第二話 優等生は気づかない②
一人称の文章って難しい・・・・・・。
彼女の名前は姫宮燈火。
特別進学クラスに通う僕らと同じ二年生。
このクラスは普通科に比べ偏差値が三~四ほど高い生徒が所属する、いわばエリートである。女子の占める割合が高く、自然と落ち着いた雰囲気を持つ特別な存在だ。
そんなクラスにあって、一際異彩を放つのが姫宮燈火である。
人目を惹きつけてやまない外見はもちろんのこと、成績も入学以来常にトップ。家庭についても恵まれており、父は大学教授。母は女流作家にして女社長というインテリの血筋。
最早神に愛されているとしか思えない校内一の有名人。
しかしお嬢さま然とした外見同様、性格がかなりきついらしく、誰かと話している姿を見たことがない。
「というのが、俺の知っている姫宮燈火の情報だ。つっても、誰でも知ってることだけど」
狭間くんの説明を聞き終えたがやはりわからない。彼女は一体僕になんの用があるのか。
「そりゃあお前、あれしかないだろう」
「あれ?」
あれ? とは一体。
狭間くんは時々難しいことを言う。少なくとも僕と彼の間に『あれ』で通じる共通のワードがあるはずなのだが、終ぞ思いつかない。
考え込んでいると横から声が聞こえてきた。
「わかんない? 成績のことだよ」
今日は女の子が会話に割って入る機会が多い。
見れば月島さんが立っていた。腰に手を当て胸を張り、口を一に近いへの字にしている。高校に入ってから染め始めた髪が肩の上で揺れている。
もっとも、おしゃれについてはあまり関心がないようで、化粧もしていなければアクセサリーの類も見受けられない。
まったくもっていつも通りの月島雫さんである。
「月島さんまでわかるのか。やはり僕は流行に遅れているのだろうか」
「いや、関係ないって。でも、普通わかるよなあ。ねえ、雫ちゃん?」
「狭間。私を名前で呼ぶな。ぶっ殺すぞ」
冷酷な視線を向けられ、狭間くんが「ぴぃいいい!」と鳴いた。
「そんな乱暴な言葉を使うものじゃないよ。お母さまが悲しむ」
月島さんをなだめるのは僕の仕事だ。彼女とは幼稚園からの付き合いなので、自然と身についた習慣である。
「それで、月島さん。姫宮さんは僕になんの用があるの?」
「・・・・・・いい加減、名前で呼んでって言ってるのに」
「なにこの待遇の差。俺っていじめられてる・・・・・・?」
「そんなことはないよ。口ではこう言っているけれど、月島さんだって君のことを憎からず思っているのさ。幼馴染の僕が言うのだから間違いない」
「全面的に間違ってるっつの。って、言っても無駄なんだよね・・・・・・もういいや、疲れた。それで、姫宮さんがなんであんたに話しかけてきたか知りたいんでしょ?」
「その通りだ」
「なら簡単。ズバリ成績のことしかないっしょ」
「成績?」
狭間くんと月島さんは、そろってうなずいた。
「これまでずっと一位だったのに、その座を奪われて悔しかったんじゃないかな」
「そんなものなのか」
「そんなものだよ。あんたも一生懸命がんばってきたことで負けたら悔しいでしょ?」
「どうだろう? これまでなにかに打ち込んだこと自体稀だから」
「ああ、そうだったね・・・・・・あんたは」
「なになに? やっぱ風間って昔からすごかったの?」と狭間くん。
「そりゃあね。小中と成績は一番だったし、たまに受ける検定試験では満点とって表彰されるし。部活はそこまで強くなかったけど、運動会では誰も勝てないし。ほとんど化物だよ、この人。でもまあ、高校に入ってからは、姫宮さんが一番だったみたいだけどね」
「ああ。彼女はすごいよ。僕のような物ぐさな人間と違って、日々努力しているのだろう」
「・・・・・・そういや思い出した。あんた勉強しない人だったね」
「なにぃ! 風間って勉強しないで一位とったの⁉」
狭間くんが身を乗り出して詰め寄ってきた。
「失礼な。僕だって授業中は勉強くらいするさ」
僕の言い訳をどう受け取ったのか、狭間くんはへなへなと力なく椅子に座ると宙を見つめ放心してしまった。
「狭間くん? 一体どうしたんだ」
「放っときなって。あんたのこと知ったら、大抵そうなるから。この化物。火星人」
