1-4.宿屋の親子は揃いも揃って
先程までと一転して静寂した空間。
そんな中に2人の男女が互いに悲痛な表情をしながら座っている。
そしてそんな空間にいながらも変わらない真っ白な少女。
ある意味ではそんな彼女がこの空間をこれ以上張り詰めることの無いよう一役買っていると言えるだろう。
「………いや、ほんと申し訳ありませんでした。微妙に釈然としませんが、夜遅くに婦女子の部屋に連絡無しに訪ねたのは完全に私の失態です」
そこには青髪を水に濡らし黒色の制服を小さな女の子に拭かれる、なんとも情けない剣神の姿があった。
彼のファンが見ればそれはきっと酷い取り乱し方をするに違いない。
それでも彼は冷静に会話を続けようと試みる。
これ以上失敗をして騒ぎを起こしたくなかったからだ。
間違いなく明日には広まっているであろう婦女子暴行疑惑の噂を、少しでも緩和しておきたかったからだ。
「いや、私の方こそ早とちってしまった。何か出来ることがあれば協力する」
「それでしたら後で宿屋の主人さんの誤解を解くのを手伝って頂ければ……」
「あっ、まあ。それくらいなら」
正統派イケメンといった容姿の彼は、性格もまたよくできている。
家柄も良く、数々の名誉と伝説からあらゆる者達から尊敬の念を受け、例えば路地裏に潜む薄汚いチンピラ達からだって彼は敬われていた。
それほどに、この国では彼は信頼された人物なのである。
つまり何が言いたいかと言えば、ここまで酷い扱いを受けるのは彼にとっても十何年ぶりだということだ。
だから実のところ、外には出さないが彼の心には大きく傷が付いていた。
意気消沈である。
同僚のA氏が見れば『ザマァみろイケメン!それが俺が毎日味わってる感情だ!あれ!言っててなんか泣きそうになってきた!おかしいな!心が痛いぞ!?』と言うに違いない。
「ええと、ちなみに今回の要件は……?」
「あ、ああ、主人から伝えて貰った様に、君達二人の身元の確認と職の紹介をしに来たんだ」
「なっ!?そ、それは本当に申し訳ない!気にかけて貰ったのに無礼な真似をしてしまった……!」
「き、気にしないでください、珍しい体験ができたと思ってますから……」
「「………」」
"気まずい"
別に互いに悪気があった訳ではない。
ただ単純にタハラ・アンズの精神力が3しか無かった故に突然の騎士の来訪に混乱してしまい、アイル・アルトランド側も夜遅くに婦女子の部屋に訪れるなどと言う騎士にあるまじき行いを、好奇心が抑えきれず行なってしまっただけであり、どちらも正常でない精神状態からなる失敗をしてしまっただけなのだ。
どちらにも非はあり、どちらにも大きな非はない。
故に互いに相手に気を遣ってしまい、話が一向に進まない。
これを解決するには第三者が居た方が早いのだが、肝心のその第三者は現在アイル・アルトランドの濡れた頭髪をタオルでガッシガッシと拭いている最中だった。
あまりのタオルの勢いに剣神の頭は跳ねる跳ねる。
会話を続けることを完全に邪魔しているが、ここにもまた悪気は無い。
むしろ善意の塊だ。
もはや一度場所を改めた方が話が進むんじゃないか、常人ならばそう考えるだろう。
しかしここに居る剣神アイル・アルトランド、若干19歳にして王国最強の騎士。
剣一つで竜を殺し、その身一つで100の軍勢を滅ぼした、百戦錬磨の無敵の戦士。
彼は何者にも屈しない。
そう、それは例え会話を邪魔するかの如くワッシワッシと頭を拭く純粋な善意によるタオルにだって、彼は決して負けはしない。
もう乾いていると思うのに、それでも拭くのを止めないタオルになど負けるはずがない!
こんな雰囲気を打ち破る程度、赤竜の業火の衣を破った時に比べればなんでもない!
例え彼女がタオルをやめて音のうるさい送風機モドキ(魔道具)を使い出したとしても、剣神である彼にとっては何の問題も無いのだ!
例え彼女が送風機を使いながら彼の髪をバッサバッサとしたところで、本当の本当に何の問題もないのだ!!
(この程度、俺を退けるには値しない!出直してこい!)
そんな心持ちとかは特になかったけれど、彼は声を大にして叫んだ……!
