第六章「力の制御」―3
「リラさん。少し訊きたいことがあるのですが、宜しいでしょうか?」
「はい、何でしょうか?」
「そうですね……。まず、『夢』を見たことがありますか?」
「夢? 夢なら、時々見ますけど……」
リラは、訝しげに首を捻る。
「ああ、すみませんね。わたくしの言い方が良くありませんでした。わたくしの言う『夢』というのは、『予知夢』のことです。『正夢』と言ってもいいでしょう」
「いえ……それはありません」
リラが言うと、アーリンは重ねて訊ねた。
「では、予感のようなものは? 何か嫌な気がしたら、嫌なことが起こったり……」
「それはあります。でも、詳しいことは分からなくて……」
リラは首を竦め、俯いた。
だが、アーリンは首を振る。
「いいえ、貴女はまだ若いのですから、それだけでも構いません。では、遠視をしたことは? 千里眼とも言いますが」
「やったことはないですけど……」
「では、今やってご覧なさい? 力に余裕はあるのでしょう?」
「はい。それは……。でも、やり方が分からないです」
困惑して言えば、アーリンは可笑しそうに笑って言った。
「それはわたくしが教えます。――では、まず体中の力を抜いて下さい。肩の力を抜いて、くつろいで……ゆっくりと、目を瞑って」
リラは、言われた通りに力を抜く。
先程、風を暴れ狂わせた時のように、心の中から雑念が消え去るのが分かった。
ぽっかりと隙間が空いて、そこに力が流れ込む。
でも、そのままにしたら、最初の時のように暴走してしまうから、その量を抑えて。
「では……そうですね。ウィオさんは、どこにいますか?」
その問いに、リラの頭のどこかが反駁する。
――ウィオは、どこかに人を呼びに行ったのだ、どこにいるかなんて、分かる訳ない、と。
でも、別の部分でも、声がする。
――それでも、ウィオはランクェルのどこかにいる、それを捜せばいいだけの話だ、と。
リラは迷って、後者の訴えを取り、ゆっくりと意識を開放する。
自分の体が、借りている家の中にあるのは理解しているが、それでも、リラの体のどこかが、不意に宙へ放り投げられた気がした。
一瞬どこまでも飛んで行くような気がしたが、制御を取り戻し、空から村を俯瞰する。
まるで鳥になったようで、心が躍った。
そして、ウィオの気配を捜した。
……後で冷静になって考えてみれば、リラは『誰かがいる』という程度には気配を感じることができたが、個人を特定するなど、ましてや気配から人を捜すなど不可能なのだが、何故かその時はそう思わなかった。
そして、何かに引っ張られるような感覚に従い、アーリンの家に引き寄せられる。
中を覗けば、そこにはリィアが寝台に横たわっていて、その横でウィオが幼い少女と話をしていた。
会話も聞こえる。
どうやら、拗ねた少女の機嫌を取っているようだ。
あまりにも可笑しかったので、堪らずに吹き出し、その声で現実に戻った。
ふと目を瞬くと、そこには相も変わらずアーリンが上半身を起こして寝台に横たわっている。
自分の横では、心配そうにメイファとミリーメイがこちらを窺っていた。
「あの……ウィオ、アーリンさんの家にいました。それで、リィアさんが横になってて、その横で、女の子の機嫌を取ってて……」
リラの言葉に、アーリンは微かに目を瞠ると頷いた。
「ええ。わたくしも見てきましたが、当たっています。遠視は、できるようですね。音も聞こえるのですか?」
「はい、聞こえました。はっきりと」
「それは素晴らしいこと。では、そうですね。そこの湯呑みを、手を使わず、風も使わずに持ち上げてみて下さい」
「……はい?」
リラが素っ頓狂な声を上げると、アーリンは悪戯っぽい目で見返した。
「ただ、思うのです。持ち上がれ、と。念じて下さい」
その意外と強い言葉に逆らえず、リラは湯呑みに意識を集中させる。
だが、それはことりとも動かず、ただ疲弊しただけで終わってしまう。
リラは、疲れた目でアーリンを見た。
「……結局、何がしたいんですか?」
「貴女の力を測ったのです。貴女が、何をできるのか。予知夢を見ることはできないようですが、これには本人の生まれ持っての資質が大きく関わります。できなくても仕方ありません。ですが、予感があることで、これは補えます。また、千里眼もできる。修行次第では、何でも望むことを見られるでしょう。それも、光景を『視る』だけでなく音を『聴く』こともできる。これは素晴らしいことです。この力を鍛えることによって、『未来視』や『過去視』ができるようになることもあるので、これは重要な力です。最後に、あの湯呑みですが……」
アーリンは可笑しそうに吹き出すと、じとっと見詰めるリラを宥めるように微笑んだ。
「手を使わない、それに加えて風も使わないで物を動かすのは、『念』です。分かりやすい言い方では、『思いの力』でしょうか。これは、本人の意志の強さが深く関わってきますし、大抵は誰でもできます。違うのは、人によって持ち上げられる重さが違うことくらいでしょうか」
「……でも、ちっとも動かなかったんですけど」
恨みがましい目から泣き出しそうになったリラに、アーリンだけでなくメイファもミリーメイも困ったような表情をした。
「実は……この『念』は、何故か風属性の人は使いこなしにくいのです。勿論、使える者もおります。ですが、半数以上は……」
「……それで、私は使えない少数派の巫女ですか?」
