第三十三話 姫宮さんの恋バナ
シリアスです。風間くん以外。
明くる日、乙女のおかげで僕は絶好調だった。
落ち込んで帰った僕を、乙女は慈愛の心をもって慰めてくれたのだ。さすがは天使。我が妹である。今度お礼の意味を込めて、思う存分甘やかしてやろう。
裏生徒会室に向かうと、姫宮さんは既に待っていた。
そう言えば、彼女が僕より遅く来るのを見たことがない。
「こんにちは」
「・・・・・・ええ」
「その痣は?」
姫宮さんが顔を伏せた。
前髪に多少隠れはしたが、額に青い痣が見える。頬の傷はかさぶたとなって、彼女の綺麗な顔に染みを作っていた。
「馬鹿なことをしたと、笑うがいいわ」
「まさか。無駄なことをしたとは思うけどね」
そう、無駄なのだ。
姫宮さんはあの後、自分と友人の非礼を詫びに家族のもとに向かったのだろう。
そこで興奮したお姉さんに殴られた。
その行為自体が己の首を絞めると知らずに、あの人は妹を鬱憤の捌け口にしたのだ。その事実を知った僕が、母が、妹が、どう思うか考えもせずに、そのような行動をとってしまった。
そして、姫宮さんもそうなるとわかっていた。
火に油を注ぐ行為だと自覚していた。すべては無駄。無意味。結末は、僕らが出会ってしまった時点で変わらない。
「これ以上の無駄はなしにしよう」
「いいえ、ダメよ。聞いて。聞いてよ! 姉さんだって昔は優しかったの。泣いた私をおんぶして家まで連れて行ってくれたこともあった。お母さんに叱られたときに、私をかばってくれた。本当はとても優しい人なの。私が悪いのよ。私が、姉さんからすべてを奪ってしまったから・・・・・・。きっかけは小学生に上がる前。私立の幼稚園で受けた知能検査の結果がすごくよくてね。先生たちもみんな驚いていた。姉さんが苦労して入った有名な小学校に無試験で入れた。みんなが喜んでくれた。・・・・・・でも、姉さんだけは違った。顔は笑っていたけれど、私は気づいていた。あの人、本気で私が死ねばいいって思ってた。それに気づいたとき、私がなにを感じたかわかる? ああ、この人はこの程度かって、呆れたの。最低よね? 最初にあの人を見限ったのは私なの」
「姫宮さん」
「だから、私が悪いのよ。私は五歳で、実の姉も、姉の悪意も見抜けない親もすべて見限ったの。早く捨てようと、そればかり考えて努力したの。姉の陰湿ないじめに耐えて、特許を取って本を出して、お金を稼いだ。そして、私は家族から離れて生きることができた。そのとき生まれて初めて幸福だと感じた。家族を捨てた私は、私は・・・・・・」
「姫宮さん、違う」
「姉さんは私がいなくなると、母に依存したわ。昨日見たでしょう? まるで子供よ。両親もそれを許した。うちはお金持ちだから、あなたはなにもしなくていいと姉に言っているのを見たわ。だけど、あれでも私の姉なの。親なの。例えおもちゃにされても、見捨ててはならない存在なのよ・・・・・・」
姫宮さんは机の上に乗せた拳を震わせていた。
泣いてはいない。
僕は、自分の推測が正しかったと確信した。
「姫宮さん、まだ返事を聞いていない。君はどうしたい?」
「私は、なにも望まない。もう、放っておいて」
「確かに、僕がお姉さんから逃げれば可能だろうね。あの人は追ってくるだろうけど」
「いいえ、姉さんは私が説得する。だから、これ以上私たちに関わらないで」
「なぜ?」
「あなたは強い。多分、この世で敵う人がいないくらいに強い。家族が無残にやられるのを、見過ごすことなんてできないわ」
「またまた~」
僕は笑った。
場に似つかわしくない声で、姫宮さんを指さし笑ったのだ。
「なに、笑ってるのよ」
