第一章 『新ヶ島』メランコリー ⑦
テン 「ちょっと雨降ってきたわね」
「あと五分ほどで着くわ」
「カルピス買ってあるんでしょうね」
あれから約一週間、バイト先で何度か貂子に会ったがとくに変わった様子はなかった。良くも悪くも今まで通りといった感じだ。
何か変化があったとすれば、登録名がフルネームから「テン」に変わってたことぐらいか。
昨夜メッセージが届き、今日これから貂子が部屋に来ることになった。
オレのシフトが土曜日の午前上がりで、彼女は学校もバイトも休みだったからだ。
先週、半ば強制的にサンクチュアリへの侵入を許してしまったが、その方が返って楽だったかもしれない。
女子をじっと待つというのは、ソワソワしてしまうのがオトコの性である。
床には髪の毛ひとつ落ちていない、カルピスも買ってある。
もちろんゴミ箱は空っぽだ。二度と同じ失態は許されない。一応、ベッドメイキングも。角と角を一寸の狂いなく重ねて合わせてある。一応な、一応。
「よしっ、備えあれば憂いなし!」
「なに一人で盛り上がってんのよ?」
「なっ!お前いつの間に!?」
心待ちにしていたはずの美少女が、当たり前のように立っていた。
今日も貂子スタイルの制服の着崩しである。
「イマ」
「イマって・・・どうやって・・・」
「どうやってって、ココにセキュリティもクソも無いでしょ?カギ開いてたし、真正面から堂々と入って来たまでよ」
「だからって無断でお前っ、ノックくらいしろよ!」
「なに多感な男子中学生みたいなこと言ってんのよ。思春期?」
「オレは常に思春期を超越した存在でありたいと思ってる」
「・・・あっそっ」
入室早々、そんな目で見るな。オレとしたことが、口が滑った。
「おっ、ちゃんと買ってあるわね!コップ借りるわ」
「お、おいっ!」
お前っ・・・母ちゃんが昔友達の家に遊びに行っても、冷蔵庫だけは決して勝手に開けちゃダメって言ってたぞ!
貂子はすでに座布団を陣取って正座し、カルピスを注いでいる。忍者か貴様は。
数分前までのピュアなオレを返してくれ。
「アンタも座ったら?軋む床だけど、どうぞ?」
お前の家じゃないんだぞ・・・
「ピカピカのフローリングに失礼します」
「ゴクゴク・・・プハァー」
無視かよ・・・
急に現れてのハチャメチャな行動に気を取られてしまったが、彼女から届いたメッセージの内容を思い出した。以前は「話がある」と言っていたのだが、昨日は「聞きたいことがある」と書かれていた。同義のようで全く異なる。
もしかして・・・告白をしようと思ってたけど、まずは恋人の有無を聞いてからということか・・・?よしっ、ここはコチラから話を切り出してやるのがデキる男の嗜みだろう。
「あのさ、貂子。単刀直入なんだがオレに聞きたいことって何なんだ?」
貂子はコップを一旦円卓に置いた。
「あぁ、それね。珍しくマジメな内容よ」
女の子のマジメな話キター!予想的中!ひねくれてるようでわかりやすいヤツだなー!
「おし。ドンと来いっ」
「アンタってさ、」
膝を見つめてうつむいている。
・・・緊張してきた。
「お、おう」
「『新ヶ島』に何しに来たの?」
・・・・・・えっ?
「アンタの目的はなに?」
「なっ・・・なに言ってんだぁ?お前っ・・・言ってる意味わかんねぇぞ?」
「そんな難しいことを聞いていないわ?どうしてアンタがココに来て、ココで何をしてるのかを聞いてるの。簡単でしょ?」
この声色・・・あの時と同じだ。
冷たく尖った威圧感。背中で感じるモノとはまた違う真正面からの衝撃。
「それは・・・とくにやりたい事もなく、夢もなく、とりあえず進学できるような頭もなく、なんとなく出てきてなんとなくバイトして・・・自分探し。みたいなもんかな」
「嘘ね、本当の事を言いなさい。そんなこと聞きにわざわざこんなところに出向いてるんじゃないの」
「嘘って、お前・・・なんの根拠があって言ってるんだよ!」
「・・・そう。じゃあ質問を変えるわ」
つららのような視線がオレを刺す。
「・・・テン、お前おかしいぞ?キーキーうるさかったりはしゃいだり、今みたく冷たい目して話してきたり・・・わけわかんねぇよ・・・」
「灯宮四葉って誰?」
時が止まった。いや、心臓が止まった。そんな感覚。
オレの全思考回路線が完全に切断された。
「灯宮四葉は誰なのかって聞いてるの」
・・・お前がナゼその名前を知っている。
「黙ってないで何か言いなさいよ」
「・・・・・・・・・・・・・・っている」
「なに?聞こえないのだけどっ」
「・・・お前がっ、ナゼッ、四葉を知ってんだって言ってんだよぉっ!」
ガタンッ
・・・ハァッ・・・ハァッ・・・ハァッ・・・
気がつくと、オレは貂子に馬乗りで胸ぐらに掴みかかっていた。
「あっ・・・違っ・・・」
こんな状況だというのに、彼女は平然とオレを見ていた。
「アタシは、アンタみたいに表っ面では何も考えてないフリしてヘラヘラして、本当は何か抱えてて苦しいくせに、他人に弱みを見せるのを怖がって、独りで戦ってる自分カッコいいって嘘で無理やり肯定してるヤツが大っ嫌いなの」
何も言い返せなかった。何も出てこなかった。
今彼女が言ったことは、オレそのものだったからだ。
自分じゃどうにもできないと分かっているのに、誰かに相談したり、頼ったり、助けて欲しいと言えない。他人に触れられるのが怖い。弱ってる姿を出すのが怖い。他人の信頼の仕方が分からない。自分が苦しんでいることを自分で認めることができない。
独りでもがいていることが正義だと決めつける。隙を見せない為にあえてスカスカの仮面をする。
水原灰二はそういう人間だ。
「質問に答えなさい」
心臓がジリジリと焦げているいるようだ。
灯宮四葉。
「そいつは」
オレの・・・
今まで抑えて、隠して、守って、無視して、騙して、もがいて、逃げていたモノ。
「灯宮四葉はオレの失踪した幼馴染だ」
それが初めて外界の空気に触れた。