完全にいじけてしまった口調に、メイファは苦笑して宥めた。
「確かにリラさんは念が使えないけど、その分『千里眼』があるじゃないの。あたしは素質がなくて、遠く離れた光景を見るなんて、とてもできやしないわ。あたしにあるのは念と、あとは勘だけよ。お母さんも同じ。ただ、お母さんの方は、時々予知夢を見ることはあるんだけど……」
「でも、そんなの年に一度もあれば多い方よ。普通は二、三年に一度。一番間隔が開いた時は、五年も見なかったわ。でもね、リラさん。そんな私達でも、巫女としては中くらいの力なのよ? たとえ念が使えなくても、貴女は風が使えるし、千里眼も使えるわ。念で物を動かせなくても、風で動かせばいいだけの話よ。その上千里眼まであるんだもの。いい? 千里眼が使えるのは、上級の巫女だけなのよ。普通は使えないの。私は中の中、メイファは中の下くらいの力だけど、貴女は上の下か中くらいの力を持っているわ。だから、ひねてないできっちり修行なさい」
はっきりと言われ、リラは眉根の間に皺を寄せ、考え込んだ。
確かに、修行しなければならないのは分かっている。
だが、いくら千里眼が使えたと言っても、普通の巫女ができることができないのは、どうにも悔しい。
「おい、リラ! お前、村中大変だぞ!」
その時、突然ウィオが駆け込んで来たので、リラは驚いて考えていたことが霧散した。
「え?」
「さっきレイラ――えっと、リィアさんの子供から聞いたんだけど、お前結界破ったんだろ? さっきこっちに戻ってくる時に見えたんだけどよ、村中が大忙しで動き回ってるぞ」
「え、嘘!」
慌てて外に駆け出して見ると、いつもこの時間は鍛錬をしているはずのリューセム達が、何やら馬を連れてあちこちをうろついている。
「ええっと……一体、何やってるの?」
リラの背後から、アーリンが声を投げ掛けた。
「恐らく、薬草を取りに行くのでしょう。術が破れて返しが来たところで、わたくしもリィアも寝込むだけですが、それよりも力の弱い者は、命に関わりかねません。少なくとも数日間は目覚めないでしょう。そうすると、酷く体が衰弱してしまいます。それを防ぐ為に、薬湯だけでも飲ませなければなりません。それには、備蓄している薬草が足りないのでしょうね」
沁々というアーリンに、リラの背筋に冷たい物がよぎる。
「え、で、でも……私のせいで、こんな――だって、今冬で、薬草なんて――」
混乱するリラに、アーリンは笑い掛ける。
「ここがどこだと思っているのです? 神域ですよ。季節も場所も問わず、ありとあらゆる薬草が生えております。ただ、その場所に行くのが面倒なので、普通は冬までに取っておくのですが、致し方ありません。それに、今は馬が沢山いますからね。心配は要りません」
それでも蒼い顔をしているリラに、アーリンは小さな溜息をつくと、慎重に寝台から降り、リラの目の前に立った。
「リラさん。この村の者が掛けた術を破られ、返しを食らうのは、そう珍しいことでもありません。少なくとも、大人の巫女や術者は、一度は経験しております。だから、そこまで気に病む必要などありません。悪いのは、結界を破ってしまった貴女ではなく、敗れてしまうほどの結界しか張れなかったわたくし達です。わたくし達の修行が足りなかったのです。ですから、リラさん。貴女はただ、修行に励むことだけをお考えなさい。ただ、これだけは忘れないでいて下さい。術の返しに遭うと、しばらく身動きが取れません。その間に先手を打たれては一巻の終わりです。ですから、返されるような術は使わないこと。いいですね?」
滔々と畳み掛けられて、リラは渋々頷いた。
それを見て、アーリンはほっと表情を緩ませる。
「では、今日は倒れた巫女の世話をして下さい。申し訳ないと思うのなら、行動でお返しなさい。いいですね?」
「……はい。分かりました」
リラは頷くと、蹌踉とした足取りで家を出る。
まだ落ち込んでいるのは確かだろうが、ああやって行動するということは、少しは持ち直したのだろう。
それを見て取って、アーリンは深く息をつくと、家を出た。
まだ、ここで倒れる訳にはいかない。
――本当は、リラから食らったあの返しは、アーリンに相当の痛手を負わせていた。
だが、気取らせてはいけない。
リラはまだまだ未熟で、ここで萎縮してしまっては、一生術が使えなくなるかも知れない。
まだ前途ある若人に、そんな真似はさせられなかった。
どうせアーリンの寿命は、もう残り少ない。
頑張って生きたところで、あと数年、保つか保たないか。
だったら、その寿命は有意義なことに使いたかった。
何とか家に戻ると、曾孫のリィアはまだ蒼褪めた顔で横になっているし、その隣では、玄孫のレイラが泣きそうになるのを必死で堪えていた。
「お祖母ちゃん! お母さんが……」
震える声で訴えるレイラに、アーリンは微笑んでみせる。
「大丈夫ですよ、レイラ。お母様は、疲れて眠っているだけです。わたくしも疲れたので、少し休むことにします。心配なら、リィアの傍に付いていなさい。大丈夫なら、家のことをなさい。いいですね?」
まだ泣きそうな顔で頷く玄孫の頭を撫でると、アーリンは何とか自室の寝台に潜り込んだ。
途端に、どっと体中から力が抜ける。
今まで気を張り詰めていた分、かなり消耗していたようだ。
そのまま、気絶するように眠りに落ちた。




