第三十四話 慟哭
姫宮さんが決断します。
姫宮さんが暴れることはなかった。
ただ、静かに嗚咽が聞こえてきた。
気づいていながら目を逸らし続けてきた事実を突きつけられ、姫宮さんは泣いていた。
彼女は今、なにを思うのだろう。
好きな人の呪縛で苦しむ自分。
それも恋だと言うのだろうか。
以前、自分の恋が笑えるほど無様だと語った彼女は、それでも幸せだったはずだ。でなければ、あんなにも穏やかな顔はできない。
だから、彼女が泣いている理由は他にある。僕は、それが恋が終わったからだと推測する。
思いも告げず、ただ理想を追い求めた少女の思いが、今ここで終わったのだ。
「姫宮さん。君の本心を聞かせてくれ。もう、恋なんてものに縛られる必要はない」
「・・・・・・やだ」
「・・・・・・」
「もう、嫌だ」
「言って」
「もう嫌っ! 私が、私が! あんな頭の悪い女のおもちゃにされるなんて耐えられない! 父も母も姉もみんないらない! みんな馬鹿ばっか! あんな低能どもの顔色うかがうなんてもう嫌! どいつもこいつも私より馬鹿なくせにデカい顔しやがって! 親だからってだけで威張りやがって! あんな引きこもりの姉がいてこっちは恥ずかしいんだ! 自殺しろ! ふざけんな! 死ね! みんな死ね!」
悔し涙を流し、喚き散らす姫宮さんを、僕はただ見つめていた。
これがノブレス・オブリージュの真実だ。
人の心を持った怪物は迫害される。それでも同じ人間なら、血の繋がった家族なら、和解するのが最善だと誰もが言うだろう。
馬鹿々々しい。
そんな理想論など、とっくに検証・実験済だとなぜわからない。
それでもどうにもならないからこそ、彼女は泣いているのだ。一緒にいることで不幸になる家族なんて、この世にはたくさんある。
姫宮さんはその一例に過ぎない。僕も彼女もそんなことは理解している。
僕は諦め、彼女はそうしなかった。
それだけの違いだ。
結果は明らか。一人で生きる力があるなら、邪魔者は排除すべきなのだ。それが親や兄弟姉妹ならなおさらだ。その関係は、人と人とを一生強く結びつける。
なんて害悪。
さっさと捨てるに越したことはない。それが出来るだけの力を、姫宮さんは持っているのだから。
日はまだ沈み切ってはいない。
定時まではまだ時間がある。
僕は椅子から立ち上がると、湯沸かし器の電源を入れた。
茶葉を用意し、カップを並べる。お湯を注ぐと甘い香りが鼻腔をくすぐった。いつかの姫宮さんも、黙って紅茶を淹れてくれたっけ。
「姫宮さん。同じ質問を、もう一度するよ。君の本心は?」
「・・・・・・家族を捨てる。これは依頼よ。協力して」
「受けよう。入会条件の二つ目を提示した甲斐があったよ。とりあえず、紅茶を飲もうか。姫宮さんほどうまく淹れられないだろうけど、飲むと安心するから」
僕はカップを持ち上げた。
「あなたは、こんな状況でも笑えるのね」
「? もちろんさ。友達が過去のトラウマに立ち向かう決意を固めたんだよ? 感動のシーンだ。普通喜ぶだろう」
一口すする。これは苦い。
「・・・・・・うまい。我ながら完璧だ」
「嘘おっしゃい。苦いじゃない」
「でも、暖かいよ?」
姫宮さんはなにも言わなかった。
ただ、そっと微笑み、微かに唇を動かした。
「ありがとうだって? お礼は君の家族を皆殺しにしてからにしようよ」
「なんで聞こえてるのよ。それに殺さなくてもいいわ。自殺してくれるのがベストだけど、さすがに三人は無理でしょう」
「んー、なら、とりあえず絶縁ってことで手を打とうか」
「ちょっと物足りないわね。もっと不幸な結末はないかしら・・・・・・って、なんであんたが決めるのよ」
二人同時に噴き出した。
なんて不穏でおぞましい会話だろうと真面目な顔で言うのがおかしかった。
この世界には、こんなジョークで笑い合える関係がある。
それが友達なのだ。
自分の親兄弟を殺すか不幸にするかを笑い合いながら相談する。
それも友達なのだ。
僕らの関係を見たら、誰もが口をそろえて間違っていると言うだろう。
僕らは悪くない。間違っているのは世界の方だ!
今の僕らならそう言い返すね。一度言ってみたい台詞なのだ。
主人公だって、人を殺したいと思うことくらいあります。




