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第十六話 憎しみを越えて

 翌朝、夜明け前に神殿に戻ると、アチャは地下への扉の前で眠り込んでいた。

 ダリアンはそんな大男のそばにそっと近付き、分厚い肩を軽く叩いた。


「おお、帰ったか」


 目を覚ました大男は、半分寝ぼけた顔で目の前に立つ青年を見上げた。


「腹を減らしてんじゃねえか? こいつをやるよ」


 そう言って大男は、腰に下げた麻の袋から、木の実を潰して焼き上げた菓子を取り出し、ダリアンの前に差し出してきた。


「ありがとう」


 しばらくは男の手を感慨深げに見つめていたダリアンだったが、笑みを浮かべて礼を言い、摘み上げた菓子を口に放り込んだ。

 この男が、配給されるわずかな食料の中から、こうして自分に分け与えてくれていることは、カスコの話から悟った。

 だが同時に、この場合ありがたく受け取った方が、この男が喜ぶということも彼は知っていた。



 その後、ダリアンはアチャとともに階段を下り、地下へ戻った。

 眠りについていた見張りの兵は、アチャに交代を持ちかけられると、全く疑う様子もなく、あくびをしながら後手に手を振って牢の前から去っていった。

 当然、アチャの背後にダリアンの実体が隠れていたことなど気付くはずもない。

 アチャが錠を外して鉄格子を開くと、その隙間からダリアンは自ら牢の中へ入り、幻影ダミーを消した。


「なあ、アチャ」


「ん?」


 柵に背をもたれかけたダリアンが小声で呼びかけると、鉄格子越しに背を合わせるように腰を下ろしたアチャが短く返答した。

 ダリアンは一旦周囲に耳をすまし、人の気配がないことを確認してから、小声で話を続けた。


「俺は、仲間たちと共にガゼロ将軍を倒し、この国を取り戻そうと考えている」


「……」


「あんたも、協力してくれるか?」


「……」


 ダリアンからの告白に対し、大男は背中を向けたまま、答えを返してこなかった。


「あんた達兵士も、将軍から冷遇されているんだろう?」


「……」


 相変わらず黙り続けているアチャに、ダリアンは少しずつ不安を覚え始めていた。


(まずったか……)


 相手を見余ったかと、後悔し始めた頃、ようやく男の重い口が開いた。


「簡単に人を信用しちゃいけねえな、大神官様。オレは、将軍に仕える兵士だぜ」


「……」


「外に出したのは、泳がせてあんたの動きを探るためだったかもしれねえし、食い物をやるのだって、あんたを信用させて情報を聞き出すためかもしれねえだろ?」


「……」


 背中越しに聞こえてくる男の話に、今度はダリアンが言葉を失った。

 この男に真実を明かすことは、彼にとっても賭けだった。

 アチャが彼の計画を将軍に密告すれば、自分だけでなく、仲間たちをも危険に晒すことになる。

 だが、それでも彼は、この男のことを信じてみたいと思ったのだ。

 不安と希望が錯綜し、次の言葉が出ない青年に、大男は背を向けたまま、静かな口調で続けた。


「それに、あんたは覚えてねえかもしれねえが、あの日、神殿であんたと皇子様を襲った兵の中に、オレもいたんだぜ」


「……」


「皇子様の仇であるオレを、あんたは仲間にしようって言うのかい?」


「!!」


 その瞬間、ダリアンは立ち上がり、血走った目で大男を見下ろした。

 そんな彼の顔を、アチャは少し悲しげな瞳で見つめていた。

 あの日、将軍の兵は皆、兜を被っていたため、顔までは認識していない。

 だが、言われてみればその中に、ひときわ上背のある男がいたような気もする。

 硬く握りしめた拳が、怒りに震えた。


「今の話は、聞かなかったことにしてやるから、しばらく寝ろ。一睡もしてねえんだろ?」


 そう言って大男は、ダリアンに再び背を向けて外に向き直った。

 無防備に向けられた男の首筋を見つめながら、ダリアンは今すぐ締め上げて殺してやりたいと真剣に思った。

 もしかしたらあの日、コールに致命傷を与えたのは、この男だったのかもしれないのだ。

 そう思うと、全身の血が煮えたぎるような思いがした。




「それでも、あんたは外に出してくれた。俺が戻って来る保証なんてないのに」


 しばらく続いた重苦しい沈黙の時間を、ダリアンの絞り出すような低い声が打ち破った。

 その声に、大男の背中が一瞬、びくりと動いたように見えた。


「そして、この国の未来を、俺に賭けてみるって言ってくれた。だから俺も、あんたに賭けてみるよ」


「……」


 その言葉に、アチャは弾かれたように振り返り、背後に立つ青年の顔を見上げた。

 そこには、彼を見据える赤く充血した瞳があった。

 大男と目が合うと、ダリアンは目を閉じて、すべての思いを飲み込むかのように、大きく息を吸い込んだ。

 

