第六話 条件
姫宮さんは思春期。
「どうぞ」
昨日ぶりの声が、耳に心地いい。扉を開けると、昨日と同じ席に姫宮さんはいた。
「来てくれると、思っていたわ」
「それはよかった。だけど、まだ入会するとは言ってないよ」
「そうね。とりあえず、かけたら?」
促され、僕も昨日座った椅子へと腰を下ろした。姫宮さんは席を立ち、湯沸かし器からお湯を注いで紅茶を淹れてくれた。
「それで、あなたに裏生徒会に入る意思はあるのかしら?」
「そのことについてだけど、実は条件を提示したいんだ」
「条件? ずいぶん大きく出たわね」
「自分の安売りは嫌いなんだ」
僕の軽口に、姫宮さんは品定めするように目を細めた。
意思が強い。
信念がある。
力のある瞳だった。
「言ってみなさい」
「ありがとう。では一つ目。定時は一八時。冬は一七時」
「いいわ。ただし、依頼について活動中の場合、その限りではない」
「やっぱりか・・・・・・うん、そこは妥協する。では二つ目。裏生徒会のメンバーの相談依頼も受け付けること」
「つまり、あなたもなにか依頼したいというわけ? 問題ないわ。あなたもこの学校の生徒だもの。裏生徒会の管轄内よ」
「よかった。では最後の三つ目。僕の依頼を聞いて欲しい」
「それは、二つ目とは違うのかしら?」
「もちろん。僕の依頼を聞いてくれないなら、裏生徒会への入会はなしだ」
「つまり、まずは自分の提示した問題を解決して、私の実力を示せと。そういうわけ?」
「そこまで大層なものじゃないよ。それに、ここはあくまで手助けするまでが仕事で、問題の解決は当人に任せるのが信条じゃなかったかな?」
「そうね。その通りよ。そうなるとあなたが私に依頼、もしくは相談をした段階で裏生徒会への入会がほぼ決定することになるけど、いいのかしら?」
「ああ、僕はそれでかまわない」
「そう・・・・・・」
姫宮さんはこちらを見つめたまま黙り込んでしまった。
瞳に猜疑の色が浮かんでいる。僕の提示した条件に裏がないか探っているのだろう。
好きに考えればいいと思う。こっちには,やましいことなどありはしない。
強いてあげるとすれば条件の二つ目だが、彼女や裏生徒会に不利になるものではない。それに姫宮さんは、条件の三つ目にしか目を向けていない。
果たして僕がどんな依頼をするのか、それを自分は解決できるのか。彼女の頭はそのことでいっぱいのはずだ。
「そんなに警戒しないで。無理難題を押し付けようなんて考えてはいないから」
「どうだか。あんたは飛びっきり変なやつだって、昨日は月島さんから。一昨日は狭間から聞いてるんだからね。罠にはめようったって、そうはいかないんだから」
「罠って、まさか」
「いいわ。なにも言わないで。どの道依頼を聞かない限り始まらないし、もし解決不能な内容でも、これまで通り一人でやっていくだけだから。幸い、今のところ他に依頼もないし」
その言葉を聞いて、僕はすごいと思った。彼女の言葉には嘘がまったく感じられないのだ。
本当に自分一人でもやっていけると信じている。昨日帰り際に見せたあの感情を、彼女は弱みと感じているのだろう。
誰にも甘えず、己だけを信じ、実力のみで生きていく。
強さとは違う、いっそ健気さとでも呼ぶべき信念を,確かに感じた。
「――わかった。では、依頼内容を伝える。いいね?」
「ええ、どんときなさい」
笑顔。
この状況で笑える彼女は、やはり強い。
「僕の依頼。それは僕に・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「思わせぶりに溜めるんじゃないわよ」
演出は不評のようだ。とりあえずスルーしておこう。
「――僕に、恋をさせてほしい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は」
「は?」
「狭間?」
「違う。僕は風間。風間誠二」
姫宮さんはぽかんと口を開け、次いで耳まで真っ赤に染めた。
