第十八話 後始末
廊下は走ってはいけません。
付き合って三日目には別に好きじゃなくなっていた。勢いでOKしてしまったが、よく考えると好きでもなんでもなかった。元カノと再会したのでそっちに乗り換えた。別れを切り出さなかったのは、お前が面倒くさそうな女だったから。適当に連絡とらずにいれば、そのうち自然消滅するだろと思っていた。現にお前にも付き合う相手ができたからいいじゃないか。しかも相手はあの風間だ。俺なんかよりよほどいいだろう。なんの文句がある。お前だって俺との関係を曖昧にしたまま風間と付き合ったんだからおあいこじゃないか。でも、そんなに聞きたきゃ言ってやる。別れよう。さようなら。
月島さんが教えてくれた結末は、概ねこのような内容だった。
あの日、裏生徒会室を出た松代さんは、その足で彼の所属するサッカー部の練習場まで行き、そこで彼に真意を問いただしたという。
初めはのらりくらりとかわしていた谷下くんだったが、彼女のあまりの剣幕にとうとう折れ、半ば自棄になって本心を語ったのだ。
そこは運動部が集うグラウンドであったため、目撃者は大勢いたらしい。近日中に二股の事実は校内に知れ渡り、女子全員を敵に回すことになるだろう。因果応報である。
同時に、僕と松代さんとの関係についても、事実が知られているらしい。
情報源が一体どこの誰なのか、終ぞ月島さんは教えてくれなかった。
「かっこよかったよ、彩奈。背筋がピンと伸びてて、真っ直ぐ男の顔見て、はっきり大きな声で話してた・・・・・・まるで姫宮さんみたいに。それで別れようって言われた瞬間、あそこに蹴り入れたの。なんかスカッとしたね」
月島さんも久々に笑顔を見せていた。
この数日というもの、調査に協力してもらっていたせいで、気苦労をかけてしまった。なにかお礼をしなくてはなるまい。
「そう言えば、教室でお昼食べるのって久しぶりじゃない?」
「最近は松代さんと食べていたからね」
今は昼休み。ここのところずっと裏生徒会室で昼食をとっていたので、懐かしさすら感じる教室。
そう言えば、姫宮さんはどこで昼食を食べているのだろう。部室は原則として放課後以外使用禁止のはずだが、作戦中は普通に昼休みも使用できた。顧問が川村先生だから管理が緩いのだろうか。
だとすれば、今も彼女はあの部屋にいるのだろうか。
友達のいない彼女は、ずっとあそこで一人、黙々とお弁当を食べているのだろうか。
「月島さん」
「なに?」
「ごめん。ちょっと行ってくる」
「え? 行くってどこに――」
僕は開きかけた弁当を包み直すと、競歩の歩みで廊下を急いだ。以前は毎日のように使っていた歩法だが、最近めっきり出番がない。
たまには使わなくては腕が・・・・・・いや、足が鈍る。
「あっれー? どしたん風間。弁当食わないの?」
「他のところで食べる。それじゃ」
購買にパンを買いに行っていた狭間くんとすれ違い、校舎のはずれ、特別棟に入った。
階段を三段飛ばしで駆け上がり、廊下は校則違反にならないよう競歩で歩く。裏生徒会室は変わらずそこにあった。
扉の前に立つ。一度深呼吸をして気持ちを落ち付かせた。
コンコン。控えめにノックをした。返事はない。もう一度ノックをしようと腕を上げたとき、それは聞こえた。
「どうぞ」
扉を開けると、そこにはいつも通りの姫宮さんがいた。
違うことと言えば、お弁当を食べているくらいのもので、僕を見ても特に表情を変えることなく、手に持った箸も微動だにしない。
「・・・・・・こんにちは」
「こんにちは」
「・・・・・・」
「なにか用かしら」
「えっと、大したことじゃないのだけれど」
「なら、さっさと出て行って。見られていると食べ難いわ」
