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第四話 ローズ ※挿絵

 八年前、保はローズと結婚した。

 日本を離れ、アメリカの研究施設で働くようになってから、十二年目のことだった。

 それ以前から彼女とはすでに生活を共にしていたが、研究に没頭しているうちに、なんとなく籍を入れる機会を逃していたのだ。


 そんなある休日、いつものようにカフェで話してると、不意にローズが顔を伏せて黙り込んだ。

 不思議そうに保が首を傾げていると、彼女は恐る恐る彼の顔を上目遣いに見つめてきた。


「保。私、できたみたい」


「……」


 彼女の表情と短い言葉から、保は瞬時に全てを理解した。


「本当に?」


 驚きを隠せない様子の保から、テーブルの上で組んだ自分の手に視線を移して、ローズはこくりと頷いた。

 だが、間もなくして再び彼に向けられた瞳には、強い決意がこめられていた。


「私、この子を産みたい。あなたには、迷惑をかけないようにするから……」


 そう言うとローズはまた視線を落とした。

 保は、そんな彼女をしばらく呆然と見つめていた。


「ローズ」


 不意に、震える彼女の手を大きな手が包んだ。


挿絵(By みてみん)


「その子に、僕のことをパパと呼ばせてくれないつもり?」


「?」


 弾かれたように顔を上げたローズは、大きく開いた目で保を見つめた。


「僕がぐずぐずしていたばかりに、不安にさせてごめん……。今からでも、プロポーズしてもいいかな」


「……」


 保は顔を赤くしながらも、真剣な眼差しを彼女に向けて言葉を続けた。


「僕と結婚して欲しい」


「保!!」


 その瞬間、椅子から立ち上がったローズは、勢いよく保の胸に飛び込んできた。





 結婚後、二人は庭の広い一軒家を購入した。

 家を探すにあたって、ローズには子どもをのびのびとした環境で育てたいとの思いがあり、保には小さくても自分専用の研究室ラボを持ちたいとの夢があった。

 目ぼしい物件を見ていく中で、色取り取りの薔薇が咲き乱れるこの家の庭を、ローズが一目見て気に入ったのだ。


「見て! 素敵な離れもあるわ。手を加えれば、ここをラボにできるんじゃない?」


 庭に建つガラス張りの小さな建物を指さして、ローズは声を弾ませた。


「これなら研究していても、庭で遊ぶ子どもの姿を見ることができるわね」


 そう言ってローズは、少し目立ち始めた下腹を見つめて、愛しげに撫でた。


「まったく君は。まだ生まれてもいないのに、気が早いなあ」


 呆れて苦笑する保に背を向けて、ローズは大きく伸びをした。


「ここノースエリアは治安もいいし、施設も充実していて子育てには最適だわ。ねえ、ここに決めちゃだめ?」


 肩越しに振り返り、ローズは甘えるような目で保を見つめてきた。


「……てか、反対してもここがいいって言い張るんだろ?」


「ふふ」


 肩をすくめて笑う彼女はまるで少女のようで、その笑顔に負けた保は、家の契約書にサインをした。




 臨月間際まで研究所に通い続けたローズは、産休に入って間もなく元気な男の子を出産した。

 強い意志を持つ人になって欲しいとの願いを込めてリアムと名付けたその子は、髪はローズと同じレモンイエローで、目尻が少し下がっているところが保に似ていた。

