悪い噂
無言ながらも、マッド・ロッチと少し打ち解けたフィルアは、店の扉を閉めて一息ついた。なかなかの面倒事だったが、このまま沈黙を貫き通して無視しておこうとフィルアは考えていた。フィルアは革命家的な思想もないし、自らのリスクを上げてまで国を変えてやろうとも思わない。
それに別にこの国に不満を持っているわけでもない。むしろどちらかといえば住みやすくていい国だ。それに、このルーザント王国の王たるガルゼル・ルーザントは尊敬する人間の一人であった。
英雄王として崇められる彼は、豪傑で、かつ優しく、たった一つの代で国をここまでまとめあげてしまった、いわゆるこの国のシンボルである。30年前のかつての戦争で分裂した国々を集めて、ガルゼルはこの国を造った。
戦争があってまだ短い年月しか経っていないため、細かないざこざは多いが、それでもこの周辺の国で一番治安も良く、無駄な徴兵も行っておらず、フィルアはこの国が好きだった。
だからこそ、マーヴェルの誘いに乗る気などさらさらなかった。
「国を変える前に自分が変われよ」
なんて、マーヴェル本人の前では口が滑っても言えないことを呟いて、フィルアはバーから出たところの階段を登る。もうそろそろ日も傾いてきたのか、薄暗い通りはより闇を濃くしていた。
冗談みたいに治安が悪いフール・セントラルでは、一般人が夜に出歩いていいような場所ではない。いくらフィルアといえど、安心していられない。完全に日が暮れてしまう前にさっさと抜けてしまいたかった。
何となく帰る方向は覚えているため、さっさと帰路に着く。来た道を歩き、たまに現れる怪しい人影に目を合わせないようにそそくさと歩を早めた。数分歩いたところで後方からフィルアに対して声がかかった。
「よお。さっきぶりだな」
野太い男の声だった。
早速、変な奴に絡まれるかと、フィルアは警戒して声の方向へと意識を向ける。
「お前……。さっきのやつか」
フィルアに声をかけたのは先ほどバーにてフィルアに絡んできてマッド・ロッチに殺されかけてへたりこんでいた熊っぽい刺青の男だった。
先ほどの恨みでまた難癖つけてくるのかと、フィルアはうんざりしたのだが、刺青の男は気まずそうに頭を掻いた。
「ああ、なんだ。別にお前にもう絡もうなんか思っていない。ただ、礼を言いたくてな。さっきは助かった。喧嘩売っちまって済まなかったな。あの能面野郎に敵対されたら生きていられないし、ホント助かった! 俺の名前はローガンだ。この辺でよくいるから何かあったら頼ってくれ」
「別に助けたつもりはないんだけどなあ。それにこんな物騒なところ二度と来るか」
「まあ、そんなこと言うなって。ここも住めばいいところだぞ?」
「俺はお前達みたいな血の気の多い輩じゃないから住んだらすぐに死んでしまう」
「お前も相当血の気多そうだけどな」
フィルアはジト目で見つめるローガンを適当にあしらう。こんな刺青のいかつい男と知り合いになっても百害あって一利無しとしか言い様がない。
面倒になってきたフィルアは、無理やり話しを終わらせると踵を返した。
「じゃあ、また縁があればな。二度と合わないだろうけどな」
「お、おい。せめて名前だけでも教えてくれよ」
帰ろうとするフィルアをローガンは呼び止める。あらかさまに嫌そうな表情をつくるフィルアに、ローガンは困ったように頬を掻いた。ここで名前を覚えて後で復讐に来る可能性もゼロではないのだが、その時はその時で返り討ちにしてしまったらいいかと、フィルアは諦めたように言う。
「フィルアだ。なるべく早く忘れてくれ」
冗談っぽく本気で言うフィルアに対して、ローガンは目を見開いた。
「フィルアって、あの賢者のか?」
「なにそれ嫌がらせか? ついこの前賢者じゃなくなったよ」
「そうだったのか……。どうりで……。いや、からかった訳じゃない。そういう表の情報はあまり知らないもんでな」
どうやら本当に知らない様子のローガンは神妙な面持ちで考えるような仕草を取った。フィルアの賢者落ちの話しを聞いたローガンは納得行ったように頷き、歯切れの悪そうに言った。
「あのマーヴェルって野郎、賢者落ちしてる奴に片っ端から声をかけてるんだ。お前も賢者落ちなら納得が言った。だが気をつけろよ。あいつがこのフール・セントラルに来てからいっそう治安も悪くなったし、派閥争いが酷くなっちまった。悪い噂をちらほら聞くしよ……」
「野郎っていうか、デブのババアだったけど」
「お前、命知らずだな」
呆れたような口調をローガンを無視してフィルアは尋ねる。
「それで、悪い噂って?」
「それがよ、それも相当質の悪いものでな。ああやって賢者落ちした奴らや腕のある傭兵に声をかけているんだ。それで大抵のまともな奴はあいつの手先になろうなんかしない。だから、そいつの弱みを握るんだ。大切な人を人質にとったりな」
「大切な人を人質ねえ……」
その言葉を聞いてフィルアは思い浮かべる。大切な人、など特に思いつかない。家族、など思い浮かべるが、あの人間離れした人種が人質になるとは到底思えない。そして次に兄を思い浮かべる。たとえあのマーヴェルやマッド・ロッチが兄に対して手を出そうとしても返り討ちに遭う未来しか見えないが、何かの間違いで人質にされたしまったら笑って見捨ててやろうと考えたところで、そんなことは起きないだろうとフィルアはため息をついた。