「にゃにゃにゃに言ってんにゃーっ!」
「なにって、依頼だけど」
「そうじゃなくて! なんでいきなり、告白・・・・・・なんかしてんのって聞いてんの!」
「告白? 確かに依頼内容を告白したけど、その反応は・・・・・・」
「ハッ! まさか、私目当て⁉ あんたが裏生徒会に入るのって私目当てなわけ⁉ 優等生ぶってるくせに中身は野獣ね! このケダモノ!」
「そんな言われようは不本意だ。確かに僕は恋がしたいと言ったが、それは肉欲に溺れてのことじゃない。僕は純粋に、誰かを好きになってみたいんだ」
「肉欲とか! 肉欲とか!」
姫宮さんは自分を抱きしめ窓の方へと後ずさった。そしてしまったという顔をする。
「やられた・・・・・・! 出口を塞がれている!」
「いや、特に鍵とかはかかっていないようだけど?」
「あんたが出口の前に立ちふさがってるじゃない! 人通りの少ない廊下に面した密室に二人きり。都合よく放課後。職員室は遠い・・・・・・完璧だわ!」
「なにがさ。それより、僕の依頼、受けてくれるのかな?」
「まさかここで依頼を持ち出すとは・・・・・・! さすが、化物と呼ばれる生徒ね。そこまで計算していたなんて。ここで断ればあなたは裏生徒会に入らない。受ければ私を食べ放題。やられた!」
「姫宮さんさっきからなに言ってるの?」
「でも、私は屈しない! なぜなら裏生徒会会長だから! 風間誠二、あんた見損なったわ。確かにあんたはうまくやった。この状況では私が圧倒的に不利。腕力では男子のあんたにかなわないけれど、だからと言って心まで自由にできると思わないで! いいこと! ここで私を襲うなら、地獄の報復を覚悟なさい! さあ、ヤりなさいよ! 早く済ませてちょうだい! その代わり恨んで呪って祟ってやるんだから!」
そう一気に叫ぶと、なにを思ったか長机の上に大の字に横になったではないか。しかし顔は引きつり目には涙を浮かべ、握りしめた拳や小さな膝が震えている。
「姫宮さん」
「なによ!」
「なにしてるかわからないけど、とりあえず、机から降りてくれないかな?」
「なんでよ。この方がヤりやすいでしょうに」
「いや、どう考えても話し難いんだけど・・・・・・君がそのままがいいって言うなら仕方ない。勝手に話させてもらうよ。さっきも言ったけど、僕は恋がしたいんだ。これまで僕は恋という感情を持ったことがなくてね。誰かを好きになるという感覚がわからない。どうしていいか、まったく見当すらつかないんだ。だから、裏生徒会に頼みたい。僕に恋というものを経験させて欲しい」
机に寝そべったままの姫宮さんに頭を下げた。
すると、長机の左の方から声が聞こえた。
「え? あんた私のこと好きなんじゃないの?」
「友達としてという意味なら、大好きさ。でもそれは、恐らく恋とは呼べないのだろう?」
「あー、うんそうね。あー、そういう・・・・・・」
姫宮さんはなにやら納得した様子で、机からぴょんと飛び降りた。
そして自分の席へとすっぽり収まる。
「一体、今までの一連の行動にどんな意味があったんだい?」
「うっさい! あんたはもう、ホント、なんて言っていいか・・・・・・ああもう!」
「姫宮さん、落ち着いて?」
「誰のせいでこうなったと思ってる! あんた、今日のこと誰かに言ったら承知しないんだからね!」
「今日のこと? 姫宮さんが誰かと話をするときに机に寝ること?」
「~~~~かっ! ~~~~かっ!」
なぜかヘッドバンギングを始める姫宮さん。なんて変わった女の子だ。
「もうそれでいいわ! 絶対言うんじゃないわよ! いいわね⁉」
「わかった。誰にも言わない」
「よし! じゃあこの話は終わり!」
「了解。それで、僕の依頼は?」
「受けてやるわよ! むしろ受けて立つわよ! いいこと! あんたは裏生徒会で恋をする! それも誰もが羨むような甘酸っぱくて切ない聞いてる方が恥ずかしくなるような大恋愛よ! 覚悟しときなさい!」
「おお、それは心強い! よろしく頼むよ姫宮さん!」