「それにあんたに、人の裏をかくような込み入ったことは、できないだろう?」


「ずいぶんな言われようだな。オレのことを、単細胞のバカってか?」


 面白くなさそうに口を歪ませる大男の顔を見て、ダリアンは小さく鼻で笑った。

 勿論、あの日のこの男の行為を、なかったことになどできない。

 だが、自分もあの時、腕に覚えがあったなら、自身とコールの命を守るために、兵士を何人か殺めていたに違いない。

 その場合、逆に自分が彼を殺していたかもしれないのだ。

 そう思うと、彼を一方的に責めることはできないと思った。

 そして今、強くなりたいとの一心で鍛錬している自分は、実は人の殺し方を習得しようとしているのだと、改めて実感した。


「あまり人を簡単に信用すると、長生きできねえぜ。大神官様」


 大男は、心を探るような目でダリアンを見つめて、もう一度念を押すように言った。


「だいたい、人を騙そうとしている奴が、そんなに信用するなって連発するかい?」


 そんな大男の顔を見下ろしながら、ダリアンは苦笑いを浮かべた。


「あんたには、かなわねえな」


 彼につられて、アチャも鼻から息を吐き出して小さく笑った。


「……で、あんたはオレに何をさせようって言うんだ?」


 




『予定通り、畑を作ることになりましたよ』


 しばらく経ったある夜、ダリアンはいつものように、ロギオス達と円を組んで近況を報告し合っていた。


「将軍はすぐに承諾したのか?」


 カスコからの報告に、ダリアンが尋ね返すと、赤髪の男は得意気に笑って見せた。


『奴にとっては、兵士らの反乱が何よりの恐怖ですからね。腹が満たされれば兵士も落ち着くと話すと、二つ返事で了承しましたよ』


「そうか。よかった」


 カスコの話を聞いて、ダリアンはほっと安堵のため息をついた。


『アチャも仲間にうまく話を通してくれたようで、兵士らも作業に協力的です』


 それを聞いて、ダリアンは嬉しそうに上下に首を振った。

 どうやら彼の思いは、あの大男にもちゃんと伝わったようだ。


『それにしても、まさか畑づくりから始めるなんて。随分、遠回りな気がしますが……』


 隣で二人の話を聞いていたトトが、不可解そうに首を傾げて言った。

 将軍を討ちとる戦いに先立って、なぜか兵士らに畑を作らせようとしているダリアンに、少年は疑問を抱いていたのだ。


「まずは、兵士らに栄養を摂らせて体力を回復させておかなくては、まともに戦えないだろう? それに、市民との関係を修復するためにも、必要なことなんだ」


 兵士たちもまともに食料を与えられていないと知ったダリアンは、町のはずれに広大な畑を作り、兵自ら食料を生産することを提案した。

 それにより、彼らの体力を回復させるだけでなく、飢えた兵らが町を襲うことも防ごうと考えたのだ。


「外界から閉ざされたこの国で、限りある資源を奪い合い、血を流していては、あとは破滅するしかない。我々が生き残るためには、互いに協力しあっていかなければならないんだ」


『確かに、親方も翼竜隊が空から魚群を見つけてくれるようになって、漁がはかどると喜んでいますけどね』


 日中は漁師として過ごしているトトがそう言うと、赤髪の男は少し照れくさそうに鼻の下をかいた。

 これまで、市民から兵士はどちらかと言えば遠い存在だった。

 それでも、外敵から自分たちの命や財産を守るために戦ってくれていた頃は、誰もが彼らに感謝していたのだ。

 だが、ムーが孤立して以来、町を荒らして食料を奪っていくようになった彼らは、市民にとって憎しみの対象になってしまった。

 互いに協力し合い、一日でも早く生活を立て直すためにも、ダリアンは、まずはそんな関係性を修復するべきだと説いたのだ。

 彼の考えをいち早く理解したカスコは、翼竜隊を海上に飛ばして魚群の位置を漁師に伝えたり、民が耕す畑に空中から散水したりと、積極的に動き始めてくれた。

 はじめは不審そうに彼らの様子を伺っていた町の人々も、日が経つにつれ、誰からともなく釣れた魚や、収穫した作物を分け与えてくれるようになってきたという。

 カスコの話によると、最近はアチャの仲間たちも建物の再建や道路の復旧に力を注いでいて、兵士らを見る市民の目も変わりつつあるようだ。

 今後は、兵士ら自身も畑を耕し、作物の収穫量を増やすことで、皆に食料が行きわたるようにすることが、当面のダリアンの目標だった。

 そうして、人々の生活を安定させながら、兵士らの体力も回復させ、機が熟せばガゼロ将軍の牙城を一気に打ち崩そうと考えていたのだ。


『まさか、囚われの身であるあなたが、国をこうして導いているなんて、将軍は夢にも思っていないでしょうね』


 トトが尊敬の眼差しでダリアンの顔を見上げると、他の者たちも一斉に大きく頷いた。


「いや、俺自身が何かに突き動かされている気がしているよ。きっと、コール様が俺に行くべき道を示してくれているんだ」


 そう言って、ダリアンはベルトの間からスフェラを取り出し、空にかざして愛し気に見つめた。

 彼の手の中で、赤い石はいつもと変わらず、けがれのない輝きを放ち続けていた。





 それから数ヶ月が経ち、兵士たちが育てた作物は、収穫の時を迎えていた。

 その日の兵士達は、何やら朝から浮き足立っていて、地下室の中は男達の笑い声に満ちていた。

 何も聞かされていないダリアンが、いつものように広間の床に座って観戦していると、大きな布の袋を肩に抱えた男達が、列を成してやってきた。

 

