二番目の王子
「カイルザール王子を、次期国王とする」
高らかに宣言がなされたとき、私は思ったものだった。
ああ、“彼”はうまくやったのだな、と。
カイルザール王子は、国王陛下の二番目のお子。そして次男だ。
歴代国王のほとんどが複数の妃を持つこの国では、より強い後ろ盾を持つ子供が、年齢に関わらず次期王に選ばれることも少なくはない。今回もそれだ。
とはいえ、いくら背後が強くても本人がそれなりに出来た人物でなければ安心安全に国を治めることなど無理だし、周囲が許さない。そんな良識ある臣下と国民が多いのは、この国のいいところだと思う。
本人の資質という点でもカイルザール王子は合格点だった。それも、及第どころかすこぶる良い成績で。
剣を持たせれば近衛騎士団長でさえ舌を巻くような動きを見せ、会議に参加すれば海千山千の大臣たちでさえ「ほう」と感心せざるをえないような意見を言葉巧みに述べる。
まさに文武両道。ついでに眉目秀麗。
カイルザール王子は、まさしく絵にかいたような王子様なのだ。
少々わがままで強引なところが玉にキズ……というか私は苦手なのだが、王族だし王子様だし生まれた時から周囲にちやほやされて育ったのだ。そんなものだろう。
同じ王子様でも、長男のレントイール様はとても穏和で無欲な人なのだが。
レントイール王子も、まあ優秀な人だ。
しかし剣術大会ではいつも二位から五位あたりをうろうろしている。会議に参加しても自分から積極的に議論しようとはせず、むしろ弟や大臣たちを擁護する側に回っていた。
優秀ではあるのだ。性格も温厚で人当たりが良く、周囲には人が絶えない。
ただし華やかな弟王子と比べると、どうしても地味に映ってしまう。
一番目の王子は常に二番目。そんなふうに揶揄する者もいる。
こんな弟がいれば兄はわずかなりともひがみそうなものだが、レントイール王子は涼しい顔でにこにこと微笑むばかりだ。
生まれ落ちた瞬間から、大国の王女を母親に持った弟王子は父王の後継者と言われていた。
このとき、兄王子は三歳。
父親が王様であると正しく理解しているかどうかも怪しい年頃から周囲に言われていれば、それが当たり前になるとは本人の言だ。
無謀な野心を幼い王子にささやく愚かな大人たちも、彼の周囲にいなかったことも幸いだった。
そう、幸いだったのだ。
少なくとも、レントイール王子はそう思っているらしかった。
本人いわく、「だって国王なんて面倒くさいだろう?」。
この国は、有能な臣下がたくさんいて国王陛下を支えている。
だがそれはつまり、国王陛下が有能な彼らをまとめ上げ、うまくかじ取りをしなければならないということでもある。
弟王子がそうであるように、自身が優秀で周囲からもちやほやされて育った人間というものは自尊心が高く、少しばかり傲慢なところがある。もちろんそうではない人格者もいるにはいるが、国を支える役人たちの全員がそうではない。むしろ曲者揃いと内外で評判なのが我が国の高官たちだ。
その辺との駆け引きが、レントイール王子は面倒くさいらしい。
せめて「わたしには重責すぎて務まりません」とかなんとか取り繕って言っていただきたかった。
公の場でそんな身もふたもないことを言うような方ではないと知っているけれど、誰がどこで聞いているかわからないのだから。
そんなこんなで国王陛下が自らの後継者に弟王子を指名したとき。
家臣たちに目立った不満や反発は見受けられなかった。
兄王子を推す人々もいるにはいたが、なにより兄王子本人がなにも言わないのだ。周囲が口出しできるわけがない。
そして半年後の王太子任命式。
国の内外に向けて次期国王をお披露目するその賑やかな場で。
「………どうしてあなたが“ここ”にいるんでしょう」
ひたすら首をかしげる私に、レントイール王子はにこりと微笑んだ。
「君が“ここ”にいるからだよ、ラナーシュ」
ところで、私の名前はラナーシュ・リナルリエという。
私が座るここは、広間のいちばん上座。