「そうだね、ごめん・・・・・・あの」
「まだなにかあるの?」
「えっと・・・・・・そうだ。お弁当、一緒に食べてもいい?」
「・・・・・・好きにすれば」
とりあえず了承を得られてほっとした。中へと入り、定位置へと腰を下ろした。お弁当を広げながらそっと姫宮さんを盗み見る。
「なに見てるのよ。通報されたいの?」
あっさりばれた。
「いや、その、あれだ。首、平気かな~って思って」
「平気じゃないわよ。まだ赤くなってるもの」
顎を逸らせて首を見せる。
そこには白い肌にくっきりと赤い跡が残っていた。痣にはならないだろうが、女の子を傷つけてしまった事実は変わらない。
「ごめん」
「本当よ。しかも、私の話を無視して松代さんをけしかけるし、最低ね」
「返す言葉もない」
意気消沈の僕。
僕はあのとき、松代さんの強さを信じて真実を告げた。
聞こえはいいが、要するに己の自己満足を押し付けたに過ぎない。
依頼は姫宮さんが推論を告げた時点で、終了と言ってよかったのだ。僕はそれが耐えられなかった。
感情に任せ、身勝手に行動してしまったのだ。
もし、松代さんの心が僕が考えるより強くなく、谷下くんを問い詰めた先でひどい振られ方をしたら、最悪の場合、彼女は自殺でもしていたかもしれないのだから。
そんな危ない橋を渡ることが、よいわけがない。やはり姫宮さんの方が、人として正しい行いをした。
「あなたのやり方が間違っているとは言わない。それは結果が証明している。それでも、正直に言って、あなたとやっていく自信がない。今回のようなことがもう一度起こったら、そのときこそ本当に依頼者を危険に晒す。そんな危険因子を置いておくわけにはいかない」
「わかってる。僕もそのつもりで来たんだ」
ポケットから封筒を取り出した。中には手作りの退会届が入っている。本当は放課後に渡そうと忍ばせていたものだが、今渡せるなら渡した方がいい。
「短い間だったけど、お世話になりました。迷惑かけて、ごめん」
「・・・・・・」
お弁当は、既に食べ終えている。
封筒を机に置いたまま、僕は席を立った。
「待ちなさい」
「なに?」
「風間。あなた隠し事をしているわね?」
「まさか」
「この私を騙せると思うの? あなたほどの者が、なんの確証もなしにあんな行動をとるなんて、それこそありえない」
「買いかぶりだよ」
「・・・・・・松代さんと、なにがあったの」
「・・・・・・」
松代さんが泣いた帰り道のことを、僕は誰にも話していない。
あのことがなければ、僕も姫宮さんと同じ結論に達していた。
思春期の少女はひどく不安定だ。ちょっとしたことで落ち込み、自分も他人も傷つける。本を読んで得た知識だが、それらは往々にして正しい。
しかし、松代さんは恋を続けた五日間で変わっていった。
少女から女性へと一歩近づいた。
その分、僕も踏み込んでみようと思えたのだ。
恋に鈍感になることだけが、大人になることではない。
恋に真剣になることだって、人を成長させる。そう信じたい。
そんな僕の思いを、誰にも言う必要はない。
「なにもないよ。だから、裏生徒会にはもう来ない。でも、姫宮さんとは友達でいたいと思っている。たまに、お昼をご一緒させてくれないかな?」
「ダメよ。ここは裏生徒会の部屋ですもの。部外者は原則立ち入り禁止です」
「そっか。それは残念だ。――じゃあ、僕はこれで」
「――ッ」
出て行こうとする僕を、姫宮さんが抱き止めた。背中に体温を感じる。乙女とは違う柔らかな感触に、少し戸惑う。
「どうしたのさ。姫宮さんらしくない」
「――そうね。こんなの私らしくない。これはあまりやりたくなかったのだけれど」
姫宮さんが背中から離れる。胸が痛むのはなぜだろう?
