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優等生は誰がために  作者: うえりん
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第四話 先生①

妹、登場!

「待ち合わせの約束は、なかったはずですが」

「固いことを言うな」


 川村先生はそう言うと、背を預けていた壁を離れ窓際に移動した。

 窓枠に手を置き黄昏る。


 美人というのは得だと思う瞬間である。先生の横顔は絵画のように繊細で、弾けんばかりの生気に満ちている。


「姫宮を、どう思うかね」

「変わり者ですが、いい人かと」

「君が言うのかそれを。まあいい。君に頼みがある。これは裏生徒会と無関係のものだ。――が、どうか断らないで欲しい。頼む」


 川村先生は、夕日の中で頭を下げた。


「その言い方は」

「言い方が卑怯なのは重々承知している。だが恐らく、私と姫宮の生涯において、この願いを聞き届けられるのは、君をおいて他にいないと考えている」

「話をうかがいましょう」

「うむ。君も気づいているだろう。姫宮は恐ろしく優秀だ」

「彼女を守れと?」

「いきなり核心を突くのだな、君は。その洞察力は敬服に値する。君の考える通りだ。どうか彼女を守ってやって欲しい。彼女は優秀すぎるがため、これまでつらい経験をいくつもしてきた。女に生まれたことも、無関係ではないだろう。それらを乗り越えた自負から、本人はこれからも自分一人でやっていこうと考えているようだが、いつか必ず、精神が限界を迎えるときがくる。そのとき、君に彼女の支えになって欲しいんだ」

「そういうことは、友達に頼むべきだと思います」

「彼女に友はいないさ。友になれるだけの人材がいない。友とは互いに対等な関係でしか構築できない、ひどく不自由なものなのだよ。秀でた能力は人を孤独にする。君はその博愛主義によってすべてを均一に見ることができるが、姫宮には無理なんだ。君はすべてを平等に見ることができるが、彼女はすべてが平等にしか見えないのだよ。輝く星に、地球の表面にある石ころの大きさなどわからないようにな」

「僕に、なにをしろと?」

「ただ、側にいるだけでいい。裏生徒会に入るか否かに関係なく、気にかけてやって欲しいのだよ。頼む」

「先生が側にいることはできないのですか?」

「・・・・・・無理だ」


 それだけでわかった。


 川村先生は、姫宮さんを見捨てたのだ。


 仕方のないことだ。輝く星と自分を比べようとする石ころなど、ありはしない。側にいるだけで、己の矮小さ、みすぼらしさを突き付けられてしまうのだから。


 そして、僕が星であるとは到底思えない。


「・・・・・・僕で、いいのでしょうか」

「君以外にはありえないさ。君は世界でただ一人、姫宮を負かせた男だ・・・・・・まったく、君らのような逸材が同じ年に生まれ、同じ学校に通っているとはね。神がいるとは言わないが、それでもこれは、ちょっとした奇跡だよ。だから、その奇跡を私に信じさせてくれないか。君ならば、彼女と並び立つことができる」


 頼む。そう言って、川村先生は再び頭を下げた。


「考えさせてください」


 そろそろ夕日が沈む。暗くなりゆく教室で、僕は生まれて初めて後悔をした。


      ○


 さて、突然だが僕には妹がいる。


 名前は風間(かざま)乙女(おとめ)。一四歳になったばかりの中学二年生。

 名は体を表すの言葉通り、清廉潔白にして純情可憐な世界一かわいい愛すべき妹である。


 僕が毎日の帰宅を急ぐ理由は二つある。一つは家でできるアルバイトを片付けるため。そして二つ目こそが、妹への献身である。献身といっても、大層なことをするわけではない。食事を用意したり掃除や洗濯、勉強を教えたりといった、極一般的な家事をこなすだけだ。


 僕の両親は別居中なので、顔を見ることはほとんどない。


 父も母も子供への愛情は薄いらしく、結婚時に購入したマンションを子供に与えると、二人ともどこかへ行ってしまった。毎月の生活費だけは有り余るほど口座に振り込まれるが,それだけだ。