新王太子とともにお披露目された、王太子妃の席である。
そしてその隣、つまり王太子席に着いているのがレントイール王子。
弟のカイルザール王子ではなく、兄王子のほうなのだ。
私は、王子様方のお妃候補だった。
とはいえ、それなりの血筋家柄を持つ近しい年頃の娘はほとんどがそう呼ばれていたのだから、とくべつ珍しい肩書でもない。
中にはちゃんと最有力候補と呼ばれるお姫様がいて、その他の私たちは、まあ、引き立て役のようなものだった。
弟王子が王太子妃に内定したとほぼ同時に、その姫が弟王子に輿入れすることも内定していた。
これにも、表立って異論はなかった。
本人たちに恋愛感情はない。けれどもそれぞれお互いが王太子、王太子妃の第一候補と分かっているから、自らの地位を確実にするため必要なことだと割り切っているようだった。
そして弟の結婚相手が決まって兄が独身というのは体裁が悪いらしく、兄王子の妃も残りの候補者の中から選ばれた。
それが私だった。
レントイール王子も私も、そして周囲も、これに異論はなかった。
前にも言ったが、私はカイルザール王子が苦手だ。
堂々とした様はなるほど次期国王の風格なのだろうが、まだ年若いうちから威圧的になられても違和感があるし、むしろその傲慢さに話を聞いているだけで疲れてしまう。
なにより未来の王妃なんて、重くて堅苦しくて絶対に胃が痛くなる。こういうのは最有力候補の姫のように少々気が強くふてぶてしいほうが向いているのだろう。
似た者同士の弟王子とうまくやっていけるかどうかは、わからないけれど。
その点レントイール王子と一緒だと、私はとても楽だった。仮にも自国の王子様に対して、それもどうかとは思うのだが。
うまが合うのかもしれない。隣にいるのがとても自然で、お互いに変な気遣いがいらない。こちらの王子となら、ずっと話していても、逆に一言も話さずにただ座っているだけでも、彼の隣は私にとってとても心地よい場所だった。
お優しい、と評されることが多い彼の笑顔が、なぜかときどき黒かったり氷のように冷ややかなように見えることもあるが、私にそれを向けられたことは一度もないのでまあいいかと思う。
王子である彼には、それも必要なのだろうから。
あるとき、私のことを弟王子に揶揄されたらしい。
婚約者まで“二番目”に甘んじて、いいのかと。
王太子妃に関しては、むしろ一番目以外どうでもいいような扱いだったので、私が二番かどうかは怪しいところだ。
それを後で聞かされた私は、むしろ褒め言葉ではないかと思ったくらい。
レントイール王子は、思わず笑ったのだそうだ。
いつもの、お優しくも社交的な微笑ではなく。黒くもなく。
照れたように、それは嬉しそうに。
「わたしは彼女が、いいんだ」
結果、カイルザール王子は私に興味を持ってしまった。
いや、“私”に興味を持ったのではない。“兄の気を引いた娘”が物珍しかっただけなのだと思う。
彼とその周囲が執着するもののことごとくに、兄王子はまるで関心を示さない。そんな兄に「彼女がいい」などと言わせる娘とはいったいどれほどのものかと。
それから、弟王子はいままで放置していた私に構うようになった。
正直、ものすごく疲れた。最初こそ将来は親戚になるのだからと丁寧に応対していたのだが、最後のほうはあからさまに避けていた。
兄に対するからかい半分、もう半分は内定姫君の気を引きたいがための行動だったのだろうとは、思うのだけれど。
それにしてもやりすぎである。こっちに来て嫉妬心を煽るくらいなら花の一輪でも持って婚約者を訪ねればいいのに。姫君側からの冷ややかな視線と態度はほんとうに辛かった。
やがて彼は私を王太子妃に据えようかと言い出した。
例の似た者同士“最有力候補”姫との仲がしっくりしないからだろう。いまだ婚約が“内定”だからとはいえ、迷惑なお話である。
断られると思っていないかのような態度がまた、不可解だった。
「ラナを欲しがるとは、あれの目も腐ってはいなかったわけだ」
