14 エストの想い
その日うちに、勇者ローゼリッタ・リヒテンバーグの邸宅は、憲兵隊によって封鎖された。
五十人近い数の憲兵たちが、邸宅の門と周囲を取り囲むように陣取っている。時間はすでに夜の十時を周っていたが、憲兵たちが引き上げる様子は微塵もない。
(……どうやらエドワード王子は、本気でカイエを捕えるつもりのようだな)
少し離れた場所から憲兵たちの姿を眺めながら――エストは深い溜息をつく。
魔術士協会や冒険者ギルドも、エドワードの命令で動いていることは確認済みだった。
協会所属の魔術士と冒険者の混成部隊が幾つも編成されており、憲兵隊とともに今も王都全域を捜索している。
(カイエまで捕まるという最悪の事態だけは回避する事ができたが――完全に手詰まりだな。私はその場に居たというのに……ローズが連行されるのを止める事も出来なかった……)
エストは自分を責めるが――エストが言わなければ、カイエが逃げるという選択をする事もなかったし、そもそも彼女でなければ、あの場に居合わせる事など出来なかった。
ローズがエドワードを殴った直後に、エストが駆け付けることができた理由は――独自の情報網によって、事件発生直後に情報を掴んだからだ。
史上最強の魔術師とされるエストは、冒険者ギルドに対しても大きな影響力を持っている。
彼女の魔法に関する深い知識は、地下迷宮から持ち帰った品々を鑑定する上で非常に役に立つし、エストの鑑定書が付いただけでマジックアイテムの値段は倍以上に跳ね上がるのだ。
勿論それだけではなく、冒険者ギルドが抱える魔法絡みの様々な問題に対してエストは助言をしており、他の組織と利益相反した際の後ろ盾にもなっている。
だから、ギルドの幹部たちはエストには頭が上がらず、彼女のリクエストには最優先で応えているのだが――今回だけは事情が違った。
王家による強権発動ということで唯でさえ動きづらい状況の上に、エドワードがエストたち勇者パーティーには絶対に知らせるなと釘を刺したのだ。
その結果、ギルドの幹部たちは動くことができなかったのだが――それでもエストの元に情報は即座に届いた。
つまりは……彼女の方が強かだったという事だ。
こういう事|もあろうかと――ギルドの閑職にいる職員や、末端の冒険者など……エストは幹部とは別に、冒険者ギルドに幾つものパイプを持っている。
その一つを経由して、魔法の伝言が届いたとき――エストは一切躊躇する事なく行動した。
そして、転移魔法で直行した冒険者ギルドにおいて、エドワードと対峙するカイエとローズの姿を目撃したのだ。
この時間では王都の門はすでに閉じていたから――エストは透明化と飛行の魔法を併用し、王都を取り囲む外壁を飛び越えて、郊外にある自宅へと向かう。
周りに何もない場所に、エストの自宅自宅――兼、書庫兼、研究所である四階建ての塔は建てられていた。
このような場所を敢えて選んだのは、実験による騒音その他の被害を周りに及ぼさないためであり、王都の外壁の外にあっても、エストが施した魔法の仕掛けによって防犯は完璧だった。
エストの実力と犯罪者に対する非情さが広く知れ渡っていることもあって――彼女の自宅に近づく者など仕事の関係者くらいのもので、この時間ともなれば普段なら周囲に誰一人いない筈だが――案の定、憲兵隊が塔の周りを取り囲んでいた。
(私もエドワード王子に喧嘩を売ったようなモノだから、当然と言えば当然だな……)
エストの指示によってカイエが逃亡したことは、当然エドワードも解っている。
「賢者エストと言えども……よもや見逃されると思ってはおるまいな? 貴様にも必ず後悔させてやる!」
エドワードの捨て台詞は憶えているが――今のエストにとっては、そんな事は些細な問題だった。
エストは透明化したまま、離れた場所にある秘密の入口から塔の中に入る――用意周到な彼女は、当然そのくらい準備していた。
