第十三話 輪廻の糸 ※挿絵
ダリアンが立ち去った後も、しばらく隼は中庭に面した回廊に佇んで、星空を見上げていた。
「?」
ふと、人の気配を感じて振り返ると、ニーメが慌てて柱の陰に身を隠そうとしていた。
「お前……」
「あ……あの……私……ダリアン様を探していて……」
声をかけられて観念したのか、ニーメは柱の陰からおずおずと進み出てきた。
「お前、今の話聞いていたのか?」
「……」
床を見つめて黙りこむ彼女を見て、隼の疑問は確信に変わった。
「ダリアン様に向かって、あのようなことを言う人を、私、初めて見ました。みな心の中では心配しながらも、口には出せずにいましたから……」
少しの間をおいて、ニーメは小声で話し始めた。
「だから、先ほどのお二人を見て、本当にあなたは、あの方の親友だったのかもしれないと思いました」
「……」
握りしめた拳を胸に押し当て、消え入るような声で話すニーメを、隼は横目で見つめていた。
よく見ると、金色の髪に覆われた細い肩が震えている。
隼は、その震えの訳が、今彼女が口にしている内容とは別のところにあると感じていた。
「お前、あいつが好きなんだろ? なんか、余計なことまで聞かせちまったな」
アチャとの話から、ダリアンに想い人がいることを知った隼は、思わず先ほどの会話の中で口走ってしまった。
それを聞いた彼女は、傷付いたに違いないと思ったのだ。
秘めていた想いを知られていたことに、ニーメは驚きの表情を浮かべて隼を見上げた。
「……」
星空を映す瑠璃色の瞳と目が合った瞬間、隼は胸が詰まるような息苦しさを覚えた。
「……いえ。そのことなら、知っていましたから……」
しばらくして、再び視線を床に落としたニーメは、吐き出すように呟いた。
「トトおじさんが以前言ってたんです。レムリア妃が亡くなったと聞いた時の、ダリアン様の様子は尋常ではなかったと。だからあの方は、妃を愛していたんじゃないかって……」
「なんだって……?」
彼女の話を聞いて、今度は隼が目を大きく見開いた。
「もともと、ダリアン様の方が先に妃と知り合われたそうですし、もしかしたら皇子よりもっと前から……」
隼と莉香の母であるレムリアは、ダリアンの親友コールガーシャ皇子の妻だ。
ニーメの話が事実だとすれば、親友の妻への想いなど、口にできるはずがない。
想像もしていなかった展開に、隼は激しく動揺し、言葉を失った。
「そして、莉香様は、レムリア妃の生まれ変わりではないかと、私は思っているんです」
「え……」
続けられた彼女の言葉に、隼は再び驚き、石の床を見つめる白い横顔を見た。
「ダリアン様はよく、遠くから莉香様の姿を見つめていらっしゃるので……。あの方には、オーラからその人の前世の姿を見る能力がありますから、彼女が妃の生まれ変わりなら、最初からわかっていたはずです」
そこまで話すと、ニーメは外廊の柵に手をついて、大きく首をうなだれた。
震える背中を見て、何か声をかけようとした隼だったが、彼自身も混乱の中にあり、その場の空気を変えられるような言葉はみつからなかった。
「メシアは、莉香様のことをどう思っていらっしゃいますか?」
突然、隼の方を振り返り、ニーメが問いかけてきた。
「どうって……」
質問の意味がすぐには理解できず、戸惑いを見せる彼を、ニーメは瞳に力をこめてじっと見つめていた。
いつも控えめで気の弱そうな彼女の、らしからぬ視線に、思わず隼はたじろいだ。
「出会った時から双子だって言われてきたし、今更女としては見れねえよ」
彼の答えを耳にした途端、ニーメはほっと息をついて肩の力を抜いた。
「それなら、莉香様がダリアン様を選ばれても、構いませんよね?」
確かに、自分が父親であるコールの生まれ変わりならば、莉香がレムリアの生まれ変わりだったとしても不思議ではない。
だとすれば、愛し合う夫婦が血の繋がったきょうだいとして生まれてきたことは悲劇だと言えよう。
だが、隼には莉香に対して、他の者にはない親しみや気安さは感じても、異性として意識するものはなかった。
莉香もダリアンに惹かれているようだし、互いに想い合っているのなら、むしろ二人の仲を応援してやりたいと思った。