黒い笑みでレントイール王子が呟く。
いえいえ、もとはあなたの言葉が原因でしょう。
それからのことは、正直よく分からない。
気が付けば、弟王子の立場は非常に微妙なものになっていた。
“最有力候補”姫との仲が悪くなったので、その親、国一番の権力者である宰相閣下の後ろ盾と、それに追従していた貴族たちの信用を彼は失ったのだ。
しかも母君の母国である大国は内紛が起こり、その対応に追われて隣国どころではなくなってしまう。これで静観していた貴族たちすら弟王子から距離をとりはじめた。
そして今度は、自国の宰相が失脚した。
やり手の宰相閣下は裏でもいろいろとやっていたらしく、穴の開いた羽枕のように叩けばいくらでも不正が出てきたらしい。
当然、その娘である姫君の王太子妃内定も取り消された。
そんなこんなで、なし崩しに王太子に“確定”していたのはレントイール王子で。
いつの間にか王太子妃に“確定”していたのが私だった。
おそらく、カイルザール王子は知らなかったのだと思う。
自分の“一番”が、周囲によって作られたものだということを。
カイルザール王子はとても優秀な人だ。
しかししょせん王子の評価は“王子”という地位を考慮した上での評価だ。
よく出来た兄王子と常に比べられ、その上を行けと母親や周囲から熱望されうるさく言われ、国一番の講師を付けられて厳しい教育を受けたのだ。真面目に一生懸命取り組んでいれば、それなりになるだろう。
しかも彼は王子様で、いちばん王太子位に近いとさえ言われている。
そんな人を本気で叱り飛ばせる命知らずが、いったい世の中に何人いるだろうか。
たとえば武術。
剣術の講師は、近衛騎士団長だった。時おり相手を務めるのも、近衛ではそれなりの技量と地位を認められた者たち。
彼らに鍛えられたカイルザール王子は、なるほどかなりの腕前を持っていた。
しかし本来であれば、それを職業とし朝から晩までどっぷりと浸かり実戦まで経験する彼らに、他の勉強の片手間に習う王子が敵うはずはない。
相手がそれなりに強いカイルザール王子だからこそ、あからさまに手を抜けば見抜かれるし、逆に実力を出しすぎては怪我をさせかねないので、武官たちは非常に苦労していたらしい。
会議にしてもそうだ。
どれだけ正しく合理的、あるいは画期的な意見を述べたとしても、それに賛同し後押ししてくれる者がいなければ何にもならない。
少し考えれば分かったことだと思うのだが……おそらく、周囲が褒めそやし持ち上げ過ぎ、聡い王子が鈍感になってしまったのだと思う。
それでもカイルザール王子は、王太子、後の国王陛下として特別ひどい失態を犯したわけではない。
たぶんそのはずだ。
弟王子が追いやられた理由。
それは。
もし、自惚れでないならば。
「王太子なんて、面倒くさいんじゃなかったのですか?」
そろりと聞いてみれば、夫になったばかりの隣の人はにっこりと屈託なく笑う。
「仕方ないだろう。ラナが王太子妃なんだから」
最初に“内定”が出たとき、私でいいのですかと聞いたことがある。
そのときとまったく同じ言葉を、彼は苦笑交じりに口にした。
「わたしはラナーシュがいい。ラナでなければ、いらないよ」
「……それは、私も同じです」
私だって、彼がいい。
彼が王太子にならなければ、王太子妃の地位なんて謹んで他の誰かに差し上げている。
言ってしまってから、ひどく落ち着かない気分になった。
すがるように隣を見上げれば、彼は驚いたようにわずかに目を見開いている。
そしてかすかな吐息とともに「よかった」とこぼす。
それから溶けるように浮かべた微笑に、私も同じような笑顔で返した。
周囲からはほっとしたような、うっとりしたようなため息が聞こえる。
とても幸せそうな夫婦に見えるだろう。事実、幸せなのだから。
だから、その後の黒い呟きには、あえて聞こえないふりをした。
「あれも、与えられたものに満足していればよかったのにね」
うん。聞こえない、聞こえないから。
読了ありがとうございました!