『実は!今回!訪れた!理由は!ですね!貴方を!雇っていた!館の!場所を……!!』
「ちょ、ユウ?お客様がお話してるから送風機は止めてあげてくれないか?」
「……ん、わかった」
そうして素直に送風機を止め、アンズの横に座る少女。
その光景を見て剣神は途端に自分が恥ずかしくなる。
何故か送風機に声で勝とうとしていた自分が、物凄く恥ずかしくなる。
何をやっていたんだ自分はと。
人生でもトップ3に入るレベルの羞恥であった。
「……えと、実は、ですね。貴方が山奥の館で強制労働をさせられていたという話を聞きまして。騎士としては見逃せないと思い確認をしに来たのですが……」
「あ、ああ……ええと、申し訳ないのだが私も地図も無く必至に夜中に山を降りてきただけなのでな、何も分からないんだ。走っている最中に見つけた大樹に向かって闇雲に走って来たからな……」
「あ、そうなんですか……ちなみにそちらの女の子も同様ですか?」
「いや、彼女はその途中で見つけた子だ。記憶喪失で自分の名前すら覚えていない状況だったからな、放っておけず保護する事にしたんだ」
「なるほど……ええと、でしたら探し人の方で彼女に該当する様な情報が無いか探しておきます。かなり珍しい外見をしていらっしゃるので、あれば簡単に見つかるかと」
「あ、ああ、よろしく頼む」
なんとも事務的な会話、面白味のカケラもない。
もうこれで打ち切って解散してもいいというくらいには、互いに牽制し合うような遣り取り。
だがそれは当然だとも言える。
それは彼等の会話を聞いていれば一目瞭然だ。
なぜなら、彼等は未だ互いに自己紹介すらしていないからである。
未だに!
名前すら!
互いに紹介していないのである!
何やってんだこいつ等!
さっさと心開いてラブコメしろや!
扉の外で待機していた宿屋の主人は、ネタにもならないこの空間にそんな感じでイライラを募らせていた。
なんか面白いこと起これよ!と。
耳を澄ませてニヤニヤ顔で。
家政婦ではないけれど。
新聞屋に売り付けるネタを手に入れるために。
「……そういえばお二人共、珍しい服を着ていらっしゃったそうですね。なんでも非常に良い作りをしていたとか」
「へ?ああ、私のあれは前の職場の制服で、ユウのは防寒具の類だ。今は寝巻き用に宿屋の近くで買ったものを着ているが、外出用の服が無いのとユウの体質の関係で、暫くはあの服を着ているつもりだ」
「ふむ……前の職場の制服、ですか……」
その言葉に引っかかったのか、剣神は目の前の女性の身体を上から下まで舐め回すように視線を這わせる。
これでは言い方が悪いので言い換えると、『野獣のような目つきでその豊満な女体を余すところなく目に焼き付けるか如く視姦する』。
非常に濁った目つきだ、あれは間違いなくイヤラシイことを考えている。間違いない。
窓の隙間から杏子の胸をガン見しながら、巨乳好きの宿屋の息子はそう確信していた。
「実はですね、ここに来て貴方を見て、少し考えていることがあるんです。
まず強制労働、という割には身なりが綺麗で健康状態も問題無さそうなのが気になります。それに身体に痣などがある訳でもなく、手先も綺麗、他人とのコミュニケーションも最低限出来ているし、どころかそれなりのマナーさえ身につけている。正直なところ、貴方の経歴には疑わしい所があると僕は睨んでいます」
「うっ……」
「貴方は本当に山奥の館で監禁された生活をしていたのですか?」
「ううっ……」
「貴方は本当に酷い環境で働かされていたんですか?」
「いやそれは……」
「身体に目立った外傷もなく精神的にも良好、貴方は嘘をついていませんか?」
「……ぁん?」
「僕の知っている過酷な労働環境で働かされた者達は、皆もっと酷い状態でした。少なくとも貴方の様な綺麗な身なりの方というのは……」
「あぁ?」
「ですのでね、……えっ?えっと、あれ?」
『……テメェがうちの会社の何を知ってんだオラァ!!』
バァァァァァァン!!と、机を思い切り両手で叩き叫んだ彼女は、ユグドラシル森林に住む大獅子の咆哮に勝るとも劣らない威圧感であったと、後に宿屋の親子は語る。
だが実際に触れてはいけない地雷を見事に踏んでしまった剣神は、単独で三体のドラゴンに囲まれた時よりも恐怖したという。
