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1-1.はいかわいい

私が一体何をしたというのだろう?


田原(たはら) 杏子(あんず) 24歳 職業:OL


現在、駅のホームから転落中。

50cm前方にはこの駅を通過する馴染みある電車が、元いた場所には狂気的な笑みを浮かべる知り合いの同僚が。


おかしいと思ったのだ。

普段は私のことを毛嫌いしている彼女が、働き詰めで朦朧としている今日に限って帰りを誘いに来るだなんて。


何か嫌がらせをした、なんてことは無い。

ただ彼女が恋い焦がれていた男性が偶然にも私なんかに惚れてしまい、彼女の恋心を知っていた私がそれを断って、そんな私の気遣いもどこへやら、何故か彼女の憎悪を買ってしまったというだけなのだ。

理不尽が過ぎる。


これまでも自分の力では解決できない沢山の理不尽を味わってきたこの人生で、ようやく自分の力だけで生きていけると思ったらこれだ。

これからやっと人並みの幸せを求められると思っていたのにこれだ。


運命の出会いも、

暖かい信頼関係も、

何の下心もなく頼れる人間も、

結局ただの夢物語でしかなかった。


ホワイト企業ですら幻想である時点で、私は気付いておくべきだったのだ。

この世界はただの地獄であるということを。


--





「………ぁ?」




全身を吹き飛ばす衝撃と、それに耐えられず身体が壊れていく感覚。

そうして明確に感じられた死の存在。

痛みも苦しみも味わう暇もなく、脳が処理しきれない速度の中で感じられたのは、それだけだった。


だからこそ、そんな事を思い出し、考えられることが出来る現状が納得がいかない。

電車に吹き飛ばされたにも関わらず、普段と変わらず自分が自分の足で立てている現状に説明がつかない。

都会の地下鉄という場所に居たはずなのに、その真逆の様な光景を描いているこの光景が信じられない。


雑なタイル張りの道に透き通る様な流水。

新緑の眩しい木々はこの目に優しく焼き付いてくる。

ギラギラと輝く太陽に対して、心地の良いそよ風は絶えず身体を包み。

鳥や虫の鳴き声が不快にならない程度に耳へと染み渡る。


東京ではあり得ないそんな景色が、どうしてか今私目の前に広がっている。


「……?なんだ、これ」


服は変わっていない。

持ち物は無くなっているが、身につけていた時計やハンカチ、スマホはそのまま。

鞄は恐らく突き落とされた時に落としてしまったのだろう。

スマホはもちろん圏外、時計はやはり22時を示している。


「瞬間移動とかでは、ないだろうな……いや、してたらしていたで怖いが」


いつか何かの漫画本で見たそれではない。

なぜなら電車が衝突した瞬間のあの衝撃は、今でもハッキリと思い出すことができるからだ。


自分が死んだ事だけはハッキリとしているからだ。


ならばここは死後の世界なのか?