 保が夜遅く帰宅すると、ローズは「立った」「しゃべった」と、リアムの成長を嬉しそうに語り、そんな妻の話を聞きながら紅茶を飲むのが彼の日課になった。

 ささやかではあるが、こんな幸せがずっと続き、ともに年老いていくのだと、この頃の彼らは信じて疑っていなかった。


 そうして、リアムの成長を見守っているうちに、六年の歳月が過ぎた。

 その間にローズは仕事に復帰し、忙しいながらも、彼らは相変わらず幸せな時間を過ごしていた。

 家庭だけでなく、仕事の方も順調だった。

 実用化レベルに達した彼のAIは、珠仙博士が企業と開発を進めているアンドロイドが完成次第、搭載されることになっていた。

 その後は膨大なチェック項目を一つ一つクリアしてゆき、国の許可が下りれば一般向けに販売される予定だ。

 とはいえ、最初に博士から軍事用ロボットメーカーと共同開発をすると聞いた時には、保は眉をひそめた。

 彼は自分の研究を、平和目的に役立てたいと思っていた。

 だがそのような企業と手を組めば、戦争に利用されるのではないかと懸念したのだ。


「ここのところ、これといった戦争も起こらない平和な世の中で、軍需を当てにしていた企業は、別分野にも手を広げなくては生き残れないんだよ。だからこのアンドロイドも、軍事目的ではなく、あくまでも家庭用として開発を進めていくんだ」


 博士にそう説得され、保は疑問を残しながらも小さく頷いた。

 確かに、ここ最近は大きな戦争は起こっていない。

 IT化が進むにつれて、国家という枠組みが薄れ、業態や資産によって横つながりのネットワークが重要視されてきたのが要因のようだ。

 今や、国同士が啀み合い、生きた人間が血を流し合う戦争など時代遅れなのだ。


 ある日目が覚めると、自分の国がクリックひとつで売り買いされていて、昨日まで当たり前だった法律や権利が意味をなさなくなっている。

 そんなことがまかり通る時代なのだ。

 もちろん、このような状況に対する反発は激しく、今現在でもあちこちで小さな衝突は起きている。

 だが、どの国でも富裕層は支配者側と繋がっており、利益を共有しているため敵になることはない。

 刃向かってくるとすれば、機械化により職を奪われ、底辺の生活を余儀なくされているいわゆる貧困層だ。

 だが、大した武器も持たない彼らが旗印を掲げてきたところで、多くの場合問題になる以前にあっさりと鎮圧されてしまう。

 このような世の中を平和と呼ぶことに、保には少なからず抵抗があった。

 それでも、平和的に利用されるならと、その後もAIの開発にまい進し続けたのだった。




「保、リアムをちょっと頼めないかしら?」


 ある休日の朝、ローズが食器を片付けながら保に話しかけてきた。

 ソファに腰掛けて、タブレットでニュースを見ていた保は、上半身を捻って彼女の方を振り返った。


「構わないけど、どこかに出かけるのかい?」


「今日はリアムのお誕生日でしょ? 今日くらいマーケットで買った新鮮な食材で、ご馳走を作ってあげたいのよ」


 普段、この街で暮らす人々は、娯楽目的以外ではあまり買い物に出かけない。

 ネットで注文をすれば1時間と待たずに、ヘリ型のデリバリーロボットが玄関先まで希望の品を届けてくれるからだ。

 おそらく彼女は、自分の目で選んだ食材を使った手料理で、息子の誕生日を祝ってやりたいのだろう。

 そう思った保は、笑顔を見せて頷いた。


「ああ、ゆっくり行っておいで」


 