……その日、剣神は生まれて初めて女性の本気の説教を受けた。
「いいか!?何も衛生環境だけが過酷な労働環境を作り出すのではない!人間関係や契約内容、それを無視した違法な長時間拘束など問題は様々ある!!例えば酷い衛生環境での8時間の労働と、クソみたいな上司に囲まれた28時間の労働、どっちが良いとか無いだろう!?どっちも良い訳がねぇだろうがァァ!28時間とかバカか!年末とか関係あるか!普通に死ぬわ!それになぁ!昇進やミスを理由に女性に体を求めてくる最低な輩もいれば、お尻を触るくらいコミュニケーションとか言う奴もいるが、女性の身からすればクッソ気持ち悪いんだよゴミカス共がァ!!テメェも仮にも悪い人間を取り締まる騎士様なら、そういう視点から人間守る事考えていけぇ!?労働者は契約や転職のし難さから雇用主に直接要求をぶつける事が難しいのだから、どうしても他人の助けが必要なんだよ!身体の傷は目に見えるから対処しやすいかもしれないが、心の傷は身体の傷と違って治らねぇんだからな!一度大きく傷ついた心は元には戻らない!ソースは私の精神力3!働く事が原因で死んでしまう様な人が出てしまう様な国は必ず破綻する!国を守るため、民を守るため、そう思うならもっと色々な視点を取り入れることが必要だろう!?騎士様も仕事が多くて忙しいことは分かるが、皆を守ると言うなら人を見る角度を増やせ!皆を守るというのは言葉で語るよりも大変なことなんだ!ということなのでこの世界ではあんなクソみたいな労働環境が蔓延しないようにこれからはより一層力を入れてより重点的に働いてくださいお願いします何でもしますから!!」
「は、はい!はい!すみませんでした!申し訳ございませんでした!!」
剣神 アイル・アルトランド。
彼にも立場の上の人間がいないわけではないが、それでもこれほど平謝りをする彼の姿を見た者は恐らく1人もいないだろう。
しかし一方で、当人はこの長時間に渡るお説教を内心では少しだけ喜んでいたりもする。
それは別に彼にそういう性癖があったとかいう話では決してなく、彼に対してその様な振る舞いをする者が人生の中で全く居なかったことが理由である。
物心ついた頃から模範的な子供であり、あらゆる事を十二分にこなし精神的にも大人びていた彼は、7歳の頃に単独で大獅子を討伐した事を皮切りに、更に周囲から注意を受けるという経験が無くなった。
それ故に彼は甘やかされて育った訳でも無いが、この様な長時間の叱責を受けたという経験がない。
そんな彼が人生初のお説教を受けて抱いた感情は、『この人は自分の事を見てくれている』という実感だった。
最初は彼女の逆鱗に触れた事がきっかけとは言え、その内容は自分の立場に関連付けたもの。
その言葉は単純に理不尽な彼女の発散では無く、目の前の人の為になる様に、何か影響を与えられる様にと、彼を見ての言葉だった。
伝説を持った剣神では無い、王国最強の騎士にでは無い。
それはそういう装飾物を取り払った、ただの一人の彼にだけ向けられた言葉。そう感じたのだ。
……まあぶっちゃけた話、彼女的には怒りに任せて口に出した言葉を無理矢理『騎士』に結びつけただけだったりもするが。
それでも彼にとって初めてのお説教というのは、それ等をそういった美談的なものに仕上げてしまうくらいに衝撃の強いものだったのだ。
……つまり、
「姉さん……姉さんと呼ばせて貰ってもいいですか!?」
「ぅええ!?」
と言った感じに、生まれてこのかた長男である彼は、唯一自分を叱ってくれた彼女を姉の様に慕いたくなった。
彼は存外、甘えん坊なのだ。
弱音が吐けて、叱ってくれて、甘えられる存在が欲しい。
そんな長男によくある呪いを、彼もまた持っていたのだ。
「お願いします!どうか、どうか姉さんと呼ばせて下さい!!」
「う、うえぇ!?そんな事を急に言われても……」
「アンズお姉ちゃん?」
「「……………」」
『ブッ!!』
「鼻血!?」
余計な事をするのに定評のあるユウ女子の活躍もあり、この日、剣神アイル・アルトランドに心の姉が出来た。
もちろん次の日から王国中で「剣神が慕う元奴隷」「剣神を叱った女」「王国最強の姉」などというネタがどこかの宿屋の親子を皮切りに広がったのは言うまでもない。