「あなた、依頼者を放り出すつもり?」
「依頼者? また来たのかい?」
「ええ、一人・・・・・・いいえ、二人ね」
「でも、僕はもう裏生徒会のメンバーじゃない」
「いいえ。届け出が受理されるまでは、あなたは裏生徒会の一員よ。少なくとも川村先生が認めない限りは」
「屁理屈だ」
「事実よ」
「・・・・・・わかった。聞くよ。依頼内容は? それが済んだら僕は直接退会届を川村先生のところに持って行く。それでいいね?」
「できるものならね」
ずいぶん自信があるようだ。しかし、僕を拘束するだけの依頼なんてあるのだろうか。
「まずは一人目。依頼者は松代彩奈さん」
「なんだって?」
「依頼内容は、これからも二人で生徒の悩み相談を続けて欲しい」
「いやいや、ちょっと待って。それは――」
「そして二人目。依頼者は姫宮燈火さん。依頼内容は、辞めようとしているメンバーを引き留めて欲しい。さあ、アドバイスをお願いするわ」
「反則だ!」
「まさか。自分で提示したんじゃない。条件の二つ目よ。『裏生徒会のメンバーの相談も受け付けること』まさか自分で言っておいて、反故にするつもりではないでしょうね?」
しまった。まさか姫宮さんのために提示した条件を利用されるとは予想外だ。僕は裏生徒会メンバーとして的確な助言をしなくてはならない。姫宮さんの依頼はそれでもなんとかなる可能性がある。
しかし、松代さんの依頼がこの上なく厄介だ。狙っているとしたら、驚くべき策士である。
「さあ、手伝ってもらうわよ」
僕は深く息を吐くと、お手上げのポーズをとった。
「その様子では準備は整っているようだね。松代さんの依頼に口添えしたのは君かい?」
「いいえ。彼女が口にした依頼内容そのままよ」
「ああそう。あの人は本当にすごいな。ここまで追い込まれたのは初めてだ」
「かっこつけてないで、早く仕事をなさい」
「わかりましたよお姫さま。まずはメンバーの引き留めからいこうか。そのメンバーは押しに弱い。土下座でもすれば一発だ」
「却下。冗談じゃないわ」
「なら、引き留めるのは諦めるしかないね」
「そうね。仕方ないわね」
「では次。二人で悩み相談を続けて欲しい。これは簡単だ。そのまま実行すればいい」
「辞めてしまうのに?」
「辞めさせた上で、相談について助言を得る関係を作るんだ。つまりオブザーバーだね。依頼についての決定権を取り上げることで、僕・・・・・・その人物が持つ潜在的な危険因子を丸ごと排除できる。しかし相談依頼には口出しできるので、その人物の能力をそっくり利用可能だ。飼い殺しだよ。どう? これで二つの依頼は完遂された。まったく、こんなことを思いつくなんて、とんだお姫さまがいたものだ」
「あらいやだ。あなたの意見じゃない。でも使えそうだから採用するわ。あなたには現時刻をもって裏生徒会を辞めてもらいます。同時に特別顧問として迎え入れるわ」
「・・・・・・これ、いつ思いついたんだい?」
「松代さんが来たのが昼休みが始まってすぐだから、二〇分くらい前かしら。依頼を聞いた瞬間ピンときたの。あ。これいけるって。川村先生も二つ返事で了承してくれたわ。あとはどうあなたを辞めさせるか。いろいろ考えていたのだけれど、そっちから申し出てくれたおかげで楽にことが進んだわ。褒めてあげる」
「・・・・・・僕の人間性は問題じゃないのかい?」
「もちろん不安でいっぱいよ。今回のようなことが起きたらと思うと怖くすらあるわ。でも、あなたの依頼を完遂すれば問題ないじゃない」
「? なぜ?」
「あら、この短期間で実例を二人も見てきたのにまだ気づかないの? 恋は人を変えるのよ。風間だって例外じゃない。もしかしたら山野辺先輩みたいになるかもよ?」
「それはない。乙女が悲しむ」
「チッ。見たかったのに」
いくら頼まれたって、人間からUMAに転生は不可能だ。それと舌打ちしないで。
「ほら、ぐずぐずしないで、さっさと川村先生のところに行くわよ! 申請は迅速に滞りなく。仮にも生徒会を名乗っているからには、遅れは許されないんだから!」
姫宮さんは叫ぶように言うと、僕の腕を引っ張り部屋を飛び出した。
廊下にいた生徒が驚いた様子で飛び退いた。まるでツチノコでも見たような反応だ。
無理もない。満面の笑みで廊下を突っ走る姫宮燈火なんて、そこらのUMAなんかよりよほど貴重だ。
そろそろ彼女の後を走るのも飽きてきた。
僕は速度を上げ彼女を追い越した。
彼女も負けじと抜き返す。一進一退の攻防はまだまだ続くだろう。
この場所だけは誰にも譲ることはできない。
なぜなら、僕は世界で唯一人、彼女と並び立つ者だから。
この日、僕は生まれて初めて校則違反をした。なかなか爽快だったので、たまにならやってもいいかと思ったりする。
本当にたまになら、だけどね。
なんか、青春って感じ。いいなぁ。