 その日の午後、保は庭でリアムとサッカーボールを蹴り合っていた。

 今日六歳になったばかりのリアムは、まだまだ幼さが抜けきれず、保がパスするボールを声を上げて追いかけている。


「リアム、誕生日のプレゼントは何がいい?」


 軽くボールを蹴って保が尋ねると、リアムはその場に立ち尽くして考え込んだ。

 直後、脇を転がっていくボールに気がついた彼は、慌ててその後を追いかけて行った。

 ボールに追いつき、それを胸に抱えたリアムは、なおも考えを巡らせながら保に近づいてきた。


「弟か妹が欲しい」


 ようやく出てきた息子の答えに、保は眉を下げて頭をかいた。


「うーん。それは、今日すぐにっていうのは難しいかなあ」


「そうなの? つまんない」


 リアムが口を尖らせた時、保の耳の中でイヤホン型携帯電話が振動して、着信を知らせた。

 保はリアムの顔の前に手のひらを押し出し、「ちょっと待って」と合図を送ると、奥歯を軽く二回鳴らした。

 数年前から一般的に使われるようになったこの電話は、耳の中に収まるごく小さなもので、骨を伝わる振動により応答や通話ができる仕組みだ。

 奥歯を二回鳴らすのは、着信に応対するための操作だ。


「はい。ああ、お義母かあさん」


 電話の主は、同じノースエリアの湾岸部に暮らすローズの母だった。

 ローズはアイルランドの出身で、彼らも最近までは母国で暮らしていたが、老いた両親を心配して彼女がアメリカに呼び寄せたのだ。

 車で二十分ほどのアパートに住む彼らは、ローズが仕事に復帰してからは、リアムの面倒もよく見てくれている。


『よかったわ、保。マーケットには出かけていなかったのね』


 電話の向こうで、義母の安堵のため息が聞こえた。


「マーケット? 何かあったんですか?」


 にわかに胸騒ぎを覚えた保は、表情を固くして義母に問いかけた。


『そこの近くのマーケットで爆発があってね。たくさんの犠牲者が出たみたいなの。休日だから、もしかしたらあなたたちも行ってるんじゃないかと心配で……。ローズに電話したけど、あの子ったら出ないし』


