第八話 共鳴 ※挿絵
「皆さんも昨日、初めて夜を経験し、空に輝く星々を目にされたと思います。しかし、残念ながら昨日は新月で、月を見ることはできませんでしたね」
天井がドーム状になった石造りの講堂に、ダリアンの抑揚のない声が響いた。
彼は、大神官としての政務の他に、神学校で学徒たちに歴史や武術を教える教授も兼任している。
この日は、初等部の学徒たちにこの国の成り立ちを説いていた。
すり鉢状に段差をつけて並べられた長机の間を、教本を片手にゆっくりと歩く。
入学してまだ日が浅い少年たちは、学習意欲に燃えているようで、皆、熱心に教本を見つめていた。
そんな中、ダリアンは一人の少年に目をとめた。
そこには、神学校の制服を身に纏い、額に薄緑色のスカーフを巻いた隼が、背もたれに仰け反るように座っていた。
カスコにより無理やり着替えさせられ、ここへ連れてこられた彼は、真面目に授業を受けるつもりなど更々ない様子で、教本も開かずに腕を組んで目を瞑っていた。
「数日中には、爪の先のような形をした細い月が現れ、それが徐々に太ってゆき、半月ほどで真円になるでしょう」
ダリアンは講義を続けながら、不満そうに口元を尖らせている少年の横顔に、亡き親友の面影を重ねていた。
制服を身につけた隼は、神学校に入学した頃のコールに生き写しだった。
「しかし、大昔にも月は夜空に存在していなかったと言われています。そしてその頃は、竜やネフレムが地上を支配していたそうです」
ダリアンがそう口にした瞬間、隼が弾かれたように顔を上げた。
「言い伝えによると、ある時大洪水が起こり、平地の大部分が海の底へ沈んだとされています。そしてそれ以降、夜空に月が現れ、竜やネフレムは、スフェラ無しでは生きていけない体になったのです」
「それって……」
微かに聞こえた隼の声に、ダリアンは足を止めた。
「どうかされましたか? メシア」
振り返って尋ねると、隼は慌てて彼から視線を逸らした。
「いや。なんでもねえ」
そう言って頬杖をつく少年の横顔を、黙って見ていたダリアンだったが、しばらくすると、再び教本に視線を戻して歩き始めた。
授業の終了を知らせる鐘の音が鳴り響き、教本を脇に抱えた学徒たちが一斉に席から立ち上がった。
その波に乗って、隼も椅子から立ち上がり、出口へと向かった。
講堂の外には、大理石が敷き詰められた広場が広がっている。
広大な広場を中心にして、東側に神殿と尖塔が建ち並び、北側に学舎が建てられている。
講堂の前の低い階段を下り、広場を歩き始めた隼を、初等部の学徒たちが遠目に見ている。
さっきから彼らが、顔を寄せ合い、しきりに何か囁きあっていることに、隼は気付いていた。
『あの人が、昨日現れたメシアらしいよ』
『なんかイメージしてたのと違って、感じ悪いよね』
『親父によると、見た目はコールガーシャ皇子にそっくりらしいけど、雰囲気がまるで違うって』
本人たちは隠しているつもりでも、まだ能力が未熟らしく、覗き込めば心の中が透けて見えた。
『ちぇっ』
好奇の目を浴びせる少年たちを横目で見ながら、隼は舌打ちをした。
どうやら、ここにいる人々にとって、彼は期待はずれの救世主だったようだ。
そう思うと、居心地の悪さを感じ、彼の足は自然と速まっていった。
「メシア」
その時、背後から彼を呼び止める声がした。
振り返ると、ダリアンが銀の杖を手にして立っていた。
「あなたに、会いたいと言う人物がいます。どうぞ、私に付いてきてください」
そう言い残すと、ダリアンは隼に背を向けて歩き始めた。
有無を言わさぬ男の言動に思わず反発しそうになったが、早くこの場から立ち去りたかった隼は、思い直して渋々彼の後を追っていった。
