第二章「秘密」―2
「母さん? 話って何だ?」
家に入った途端のこの息子の台詞に、シャンリンは苦笑した。
「まず、ただいまは?」
「はっ? んなもんどうでもいいじゃんか。しかも、大して長い時間外に出てたっつう訳じゃないんだぜ? んなこと言われてもよ」
ウィオは顔を顰めて言った。
「ま、取り敢えずは座って」
シャンリンはそう言うと、座ったウィオを真剣に見詰めた。
「あのね、ウィオ……あたしとリラは、貴方にずっと話さなかったことがあるの。さっきは、そのことを話してたのよ。それで……」
少し言い淀むシャンリンの姿を見て、ウィオは溜息をついた。
「分かったよ。どうせ話すことだろ? 夜に話そうぜ。今は、いいよ」
「ウィオ……?」
シャンリンは驚き、目を瞠って、ウィオを見詰めた。
今までの記憶の限り、ウィオがこんな気遣いをした記憶はほとんどないからだ。
好奇心の塊のようなウィオは、そんなことを滅多に口にする訳がないのだ。
ただただ、絶句するのみだ。
それとは対照的に、リラは悲鳴を上げた。
「……ウィオ! 何か変なもん食べたっ?!」
「……どうしてそうなるっ!」
ウィオが思わず声を上げたのは、言うまでもない。
「ど……どうしてって! ウィオがそんなこと口にすること自体奇跡なんだって! ちょっとは自覚したらっ?」
「……めっちゃ散々な言われ方じゃねぇか……」
ウィオは思わず、呻いてしまった。
「何? そんなこと言われるのは心外ってこと? ウィオ、自分を振り返ってみたら?」
「いや……その……」
ウィオは思わず、リラから目を逸らしてしまった。
「でも……ほんとに、どうしたっていうの? ウィオ。いつものウィオは、そんなこと言わないもの」
その、リラの真剣な声と目線に、ウィオはまっすぐにリラを見詰めた。
「あんな……さっきの、奴隷……いただろ?」
「うん」
「何? さっきの奴隷って」
シャンリンの疑問に、ウィオが答えた。
「あ、さっき俺が追い出された時、すぐそこの林で、オールクッドっつう帝都からの使者に付いて来た奴隷に会ったんだ。で、そいつは色々……なんつうか、詳しいことを知ってた訳だよ。で、俺はそいつとちょっと話してたんだ」
「何よ。だったら、言ってくれれば良かったのに」
「言えるかよ」
リラが口を尖らせて、まるで子供のようにふざけて言ったのに対し、ウィオの口調にはふざけたところがなかった。
もっと真摯で、切実な口調だった。
「……一体、何の話をしてたの? ウィオ。その様子じゃあ、ちょっと言いにくいようなことみたいだけど……?」
シャンリンのその問い掛けに、ウィオは頷いて言った。
「ああ。俺は……あいつに、リラが巫女だってことを……聞いたんだ」
その言葉によって、ウィオの体は鋭い視線に貫かれた。
「……どういうこと? ウィオ」
「気が付いてたんじゃなかったのか? リラ。《ウェルクリックス》を捕まえて来いと帝都の方から言って来た時点で、お前が巫女だってばれてるって……分かってたよな? 何しろお前は、《ウェルクリックス》のことを知ってたんだから」
ウィオのその断定的な口調に、リラの顔はだんだん蒼褪めて来た。
「ど……して、そこまで……たかが、奴隷が……」
「確かにあいつは奴隷だが……オールクッドに直接仕えてる奴隷……らしい。で、それを誰かに喋りたい症候群に侵されたオールクッドは、あいつにベラベラ喋り捲ったらしいな」
「「…………」」
その答えに、二人は沈黙してしまった。
「で、あいつは……今夜、家に来るってさ」
「……はっ?」
「だからさ、あいつは、家に来るってさ。リラが来た時、まだ俺らは話の途中だった訳。んで、その続きをするから今夜行くみてぇなこと言って、あいつは立ち去ってったんだ」
その言葉に、リラが食って掛かった。
「ちょ……ちょっと待ってよっ! 一体いつ、そんな会話を交わした訳っ? そんな暇、全然なかったじゃないっ!」
その剣幕にタジタジになりながらも、ウィオは弁解した。
「ああ、確かにそんな長ったらしくは言ってねぇよ! だがな、俺とあいつが擦れ違った時、あいつは言ったんだよ!」
「何てよ!」
……既に、この会話は喧嘩腰になっている。
「だから、『今夜必ず』って!」
その言葉に、リラは突然白けた。
「……それだけ?」
「ああっ?」
「だから……たったそれだけで、そこまで分かった訳……?」
「はっ? 今まで会話交わしてて、しかもそれがあんま表にできないような内容で、すぐに別れなきゃなんねぇ時にそんなこと言われたらよ、普通そうとるんじゃねえのか?」
ウィオの言葉に、何故かシャンリンが涙ぐんだ。
「は……? 母さん……?」
ウィオが驚いてそう訊ねると、シャンリンは微笑んで言った。
「ウィオ……貴方、よくそこまで分かったわね……」
「はっ?」
まだ、ウィオには何のことだか分かっていなかった。
「だって、貴方……前だったら、『何が今夜必ずなんだ?』って言うでしょう? それが……こんなに立派になって……」
……ウィオの機嫌がどん底まで落ち込んだのは、言うまでもない。
「……俺はそこまで子供じゃねぇっ!」
「だから、最近までウィオはそういう風だったのよ」
「……年下には言われたくねぇよっ!」
「失礼ねぇ。私はウィオと同い年よ」
「……俺の二歳の誕生日の前日に産まれた奴がそんなこと言うかっ? いくら数え年で同い年だってつっても、実質的にはお前は俺より一歳年下だっつうの! 俺が産まれたほぼ一年後に産まれたくせに!」
「私がウィオより年下だって言うんなら、私とウィオが婚約者だっていうのは可笑しいじゃないっ!」
「まあまあ。どっちでもいいじゃない」
「良くねぇ!」
「良くないわ」
シャンリンがそう言った途端、二人が噛み付き返してきた。
「……そんなに大きな問題でもないと思うけど……」
「問題よ」
「問題だな」
二人はそう言うと、睨み合った。
「……仲が宜しくて結構ですこと」
シャンリンの呟きは、二人の耳には届いていなかった。
もし届いていたのなら、更なる大惨事を引き起こしていたかも知れない。
何故なら、二人は凄まじい――凄まじ過ぎるほどの舌戦を繰り広げていたのだから。
そこに帰って来たウェルの存在に、全く気が付かないほどに。
「……おい、シャンリン。こいつら、一体どうしたんだ?」
「ん~、仲が良くって、良過ぎちゃって、喧嘩しちゃってるのよ」
その言葉で分かるような人物は、ほとんどいない。
だが、ウェルはそれで分かったようだった。
「まあ、仲が良ければいいんだが……そろそろ止めなければ、ずっと続くぞ、あれ」
「ん~、でも、もうそろそろ終わると思うのよねぇ……それに、面白いからもう少し眺めていましょうよ」
そのシャンリンの、のんびりとした言葉に、ウェルは苦笑した。
「……面白いから、まだいいか」
「そうよ、こんなに面白いの、滅多に見られたもんじゃないわ」
その無情な両親のせいで、二人は何と半刻以上も舌戦を繰り広げた挙句、結局勝敗がつかないまま、お腹が空いて喉が痛くなってきたからという何とも間抜けな理由で舌戦をやめざるを得なかったのである……。