「失礼な。僕はれっきとした地球生まれの日本人だ。その証拠に、今僕は、生まれて初めて、心から欲しいもの、やりたいことができたんだ。いわば目標だね。こんなことは始めてだ」
「へぇー、珍しい。あんたが白物家電以外に興味を持つなんて」
「ああ、僕自身驚いているよ。この気持ちに気づけたのは狭間くんのおかげだ」
「あんた狭間のこと好き過ぎでしょ。キモイ。それより、なんなの欲しいものって」
月島さんの問いかけに僕は不敵な笑みを浮かべた。
「よくぞ聞いてくれた。僕は恋がしてみたいんだ」
「へー。恋ね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ⁉ 恋⁉ 魚じゃなくて⁉」
「魚じゃなくて」
そう答えると、月島さんは「イヤーッ!」と叫んだ。
近頃の女の子はよく叫ぶものだ。
○
「でもよお、結局姫宮さんは、お前になにが言いたかったんだろうな」
午後の授業も終了すると、その日の締めくくりの掃除がある。家で磨いた僕流掃除術で教室の埃をくまなく集めていると、放心から復活した狭間くんが話しかけてきた。
「成績についてじゃないのかい?」
「成績っつっても、今さらなにを言うってんだよ。『今度は負けないんだからね! ふんだ!』とかかねえ。おお、想像したらめちゃかわいいな」
「狭間くん。今の声真似、気持ち悪いから二度とやらないと約束してくれ」
「ぅおお、お前の言葉はたまに胸に刺さるよ・・・・・・」
ともあれ、成績のことについて訊ねたいというなら、僕はあまり役立ちそうにない。
例え次の試験で勝負を持ち掛けられとしても、僕には勝負する気がまったくない。
というか、勉強する気すらないので次は彼女が一番だろう。今回はたまたま運がよかっただけなのだ。
というわけでさほど気にすることなく掃除を終え、放課後となった。掃除用具入れに箒とちりとりを片付け(明日は掃除用具入れも綺麗にしてやろうと心に誓った)鞄を片手に教室を出る。早く帰って妹のために晩ご飯を作るのだ。
「ちょ、ちょっと待って風間!」
「なんだい月島さん。僕は急いでいるんだ。悪いが、急ぎの用でなければ明日にしてほしいのだけれど」
「いいいい、急ぐ! 超急ぐ!」
「そうか。三〇秒やろう」
「三〇秒⁉ あんた帰宅については妥協しないよね・・・・・・」
「あと二〇秒」
「わーっ、待って! あんたがその・・・・・・恋・・・・・・したい相手って、誰?」
「うん? よく聞こえなかった。もう一度頼むよ。一〇秒以内で」
「だから! あんたが・・・・・・好き・・・・・・な人って、誰なの?」
「好きな人? 乙女と狭間くん。おっと時間だ。じゃあこれで。また明日」
「ちょ」
彼女の言葉を待たず、僕は回れ右をして廊下を急いだ。
無論、廊下を走るなどもってのほかなので競歩である。これまで僕に追いつけた人は皆無だ。
「待ってー! 話を聞いてー!」
背中に月島さんの声を受けつつ昇降口へと向かう。彼女には悪いが、人生とは有限なのだ。
「おや? なにやら封筒が」
靴箱を開けると、靴の上にピンクの封筒が置かれていた。
手に取ってみるが、差出人も宛先も書かれてはいなかった。
少し悩んだが、封筒を狭間くんの靴箱に入れ、携帯電話を取り出した。
「うぃーっす。こちら狭間」
「こちら風間。悪いね、急に電話をかけたりして。今大丈夫かい?」
「もちろんだ友よ。それで用件は?」
「ああ。実は今、君の下駄箱に封筒が入っているのだが――」
「なにぃ⁉ それはマジか本当か⁉」
「マジで本当で真実だ。ピンク色のとてもかわいらしい代物だ。悪いんだが、この件を君に任せてもいいかい?」
「あたぼうよ! むしろなんでお前が気を遣うのかってことよ!」
「そうかい。ではよろしく頼む」
「任せとけ!」
これでよし。
封筒の持ち主には悪いが、僕にははずせない用事があるのだ。
用件は狭間くんが聴いてくれるだろう。僕が最も信頼をよせる人物だ、問題あるまい。
改めて靴を取り出すと、僕は自宅へと続く道を急いだ。
次の日。
いつも通り登校すると、なぜか怒り狂った姫宮さんとそわそわと落ち着かない様子の月島さんと放心状態の狭間くんが待ち構えていた。
これは何事だろう。全員が一斉にしゃべるので聞き取りにくかったが、要するに次のようなことを言った。
①姫宮さん