ダリアンは幅の広い袖を翻して、神殿内の廊下を無言のまま進んでいく。
やがて、奥ばった場所にある扉の前で足を止めた彼は、指の背で軽くノックした。
「どうぞ」
しゃがれた老人らしき男の声が中から答えると、ダリアンは真鍮製の取っ手を摑んで、ドアを押し開いた。
「ロギオス、メシアをお連れしました」
ダリアンの肩越しに隼が部屋の奥を覗いてみると、大きなベッドの上に一人の老人が横たわっていた。
かなり高齢に見えるその男の顔は、白くなった長い髪と髭に覆われていた。
「おお……」
ダリアンの言葉に、老人は上半身を起こして、両手を大きく広げた。
「コール様と同じオーラを感じる」
ロギオスと呼ばれた老人は、そう言って皺だらけの手のひらを、隼のいる方向へかざした。
「ダリアン殿、しばらくメシアと二人だけで話をさせてくれませんか」
「わかりました」
老人からの要望に頷いたダリアンは、隼を部屋の中へ導くと、自分は外に出て静かにドアを閉めた。
一人残された隼は、気まずそうにドアのそばから、ベッドの上の老人を見つめていた。
「メシア。もう少し近くに来て、お顔をよく見せていただけませんか。私はもう、ほとんど目が見えないのです」
床についている年寄りを相手に強気にも出れず、隼は戸惑いながらもベッドに近付き、背を屈めて目線を合わせた。
「おお、コール様によく似ていらっしゃる……」
隼の顔に両手で触れながら、老人は涙をこぼした。
そばでみると、長い眉毛が被さった瞳は灰色で、ほとんど光を宿していなかった。
「あんたは?」
老人の皺だらけの顔を見つめて、隼は尋ねた。
「私はロギオス。この神学校の教授であり、最高責任者です。今はこの有様で、教壇に立つこともできなくなりましたが……」
寂しそうにそう言って、ロギオスは骨と皮だけになった自分の手首を見つめた。
「十六年前は、コール様も、ダリアン殿も、私の教え子でした」
一転して穏やかな笑顔を見せると、老人はベッドのそばに置かれた椅子を指差して、そこに座るよう促した。
「コール様は才気あふれるだけでなく、民からの人望も厚い素晴らしい方でした。一方のダリアン殿は、社交性はあるものの、大神官の後継者だというのに、何事に対しても漫然としていて、よく将来を案じたものです」
椅子に腰を下ろす隼の隣で、ロギオスは当時を懐かしむように遠くに目を向けた。
「あいつが?」
驚く隼に視線を戻し、ロギオスは肩を震わせて笑った。
「遅刻しそうになると、コール様を言いくるめて、翼竜で登校してきたり。その度に、よく説教をしたものです」
「信じられねえ……」
隼の知るダリアンは、いつも無表情で、面白みが感じられない男だった。
そんな彼が、この老人が語るような若者だったなんて、にわかには信じられなかった。
「十六年前、一人残された彼は、何としてもこの国を守り抜こうと、自分を押し殺してこれまで生きてきたのでしょう。コール様とともに祭壇に剣を立てたあの日から」
「剣を……」
昨日、隼はダリアンから同調によって、十六年前の出来事を伝えられた。
瀕死のコールガーシャ皇子が、祭壇の上に剣を突き立てようとしていたあの時、彼のそばには誰かが寄り添っていた。
その人物は、自身も重傷を負いながらも、コールの肩を抱え、震える足で祭壇へ続く階段を上っていた。
だが、思い返してみれば、彼がいたのはあの時だけではなかった気がする。
神学校で講義を受けている時も、翼竜の背に乗って空を舞っている時も、いつもその人物は皇子のそばにいた。
『コール様!』
細身の青年が、手を振って近付いてくる。
昨日はぼやけてよく見えなかった青年の顔が、霧が風に流されて視界が開けていくように、目元から徐々に鮮明になっていく。
