第八話 姫宮さんは助けない
新キャラのセリフ読み難いです。
「「ファン?」」
僕と姫宮さんは、互いに顔を見合わせた。
どちらも心当たりがない様子。
「ハイ! 姫宮先輩は超美人の先輩がいるって中学の頃から有名っしたし、実際見たら、これがまたぶったまげるほどの美人だってんで、一年どころか他の高校のやつらの間でも評判なんスよ。しかも入学以来ずっと一番とってて、自分以外を下僕としか見ない、氷の星のお姫さまって呼ばれてるッス!」
「・・・・・・そう。大層不愉快だわ」
姫宮さんは笑顔でこめかみをひくつかせている。
「それに風間先輩もすごいッス!」
「僕がかい?」
いきなり名前を呼ばれ少々戸惑う。姫宮さんに比べれば地味な男子でしかないはずだ。
「ハイ! 先輩、中学ではバスケ部だったッスよね?」
「ああ、確かにその通りだが、弱小だった」
「むしろ弱小校だから余計目立ってたッスよ! うちの先輩でバスケが強い高校行った人がいるんスけど、その人が言ってたッス。千中の四番は化物だって。これ先輩スよね?」
千中とは市立千本ヶ岳中学の略称である。僕の母校でもある。
「多分だが」
「やっぱり! もう伝説ッスよ! 弱小チームを県大会三位まで導いた上、大会でダンクかました千中の四番って!」
「その話はやめてくれ」
「なんでッスか?」
「誰にも言えなかったんだが、あの時酷く突き指したんだ。それ以来ダンクはしていない」
「マジすか! 超ウケル!」
木我沼くんは腹を抱えて笑い転げた。体は大きくとも中身は相応の少年だ。
「高校入ってからも俺たまげたッス。先輩バスケやめちゃったのに、まだ有名なんスもん。運動でも勉強でも敵う者なし! お姫さまと並んで無冠の帝王とか呼ばれてるッス!」
なにそれ恥ずかしい。さっき読んだライトノベルに似たような設定出てきたぞ。
姫宮さんが咳払いした。見れば恐ろしい笑顔でこちらを見ていた。
木我沼くんが小さく「おっかねーッス」と呟いた。
「あなた・・・・・・木我沼くんだったわね? なにか依頼があってきたのではないかしら?」
「ウス。実は部活のことで相談っつーかなんつーか、とにかく話聞いてもらいたいんス」
彼は川村先生の紹介でここに来たと言う。
彼が悩んでいるのはズバリ、いじめについてだ。
見たところ明るく元気なよき後輩の木我沼くんであるが、バスケ部内で陰湿ないじめを受け悩んでいるという。とてもそうは見えないが、話を聞けば信じざるを得なかった。
木我沼くんは、バスケ部の特待生としてこの学校に招かれたという。この学校は県内トップの進学率を誇るが、部活動はさほど強くない。どうあがいても県大会止まりが常であり、数年に一度個人種目で全国に行く者がいるかいないかという微妙な位置づけにあるらしい。
そこで白羽の矢が立ったのが木我沼くんだ。
他の強豪校に引けを取らぬ好待遇で迎え入れ、バスケ部のみならず、部活動全体の起爆剤として大いに期待されていたという。
「初めはよかったんス。みんな応援してくれて、俺も期待に応えなくちゃーって張り切ってて」
しかし、どの世界においても出る杭は打たれるもので、次第に先輩たちからの扱いに変化が生じてきた。
木我沼くんによると、部員の実力は俺>二年≧三年>一年とのこと。つまり部内で木我沼くんに敵う者はなく、実力に嫉妬した先輩たちの反感を買ったのだ。
最初は些細なことだった。自前のドリンクボトルがなくなっていたり、バスケットシューズの靴ひもが切れていたり。それだけなら勘違いや偶然で片付けられるのだが、直後いじめを確信させる事件が起こった。
他校との練習試合の直前、木我沼くんは猛烈な便意に襲われた。
バスケの練習は大量の汗をかく。そのため体が冷えてお腹を壊すことは稀にある。しかしその日は汗をほとんどかいていない、試合前にお腹を壊したのだ。
どう考えてもおかしい。
変なものを食べた記憶もない。
思い当たるのは、練習前に飲んだドリンク。目を離した隙に、なにかを仕込むのは簡単だ。
腹痛は限界に達しようとしていた。
すぐにでもトイレに駆け込みたかったが、先輩たちがそれを許さない。
トイレに行かせてくれと懇願しているのに、サボるな真面目にやれと怒鳴られる。