確かにこれだけ過ごしやすい気候の世界ならば、天国だと言われても納得はできる。

まるで平成初期のど田舎の様な場所であるが、同時に平和を体現したかの様な空間でもある。

なればこそ、こんな天国なら死んだかいもあったというものだと思わないこともない。


例えば川で冷やした西瓜を食べたり、

例えば気の合う友人達と山へ虫取りに行ったり、

例えば大勢で川の近くでBBQを楽しんだり、


そんな創作物で見た事のある夏の定番の様なことが出来るのなら、私は簡単にこの場所を受け入れることができるだろう。

むしろそんなものと無関係に生きてきた身としては、やりたいまである。


しかし、そんな少しの楽しみも、チラと見かけた木々の奥での騒動が奪い去っていった。


「逃げろ!逃げろォ!!」

「嫌だ!嫌だぁ!助けてくれぇ!」

「やってられっかよ!俺は逃げるぞ!!」

「お、俺も!!」

「ふざけんなァァ!絶対に呪ってやるからなお前等ァ!嫌だ、嫌だぁぁぁ!!誰でもいい!助けてくれぇぇ!死にたくない!死にたくないぃい!」


「え」


真っ赤な(たてがみ)、そして黒い体毛に覆われた犬型生物達に、男性が1人、森の中へと引き摺られていく。

見捨てる仲間達に憎悪の目を向けて、全身を体液でぐちゃぐちゃにした、そんな男性の姿を見てしまった。


恐怖で足が震える。

平和な景色の中に存在する、血と暴力に塗れた世界の存在は、双方のギャップによってより強く引き立てられる。

そして思った。


あ、ここも天国じゃない、地獄だ。


目の前で現代日本ではそうそう無いストレートな弱肉強食の世界を見せつけられ、恐怖と混乱で頭が真っ白になる。

どう考えてもあの男性は捕食されるだろうし、あの数の異常進化した大型犬から奪い返すとなれば、こちらも相応の対価を支払う羽目になることは考えずとも分かる。

人が死ぬという光景を前にして、思っていたよりもショックを受けていた私は足がすくみ尻餅をついてしまう。



そして……



突然、目の前が真っ赤に染まった。




「ぃひゃぁっ!?」




「……?大丈夫?」


「へ?あ、ふ……ぇ!?」


真っ赤に染まっていたのは私の目ではなく、いつの間にか超超至近距離にまで迫っていた少女の瞳だった。

それに驚き身をはねさせれば、今度は視界が真っ白に染まる。

恐らく夏であろうこの時期に、目の前に突然雪が降り積もったかの様に幻視する。


真っ白な肌と長髪、加えて身を分厚い白銀のコートで包んだその少女。

雪原を思わせる静かな雰囲気を漂わせ、けれど血の様に紅い二つの瞳はそれだけでその雰囲気を破壊する。

自己の中で静謐と破壊を共存させるその少女は、いつの間にか目の前に現れて私を見つめていたのだ。


「ええと、君は?」


「……わかんない」


「ん?名前は?」


「わかんない」


「何をしてるの?」


「わかんない」


「ここはどこ?」


「わかんない」


「……今はいつ?」


「わかんない」


「……何か、覚えてることは?」


「わかんない」



んんんんんん?

この子さては私より重症だな??


恐怖、驚愕、そして困惑。

この短時間で我が身を襲った強烈な感情達は、まるで夏の終わりに日本列島を連続横断していく台風達のよう。

私の心も事前に避難警報出してくれよな!

しかし残念、そんな便利な機能は私のような不幸女(24)には備わっていなかった。


……さて、記憶喪失だ。


しかも自分の名前すら覚えていないレベルの深刻な症状。

見た目は12〜15歳、容姿から判断するにアルビノ体質というものだろう。

あまり詳しくはないが、太陽の光に当たると火傷をしてしまうと小説で読んだことがある。

ならば真っ白なコートにフードまで被っているとは言え、これだけ日の出ている時間に活動しているのは問題ではないだろうか?

何より彼女も手ブラだ。

私と同じように何も持っていない。

もし今さっきの犬の様なものが一体でも現れれば、彼女は何の抵抗も出来ずに喰い殺されてしまうのが容易に想像できてしまう。


私も犬はなぁ……どうかなぁ……?



当然のように道の近くで化け物犬が活動し、ここが人里近い場所なのかも分からず、むしろ私の方が情報が欲しいこの状況で、正直こんな子の世話をしている余裕は1mmだって無い。

一度死んだ自分から言わせて貰えればあんな経験は2度としたくないし、むしろあれは死の中では比較的楽に死ねた方なのではないかとすら思う。

生きたまま獣に食い荒らされて死ぬなんて真っ平御免だ、それは間違いない。



……けれど、



「……?お姉さん?」


こんな物凄い守ってあげたくなるオーラを出されてしまうと、その1mm無い隙間にだろうと詰め込んでしまいたくなる!これは仕方ない!

これが母性本能をくすぐられるというものなのだろうか?

目の前で迷子の女の子を見捨てる罪悪感以上に、彼女の手を引いて世話を焼いてあげたい欲の方が明らかに勝ってしまう。

もうなんだったら、このままお持ち帰りしたい。

養ってあげたい。


彼女の無垢な人柄と恐ろしく整った外見、

そして指を触れただけで崩れてしまいそうな雪の様な儚さに、

ちょっとした独占欲の様なモノが私の中で生まれてしまう。


「えっと、今一人なんだよな?帰る場所とか知ってる人とかはいるのか?」


「……ない。気付いたらここに居て、お姉さんがいたから」


「じゃあここの近くに町があるとかも分からないのか」


「うん、ごめんなさい……」


「い、いいんだ!謝らなくとも!大丈夫、お姉さんが君のこと、絶対守ってやるからな!」


「……ほんと?」


「当然だ。ほら、いっしょに行こう?」


そう言って彼女に対して手を差し出せば、彼女もまた一瞬躊躇ったものの、その手を取ってくれる。

申し訳なさそうに、かつ嬉しそうに手を繋いでくれる彼女に対して、自分の心のなんと汚いことか。

全力でガッツポしている。ガッツポ!


こうして迷子を一人保護することになったのだが、同時にこちらもまた迷子。

あれだけの啖呵を切ったにも関わらず、なんともみっともないことだ。

罪悪感も多少あって、喜ぶ彼女を見ているとこの胸がとても痛くなる。

いや、ほんとに頼りないお姉さんでごめんなさい。

マジでごめんなさい。


けれどどうやら私は、もう引き返す事が出来ないほどに完全に、彼女の瞳に魅入られてしまったらしい。


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