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優等生は誰がために  作者: うえりん
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第五話 決断

なろうさんでは異世界モノが主流ですが、やっぱりラブコメは書いていて楽しいです。

 ガッチャーン!


「兄さん、行儀が悪くてよ。ああ、お茶碗が割れてご飯粒が」

「おおおおお、おとおとおとおと」

「待っていて。今片付けるわ」


 乙女が茶碗の破片を拾い上げる間、僕は生まれて初めて、パニックというものを経験していた。今日は人生の初体験が多い。


 今、妹はなんと言った? 

 大人になった? 誰が? 

 乙女が? それってどういうこと? 

 僕わかんない。


 いいや待て。待つんだ風間誠二。偏差値八五の頭で考えろ。一般的に女性が大人になると言ったらなにを指す? 女の子の日か? いいや、乙女は中学二年生。既に来ているはず。去年お赤飯を炊いたから間違いない。


 ではなにか? その先か? その先ってなんだ? 保健体育とか生物の授業とかが関わってくるあれか? 


 そんなまさか。いやでも・・・・・・。


 背筋が凍った。顔から血の気が引いて目の前が真っ暗になった。

 どうしても、その先というものを想像してしまう。


 想像すると・・・・・・ああダメだこれ本気で死ぬ。


 僕の傍らに膝をつき、茶碗を片付ける可憐な乙女。

 よくよく見れば、確かに成長している。


 体付きはひどく華奢だが、その分背が伸びセーラー服が若干寸足らずになっている。頬の桜色は白百合色に近づき、唇だけが紅色だ。目元には微かに憂いを帯びて、なぜか合コン後の川村先生を思い出す。長い髪が動きに合わせて、肩から胸元へと流れて行く。


 細い細いと思っていた妹だが、胸元はしっかりと膨らみ始めており、嫌でも女性を感じずにはいられない。


 片づけを終えた乙女は客用の茶碗にご飯をよそい直すと僕の前に置き、音もなく自分の席へと戻った。


「妹よ・・・・・・大人になったとは、一体・・・・・・?」

「見ればわかるでしょう? 乙女はやり遂げたのです」


 見ればわかる? 

 なにが?


 想像はできる。できるがしたくない。


「わからない・・・・・・僕はわからないよ。乙女・・・・・・」

「まあ、兄さんでもわからないことがあるのですね。でははっきり言いましょう」


 乙女は茶碗と箸を上品に下ろすと、真っ直ぐこちらを見つめ、薄く、しかしとても幸福そうに微笑み言った。


「乙女はできたのです」

「ずばっはぁ!」


 気づけばテーブルに頭突きしていた。

 ずどこんと大きな音がして、食器が一瞬中に浮いた。


 乙女は「あらあら大変」といいながら、今度は飛び散った味噌汁をティッシュで拭いた。


「今日の兄さん、いつもより変よ? 一体どうしたというの」

「だば、あば、がはま」

「もしかして、乙女にもできたことがショックなのかしら? あまり妹を馬鹿にしてはだめよ。乙女はもう大人です。確かに最初はてこずりましたが、我慢して見事やり遂げました」


 とても穏やかな表情でお腹をさする。

 乙女のこんな表情は、誕生日にEF63形の模型をプレゼントしたとき以来見たことがない。


「・・・・・・れだ」

「なにかしら、兄さん」

「だ・・・・・・なんだ」

「聞こえないわ。もっと大きな声で」

「父親は誰かと訊いている!」


 思わず叫んでしまった。握った拳を振り下ろしたため三度テーブルを汚してしまった。


 そんなことはどうでもいい。


 かわいい妹が、一四歳の妹が、あのちっちゃくてかわいかった妹が・・・・・・妊娠したと言っているのだ。


「兄さん、なにを言っているの? 父親ってなんのこと?」

「・・・・・・言いたくないのはわかる。年齢的に、世間の目を気にするなと言う方が無理だろう。だが、聴いてくれ。僕は君の兄なんだ」

「知っているわ」

「ならば、どうかこの兄にだけは、真実を教えてくれ」

「真実・・・・・・なるほど、さすがは兄さん。よくぞ気づきました」

「ようやく言う気になったかい?」


 遂に妹の口から真実が語られる。


 できることなら逃げ出したい。すべて悪い夢だと言ってほしい。

 だが僕は兄で、乙女は妹だ。どんなにつらい現実でも、向き合わなくてはならない。


 乙女は居住まいを正すと、伏し目がちに切り出した。


「はい。白状します。偉そうに言ってしまったけれど、実はほとんど自分ではなにもしていないのです。ご飯は今朝炊いた残りですし、おかずは月島さんが買ってきてくれたできあいばかり。乙女が作ったものなんてお味噌汁くらいのものです」

「・・・・・・は?」

「不甲斐ない乙女ですが、これからきっと、お料理もうまくなります。下着だって自分で洗います。髪だって自分で結い上げてみせます」

「え? なに言ってるの?」

「本日、月島さんからお話を聞いて、乙女は反省しました。兄さんにどれだけ甘えていたか思い知りました。ですが、もう乙女は大人です。自分のことは自分でできる年なのです。ですから、どうか兄さんはご自分のことに専念なさってください」


 月島さん? なんで月島さんが出てくるのだ?


