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旅中記  作者: 琅來
第Ⅲ部 覚醒と決意
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第七章「これから、それから」―1

 ジェールズ=ルウォンメル・フェーヌラブムは、先程からずっと、鬱々とした溜息をいくつも落としている。

 その正妻であるサッセンリィ王国元王女のレティニリアは、最初はそれに耐えていたが、終いには苛立ちのあまりばんと肘掛けを叩いて立ち上がった。

「殿下。好い加減になさいませ。いつまでそうやって落ち込んでいるつもりなのです? リレィヌが処刑されるのは、あの子が愚かだったからに過ぎませぬ。よりにもよって、祖父でもある国主に逆らうなどと……。殿下もエンディも、そんなことくらい分からないのですか?」

 レティニリアは柳眉を顰めて溜息をつくと、父の隣で同じく項垂れていたエンディを見下ろした。

「幸いなことに、馬鹿なことを仕出かしたのは女子のリレィヌです。ですが、男子は貴方のみなのですよ、エンディ。この期に及んで馬鹿な真似は仕出かさないでしょうね。それから、殿下」

 鋭い視線に射抜かれて、ルウォンメルは身動ぎする。

「以前から申し上げていましたが、フェイネなどの所に通うのはおやめなさい。あのような卑しい血筋の娘など、皇族の妻として相応しくありません。この際ですから、巫女を妻とする制度も廃止なさいませ。貴族ならまだ許せるものの、中には農民出の者もいるではないですか。そのような卑しき賤民が皇族を名乗るなど、想像するだけでぞっとしますわ。それから、お早くわたくしに(・・・・・)お子をお授け下さいませ」

 母の突然の発言に、エンディはぎょっとして身を縮める。

 だが、彼女は息子に目もくれず、真っ直ぐにルウォンメルを見詰めた。

「わたくしに男子はエンディだけ。けれど、何とも頼りない子ですわ。全く、このままで皇帝になれるのやら。なのに、あの娘に男の子を授けるなど、愚かな真似を仕出かして。殿下の母君が王女であったように、皇帝の座に即くには高貴な血筋が必要です。なのに、わたくしの子はエンディだけ。エンディに何かあったら何と致します」

「しかし……それこそ、アジェスがいるだろう。それに、あと何年後かは分からないが、皇帝になった後にも子供はできるだろうし……」

「ですから、血筋が大事だと申しているのです! わたくしはサッセンリィ王国の王女ですよ? わたくしの母も父の再従妹に当たる、王家の血を引く公爵令嬢でしたし、血筋も申し分ありません。そのわたくしの子が皇帝になれないなど、そんな馬鹿な話はございませんわ」

 もう三十に手が届く年齢なのに、その美貌は全く衰えていない。

 態度もルウォンメルより堂々としていて、ルウォンメルはたじろいで目を逸らすしかなかった。

「……子供など、これ以上は要らないだろう。これからできないという訳でもないだろうし……」

 同じことを繰り返す夫に、レティニリアは怒りも露わに目を吊り上げた。

「ですから、何度申し上げればご理解頂けるのです? 血筋こそが大事なのです。卑しい娘が皇妃を名乗るのも、その卑しい娘の腹から生まれた子が皇族を名乗るのも、とても堪えられません!」

