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旅中記  作者: 琅來
第Ⅲ部 覚醒と決意
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第七章「これから、それから」―4

 シュリーは、備蓄してある残りの小麦や乾し肉、保存の利く野菜を見詰め、深い溜息をついた。

 五人家族のこの家が冬を乗り切るのであれば、一応充分にあると言っていい。

 けれど、弟のウィオとその婚約者であるリラが旅立ってから、リラの弟であるヴェンとヴァルクの面倒も見ていた。

 二人の家にもある程度の備蓄はあるし、必要なのが七人分に増えても、問題はない。

 問題は、これが自分達だけの物ではないということだ。

 うちは、むらおさの家なのだ。

 いざと言う時に、他の家へと食料を融通させる義務がある。

「せめて、義倉が無事だったら……」

 けれど、それは叶わない。

 国軍が、皇帝の威光を振りかざして、義倉の中身をほとんど持って行ってしまったのだ。

 残ったのは、小麦が少しとかさばる野菜だけで、乾し肉は全て持って行かれた。

 残った肉類は、各家で床下に貯蔵していた分だけだ。

 しかも、それすら強奪された家もある。

 それは主に見える部分に貯蔵していた家で、そういった家は古くなって床下に降りるのが危険だとか、家が建っている土地が石だらけで地下室を掘れないとか、男手がいない、もしくは貧しくて貯蔵庫を作れないという大きな理由があった。

 彼らの大半は村の中でも貧しい家で、備蓄も貯蓄もあまりない。

 だから、余裕のある家が支援してあげなくては、餓死者が出てしまう。

 冬が終わるまで、あとおよそ一月。

 そろそろ、どの家も食料が尽きてきているはずだ。

 でも、我が家にもあまり余裕はない。

 今年はいつもより雪深いから、余計に食料が必要なのに。

 シュリーは深い溜息をつきながら、上に上がった。

 そこで、すぐに父のウェルの姿が見え、シュリーは顔を歪めた。

「父さん……」

 シュリーの震える声に、ウェルは一つ頷いた。

「分かっている。付いて来い。こっちだ」

「え? 父さん?」

 シュリーは途惑いながら、父の背を追って歩き出した。

 ウェルは、真っ直ぐ迷わずに山の中に入って行く。

 シェリーは数瞬躊躇った後、恐る恐る父の後を追った。

 いくら二月と言っても、まだまだ寒いし、今年は村の中にも薄っすらと雪が積もるくらいだったから、山にはそこそこ雪も積もっている。

 雪に慣れないシュリーにとって、雪の積もった山は大変歩きにくかった。

 それに、どこに行くのかも分からないのだ。

 不安に思いながら父の後を追えば、かなり奥まった所にある洞窟に辿り着いた。

「父さん? ここって……」

 シュリーは、不審に思って眉を顰める。

 この辺りは、冬でなくとも迷子になりやすいからと、普段から立ち入りを禁じられている場所だ。

 ウェルはシュリーの疑問に答えないまま、真っ直ぐに洞窟の中に入って行く。

 いつの間に用意していたのか、手燭に火を付けて持っていた。

 奥に進んで行くにつれ、外からの灯りは絶え、唯一の光源はウェルの持っている手燭のみになる。

 それに不安を覚えた頃、洞窟の奥に辿り着いた。

 そこに積まれていた物に、シュリーは顎を落とした。

 ウェルは手燭を地面に置くと、袋を肩に背負い、初めてシュリーを振り返った。

「シュリー、お前も手伝え」

 シュリーは唖然としたままふらふらと近寄ると、袋の一つを抱え上げた。

 この感触は、やはり――

「小麦……よね?」

 何故、小麦がこんな所にあるのだろうか。

 義倉の中身を、一時的に移していたのだというならまだいい。

 だが、万が一、脱税の為にここに貯蓄していたのだとしたら――。

「いや、それは真菰だ」

「マコモ?」

 シュリーは目を瞬いた。

 そんな名前、聞いたこともない。

「いや、お前が知らないのも、無理はない。これは二、三年ほど前に、北の方から取り寄せた穀物だ。まあ、食べ方は小麦と全く違うから、これを食用にするのは迷ったがな。だが、育てておいて良かった」

