第一章 『新ヶ島』メランコリー ④
少し帰りが遅くなってしまった。
証拠を隠滅し「手ぶらで帰るのもなぁ」と、コンビニでカルピスを二本買ってきたからだ。
もちろんオレと貂子で一本ずつ。
先ほどは驚かせてしまったが、あのブツが何なのか分かっていない様子だったし、コレでご機嫌をとって穏便にコトを済まそうとい算段。つまりカルピス作戦だ。
おそらく、カルピスを買って帰ったら「アンタ気が利くじゃないっ!」と一気飲みをするだろう。飲み終えた頃にはあら不思議、オレがティッシュを捨てに行ったことが、コンビニでカルピスを買って来てくれたという事実にすり替わる。完全犯罪だ。
二号室に戻るとまだ明かりはついており、玄関の小さなローファーもそのままだった。
もしかしたら帰ってしまっていることも考えられたので、少しホッとした。
帰ると明かりがついていて、誰かが待っているというのはこんなボロ屋でも悪くないな。二ヶ月前まで、実家で生活していた時に知らなかった温かさがある。
あの頃は母ちゃんか妹が家に居て当たり前だったからな。一人で暮らして初めて気づいた。
今日はココで初めてオレの帰りを待っている人がいる、しかもそれがJKときた。
久々の温かさと、謎の高揚感。
オレは調子に乗った。
全国の親愛なる同士達よ、すまない。・・・先に行くゼッ。
女の子に男子が言ってみたい言葉ランキング上位に長年鎮座しているであろう「ただいま」を言ってみたい衝動に駆られた。自然に言えたなら、何のことなく「おかえり」と返って来るだろう。
オレはドリーマー。
しかし勝率はメーターを振り切っている。
大丈夫、いつも暗闇相手にトレーニングしてるじゃないか。
・・・イケるッ!失敗のイメージがゼロに等しい。
ふぅ、息を整えて、いざっ。
「テン、ただいまー。遅くなって悪い、カルピス買って来たぞー」
自然っ!言えたっ、しかもアドリブまで入れて。完璧だ。
努力は裏切らない!
さらば碧き日々の面影ェ!
「・・・・」
・・・・・・あれ?
貂子は裏切った。
クッソ・・・あの女ァァァァアアア
純粋無垢、穢れを知らないピュアボーイのハートはスマホの画面のように砕かれた。
スニーカーを雑に脱ぎ捨て、居間に上がる。
「おい、テン。せめて何か言ってくれてもっ・・・」
・・・って、居ない?
彼女の姿は視界に無かった。
しかし座布団にジャケットが無造作に投げてある。
まさか貂子に限ってこんなことはしないだろうと思うが、ワザとらしく「どこかなぁ」と一応押入れも確認してみたが居ない。
なんだアイツ、制服と靴忘れて帰ったのか?
コンビニ袋を円卓に置き、カルピスを一本取り出して一口飲んだ。
どんな状況下でも安定の美味さ。コレだけはいつでも純粋な男子の味方だ。
スマホのバッテリ―残量が二割ほどだったことを思い出し、ベッド下のコンセントから伸びる充電ケーブルに手を伸ばした時だった。
「ふぇっ!?」
・・・今、・・・動いた・・・か?
布団が一瞬動いた気がした。
注意して見てみると、浅く浮沈を繰り返している。
まさか・・・
ゆっくり、ゆっくり、そぉっと掛布団を捲ってみる。
・・・新種の小動物を発見した。
オレの注意力不足だが、まさかベッドの中にいるとは想像もしていなかった。
すぅー、すぅー、とコチラに背を向ける形でオヤスミになっていた。
考えてみれば彼女はまだ高校3年生で、日中は学校で授業、放課後はピザ屋でバイト。プラス、今日はオレのせいで残業をさせてしまっていた。その後、あんなにキーキー怒鳴っていたのだから、いつもよりエネルギーを使い疲れていたのだろう。
それにしても無防備すぎるだろ・・・
入って来たのがオレじゃなくて、変態ロリコンおじさんだったらどうすんだよっ。
生憎、オレにはそういった趣味は無い・・・はずなんだが。
いつも尖っていて、警戒心というバリアを張っている女の子の鎧を外した姿というモノはどうしてここまで魅力的なのだろうか。
オレは知っている。これは女子側からの無言のサインだ。
善意をもってして何も手を出さなかった場合、後々男側が悪者のなるヤツだ。「私ってそんなに魅力ない?」とか「チキン野郎」とか「クソ童貞」とか叩かれるんだ。
かといって万が一手を出した場合でも一歩間違えれば死を意味する。
いったい何が正解なんだ・・・
すぅーすぅー寝息をたてて気持ちよさそうだ。
残念だが髪がイタズラをして寝顔は拝めない・・・ダメだダメだ。
ずっと見ていたい、という第五欲求を押し殺す。
今日のオレの回路はメチャクチャになっている。きっとそのせいだ。
ひとつ深呼吸を決める。
決断は。
もう少し寝せといてやるか・・・
捲った掛布団をゆっくり元に戻す。
「今日は、ごめんな。お疲れさん」
自分の臆病さと後々の後悔フラグを誤魔化すように、もう一口カルピスを口に含んだ時だった。
「夜這いってヤツ?」
「ンッ!?」
ゴクンッ―――ゲホッ、ゴホッ、ガホッ・・・
ホワイトミストを吹き出しそうになり、両手と喉で無理やり封じ込めた。
「おっお前、起きてたのか⁉」
「ふぁ~っ、完全に寝てたわっ」
んーっ、と子猫のように目を擦りながら貂子がムクッと起き上がった。
おそらく寝てたのは事実には間違いなさそうだ。
「アンタいつの間に帰って来てたのね」
「あ、あぁ。ホントついさっきな」
「そう、おかえり」
瞬間、瞬く間、刹那、動けなくなった。
「なにアンタそんなアホみたいな顔して・・・あっ、イイの持ってるじゃないっ。頂戴っ!」
い、今なんて・・?
バッ、と手に持っていたペットボトルを奪われたことに三秒遅れで気がついた。
「あっ!それっ、お前のはこっちに・・・」
時、既に遅し。とはこのことだ。
貂子はオレから奪取したソレをゴクゴクラッパ飲みした。
「ぷはーっ!やっぱコレよねぇー!カラダにピース!」
コイツのテンションの起伏が掴めない。
それは置いておいて、さっきまでオレが飲んでいたモノを今貂子が飲んだってことは、つまり・・・間接ってヤツだよな!?
カルピス作戦が思わぬ結果を招いた。
拝啓、全国の同士たち、私水原灰二お先に失礼致します。
これからは先輩と呼びやがれ。 敬具
「アンタいつまでアホっツラしてるつもりなの?・・・ちょっと聞いてる?」
「お、おう。失敬、失敬。ヒドいモノを晒してしまってたな」
「ホントよ・・・」
うんしょっ、とベッドの上に立ち上がり指を組んで高く伸びをした。
乱れたブラウスの隙間から、おヘソさんがこんにちは。
神様、どうしちまったんだい?オレに三つも甘酸っぱい思い出のプレゼントなんて気が変わったのかい?
もしそうなのであれば、オレはあんたに忠誠を誓うぜ。