 レティニリアは叫ぶと、そのまま部屋を後にした。

 しばらく、部屋に沈黙が落ちる。

 そこへ、また別の女性が子供を連れて入ってきた。

「あの、ルウォンメル様……」

 その時、その女性の腕の中にいた子供が、ばたばたと暴れる。

 女性が子供を床に降ろすと、子供はつたない走り方でルウォンメルに駆け寄った。

「ちーえ! だーっ!」

 ルウォンメルは、硬く強張っていた頬を緩めると、立ち上がって子供を抱き上げた。

「元気そうだな、アジェス」

「だー!」

 父に抱えられて嬉しいのか、アジェスはきゃっきゃっと声を上げて笑った。

 ルウォンメルは、女性の方に視線を移すと、すっかり緩んだ顔で微笑んだ。

「道中つつがなかったか? フェイネ。あれと旅をさせるような真似をして、すまなかったな」

「いいえ、ルウォンメル様。久し振りにお会いできて、本当に嬉しゅうございます」

 そう言って軽く膝を折るフェイネに、エンディが近寄った。

「フェイネ様、お久し振りです。アジェスも元気そうですね」

「ええ。生まれたばかりの頃は病気がちで、どうなることかと思ったのですが、近頃はすっかり丈夫になりました」

「ミシュアは? ミシュアも、元気ですか」

 心配そうに妹の名を言うエンディに、フェイネはそっと笑って頭を撫でた。

「大丈夫ですわ。ただ、あまり旅には慣れていないようで、今は眠っておられるようですわ。まだ四歳ですもの、仕方ありません」

「そうなんですか。あの……フェイネ様。母上は、何か失礼なことをしませんでしたか……?」

 フェイネは、動揺したように目を瞠る。

 だが、笑みを作って軽く膝を曲げ、エンディと視線を合わせた。

「エンディ様がお気になさるようなことは何一つございませんわ。ご心配、ありがたく存じます」

 ルウォンメルはアジェスを抱き上げたままエンディに近付くと、そっとアジェスを抱き下ろした。

「エンディ。向こうでアジェスと一緒に遊んでいてくれないか? 私は、少しフェイネと話がある」

「はい、分かりました、父上。ほら、アジェス、あっちに行こう? 父上達は、大事なお話があるんだって」

「にーい! ぐーっ!」

「うん、分かった。ほら、こっちだよ、アジェス」

 エンディがアジェスを連れて部屋を出て行くと、ルウォンメルは近くの椅子にどさりと腰を下ろした。

「ルウォンメル様……」

 フェイネが心配顔で近寄ると、ルウォンメルは腕を伸ばし、フェイネを強く抱き締めた。

「フェイネ、リレィヌが……リレィヌが、処刑される」

「ルウォンメル様……」

 フェイネは逡巡した後、そっと手を伸ばしてルウォンメルの背に手をまわした。

「リレィヌが、何をやったと言うんだ? 確かに、父上の暗殺計画を知っていたんだろう。だけど、それだけじゃないか。異母弟おとうと達も、何もやってない、考えていただけだ! 異母弟達の中には、もう成人した者もいる。彼らは、仕方ないのかも知れない。だがリレィヌはまだ八歳なんだ! そんな子供まで、殺さなくてもっ……!」

 もう、これ以上は声にならなかった。

 慟哭するルウォンメルを抱き締めたまま、フェイネは声を搾り出した。

「レティニリア様に、お願いしてはいかがでしょうか? リレィヌ様は、レティニリア様の実の娘ですし、レティニリア様ご自身がサッセンリィ王国の王女でいらっしゃいますもの」

「……それは、無理だ。サッセンリィ王国では、女に継承権がない。だからあいつは、女児はどうでもいい存在だと考えている。リレィヌの助命嘆願をするどころか、リレィヌが馬鹿な真似を仕出かしたせいで、自分にも累が及びかねないと喚く始末だ」

「そんな……それではリレィヌ様が、あまりにも哀れです……」

 フェイネが小さく嗚咽を漏らす。

「リレィヌ様に、お会いできぬのですか?」

「ああ……できない。シェリエイヌも、カーティスも、トラヴィスも……みんな捕らえられて、会うこともできない。いつ、処刑されるのかも……」

「……お可哀想な、ルウォンメル様。実の娘が殺されようとしているのに、異母兄弟きょうだいも殺されようとしているのに、何もできないなんて……」

「私は、何て無力なんだろう……」

 項垂れて落ち込むルウォンメルの顔を、フェイネは覗き込んだ。

「ですが、ルウォンメル様。どうせ、陛下の御世も長くはございませんわ。もう随分なお年ですもの。もう六十近いのでしょう? 普通の者は、六十年も生きればいい方ですわ。あと十年もしないうちに、ルウォンメル様――貴方様の御世となりますわ。あとしばらくの辛抱です。リレィヌ様が忘れられないというのならば、わたくしが産みます。何人でも、ルウォンメル様の望み通りに」

「ああ、フェイネ……やはり、私の妻はお前だけでいい。レティニリアとは、血筋が邪魔をして離縁できない。だが、お前の後にもう妻は持たない。それは、絶対に約束する。私の本当の妻は、お前一人だけだ。巫女を妻にする制度も、廃止してやる。廃止できなくても、私は絶対に巫女の元には通わない。絶対に、父上のようにはならないっ……!」

 再びフェイネを力強く抱き締め、宣言するルウォンメルには、見えなかった。

 その言葉を聞いたフェイネが、満面の笑みを――してやったり、とばかりに浮かべたのを。

「はい、ルウォンメル様。約束ですよ? わたくしの他には、もう妻を娶らないで下さいませね」

「ああ、約束する。フェイネ、フェイネっ……!」

 己を掻き抱く腕に身を任せ、フェイネは意地の悪い笑みを浮かべた。

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