吊りあがり気味のオリーブ色の瞳。
軽やかに風になびく銀色の髪。
屈託のない笑顔。
自分は彼をよく知っている。
『コール様、剣を』
気がつくと、祭壇に剣を突き刺そうとしているあの場面の中にいた。
弱々しく剣の柄を握る自分の手を、血で汚れた別の手が包み、支えてくれている。
その手の主の顔を確認しようと視線を上げた先には、見覚えのある青年がいた。
「ダリアン……」
「今のは、あんたが同調で見せたのか?」
背中を丸めて頭を抱えていた隼が、ゆっくりと顔を持ち上げて言った。
「何のことでしょう?」
彼の質問に、老人はわざとらしく明後日の方向に目を向けて答えた。
とぼけて見せる老人を前に、隼は軽く舌打ちをしてから、大きなため息をついた。
「断片的にだけど、前世の記憶が戻ってきている気がするんだ。たぶん、あいつが親友だったってことも、本当なんだと思う」
遠い記憶に思いを馳せるように、隼は離れた場所を見つめて静かに言った。
この老人の前ではなぜか、自分でも驚くほど素直な言葉が口から出てきた。
「でも、俺は俺だ。コールガーシャじゃない。前世そうだったからといって、すぐに友達になんかなれねえよ。その……年齢も親子ほど違うわけだし」
前世の自分が信頼を寄せていた人物がダリアンであったことを知り、彼に対する気持ちは変化しつつあった。
だが、コールの生まれ変わりとして彼と関われば、今生での自分の人格が消えてしまうような気がしていた。
それでなくても、この国の人々が、メシアとして現れた自分に落胆していることを、肌で感じている。
誰もがこんな捻くれた少年ではなく、何事においても完璧だったコールガーシャ皇子の再来を望んでいたはずなのだ。
「それでいいのではありませんか? これから二人で新たな関係を作っていかれれば。ダリアン殿も、それを望まれているような気がします」
物思いに耽り黙り込んでしまった隼に、ロギオスが優しく語りかけた。
その言葉に、隼は老人の方へ向き直った。
微笑みながら頷いて見せる老人に、隼は込み上げてくる感情が口からこぼれ落ちないように、唇を強く噛み締めた。
「これでよろしかったですか? トト」
隼が部屋から去った後、ロギオスは後方の窓際に向かって声をかけた。
すると、分厚いカーテンの影から、小柄な男がおずおずと出てきた。
「我々がお節介をしなくても、あの二人なら大丈夫そうでしたね」
老人のそばに歩み寄りながら、トトはバツが悪そうに頭を掻いた。
彼は隼にダリアンが親友であったことを思い出させるために、ロギオスに同調で事実を伝えて欲しいと頼んだのだ。
「ダリアン殿が昨日、同調の中で自らの正体を明かさなかったのも、メシアに過去の関係にとらわれて欲しくないと思われたからかもしれません。それだけ、今の彼の人格を尊重しようとされているということです」
老人が語った内容に、トトは思わず息をのんだ。
「すごいな。私なら悲しくて、早く自分のことを思い出して欲しい、なぜ思い出さないんだと、相手を追い詰めてしまいそうです」
ため息まじりにそう言った後、彼は少年が去っていった方向に視線を移して、木製のドアを切なげに見つめた。
「メシアも……ご自分の立場に悩んでいらしたんですね」
神殿から外に出ると、広場でダリアンが隼を待ち構えていた。
彼が前世親友であったことを自覚した隼は、一瞬どのような顔をすればいいかと戸惑い、思わず目をそらした。
「ロギオスとのお話が済んだのなら、補習を行いましょう」
「補習?」
補習と聞いた途端、隼はあからさまに嫌悪感を示した。
「同調で相手に想いを伝える訓練です。今日は翼竜を呼んでみましょう」