「でも、お前はそれでいいのかよ? あいつのことが好きなんだろ?」
そう尋ね返す隼に、ニーメの表情が一瞬で凍りついた。
そして、みるみるその瞳から涙が溢れ出し、ぱたぱたと石の床に落ちてしみを作った。
「……私の前世を知った上で、あの方は養女にしたのだと思います。そのような対象になることはないと……」
「……」
「それに、私はラーにこの身を捧げる巫女ですから……」
「……」
涙をこぼすニーメの肩に、隼は無意識のうちに手を伸ばしていた。
「矢沢くん!!」
指先が届く間際、背後から聞き覚えのある女の声が彼の動きを制した。
慌てて手を引き戻して振り返ると、眉を吊り上げた莉香が腕組みをして立っていた。
刹那、ニーメが隼の胸元をすり抜けて走り出した。
「おい!」
咄嗟に彼女を呼び止めようとする隼の前に、莉香が両手を広げて立ち塞がった。
「あなた、彼女に何したのよ。泣いていたじゃない」
「何もしてねえよ」
疑いの眼差しを向けてくる莉香に、ぶっきら棒に答えながらも、隼はニーメの背中を目で追った。
だが間も無く、彼女の姿は外廊の先に広がる闇の中へ消えていった。
「いくらここに来てから女っけがないからって、ニーメちゃんに手を出しちゃダメでしょ! 彼女は巫女なんだから」
追うことを諦めた隼は、ゆっくりと莉香の方へ視線を移した。
「巫女って、男と付き合っちゃダメなのか?」
「そうよ。知らなかったの? だから、あなたがこれまで付き合ってきた女の子たちと一緒にしないで。彼女は純粋なんだから」
ふと何かを思い出した隼は、憤慨し続けている莉香の顔をまじまじと見つめた。
「な……何よ?」
隼の視線に気がついた莉香は、顔を赤くして彼を睨み返した。
「いや……」
ふっと溜息をついた隼は、小さく首を振って彼女に背を向けた。
改めてじっくり見つめ直してみても、伝え聞いているレムリア像と莉香のイメージは重ならないような気がした。
しかも彼女が、自分が前世愛した人だと言われても、どうもピンとこなかった。
「やっぱ、ありえねえ」
「何がありえないのよ?」
隼の言葉の意味が、好意的なものではないと直感した莉香は、眉を一層吊り上げて彼を睨みつけた。
「たとえ他人同士として生まれていても、お前との間に子どもを作ろうとは思わねえ」
「ばっ……!!!」
瞬間、莉香は顔を真っ赤にして右手の拳を高く振り上げた。
「馬鹿!! あんたなんか、こっちから願い下げよ!!」
怒りの声を上げて腕を振り回す莉香に背を向けて、隼は回廊を歩き始めた。
そんな彼の脳裏に、涙を流すニーメの顔と、震える細い肩がちらついた。
「なんかもう、ぐちゃぐちゃだ」
少女の泣き顔をかき消すように、隼は両手で髪をかきむしった。
「面倒くせ」
ふと立ち止まり、気分を変えようと星空を見上げた隼の視線が、ある一点で止まった。
そのまま微動だにせず空を見つめ続けている彼に、莉香も異変を感じ、怒りを収めて近づいてきた。
「どうしたの?」
隼は空を見上げたまま、ゆっくりと右手を持ち上げて、一方向を指し示した。
「あの星……動いてね?」
「え?」
彼の指す方へ向けた莉香の目にも、強い光を放つ複数の星の塊が見えた。
よく見ればそれらは等間隔にVの字を描くように並び、点滅しながら夜空を高速で移動していた。
「あれは……飛行機?」
目を見開く莉香の隣で、隼もゴクリと喉を鳴らした。
二人が呆然と見つめている間にも、光の列は東から西へと移動し続け、やがて建物の陰に消えていった。
「俺たちは、過去のムーに飛ばされてきたと思っていたけど……」
光の列が去ってからも、なおも夜空を見つめ続けていた隼が、ゆっくりと口を開いた。
「もしかしたら、大きな勘違いをしていたのかもしれない……」
その日もアチャは、晴れ渡る空の下、畑仕事に精を出していた。
空が緋色一色だった間も、不思議と野菜や果物は育ち、それなりに美味いと感じていた。
だが、やはり青空のもとでラーの光を存分に受けた作物は、見た目の色艶からして食欲をそそり、口に含めば濃厚な味が舌に染み渡るような気がした。