「……」


 目を見開いたまま、微動だにしなくなった父を見上げて、リアムが不安そうにシャツの裾を引っ張ってきた。


「……パパ?」


 だが、保の耳にはもう、リアムの声も、義母の声も一切聞こえていなかった。





 リアムをローズの両親に預けて、保は現場のマーケットに急いだ。

 洗練された服飾店や、新鮮な食材が並んでいた大型の商業ビルは、中央部がえぐれるように吹き飛び、そこから空に向かって黒い煙が吐き出されていた。

 正面にある駐車場は、建物内から逃れてきたらしき客と従業員たちで溢れていた。

 負傷した者も多く、血まみれになった人々があちこちに横たわり、うめき声をあげていた。


「ローズ!!」


 一通り駐車場内を探して回ったが、どこにも妻の姿はなかった。


「まさか、まだあの中に……」


 黒煙が立ち上る建物を見上げて、そこに向かおうとする彼の体を、何者かが背中から羽交い締めするように引き止めた。


「ダメだ! 中は火の海だ!」


 それは、見慣れたマーケットの制服を着た、体格の良い黒人男性だった。

 彼の顔は真っ赤な血で染まり、制服にはあちこち黒い焦げ跡があった。


「でも、まだ妻が中に!!」


 振り切ってなおも建物に向かおうとする彼の顔を、次の瞬間、黒人の男は思い切り殴りつけた。


「お前まで死ぬぞ! 諦めろ!」


 横滑りするように倒れた保は、痛みにすぐ立ち上がることができず、しびれる頬を押さえてうずくまった。

 そんな彼の耳に、ヒステリックに泣き叫ぶ人々の声が聞こえてきた。


「なんでもっと、消防車や救急車が来ないの?」


「サウスエリアで大規模な暴動があったらしい。みんなそっちに行っていて、こっちに人がいないんだ」


「医者は?! 早く手当てをしないと、せっかく助け出した怪我人も死んでしまう!!」


 富裕層が多いここノースエリアと違い、隣のサウスエリアと呼ばれる地域には貧困層が多く暮らしている。

 治安の良いこちら側に比べ、事件や事故の頻度が高いそのエリアに、普段から多くの警察官や救急隊が配備されているのだ。

 彼らの話を総合すると、どうやらこの爆発の少し前にサウスエリアで大きな暴動があり、消防も警察もそちらに出払っているようなのだ。


「くそう!!」


 保が拳で地面を叩きつけた瞬間、激しい爆発音とともに、建物の中央部から太い火柱が立った。




 その日の夜、保は急遽霊安所として使用されることになった教会内にいた。

 彼の目の前には、白い毛布に包まれたローズの美しい顔がある。

 特に目立った傷もなく、穏やかに見えるその顔を見ていると、まるで眠っているかのようだった。


「ミスターミズサト」


 頭を抱えている彼の肩を叩き、何者かが声をかけてきた。

 振り返ると、白衣を着た医者らしき男が、同情するような目で彼を見下ろしていた。


「奥様のIDカードには、献体を希望すると書かれていました」


「……」


 彼女が持っていたであろうIDカードはまだ見つかっていないが、そこに記載されている内容はデータ化され、国に保管されている。

 そこにあった情報から、この男は保に声をかけてきたのだろう。

 初めて妻の思いを知った保は、目を閉じて、唇をきつく噛み締めた。

 自らも研究者であるローズは、自身の体を後世に役立てて欲しいと考えたのだろう。

 同じ研究者として、保も彼女の希望を叶えてやりたいと思った。


「しかし、残念ながら、彼女の体は……」


 ドクターは言葉を濁したが、皆まで言わずとも、保はその先を理解していた。

 顔だけを見ていると、今にも目を開けて目覚めてきそうなローズだが、毛布の下にあるべき体はない。

 再び頭を抱え込んだ保の震える肩に、ドクターは優しく手を乗せた。


「ただ、備考欄にもう一つ希望が書かれていましてね……」


「希望……?」


 斜めに顔を持ち上げた保は、涙に濡れた目をドクターに向けて訊ねた。


「自分の脳を、あなたの研究に役立てて欲しい……と」





「博士のお話はなんだったの?」


 空になったティーカップをトレーに乗せながら、ローズが尋ねてきた。


「あ……ああ。ようやくアンドロイドの販売許可が下りるみたいだよ」


「まあ! やっと、あなたのAIが、傷ついた人たちの心を救えるのね」


 ローズは顔の前で手を合わせて、嬉しそうに微笑んだ。


「お祝いに今日はご馳走を作るわ」


「おいおい、まだ気が早いって」


「だって、嬉しいんだもの」


 そう言ってローズは、鼻歌を歌いながらラボから出て行った。

 その後ろ姿を見送りながら、保は大きなため息をついた。


 爆破事件から一年後、アンドロイドの一号機が完成した。

 その名はローズ。

 そう、彼の妻の姿と脳内をコピーしたモデルだった。

 

『自分の脳を、あなたの研究に役立てて欲しい』


 彼女の希望を知った時、彼はもう一度愛しい妻に会いたいと切に願った。

 そうして、最初にアンドロイドに搭載するAIは、彼女の脳から記憶や思考パターンをスキャンして作り上げることにしたのだ。

 彼の思いを知り、珠仙博士も本体をローズに似せて作ってくれた。

 初めてローズに電源を入れた時、彼は周りの目もはばからず、大声をあげて泣き崩れた。


「保ったら、みんなが見てるのにどうしたの?」


 号泣する彼の肩を優しく抱いて、アンドロイドは少し困ったように微笑んで見せた。


「ローズ!!」


 照れくさそうに笑うその顔も、思わず抱きしめた体の感触も、彼が知る懐かしい妻そのものだった。

 この瞬間、彼の中でこのアンドロイドは、愛する妻だと認識された。


『たとえ相手が機械だとわかっていても、人間って都合よく頭の中を切り替えられる生き物でしょ?』


(ああ、そうだ。君が言っていた通りだ)


 昔、彼女が口にした言葉を思い返し、保は心からそう思った。



 ローズを自宅に連れて帰った時、家族も彼女を本人として自然に受け入れた。

 爆破により大怪我を負い、長期入院をしていると伝えていたため、彼らも疑いを持つことはなかったようだ。

 保の中にはかすかな罪悪感もあったが、娘の帰還を涙を流して喜ぶ両親や、母親に無邪気に甘えている息子の姿を見て、これでいいのだと自分に言い聞かせた。


 それから約一年。

 1号機ローズは与えられた全てのテストをパスし、間も無くアンドロイドの販売許可が下りる。

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