隼が納得していないことなど構わず、ダリアンはそう言って、額に指先を押し当てて目を閉じた。
「こうやって、眉間に意識を集中して。プテラと言う名の翼竜に、ここへ来るよう呼びかけてみてください。人より動物の方が本能で感じとれるので、伝わりやすいはずです」
目を閉じ続けているダリアンの前で、隼も右手の指を額に押し当てて瞼を下ろした。
この男のいいなりになるようで面白くなかったが、彼も早く能力を会得したかったのだ。
『プテラ。ここまで飛んでこい』
プテラという名の響きに、何か懐かしいものを感じながらも、隼はそう心の中で呼びかけてみた。
だが、しばらく待っても何も反応はなかった。
「単に命令するのではなく、共に空を飛びたいという気持ちを、伝えてみてください」
ダリアンの言葉に、隼は戸惑いながらも小さく頷いた。
翼竜と一緒に飛びたいなんて、そんな気持ちをどうしたら持てるのかわからなかった。
悩んだ挙句、彼は翼竜の背に乗って、空を舞う自分の姿を想像してみることにした。
カスコの後ろに乗せられるのではなく、自分自身の手で手綱を握り、天高く舞い上がる己の姿を。
碁盤の目のように整備された街並みを見下ろし、輝く海原の上空をラーを目指して飛んでいく。
高度が変化するたびに、快感と恐怖が交互に押し寄せ、否応なしに気持ちが高揚していった。
『プテラ、もっと一緒に空を飛び回ろう!』
「クアー!!」
その瞬間、遠くから甲高い雄叫びが聞こえてきた。
直後、大きな幕が風に翻るような、バサバサという音が近付いてきた。
間も無く巨大な影が頭上から落ちてきて、見上げると一頭の翼竜がそこにいた。
「伝わった?!」
「クアー!!」
思わず笑顔を浮かべる隼の上空で、プテラは再び空に向かって吠えた。
人ならざるものとはいえ、初めて自分の心が相手に通じたことに、隼はこれまで味わったことのない興奮を覚えていた。
「プテラ、降りてきてくれ」
言葉と同時に同調でそう呼びかけると、プテラは段階的に高度を下げてゆき、左右に広げた翼でバランスをとりながら、少し離れた場所に二本足で降り立った。
「プテラ!」
その場から走り出した隼の前で、プテラは頭をもたげて地面に首を横たえた。
そばまで駆け寄った隼は、抱えきれないほど大きな竜の頭を、両手を広げて抱きしめた。
この竜には初めて触れたはずなのに、手から伝わる感触から懐かしさが感じられた。
「グフウ……」
隼の腕の中で、プテラも彼に肌をすり寄せながら、甘えるように喉を鳴らした。
そんな彼らの姿を遠目に見ていたダリアンは、遠い日に見た情景を思い出して、胸を熱くしていた。
「まさか、初日から成功するなんて。さすが、潜在能力が高いですね」
ダリアンがそう言って、後方からゆっくりと近付いてきた。
その声に隼は、プテラの頭に手を触れたまま彼の方へ向き直った。
「プテラはもともとコール様の竜です。この子もあなたに、コール様と同じオーラを感じているのでしょう。どうぞ今日からはあなたの相棒にしてやってください」
『ああ、だからか』
自分がこの竜に対して感じている、懐かしさの理由を知り、隼は素直に納得した。
「ただし、翼竜は飛ぶことにより体力を著しく消耗します。くれぐれも、むやみに飛ばすことは控えてください」
それを聞いた隼は、いたずらっ子のような笑みを浮かべて、銀髪の男を見上げた。
「授業に遅れそうな時とか……?」
「……?」
最初は意味が分からず、首を傾げていたダリアンだったが、しばらくすると言葉の意味が理解できたらしく、視線を泳がせて鼻先を掻いた。
「ロギオスから、余計なことを吹き込まれたようですね」
初めて垣間見えた彼の人間らしい表情に、気が付けば隼も笑っていた。