「え、なにわかんない。乙女は妊娠したんじゃないの?」

「まっ!」


 乙女の顔が真っ赤になった。


「なんてことを言うの兄さん! いくら兄妹だからといって、言っていい冗談と悪い冗談があります! それに、乙女はまだ一四(じゅうし)です!」

「お腹をさすっていたのは?」

「どうにかつまみ食いをせずにやり遂げたので」

「じゃあ、じゃあ・・・・・・乙女はまだ、綺麗な体のままなんだね・・・・・・?」

「・・・・・・もう、今日の兄さんは本当に変です。確かに、乙女はまだ・・・・・・純潔です」


 頬を染め体をよじり、恥ずかしそうに言う乙女。

 これが嘘であるはずがない。僕は感極まって号泣した。


「よがっだあああああ! おどめぇええええええ! 本当によがっだぁあああああ!」

「あらあら、兄さんの乱心には時々ついていけないわ。乙女はここにいます。離れませんよ」


 優しく抱きしめてくれる愛しの妹。一瞬でも君を疑った兄を許しておくれ。


「さあ、涙を拭いて、お鼻をちーんして。夕飯の続きをいたしましょう。お味噌汁が冷めてしまいます」

「ああ・・・・・・ああ! いただくよ!」


 僕は温くなった味噌汁を一気に飲み込んだ。

 うむ。塩辛い。しかし乙女が作ってくれた味噌汁だ。高血圧など怖くはないさ。


「ところで、さっき月島さんの名前が出たようだが、あれはなんだい?」

「はい。月島さんはおっしゃいました。兄さんには欲しいもの、やりたいことができたと」

「なるほど。だが、なぜ乙女は急に家事をやろうと思ったのだい?」

「乙女は感動したのです。これまで兄さんが、なにかをやりたいと思ったことがあったでしょうか。いいえ、ありません。欲しいものだって、いつも使い勝手にばかり目を向けた家具家電ばかり・・・・・・毎年誕生日はプレゼント選びに苦労したものです」

「それは悪いことをしたね」

「いいえ、兄さんのためですもの。電気屋さんから洗濯機を担いでくるくらい、なんでもありません」


 あれ直接担いできたのか。てっきり搬送を依頼したとばかり思っていた。


「ですが、滅私を貫いてきた兄さんにも、とうとう目標というものができたというじゃありませんか。これは自分と向き合う好機だと乙女は考えます。乙女は全力で応援すると約束します」

「なるほど。だからいきなり家事をすると言い出した訳か」

「その通りです」

「だが、乙女よ。君はまだ一四だ。君がなんと言おうがまだ子供だ。この家には親がいない。妹を愛するのは兄の務めだよ」

「愛してくださるなら、同じ分だけ信じてください。乙女はもう一人で平気です・・・・・・ですが、時々でよいので、乙女を思っていただけると嬉しいです。それだけで乙女はがんばれます」

