5ショートストーリーズ3 その2【ガム】
ガム。噛んでる人にはひと時の爽やかさを与えますが…
警察の取調室で、派手な化粧をした女がうなだれている。
「オマエな、何度しょっぴかれたら分るんだ? もうそんな商売は
やめたらどうなんだ? 」
「……」
「ああ、もういいから、今日は帰れ。証拠不十分で見逃してやる。
もうあんなとこで立ちんぼなんてするんじゃないぞ」
「は~い! あざっす!」
老齢刑事のその言葉を聞いた途端、女は顔を上げるとニコッと笑
った。そしてそれまで微動だにしなかった口を動かし、何かを噛み
始めた。
「おまえね、しおらしいと思ったら口の中にガムを含んでたのか…
そりゃ、おとなしいはずだわ」
「え? 主任、そのガム女、釈放っすか? いいんすか?部長に怒
られ…」
「いいんだよ。ほら、行きな」
「ありがと。じゃあね、おじさん! 」
そう言うと女は肩で風を切るようにして、警察署のドアから出て
行った。
「主任、あのガム女、懲りてないっすよ。でもまあ、あいつもあい
つの噛んでるガムみたいに、美味しとこだけ誰かに取られて、あと
はポイってされるのが分からないんすかね?」
「バカヤロ! 余計なこと言うな! 見回りに行くぞ」
「うぃっす! すんません」
刑事達も警察署を出て行く。
ふざけるんじゃないわよ! 何がガム女よ!
女は思う。ガムは甘くて美味しいし、気分転換にもなる。健康に
もいいんだから。ガムを噛んだ奴がガムの処理さえ間違わなければ
ね。
女は味の無くなったガムを包み紙で包んで捨てようと思ったが、
ちょっと考えてから、えいっと飲み込んだ。
ゴクリ! という音が聞こえた。
「ただいま!」
「あ! おかあちゃん、おかえり!」
繁華街の裏道にある一軒の寂れたアパート。
外付けの階段を上がり、ドアを開けると子供の元気な声。
飛びついて頬ずりを。ミントの香りがした。
「あんた、またガムを噛んでるのね。捨てる時はちゃんと包んで…」
「おかあちゃん、わたし、飲んじゃうからだいじょうぶ」
幼子はにっこりと微笑む。
「馬鹿だね、この子は!」
そう言いながらも女は幼子をギュッと抱きしめる。
「おかあちゃん、痛いよ」
「うん…ごめんね」
女は涙を見られないようにそっと拭う。
「でもね」
「なに?」
夕飯の支度をしながら女が言う。
「ガムはやっぱり味が無くなったら包み紙で包んで捨てた方がいい
よ。お腹が痛くなったら大変だから」
「ううん。わたし、ガム飲んじゃうの大好き。チョコレートと一緒
に食べると溶けちゃうんだよ? 知ってた?」
女はううん、と首を振る。へえ、そうなんだ。ガムとチョコと一
緒だと…
「ねぇ、お父ちゃんが帰ってきたら、三人で別の町で暮らそうか」
「うん。お父ちゃんいつ帰ってくるの?」
「そのうち、かな」
「そのうちか。そのうちって明日?」
「明日じゃないよ。明日のそのまたず~っと明日」
「ふうん」
幼子にはよく分からなかったが、これ以上訊ねるとおかあちゃん
が悲しい顔をするのだけは分かるので、口をきかなくてすむよう
ガムを口に放り込んだ。
そのうち、の為に…女も新しくガムを噛もうと思ったが、ちょっ
と考えてからやめた。
「ねえ、おかあちゃんともっと一緒に居たいよね。おかあちゃん、
お仕事変わろうかな」
「ほんと?」
女は思う。たとえどんな仕事をしようとも、ガムの気持ちだけは
忘れないから。
ガムは素敵。爽やかな気分になれる。健康にもいいんだから。
ただ、捨て方さえ間違わなければね。
ガムのパッケージを見つめながら、女はそんなことを考えた。
大人の為のショートショートです。