木我沼くんはあわや漏らす寸前まで追い詰められ、先輩の妨害を振り切りトイレに駆け込んだという。
「しかも、その後がまたひどいんス。試合に戻ろうとしたら、サボるようなやつは邪魔だ! って言われてボールに触らせてくれなかったんス。んで、負けたのはお前のせいだ! って殴られたッス」
こんなことがこれから続くようではバスケ部ではやっていけない。思い切って顧問の先生に相談したところ、川村先生を紹介され、ここ、裏生徒会までやって来たというわけだ。
「話はわかったわ。ちょっと質問させてちょうだい」
「ハイ! 姫先輩になら、俺なんでも答えるッス!」
「その呼び方やめてもらえるかしら。すごく腹が立つの。あなたに」
「俺ッスか⁉」
元気なものだ。自分のいじめの経歴を語った直後だというのに、姫宮さんに彼氏の有無まで訊ねている。ちなみに姫宮さんはいらないと答えた。
「いじめに加担しているのは二・三年生なのかしら? それとも一年生も含まれている?」
「二年だけッス。三年は見て見ぬふりってやつで、一年は結構フォローしてくれまッス」
「となると、一年生と二年生の仲は相当悪いのでしょうね」
「もう最悪ッスね。一応先輩なんで挨拶はするッスけど、あっちは無視ッス」
「三年生は止めないのかしら?」
「あー、三年の先輩たち、もうすぐ引退だから。波風立てないでフェードアウト狙ってるっぽいス。しかも人数が一番少ないから、発言権弱いッス」
「それぞれの学年の人数は?」
「三年三人、二年八人、一年六人ッス」
「・・・・・・よくこの学校に来ようと思ったわね」
「だってここ、全国でも有名な頭いい高校じゃないスか。他からも誘われてたスけど、ここが一番待遇よかったんで、ここにしたッス! 風間先輩と姫先輩もいるし」
名前に釣られただけのようだ。別に悪いとは思わない。学歴など履歴書の装飾品だ。豪華な方がよいに決まっている。
「話はわかったわ。あなたはいじめの解決を依頼したいのね」
「そうッス! 先輩たちにしか頼めないッス! 先輩たちなら信用できるッス!」
「そう。でもお断りさせてもらうわ」
「なんでスか⁉」
木我沼くんは予想外の返答に驚き、目をむいて叫んだ。
対する姫宮さんは至極冷静に言った。
「あなたが私たちについて、なんと聞いてやって来たか知らないけれど、ここは悩み相談を聞きこそすれ、直接解決なんてできはしない。ほんの手助けをするだけよ」
「なら、それをお願いするッス!」
「その必要もないのではなくて? あなたは単にこの学校の名前が欲しくて入学したに過ぎない。バスケットボールは入学するための手段。既に入学は果たしているのだから、無理に部活を続ける必要はないでしょう」
「そんな・・・・・・部活辞めろって言うんスか?」
「それも一つの手だと言っているの。話を聞く限り、あなたのバスケットボールへかける情熱はそれほどでもない。部も弱小としか言えないレベルで、目立った成績も残せそうにないときている。問題はないでしょう」
木我沼くんは打ちひしがれた様子で、へなへなと椅子の上でしおれてしまった。
「姫宮さん、それは言い過ぎじゃないかい? 僕らは彼のバスケにかける情熱を知らないというのに」
「情熱があるのなら、どんなにいい条件を出されたって、こんな弱小校には来ないわよ。県内には本気で全国を目指している学校がいくつもあるわ。彼はそれらを捨てて、ここを選んだ。ただ履歴書が豪華になるという理由だけでね。二年生たちも、そんな思惑に気づいていたのでしょう。この結果は、むしろ当然と言えるわ」
冷たく言い放つ姫宮さんに、僕は返す言葉もない。
正直に言って、僕も彼女が正しいと思っていたからだ。
「・・・・・・わかったッス。もう帰るッス。二人に会えてマジ嬉しかったッス・・・・・・」
木我沼くんはとぼとぼと裏生徒会室を後にした。
「これでよかったのだろうか」
「いいか悪いかで言えば、悪いでしょうね。木我沼くんはいじめを受け続け、部の雰囲気は最悪。三年生が抜けてしまえば後は転がり落ちるだけ。今の一年生が引退する頃には、廃部もありうるわね」
「うーん、それもありか」
「あら、話がわかるじゃない。普通だったら私を責め立てるものなのに」