「ほら、オレ達が作った小麦からできたパンだ」


 列の先頭を歩いていたアチャが袋を下ろして口を広げると、中からこんがりと焼き上がったパンが転がり出てきた。

 大男に続いて、他の男達も肩から袋を下ろし、一斉に口を広げた。

 直後、薄暗い地下室に白い湯気が立ち上り、香ばしいパンの香りが鼻腔をくすぐった。


「おおお!」


 匂いに誘われ、わらわらと集まってきた男達は、歓声をあげて黄金色こがねいろの物体を手に取り、鼻に近づけて香ばしい香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


「今日はささやかな収穫祭だ。みんな、ひとつずつ、食ってもいいぞ」


 アチャが広間に行き渡る大声でそう言うと、男達は再び歓喜の声をあげて、両手で持ってまだ余るほどの大きなパンにかぶりついた。

 普段、水気の抜けた保存食ばかり口にしている彼らが、焼きたてのパンにありつけることなどほとんどない。

 皆、幸せそうに目を閉じて、嚙みしめるたびに口の中に広がる小麦の旨味を、心底堪能しているようだった。

 そんな彼らの前に、数人の男に担がれて、今度は大きな樽が運ばれてきた。


「山葡萄で作った酒もある。一杯ずつ注いでもらえ」


 再びアチャがそう呼びかけると、男達は嬉々とした表情で、今度は樽の前に列を作り始めた。

 まだ酔っていないはずなのに、並びながら歌ったり、陽気に踊りだす者もいる。

 そんな男達の様子を、ダリアンは少し離れた場所から目を細めて見つめていた。

 ここへ捕らえられて随分時が経つが、これほどまでに喜びに満ちた彼らの顔を、これまで見たことがなかった。


「ほら。あんたの分だ」


 そんな彼の目の前に、大きなパンと酒が満たされた木の器が差し出されてきた。

 驚いて見上げると、アチャが肉厚な頬を緩めて、彼のことを見下ろしていた。


「あんたのおかげで、出来上がったパンだ。感謝している」


 大男は照れ臭そうにそう言って、ほのかに温かいパンを、ダリアンの手に押し付けてきた。


「小麦を育てたのはあんた達だ。俺はなにもしていないよ」


 感謝の言葉を素直に受け取ろうとしない青年に、大男はつまらなそうに舌を鳴らした。

 ダリアンがパンと酒を受け取ると、大男は彼の隣にどかりと腰を下ろして、楽しそうに騒いでいる兵士らに目を向けた。


「満たされたのは腹だけじゃねえ。町の奴らのオレ達を見る目も変わり、皆んな喜んでいるんだ」


「それも、あんた達が、市民の手助けをしてきたからだろう?」


 再び言葉をかわされた大男は、苛立ちをぶつけるように、頭をガリガリと激しく掻いた。


「ふん。なにを言っても、食えねえ奴だな」


 その時、地上から続く階段の方向から、いくつもの足音が重なり合って聞こえてきた。

 やがてそれに、鉄と鉄がぶつかり合う音も合わさり、地下の壁に大きな音を反響させながら近づいてきた。

 そして気がつくと、広間の入り口を、鎧で身を固めた大軍が塞いでいた。

 その瞬間、男達の陽気な笑い声が一斉に途絶え、室内は一気に静まりかえった。

 しばらくすると、大軍の中から見覚えのある中年の男が進み出てきた。


「大神官はどこだ。なぜ、牢の中におらん」


 誰よりも分厚い鉄の鎧で身を固めたその男は、ガゼロ将軍だった。

 ダリアンがパンと葡萄酒を床に置いて立ち上がると、将軍は彼の顔を忌々しげに見つめた。


「囚われの身でありながら、随分自由にしているようではないか。大神官殿」


 ダリアンは無言で将軍に鋭い視線を送り、二人は距離を保ったまま睨み合った。

 そんな彼らの様子を、周りの者達も一言も発することなく、不安そうにじっと見守っていた。

 だが次の瞬間、将軍の口元が卑猥に引きつり、不敵な笑みを浮かべた。


「あれから手を尽くしたが、祭壇の剣はどうやっても抜けそうにない。こうなれば、お前も神官達も邪魔なだけだ。皆んな仲良く、この世から消えてもらおうか」


 将軍がそう口にした直後、ダリアンの両腕は鎧姿の兵士らに捕らえられた。

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