 そう言って笑うと、ウェルは数袋を担いで外に歩き出す。

 シュリーは慌ててそれを追い掛けた。

「ちょっと待ってよ、父さん。それってどういうこと? 最初から全部説明して」

 娘の目が座っているのを見て取って、ウェルは苦笑した。

「うちの領主が皇族なのは、知っているだろう?」

「ええ。それくらいは知ってるけど?」

「その領主が変わり者なんだそうだ。それで、非常時の食料にするようにと、この辺りの水辺がある村に配ったんだ。国には報せないようにして」

 シュリーはぎょっとして、父を見上げる。

「え、じゃあ税とかって……」

「払ってないし、そもそも掛かるような物でもないからな。問題はないぞ? 村の中では育てていないし」

「父さん、それって屁理屈……」

 袋の重さもあってふらふらとよろめくシュリーを見て、ウェルは微笑を浮かべた。

「屁理屈でも何でも、これで俺達の村の命が護られるんだ。それに、一度だけ食べたことがあるが、そこまで美味いもんじゃない。食べ方は二種類あって、実のまま水で煮るか、スープにして食べるそうだ。だが、飢饉にでもならない限り、食いたいとも思わんな」

「そう、なんだ……じゃあ、どこで育ててたの?」

「山の奥の方にある沼だ。ほら、冬の前に狩りに行く所。意外と面倒なんだぞ、これ。小麦より芽が出にくくてな。どれだけ無駄にしたことか。そこまで量も取れないし。まあ、一度育てば何年かは取れるから、それで帳消しかもな」

 嫌そうにぼやくウェルに、シュリーは堪らずくすりと笑みを洩らした。

「飢え死にするよりはましでしょ。だけど、何でわざわざあんな所に隠してたの? 義倉じゃなくて」

 わざわざ取りに行かなくてはならない手間がある分、普通だったら義倉に入れそうなものだが。

「ああ……去年までは義倉に入れてたんだが、ほら、ウィオ達が旅立つ前に、両替しに街へ行っただろう?」

「うん」

「その時にな、皇族が逃げ出して、皇帝がそれを追討する命令を出したって聞いたんだ」

「…………はい?」

 シュリーは、ぽかんと口を開ける。

「あんまり詳しいことは分からないが、逃げ出したのは皇妃と皇女と、あと皇帝の甥らしい。で、どうやら皇帝に逆らったそうで、ありとあらゆる方向に追っ手を出したらしいと。その時は噂だけが届いていたが、その追手の国軍がこちらに来るのも時間の問題だと言っていたな。それで、これだけは義倉から移したんだ。あんまり義倉の中に小麦や乾し肉がないと、怪しまれるだろう? その点、これは国も知らない食料だからな。他にも、それぞれの家にちょっとずつ小麦と乾し肉も移した。だから、少なくとも飢え死にはない。……お前も、それが心配だったんだろう?」

「……うん。でも、こんなことなら、もっと早く教えてくれれば良かったのに……」

 不満げに言うシュリーに、ウェルは宥めるように言い含めた。

「これは、法で税を納めると決まった物じゃない。でも、国が知れば絶対に税を掛けてくる。それだけは絶対に避けなければならないんだ。だから、ぎりぎりまでは隠す必要がある。それに、ここ最近に栽培が始まったばかりで、量もあまりない。精々不足分をぎりぎりで補えるくらいだな。早くにこれの存在を報せて頼られては、最終的に足りなくなる可能性もある。だから、ぎりぎりまでは出せなかった」

