までやるかって感じよ! ホント……私も鍛え直さなくちゃって思うわよ」
暗殺者であるアリスにとって、相手の不意を突くのは常套手段だが――二人は当然のように、これ以上無いというタイミングで攻撃を仕掛けていた。
カイエは瞬間移動を繰り返して、相手が最も嫌がる方向から攻撃を仕掛けているというのに。アルジャルスはそれを躱しながら、同時に本来ならばあり得ない方向とタイミングで反撃しているのだ。カイエの方も、それを完璧に防いでしまうのだから――実力差を思い知らされて、本当に嫌になる。
「ロザリーもメリッサも……そんな顔をしたら駄目よ」
蒼い顔で戦いを見つめている二人に、ローズが優しく声を掛ける。
全然見えない――メリッサは、カイエとアルジャルスの動きを捉えることすら出来ない事にショックを受けていた。
それはロザリーも同じで、二人が魔力を制御する速度に知覚が追い付かず、魔力の動きを感知する事すら出来ない事に呆然としていた。
「気持ちは解るけど……さっきエストが言った通りよ。もっと頑張って、徹底的に鍛錬すればいつか必ず……私だって、今は全然追いつけるなんて思えないけど。絶対に諦めたりしないんだから!」
決して気休めではなく、ローズ自身が絶対にやり遂げて見せるという強い意志に満ちた言葉に――
「ローズさん……解りましたの!」
「そうだね……僕も頑張るよ!」
ロザリーとメリッサは目を潤ませながら、自らを奮い立たせる。
このタイミングで――カイエとアルジャルスの戦いに動きがあった。
漆黒の大剣がアルジャルスの頬を掠めて――磁器のような肌に小さな傷ができる。
それでもアルジャルスは一切動きを止めずに、攻撃を繰り返しながら――
「ほう……我に傷を作るとはのう……遊びはここまでだ!!!」
アルジャルスが一瞬で竜の姿に戻ると――巨大な竜の周囲に、千本を超える数の光の剣が出現した。その全てが、それぞれ異なる動きとタイミングでカイエに襲い掛かる。
「ああ、そうだな……俺も退屈してたところだ」
カイエは面白がるように笑うと――混沌の魔力を膨張させる。
しかし、いつものように球形に拡大させるのではなく――混沌の魔力は無数の球体に分裂して、千本の光の剣を迎え撃つ。
混沌の魔力を広げてアルジャルスを飲み込まなかったのは、決して手加減をしたからではない――単純に膨張させた魔力では、凝縮した光の魔力の塊であるアルジャルスの剣に突き破られる事が解っていたからだ。
混沌の魔力で侵食しようとも、それ以上の光の魔力を発生させて突破する――だからカイエも、凝縮した混沌の魔力で一気に侵食するまでだ。
そしてカイエ自身も――混沌の魔力と同化した。
混沌の魔力に飲み込まれて千年を超える永い眠りについていたとき――カイエの自我は混沌の魔力の中に溶けていた。
それは、ほとんど死と同じ意味だったが――決して抗うことを止めないカイエの自我の欠片だけが、混沌の魔力の中で彷徨っていた。
カイエの自我の欠片は長い時を掛けて――混沌の魔力の一部となった自己を再生して行き、同時に自分を飲み込んだ混沌の魔力を、己の自我で逆に侵食したのだ。
そして再び目覚めたカイエは――混沌の魔力そのものと化していた。
今のカイエの身体は、漆黒の光で出来ているが。同時に一つの生命体としての機能を完璧に維持していた。混沌の魔力に支配されるのではなく、完璧に従属させているからこそ、出来ることだった。
「なるほどな……カイエ、おまえも嘗てのおまえではないという事だな」
千本の光の剣を同時に操りながら、アルジャルスは不敵な笑みを浮かべる。
「ああ……アルジャルスだって、昔とは違うみたいだな」
「無論だ……」
巨大な竜の身体が眩いばかりの光を放ち――世界そのものと言えるほどの膨大な魔力同士が、正面から衝突する。
このときカイエとアルジャルスは――本当に楽しそうに笑っていた。




