112 作戦勝ち
コリンダの街を出発してから、カイエたちは白銀の船で航海を続けるが――
海上を滑るように突き進む全長百八十メートルの異様な船を、敢えて襲おうと思う海賊などいる筈もなく。
たまに海の怪物と遭遇しても、自分たちから仕掛けるのでもなければ、戦闘になる前に通り過ぎてしまう訳で――
結局、相変わらずの順調すぎる航海を続ける事になったのだが……一つだけ、大きな変化があった。
「カイエ様、本当に退屈な旅ですわね?」
パステルカラーのパラソルの下で、トロピカルドリンクを片手に寛いでいるのは――ビスク・ドールを思わせるポニーテールの幼い少女だ。
「ロザリー、おまえ……何を当たり前のように、俺の船に乗ってるんだよ?」
「あら、嫌ですわ……ロザリーちゃんはカイエ様の下僕になったんですから、ご一緒するのは当然じゃないですか?」
コリンダの街を発って、再び航海を始めた矢先――彼らの前に、ロザリーが頻繁に現れるようになった。
カイエとの取引きで、彼女は世界の動きを観察する人外の情報網に組み込まれたのだが、だからと言って同行を許した覚えはない。
「おまえには仕事を頼んだだろう? こんなところで遊んでないで、やることをやれよ」
「まあ、心外ですわ……ロザリーちゃんは今でもお仕事中ですのよ。カイエ様の前にいるのは、分身体ですから」
神の化身であるアルジャルスとは違って、純粋なダンジョンマスターであるロザリーは地下迷宮と繋がっていなければ、力を発揮する事が出来ない。
地下迷宮が持つ膨大な魔力をコントロールする能力こそ、ロザリーの力なのだ。
それでも分身体を作って遠隔操作するくらいは、地下迷宮の魔力を使えば朝飯前だった。もっとも……こうしてお喋りをしながら、本来の仕事を同時に行えるとは、とても思えないのだが。
「分身体じゃ何の役にも立たないし、結局サボってるだけだろ。まあ、仮に役に立ったとしても……おまえがチョロチョロしてるのは、目障りなんだよ」
「カイエ……あんたも、そんなにロザリーの事を邪険にしなくても良いじゃない?」
意外なフォローを入れたのは――隣りのパラソルの下で、気怠い表情で寝そべっているアリスだった。
「……あら、もうグラスが空ね?」
「はい! そう思いまして、新しいモノを用意しましたわ!」
アリスがカクテルグラスを飲み干した瞬間――いつの間にか彼女の前に移動したロザリーが、片膝を突いて新しいカクテルを差し出した。
「ありがとう、ロザリー……本当に、気が利くわね」
「ねえ、ロザリー。また訓練用に、怪物を召喚してくれないかな?」
次に話し掛けてきたのは、エマだった。
「エマさん、お安い御用ですわ」
そう応えるとロザリーは――転送門を開いて、ギャロウグラスの迷宮から悪魔の一団を呼び寄せる。
分身体と言ってもロザリーの身体の一部であり、地下迷宮と繋がっているから、このような芸当も可能だった。
「だったら、私もお願いして良いかな?」
「ああ、エストさんも参加されるなら……もう少しバリエーションが欲しいところですね」
そう言うなり、今度は様々な種類の天使系怪物を召喚する。
「ねえ、カイエ……私たちはもう少し、向こうでゆっくりしない?」
年中乙女モードのローズが、カイエの耳元で囁くと、
「はい、それでしたら……薔薇に囲まれたスイートな部屋を用意しますね」
ちなみに本物の薔薇ではなく、薔薇型の偽物なのだが――そんな事は二の次で。
そうなのだ――ロザリーはカイエではなく、勇者パーティーの四人を懐柔する作戦に出た。
そして、その作戦は見事にハマり……今ではロザリーはカーストの底辺ながら、しっかりと自分のポジションを確立している。
「おまえらなあ……」
カイエも口では文句を言っているが――少なくとも実力行使で排除するような真似はしていない。
そんなカイエの背中を――ロザリーは、円らな瞳の奥に隠した邪悪な光で射貫く。
(フフフ……このロザリーちゃんの執念深さを、甘く見たわね。外堀を埋めて、身動きを取れないようにして……絶対に絶対に、復讐してやるんだから!!!)
しかし――ロザリーは、まだ気づいていなかった。
強大な力を持つダンジョンマスターとして創造された自分を、いとも容易く、完膚なきまで叩きのめしたカイエという存在に……ここまで自分が固執する理由が。
地下迷宮は――いや、本来の存在意義を失ってしまった今の地下迷宮は、誰かに攻略される為に存在している。
だから、本来であれば踏破したカイエの事を、ロザリーは称賛すべきであり……ストーカー女のように粘着質で付き纏う必要などない筈なのだ。
だけど――本来であれば、蹂躙された怪物を補充するために魔力を優先的に使うべきなのに、ロザリーはカイエに同行することを最優先に考えてしまっている。
それが『復讐心』故だと――ロザリー本人は思っていた。
※ ※ ※ ※
「ところで……私、みんなに相談があるんだけど?」
その日の夕食の席で――エマが切り出した。
ちなみにロザリーは甲斐甲斐しさを装って、みんなのために給仕をしている。
「実は、今月の二十九日は……アイシャの誕生日なんだよ」
ヨハン・シルベーヌ子爵の愛娘、アイシャ・シルベーヌはエマと昔馴染みで、他の四人とも、盗賊の襲撃から助けたことから知り合いになっていた。
湾岸都市シャルトに一緒にリゾート出掛けたり、魔族の討伐に同行したりと……『もうパーティーの準メンバーだよね?』という感じだ。
「私もずっと放っておいた事もあるし、あの子にも色々あったから……今年はみんなでお祝いしてあげたいんだけど、どうかな?」
「良いんじゃないか。転移魔法を使えばシルベスタなんて一瞬だし、他に特別やることも無いんだから」
カイエは即答するが――
「ヨハンとクリスの事は、ちょっと……いや、かなり面倒臭いけどな」
アイシャの父親のシルベーヌ伯爵と、彼女に仕える女騎士クリス――彼女を溺愛する二人の○態の相手をするのは正直うんざりするが……
ローズ、エスト、アリスも反対する理由はなく、話はとんとん拍子で決まったが――新参者のロザリーは、当然ながら蚊帳の外だった。
(アイシャって……何者ですの?)
何となく気にはなったが、わざわざ質問するほどの事でもない。
ロザリーは、その程度に思っていたのだが――
二人の少女の出会いは、思いがけぬ波乱を引き起こすことに……なる?