「任せなさい! でも今日は解散!」
「なんで?」
「もう疲れた・・・・・・・今日はお家帰る・・・・・・」
感情の浮き沈みが激しい子だ。情緒不安定というやつだろう。若い女の子にはよくあると聞く。僕の周りの女の子たちはいつも情緒不安定だった。
「そういやさあ、あんた彼女いなかったっけ? あの月島って子」
「月島さんはただの幼馴染だよ。不甲斐ない僕の面倒をよく見てくれている。感謝こそすれ、恋愛とは違うよ」
「ああ、そう・・・・・・」
昇降口までの廊下を姫宮さんはとぼとぼと歩いている。その斜め後ろを僕が行く。会話の糸口を彼女の方からふってくれたのはありがたい。
「そういえば、姫宮さんは月島さんの携帯電話の番号を知っていたみたいだけど、二人は仲良しなのかい?」
「仲良しって、小学生じゃないんだから。残念ながら違うわ。昨日あんたを保健室に運んだ後でアドレス交換しましょうって言われたの。まさかその日のうちに使うことになるとは思わなかったわ」
「そうかい? 友達同士なら、連絡くらい取り合うものだと思うけど」
「友達・・・・・・なんかじゃないわよ。私,友達いないから」
と。不貞腐れて言うのだ。だから僕は笑顔で応えた。
「それは違うよ。僕は君の友達だ」
「あんたが勝手に言ってるだけじゃない。知り合ってまだ三日しかたってないし、話だってろくにしていないもの。友達って、もっとお互いを知り合ってからなるものでしょう?」
「僕はそうは思わないよ。よく知りたいから友達になるんだ。僕は姫宮さんのことをもっとよく知りたい。だからもう友達さ!」
「あんた、いつか刺されるわ・・・・・・月島さんもかわいそうに・・・・・・」
「月島さんがかわいそう? なんで?」
「うっさい。あんたに一つ言っておくことがあるわ」
姫宮さんはこの三日間で一番真剣な顔をした。
大きな目が夕日を受けて輝いて、鋭い光を放っている。
「この世には鈍感だからといって許されることなんて、一つもないの。むしろあんたがなにも感じなければ感じないほど、傷つく人がいる。それを覚えておきなさい」
「どういう意味?」
「それに気づくのが最初の課題ね。恋なんてそれまでは絶対無理」
「そんなあ。せめてヒントだけでも! お願い!」
「うっさい纏わりつくな! セクハラで訴えるわよ!」
「なんてことだ・・・・・・成す術がない!」
姫宮さんはわーわー怒っていたが、途中で僕は職員室に用事があると言って別れた。ついでに裏生徒会室の鍵を返すように頼まれた。用事があるのは川村先生だったのでちょうどいい。
職員室の一角に設けられた喫煙スペースに、先生はいた。
「僕は裏生徒会に入ります」
「そうか。それはよかった。感謝するよ」
「それと、先生に頼まれた件についてなんですが」
「そっちは断ると言うのかね?」
「いいえ。ただ、姫宮さんを支えるのは、やはり友達の役目だと思ったので」
「だが、しかし・・・・・・」
「昨日先生は言いました。彼女に友はいないと。そして今日、姫宮さん自身も言っていました。自分に友達はいないと。まずその認識を改めていただきたい。僕は姫宮さんの友達です。だから、先生に頼まれるまでもなく、なにがあっても彼女を支えて行きます」
「君は・・・・・本気なのか」
「もちろんです」
川村先生は、とても信じられないといった顔をした。タバコの灰が落ちるが気づかない。
同い年の女の子と友達になるなんて普通のことだ。僕としては至極当然のことを言ったに過ぎないのだ。そんなに驚くことでもないだろうに。
「では、今日はこれで帰ります。先生さようなら」
「ああ・・・・・・さよなら」
呆然自失とは、今の先生のような状態を指すのだろう。これ以上話すこともなかったので職員室を後にした。正直タバコの臭いにまいったのもある。
「タバコやめれば、婚期も早まるだろうに」
余計なお世話な一言を呟いて家路を急ぐ。乙女に今日の出来事を話して聞かせるのが、楽しみで仕方がない。
風間くんの恋が始まる・・・・・・のか?