「ふうん……。でも、何か納得いかないかも……」

 唇を尖らせてぶつぶつと呟くシュリーに、ウェルは片眉を上げて訊ねた。

「どこが納得いかないんだ?」

「全部よ、全部。何もかもが納得できないわ」

 シュリーはそう言うと、父を置いて山を下り出した。




「あら? シュリー、お帰りなさい」

「母さん、やけにあっさりしてるのね……」

 シュリーは卓に突っ伏したまま、胡乱気な目で母のシャンリンを見上げた。

「今、村中大騒ぎよ? あの食べ物は何だって」

「ふふ、あたしだって、村長の妻だもの。あのことは承知してるわよ? それに、まさか父さん一人が育ててたなんて思っていないでしょうね。あれは、母さんも手伝ってたし、何よりもリラが頑張ってたのよ? 時々、ヴェンとヴァルクも手伝いに来てたわね。他にも、一部の人は知ってたわ」

 シュリーは、がくりと肩を落とした。

「何よ、教えてくれてたら良かったじゃないの……」

「そしたら、結婚できたから?」

 さり気なく言われた言葉に、シュリーはうっかり、卓にごんと額を打ち付けた。

「な、なっ……なっ……!」

 頬と額を赤くして口をパクパクと開いたり閉じたりするシュリーに、シャンリンはにんまりと笑って言った。

「あんただって、もう十九でしょ? 好い人がいても可笑しくないし、時々どこにいったのかな~って時もあったし。でも、冬になってからはなくなったし、変に落ち込んでるし……。シュリー、あんたって変な所で真面目だからね。この冬が過ぎるまでは絶対に結婚なんてできない、できればウィオ達が戻ってくるまでは駄目とか何とか言ったんでしょ? そしたら、『俺と弟とどっちが大事なんだ!』って言われたんじゃないの? で、別れちゃったと」

 シュリーは俯くと、額を押さえて言った。

「何でそこまで詳しく分かるのよ……」

「そりゃあ、貴女があたしの娘だからよ。それに、そういう時の男の考えも分かるからね。まあ、春になるのを待ちなさいよ。別の好い人が見付かるわ。それに、今この村がどういう状況なのかも分からない男なんか、あんたの旦那さんに相応しくない。第一、『村長の娘婿』って立場に引かれる俗物なんて、あたし達が認める訳ないじゃないの」

 シュリーは、じとっと母を見上げる。

「って……やけに詳しいわね。詳し過ぎるわよ。まさか、あいつ――ジェスを焚き付けたの母さんなの?!」

「いやあねえ、母さんじゃないわよ、父さんよ。それに、焚き付けたんじゃなくて締め上げたの。一緒にしないでよ? 父さん泣いちゃうわよ」

 冗談めかして言うシャンリンに、シュリーは全身の力が抜けた。

「そうだよ、姉さん!」

「あいつを焚き付けたのは、あたし達なんだから!」

 突然背後から響いた声に、シュリーは頬を引き攣らせた。

「シャレイ、シュミア……あんた達のせいだったの……?」

「だってジェスの奴、嘘ばっかりついてんだもん!」

「姉さんに付きまとってたのだって、姉さんが可愛いからだって言ってたけど!」

「でもでも、本当は姉さんが父さんの子供じゃなかったら近付かなかったとか言ってた!」

「それと、姉さんが大人びているからって! 胸もおっきいしって!」

「体目当てなんだよ! 男って不潔! サイッテー!」

 次々に言い立てる妹に、シュリーは真っ赤になって突っ伏した。

「あんた達、何てこと聞いてんのよ……」

「だってあいつ、げらげら笑いながら言ってんだもん!」

「嫌でも聞こえちゃうよ!」

「…………母さん、あたしちょっと出てくるわ……」

 シュリーは、ふらふらとよろめきながら家を出て行く。

 その姉の後ろ姿を見上げ、シャレイは首を傾げた。

「姉さん、どこに行くんだろ?」

「ああ、ジェスの所だと思うわよ。教育的指導(・・・・・)にでも行ったんじゃない?」

 シャンリンはそう言うと、ゆらゆらと揺れる娘の背を可笑しそうに笑いながら見つめた。

「さすがに、大事な妹達の耳に変なことを吹き込んどいて、何にもない訳ないもんねぇ……?」

 そして、シャンリンの予想通りにシュリーは、初めて見る穀物に盛り上がる男の集団にいたジェスを引っ張り出し、今までの恨みも込めて、徹底的に『教育的指導』をしたのだった。

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