「嗚呼、乙女よ・・・・・・」


 なんて強い子だろう。


 体だけでなく、心まで知らぬうちに立派な女性となっていたのだ。


 目の前で微笑む妹はいつの間にか兄の手を離れ、己を律し、己が翼で羽ばたいていた。僕という狭い巣を離れ、彼女を待ち受けるのは広く青い大空。誰が彼女を邪魔できよう。


 ――そうか、乙女は大人になっていたのか。


 嬉しくもあり、悲しくもある。妹に気づかれぬようそっと目じりを拭った。

 妹にここまで言われてしまっては、兄として応えねばなるまい。僕も妹を信じると心に誓った。


 食事と片付けが済むと、リビングに並んで座り風呂が沸くのを待つ。すると乙女が甘えながら訊いてきた。


「ところで兄さん。兄さんの欲しいものややりたいこととは、一体なんなのですか?」

「う・・・・・・・ん。そう面と向かって訊かれると恥ずかしいな」

「いいじゃないですか。言っちゃってくださいよ! ほらほら」


 と言ってニコニコと笑うのだ。やはりこういうところはまだ子供だと苦笑する。やはり僕は一生乙女の兄だ。


「もう、往生際が悪いですね! 言わないと、こうですよ!」


 言うが早いか僕の背後へと回り込み、わき腹をくすぐられた。


「や、やめろ! 兄を殺す気か!」

「大げさですね。でも、死ぬまで行かなくとも、このままではどうなるかわかりませんよ?」

「きゃうん! 首はダメだ! 服に手を突っ込むな!」

「では言ってください。兄さんはなにをして、なにが欲しいのか」


 わかった言う! 言うから! もはや言葉にならないほど笑い転げる僕。それを心底愉快そうに見つめる妹は、まったく憎らしい小悪魔である。


 とにかくこのままでは、呼吸困難で命が危ない。妹の手が緩んだ隙に僕は叫んだ。


「ぼ、僕は恋がしたいんだ!」

「ぴょっ⁉」


 妹の奇妙な鳴き声を聞いた後のことは記憶にない。

 三〇分後、鏡に映った自分の姿から推測するに、どうやら頸動脈を塞がれ気絶したらしいのだが(手形がはっきり残っていた)、この件について妹はノーコメントを貫いたので、真相は藪の中である。


 しかも、なぜか妹は不機嫌だった。なにを話しかけても「兄さんなんて知りません!」と言ってそっぽを向くのだ。そのくせ風呂上りには、いつも通り髪を乾かせと言ってきたりする。


 夕食の時の決意表明はどうなったのか。真、女の子とは理解に苦しむ生物だ。


 翌日、やはり不機嫌な妹を中学校まで送り、高校までの通学路で月島さんを見かけた。後輩や同級生数人と仲良く歩いている。月島さんは女子テニス部のエースなのだ。


 小走りで追いつき、その背中に声をかけた。


「おはよう。月島さん」

「あ。おはよう風間。あの、昨日はごめんね? その・・・・・・」


 と言ってチラリと周りの女の子たちに目を向ける。なにかを察した彼女たちは、「では先輩また後で~」と言い残し、きゃっきゃ言いながら去って行った。気を遣わせてしまったらしい。


「もう、あの子たちは・・・・・・」

「人気者はつらいね」

「あんたほどじゃないよ。それより、昨日はごめんなさい。いきなり殴ったりして」

「平気さ。僕が頑丈なのは知っているだろう? それよりもお礼を言わせておくれ。買い物、どうもありがとう。おかげで助かったよ。乙女も喜んでいた」

「うん、よかった・・・・・・それでね、ちょっと風間に訊きたいことがあるんだけど」

「なんだい?」

「昨日、姫宮さんから電話があって、買い物を頼まれたのは知ってるよね?」

「うん。僕もその場にいたからね」

「あ、やっぱり・・・・・・。風間、姫宮さんとどんな話をしたの?」

「そのことか。実はとある団体への加入を持ち掛けられたんだ」

「とある団体? 怪しいところじゃないでしょうね」

「今のところ、名前以外で特に怪しいことは感じられないな」

「ふーん。それってなにするところなの?」

「それは僕の口からは言えないんだ。ごめんよ」

「ううん、気にしないで!・・・・・・風間はそこに入るの?」

「・・・・・・ああ、入ろうと思う」

「へえ、珍しい。入学してからもたくさん誘われてたのに、家の都合で断ってたじゃない。どうして今になって入ろうと思ったの?」

「僕も,大人になろうと思ってね」

「?」


 会話をしているうちに、学校に到着した。

 すぐにホームルームが始まり、授業となる。


 月島さんに言ったことに嘘はない。僕は一晩考えた末、裏生徒会への入会を決意した。妹の思いを無下にしたくないという思いと、自身を見つめ直して気づくことがあったからだ。


 裏生徒会の理念に共感できないのは、今も変わらない。


 信頼は甘えに繋がる。


 だが、その最たるものである僕と妹の関係が、昨日になって劇的に変化したのは事実である。


 甘えることをよしとせず、信頼に応えるために自立する。そんな人間がこの世にはいて、それが大人と呼ばれる存在なのではないかと思い始めたのだ。


 もちろん、これは僕の勝手な思い込みである可能性が高い。それでも、信じて行動してみたいと思ったのだ。

 

 だって感動したから。


 あの感動は人を助けることでしか味わえないものに違いない。これまで妹以外を排斥し続けた人生だったけれど、そろそろ外の世界に目を向ける頃合いなのだ。それが恐らく、大人という存在に近づくことなのだろう。


 それに、僕の望みと無関係でもないしね。


 というわけで放課後。昨日と同じく裏生徒会室の前にやってきた。

 誰もいない廊下。

 やはりなにも書かれていない表札。


 意を決し、僕は扉をノックした。


妹って、魔性の女ですね。

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