「まあ、なんとかなるだろ。忠告ありがとよ」
フィルアは厚意を示したくれたローガンに頭を下げて、別れを告げた。
長話をしていて日が暮れたら面倒だった。汚い町並みがオレンジ色の光で照らされているが、狭い路地はその対称に暗い。
フィルアは小走りでフール・セントラルから抜けると、視界に映った衛兵に、先ほどのマーヴェル達の居場所などを丁寧に通報した後、家に帰ってさっさと眠りにつくのだった。
■
ルーザント王国は人に優しい。
まだまだ戦後の名残があるのか、怪我が感知せず、まともに動けないものには援助金が入るし、難民は手厚く受け入れられ、平民出身だろうと能力があれば高い地位が与えられる。また、英雄王ガルゼルの豪快で慈悲深い人柄に惹きつけられる人は多い。
そのため、様々な国から亡命してきた人や、流れ着いてきた難民はこぞってこの国に集まる。もちろん、他国のスパイでないかなどの厳しい査定はあるのだが、それでも人は集まる。だんだんと国の規模も増えている。
しかし、それは人の活力があるから栄えているのだ。働かざる者食うべからず。その言葉を体現するように、国のために国民は身を粉にして働くのである。だからこそ、フィルアのような怠け者は受け入れられ難いのだった。
今まで全く働いてこなかったかのような言い草の噂が広まっているが、フィルアはそのことに関しては難色を示していた。確かに、人一倍働いていないとは思うが、やることはそこそこやってきた。賢者になってから定期的にある査定はクリアしてきたからこそおよそ二年もの間、賢者として残ってきたわけであり、100%だらけきった生活をしていたわけではない。
しかし世間はそうは見てくれない。怠惰の賢者などと不名誉な称号を付けられたフィルアは、仕方ないと思いつつうんざりしていた。
人々の噂は疾風のごとく早く、そしてどうしてそうなるんだと突っ込みを入れたくなるくらいに誇張されてしまう。人々の噂の怖さを知っているフィルアは、今日も頭を抱えていた。
「誰だ。俺が人を殴りつけただけでなく幼女にまで手を出した悪党に仕上げた奴は……」
恐らく、数日前のデニアスを殴った事件があれよあれよと風の噂となり、小さな旋風が大きな竜巻になってしまっていた。もう手がつけられにほど噂が大きくなり、人々の見る目がより一層厳しいものになっていた。
デニアスを殴ったことを身が悶えるほど後悔しつつ、この噂はあのマーヴェルの仕業なんじゃないかと疑い深くなっているフィルアは、このもんもんとした気持ちを吹き飛ばすべく、真昼間から酒場に向かっていた。
向かった先は、フィルアが行きつけとしている所で、先日カイルと飲んでいた酒場である。
暖簾をくぐり、酒場に入ったとたん、騒がしい声が聞こえていた店内がぴたりと凍りついたように静まり返った。視線が一斉に集まると、フィルアは気まずそうに後ずさる。
「「「ロリコンじゃん」」」
「ロリコンじゃねえ! あんな噂間に受けるなよ!」
何を言い出すかと思えば、酒場の人間全員が息ぴったりにフィルアをロリコンと罵った。目を剥いて抗議するフィルアに対しての目は冷たい。非常に不快な気分になりながら、カウンターの席に着いたフィルアは、酒場のハゲ頭の筋肉隆々としたエプロン姿の店長に酒を頼む。
しかし、店長を顔をしかめてフィルアを一瞥した。
「児童愛者に出す酒はねえよ。さっさと失せろ」
「違うっつてんだろハゲ。さっさと酒出して帰れ」
「ったく、口が減らねえガキなこった。ほらよ」
「ありがとよ。マスター」
「マスターじゃない。店長だ」
ため息をつく店長を尻目に、フィルアはやっとの思いで酒を飲み始めた。哀愁漂うやつれた表情のフィルアを見て、店長は頭を掻いた。
「なんつーか、お前も大変そうだな。賢者落ちってのはそんなに不名誉なことなのか? 俺からすれば賢者だっただけで凄いことなんだがな……」
「賢者なんてそんなに凄いものでもないだろ。でも、こんなことになるなら賢者なんてなるんじゃなかったかな」
「そういうこと言ってるから他の魔法使いに嫌われるんだろ」
苦笑する店長は自分でグラスにビールを注ぐと、フィルアと一緒に飲みだした。基本的に自由なこの酒場は、謀反者がのさばることで有名で、その店長もまた適当な性格をしていた。注文があるまではこうしてフィルアと酒を飲む。
フィルアが、最近の鬱憤を店長に吐き、店長が適当に相槌をうつ。話を聞いてくれる人が居るだけでフィルアは大分心が落ち着いてきた。店長に感謝しつつ、酒のおかわりを頼んだところで、騒がしい声がフィルアの耳を突いた。
「おい! フィルア、てめえ。この前はよくも殴ってくれたな! 今日という今日は許さん!」
怒り心頭といった様子のデニアスが、握りこぶしを降りかからんばかりの勢いでフィルアに迫ってきていた。つい先日、大衆の前でデニアスを殴り飛ばした事件を思い出したフィルアは、まあまあとデニアスを落ち着かせた。