そう言う彼女は不敵に笑っていた。過去に糾弾された経験があるのだろうか。
「これ以上、木我沼くんのような犠牲者を出さないため・・・・・・そのモデルケースとしては妥当だと思う」
間違いなく、木我沼くんは犠牲者だ。
いじめについてではない。学校の都合に振り回された、哀れな子供に他ならないという意味だ。
こんな部員もろくに集まらない高校の部活に彼のような超新星が来たら、部内に軋轢が生じるのは火を見るより明らかだ。
仮に人間関係がうまくいったとしても、彼のバスケットマンとしての将来はほとんど潰える。
中学では名を馳せたプレイヤーだとしても、高校で大した結果も残せなかったら、その先はない。大学からお声がかかるなんてまず無理だ。
本気でバスケットを続けるなら、姫宮さんが言った通り、強豪校に行くべきだった。
それを捨てたのは木我沼くん自身だが、甘い蜜で毒沼に誘ったのは学校だ。
結果、木我沼くんという才能は悪意によって潰されようとしている。学校が偏差値だけでなく、運動についても一流になりたいと欲を出した結果がこれなのだ。木我沼くんは、やはり犠牲者だ。
「結局、なにもしないのが一番なのよ。本人の問題は、本人しか解決できはしない。私たちにできるのは、見守ることくらいのものよ」
やはり姫宮さんは大人だ。学校側の理不尽も、木我沼くんの甘さも、すべて理解した上で考え、行動している。
行動しないという行動が、ベストでなくともベターであるとわかっているのだ。
それでも、なにかできることがあったのではないだろうか。
木我沼くんが向けてくれた屈託のない笑顔が、彼の行きたいと願った学校と、大好きなバスケットボールによって潰されてしまうのは、なんだか嫌だ。悔しいとさえ思う。
ならばいっそ、僕が――
「・・・・・・やめときなさい」
その言葉で我に返った。
姫宮さんがやはり手元に目を落としたまま、口を開いた。
「あなたが考えていることは正しいわ。それを理解した上で言わせてもらう。やめなさい」
「・・・・・・なにをだい」
「あなたがしようとしていることを、よ。あなた、自分がバスケ部に入ればよいと考えているでしょう」
「だったら、なんだい」
「言ったはずよ。彼の問題を解決するのは彼自身。あなたがやろうとしていることは裏生徒会の理念に反するわ。確かにあなたなら人望も実力も兼ね備え、バスケ部の問題もすぐに解決してしまうでしょう。でもそれがもたらす結果は、必ずあなたを不幸にする」
「・・・・・・」
「なぜ。と訊かないのは、あなたも理解しているからね。そう、あなたがバスケ部に入っても、それは一時しのぎにしかならない。いじめはなくなっても木我沼くんの将来は変わらず、学校はまた彼のような生徒を誘い込む。そのときあなたはどうするの? バスケ部を捨てて他の部に入るのかしら? ではその次は? またその次は? 卒業するその瞬間にあなたの役割は終わりかしら? それではバスケ部の三年生と同じ。逃げに徹した負け犬よ」
僕はなにも言い返せなかった。人を助けるとはそういうことだ。一度助けてしまったら、二度と逃げ出すことはできない。
だから裏生徒会は――姫宮燈火は助けない。
それができる才能と実力がありながら、溺れる者に手を差し出すことは決してない。
彼女がするのは、浮き輪を放るだけなのだ。浮き輪を掴んだ者が生きようが途中で力尽きて沈もうが、彼女は決して目をそらさない。
その決意が、彼女の瞳に力を与えている。
「・・・・・・わかった。この話はこれで終わりにしよう」
「・・・・・・そうね。紅茶を淹れるわ」
姫宮さんが立ち上がり、ほどなく甘い香りが漂ってきた。すぐにコトリと音がして、僕の前にカップが置かれた。
「飲んで」
彼女なりの慰めらしい。ありがたくいただくことにする。
そのとき、またしてもノックの音が聞こえてきた。すかさず姫宮さんがどうぞと声をかけた。入って来たのは見上げる巨体の男子生徒。
「失礼します。川村先生の紹介できたんですが・・・・・・あ、自分は三年の山野辺琢磨と言います。一応、バスケ部の部長をしてます」
僕と姫宮さんは、そろって顔を見合わせた。
バスケ部には問題がいっぱいです。