地下室から一階に上がると――壁中が本棚になっている居間のソファに、アリスとエマが座って待っていた。
「はあ……ようやく帰って来たわね?」
「ホントだよ、エスト……私も心配してたんだからあ!」
エストから伝言を貰った二人も、急いで冒険者ギルドに向かったのだが――徒歩で移動する彼女たちが間に合う筈もなかった。
その後エストと何度か伝言でやり取りしながら――アリスは盗賊ギルドの一部の信用できる人間だけに情報収集を依頼してから、エマと合流した。
エマの方はというと――本人は教会組織の人間に協力を依頼するつもりだった。
しかし、誰が敵か味方か解らない状況の中で、謀ができない彼女が動くと余計に危険だと判断したアリスとエストに止められて。結局、アリスと合流するまで身を潜めていることにした。
その後――合流した二人はアリスが知っている抜け道から王都の外に出た。そして、エストに教えて貰った秘密の入口から塔に入り、彼女の帰りを待っていたのだ。
「二人とも、心配させて悪かったな……」
エストは浮かない顔で、二人の向かい側のソファに腰を下ろした。
普段なら、待っていた二人のために紅茶を入れるところだが――さすがに、そんな気分ではなかった。
「それで……ローズは大丈夫なの? 伝言で聞いたけど、怪我はしてないのよね?」
二人が到着する前に、憲兵隊はローズを連行して行った。
その時点でエストは、二人まで行動を制限される可能性を考えて、伝言で引き返すように伝えていたから、彼女たちは事後の現場すら見ていない。
「ああ、ローズは無事だ。怪我など一切していないし、気力の方も落ち込んでいるどころか……まあ、とにかくローズに関しては心配する必要はないな」
「……なるほど。あんたが見た状況は、何となく想像ができるわ。あのチョロインめ……私たちに、こんなに心配させておいて!」
「……え? え? どういう事?」
一人解っていないエマに、アリスが呆れた顔で説明する。
「……つまり、ローズは牢屋の中でも恋する乙女モードって事よ。エマも心配するだけ損だから、とりあえず安心してなさい」
「そうかあ! ローズは無事なんだ!」
素直に喜んでいるエマの隣で、アリスは少し疲れたような顔をする。
「ところで……エスト。カイエの奴は、今何処にいるのよ? あんたが逃がしたってのは聞いたけど……自分のせいでローズが捕まったのに、結局、あの役立たず男は一人で逃げたんでしょう?」
「いや、違うんだ。それはだな……」
エストは俯くと、感情を吐き出すよう言った。
「今回の件は……全部、私の落ち度なんだ。私が二人に冒険者ギルドに行くように言わなけば……こんなことには……」
冒険者ギルドの何者かが、エドワード王子を手引きしたことは明白だった。
二人が今朝ギルドを訪れて、カイエが冒険者の登録するのと同時に、アルベリア地下迷宮に入る許可を取った。
だから、今日二人が地下迷宮で得た品を冒険者ギルドに持ち込むことは容易に予測できた。
しかも、ギルドの施設であれば外部の目に触れることもないし、荒事を起こしても王家の圧力で簡単に揉み消せる、まさにエドワードにとって都合の良い場所だった。
エストは情報網で裏を取っていたから、これは彼女の想像ではなく事実だった。
ローズの勇者特権があれば、許可などなくても地下迷宮に入ることは出来たのだから――エストが助言さえしなければ、二人が冒険者ギルドを訪れなかった可能性は高い。
「いや、さすがにそれはエストの独り合点だろう? おまえが何も言わなければ、確かに今日はギルドに行かなかったかも知れないけどさ。同じような状況は、遅かれ早かれ起きていたと思うよ」
不意の声に、三人は同時に驚いた顔で声がした方を見る。
そこには――カイエが何食わぬ顔をして立っていた。