よく耕された黒々とした土は、程よく空気を含み、踏みしめればふわふわと柔らかい感触がする。
そんな土の上に膝を落とし、アチャは鼻歌を歌いながら、赤子に触れるような優しい手つきで真っ赤に熟したトマトを摘み取っていた。
「なんだ? あれは?」
突然、少し離れた場所で作業をしていた男が、そう言って空を指差した。
「翼竜隊か?」
摘み取ったばかりのトマトを腰に下げた籠の中に収め、アチャは空を見上げて立ち上がった。
目を凝らして見ると、遠くの空に羽を広げた鳥のような影が群れをなして近付いてくるのが見えた。
この国で空を飛ぶものといえば、鳥か翼竜のどちらかだ。
だが、徐々に近づいてくるほどに、その影が彼らにとって未知の物体であることが明らかになってきた。
その表面は銀色の金属状のものに覆われ、翼竜などは比べ物にはならないほどの巨体をしていたのだ。
ゴゴゴゴゴゴ……。
間も無く、地表が割れるような地鳴りが、農場で働く人々を包囲し始めた。
腹の底から全身に響く轟音に、そこにいた誰もが恐怖を覚え、安全な場所を求めて逃げ惑った。
そんな人々の上空を、銀色の物体は砂埃を巻き上げながら、ゆっくりと進んで行く。
「何なんだ。こいつは……」
アチャは目元に手をかざし、薄目を開けて空を見上げた。
彼らの上に黒い影を落とす物体の腹には、赤や青や黄色といった光が無数に点滅していた。
遠目には翼を広げた鳥のようにも見えたそれは、間近で見ると菱形に近い形状をしており、左右にヒレを広げた鱏の姿を連想させた。
「東へ! 東へ逃げろ!!」
巨大鱏が西に向かっていると悟ったアチャは、反対方向を指差して大声で人々を誘導した。
敬愛する大神官から農園の管理を任されている彼には、ここで働く者たちの身の安全を確保する使命があった。
「アチャ、罪人たちをどうする?」
罪人の作業を監視していた役人が、彼の元へ駆け寄りながら訴えてきた。
罪人たちは農場での作業中、逃亡できないよう足輪をはめられ、鉄球や杭につながれているのだ。
その鎖を解いていては、役人たちも逃げ遅れる恐れがある。
「仕方がない。犠牲者を増やさないことが先決だ。お前たちも早く逃げろ」
戸惑いながらも頷いた役人は、人の流れに乗って東へ走っていった。
それを見届けたアチャは、罪人たちが働く畑を目指して走り出した。
「おーい! 誰かいるか?」
砂埃で周りがほとんど見えない中を、アチャは大声で呼びかけながら走って行った。
「おーい、助けてくれー!」
そんな彼を呼び止める声がして振り返ると、足に鉄球を下げた中年の男が這うようにして近付いてきた。
アチャは腰に差していた短剣を抜き放ち、男の足に繋がれた鎖に向かって、垂直に刃先を突き立てた。
ガキーン!!
短剣が振り下ろされるたびに火花が舞い、何度目かでようやく鎖が切れた。
「逃げろ! 早く!」
アチャが声を荒げて東を指差すと、男は頭を下げて駆け出した。
それからもアチャは、視界の悪い中を駆け巡り、取り残された罪人の鎖を切って回った。
頑丈な鎖を何度も打ち付けているうちに、刃先はこぼれ、手のひらの皮が擦れて血がにじんだ。
だが、たとえ罪人であっても、その命を守ることが彼の役目だった。
「他に誰かいるか?」
「ここじゃ、ここ」
しゃがれた老人の声がして、駆け寄ったアチャは、声の主を見て思わず息を飲んだ。
「ガゼロ……」
「早く、助けてくれ」
ガゼロは己の足首に巻かれた足輪を指差しながら、アチャに助けを求めてきた。
この老いぼれたみすぼらしい男は、アチャの元上司だ。
いや、彼ら身分の低い兵士らを虫けらのように扱っていたこの男は、元上司と言うより憎しみの対象だった。
アチャは拳を固めて、自分の足に擦り寄ってくる老人を凝視した。
(こんなやつ、あの時殺しておけば良かったんだ)
老人の足の鎖は、地面に打ち付けられた杭に繋がっている。
このまま放っておけば、この場から一歩も動けないだろう。
(こんなやつ、助けてやる道理はない)
そう思った直後、彼らの頭上から巨大な黒い影が落ちてきた。
「くそ!」
その瞬間、アチャは剣先をガゼロの足の鎖に向かって振り下ろしていた。