「ちょっとあんたぁ! なんで昨日来なかったのよ! それどころか代わりにこの変態が来たんだけど⁉ しかもあんたら名前似てんのよ! 永遠と「え、風間?」「うん、狭間」ていうやりとりした私の気持ちがあんたにわかる⁉ しかも風間じゃないなら用はないって言ってんのにこいつ帰らないし! 終いには告ってくるし! もちろん振ったわよ!」
②月島さん
「あのね。個人の恋愛に口を挟むつもりはないんだけど、相手が実の妹さんと同性の男の子っていうのは、ちょっとおすすめできないっていうか・・・・・・ああでも違うの! そういう人がいるっていうのは知ってるし、むしろ女子の間では常識って感じなんだけど、それでもどっちを選んでも問題がありそうな人選だし、ここは初心に帰る意味も込めて、オーソドックスがいいんじゃないかなって・・・・・・つまりあんたに一番近い異性である、わ、わた、私・・・・・・」
③狭間くん
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんで」
こういった具合だ。狭間くんはともかくとして、彼女たちの言いたいことは理解した。
「なるほど。つまり昨日の手紙の差出人は姫宮さんで、僕に用があったが待ち合わせ場所に来たのは狭間くんだったことに腹を立てている」
「その通りよ!」
「月島さんは僕の将来を案じてくれている」
「うん。だって、私――」
「狭間くんは振られた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんで」
確認終了。まったくもって僕の推測が正しいことが証明された。
つまり僕が彼らにしなければならないのは、
「ありがとう。僕はよい友人を持った」
感謝。
圧倒的感謝・・・・・・っ!
「僕は嬉しい。僕のことをこんなにも気にかけてくれる友人が、三人もいるなんて・・・・・・!」
「な・ん・で! そうなる!」
と地団太を踏む姫宮さん。
どうやら清楚な外見とは裏腹に感情表現が豊かな子らしい。狭間くんの話からは得られなかった情報だ。
僕は涙を拭うと彼女の肩にそっと手を置き、その大きな瞳に語り掛けた。
「知っているかい? 世の中にはぼっちという階級が存在するんだ」
「ぼ、ぼっち・・・・・・? それがなによ。それよりちょっと、顔近いんだけど」
「実は昨日、妹と一緒にとあるアニメーション作品を見てね。その主人公がぼっちと呼ばれる存在だったんだ。学内階級の最底辺に位置しているにも関わらず、彼はそれを受け入れ、自分を卑下し、あまつさえ誇りすら感じていた。しかし物語が進むうちに人との繋がりを得て成長し、ついに信頼できる仲間に本心を打ち明けるんだよ。とても感動するシーンだった」
思い出しても涙を禁じ得ない。さすがは我が妹。視聴するアニメも名作だった。
「・・・・・・ねえ、こいつがなに言ってるかわかる?」
「いや、全然」
姫宮さんと月島さんがこそこそと話しているようだが気にしない僕。
「僕は彼の境遇には心底同情した。そして、思った。僕はなんて幸運なんだと。なにしろ、こうして登校と同時に話をしてくれる友達が三人もいるのだから! だから言わせてくれ! ありがとう! 本当にありがとう!」
感極まった僕は落涙とともに三人を抱きしめた。
この思いが少しでも伝わってくれるなら、僕はどんな代償もいとわないだろう。
そして襲い来る衝撃。
「にゃにゃにゃにゃにすんにゃーっ!」
噛み噛みの姫宮さんから顎へ痛恨のアッパーカット。
「キャー! わー! スキー!」
荒ぶる月島さんから鳩尾へ会心の正拳突き。
「・・・・・・俺も言わせてくれ。くたばれ」
菩薩のような笑みを湛えた狭間くんの渾身のベアハッグ。致命打を三連続で喰らい意識が飛んだ。
しかし、後悔はない。人の気持ちを人が完璧に理解することなんて、できはしない
だから、例え一方通行だとしても、己の思いを伝えることこそが肝要なのだ。
それに言っただろう? 僕はどんな代償をもいとわないと。これくらい、どうってことはない。それが三人の欠けがえのない友人の手によるものだとしても、だ。
「ふ・・・・・・。僕は幸せ者だ・・・・・・」
僕は心からの笑みを湛え、意識を失った。
物語が、進まない・・・・・・!