「君が、心にもないことを言っているからさ。自分でも気づいているだろう? 君は、両親もお姉さんも、どうでもいい存在だと思ってる。それどころか邪魔だから早く消えてくれとさえ願っている。子供の頃と同じように」
「そんなはず、ないわ」
「いいや。そんなこと、あるよ。君は人とは違う自分にコンプレックスを持っているだろう? 家庭環境に問題があることも知っている。それらを遠ざけるため、幼い頃から努力してきたのだろう。それは見事成功し、君は晴れて自由を手に入れた。後は家族の侵入を防いでいれば快適だ。――と、そんなとき、君を変えるなにかがあったようだね。それによって君は会わなくてもいい家族と交流し、お姉さんのおもちゃに返り咲いた。なにが君を変えたのかな?」
「・・・・・・あなたは、なんでもわかるのね」
「君はとてもわかりやすいからね」
「・・・・・・いいわ。答えてあげる。私は恋をしたの」
「!」
・・・・・・びっくりした。驚愕した。仰天した。
まさか今、この状況で恋が出てくるとは思わなかったのだ。
「とても素敵な人だったわ。そしてとても頭のいい人。私、小さい頃、暗号を考えるのが得意でね。来客に出題して遊んでいたの。誰も解くことができなかった。父も母も姉さんも。だけど、その人だけが解いてしまった。暗号には世界に対する不満を書いていた。それを読まれてしまい、私の本性がバレるはずだった」
「けど、優しいその人は黙って不正解を口にし、秘密を守ってくれた。その後、話していくうちに本心を打ち明けるようになり、気づけば好きになっていた?」
「その通りよ。やっぱりこの話は無駄だったわね。あなたはあの人と同じレベルの頭脳を持っている」
「買いかぶりだよ。単なるあてずっぽうだもの。それより続きを頼むよ。無駄は嫌いだけど、恋バナには興味があるんだ」
「いいわ。その人――父のお弟子さんだったのだけれど。若くして准教授をしている聡明な人だったわ。そして、その人もまた、恋をしていた」
とても幸せそうに語る。
恋とは、そんなにもいいものなのか。
「その人は結婚していて、奥さんと娘さんがいたわ。私の恋は始まる前から終わっていたのね。初恋は実らないって本当だわ。でも、私は三人が笑顔でいるのを見るのが好きだった。あの人が私を見ることはないけれど、あの人の理想とする人間になりたいと、心から願ったの。それからよ。私が家族と交流を持ち始めたのは。つらかった。苦しかった。でも、あの人を思えば耐えられた。あの人は、きっと家族と仲良くしている私を、好きだと言ってくれると信じていた」
「・・・・・・その人は?」
「死んだわ。災害でね。一家全員、瓦礫の下敷き」
「でも、まだ君は家族ごっこを続けている」
「ええ。天国からあの人が見守っていると思うと、それまでより苦痛に鈍感になれたわ」
「・・・・・・僕がなにを言いたいか、わかるね?」
「言ったら、殺すわ」
「無理だ。僕の方が強い」
「妹を狙うわよ」
「なら、ここで君の手足を折るよ」
「どうして、そこまでするのよ。なんで私を放っておいてくれないの・・・・・・」
「なぜだろう。悔しいからかな。君ほどの人が、こんなくだらないことで才能を潰しているのが嫌なんだよ。友達だから、なんて甘ったれたことは言わない。綺麗ごとは、この場にはふさわしくない。だから、言うよ。君も気づいていることだ。大人しく聞いて欲しい」
「・・・・・・・」
姫宮さんが見つめてくる。その目に恐怖と期待が見て取れる。
聞くのは怖い。だけど、ずっと誰かに言って欲しかった、解放されたかったと、彼女の大きな瞳が語るのだ。
「死んだ君の思い人は悪霊だ。君が彼に感じていた思いは呪いとなった。そんなもの、さっさと断ち切った方がいい」
悲恋ってやつですね。