 二人とも、心底子供が邪魔なのだろう。


 こんな家庭環境を聞いたら多くの人は同情するのだろうが、当の本人としてはさほど気にしていない。愛のない家族など、ただのしがらみに過ぎないのだから。


 ただ一つ案ずることがあるとすれば、それは妹についてである。


 両親がいなくなったとき、妹はまだ小さかった。家族の愛情がどんなものであるか知らない僕だが、それが成長期の子供に不可欠であることは知っていた。それを知らずに育つ者の人生がよいものであるとは言い難い。


 僕は妹を愛している。必ず幸せになってほしい。


 だから、僕は妹のためにできることをしようと決めたのだ。僕は僕の妹の幸せのためなら、どんなことだってする。それ以外は、どうだっていいとさえ考えている。


 ノブレス・オブリージュ。先生の言った言葉だ。


 持つ者は持たざる者より大きな責任を負う。

 僕はこの言葉が好きではない。持たざる者が他人に頼るのは当然と聞こえるからだ。


 これは大いに間違っている。持たざる者は、持つ者より多くの努力をするべきだ。安易に他人を頼ってはいけない。


 それはただの甘えであり、大人のすることではない。


 なにもノブレス・オブリージュを否定しているわけではない。人が生み出した、高尚な思想であると心から思う。


 ――だが、人は弱い。弱さは邪念を生む。実際には、持つ者は持たざる者に利用されるのが世の常だ。特に、真に高潔な魂を持つ者は。


 つまり、裏生徒会の掲げる理念と僕の持つ信念は、著しく乖離しているのだ。そんな組織に身を置くなど考えられない。やはりこの話は断ろう。


 問題は、川村先生に頼まれた、僕と彼女の関係――


「ただいま」


 玄関に入り声をかけた。しかし返事はない。そっとリビングに向かうと、予想通りソファでうたた寝をしている乙女がいた。音を立てないように近づき、そっと頭に触れる。

 細い黒髪がさらさらと手のひらをくすぐった。


 大分髪が伸びた。微かにウェーブのかかった黒髪が胸元まで流れる。


 目元がかすかに動くのが見えた。


「・・・・・・ん。兄さん? おかえりなさい」

「ただいま、乙女。起こしてしまったようだね」

「いいえ。それより、さっき月島さんが見えて、これを置いて行ったのよ」


 そう言ってエコバッグに入った食材を指さす。


「代金は、支払っておいたから」

「ありがとう。あとで改めて、月島さんにもお礼を言わないと。夕飯の準備をするよ。ちょっと待ってておくれ」


 キッチンへ向かおうとする僕の袖を、乙女が捕まえた。


「どうした?」

「いい、今日は乙女がやるわ」

「ええ? でも、部活で疲れているだろう。ここは僕が――」

「いいから、兄さんは座っていて」


 言うが早いか乙女はキッチンへと行ってしまった。

 どうしたことだろう。手伝いを申し出たことは何度もあったが、今日の乙女は、いつになく頑固だ。


 僕は手持無沙汰で乙女の後姿を見守った。


 いつの間に用意したのか、真新しいエプロンまでつけている。色は黒。ところどころ白の装飾が見えるが、元から黒いセーラー服を着ているので、全身真っ黒だ。


「できたわ。兄さん」


 ハラハラしているうちに準備が整ったらしい。テーブルについてみると、そこにはいつもと変わらぬ食卓が広がっていた。もずく酢もちゃんとある。


「おお、すごいじゃないか! 見直したよ」

「ありがとう。いただきましょう」


 そろって手を合わせ食べ始める。


 なんとなく空気がおかしい。

 いつも無口な妹だが、今日はなんだか様子が違う。怒っているようであり、はしゃいでいるようにも見える。


 食事も終盤に差し掛かった頃、乙女が口を開いた。


「兄さん。乙女は大人になりました」


親も子も先生も人間です。一緒にいて息苦しい人とは、距離を置きたいと考えるのは当然です。

問題なのは、それができる力が弱者にないことです。


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