第五章「蠕動」―2
「アーリンさん、リィアさん!」
助けを求めるような声に、二人は頷くと、混乱して暴走しているリラを見据える。
途端に、暴風がやんだ。
それと同時に、メイファの張っていた結界も消えてなくなる。
メイファは驚いてアーリンを見上げた。
「あの……アーリンさん、今、一体何をやったんですか?」
「この場一体の力の使用を制限致しました。具体的に言えば、力を無効化する結界を、この家に張ったと言えるでしょうね」
その言葉に、メイファは呆然と目を見開いた。
何故なら、この家は居間と寝室が二つの、三部屋もあるのだ。
しかも、それぞれ寝室には三人分の寝台が置かれているし、更には棚や作り付けの戸棚まである広い物なのだ。
なのに、それを覆えるほどの結界なんて、メイファには到底創れない。
頑張ったところで、一部屋を覆えるか覆えないかだ。
しかし、アーリンはそれを、いとも簡単に、造作もなくやってのけた。
その上、リラの強大な力を抑え込めるほどの結界なんて、メイファには到底創れない。
メイファは、改めてアーリンの力の凄さを実感し、身震いした。
そして、メイファの力は巫女として平均的なものだが、それでは到底リラには太刀打ちできないのだと思い知った。
力を抑え込められたリラは、自分の周りの変化に気が付いたのか、ゆっくりと顔を上げ、押さえていた耳からそっと手を外す。
そして、アーリン達を見上げて、微かに震えた。
アーリンは、無造作にリラに近付くと、その場に膝を付く。
そのまま、リラの顔を見上げた。
「リラさん。……大変なことを仕出かしましたね」
リラはびくりと震えると、小さく俯き、震える声を押し出した。
「ごめん、なさい……」
けれど、アーリンはぴしゃりとその言葉を撥ね退けた。
「わたくしは、そのような謝罪が聞きたいのではありませぬ。……そもそも、何故謝ろうと思うのです?」
「だ、って……わた、私のせいで、こんな……それに、これ、うちじゃないのに……借りてる、だけなのに……」
「それで?」
「え、っと……だから、私が、暴走しちゃって……」
びくびくと震えて怯えながら言うリラに、アーリンは深い溜息をついた。
「では、言います。……貴女が今回の暴走に関して、一方的に悪いとは言えません。元々、力が解放されたての者は、力を暴走させやすいもの。そこに、他者からの刺激が加われば、余計に暴走は容易くなります。……今回の非は、全面的にウィオ殿にあります」
断言されて、ウィオは仰天して目を剥いた。
「はぁっ?! 何で俺っ?!」
「何故ならば、其方は力を暴走させて落ち込んでいるリラさんに対して、その劣等感を煽るような真似を仕出かしたからです。そのせいで、今回の暴走は引き起こされました。……何か、事実の誤認はありますか?」
「…………ない、です」
ウィオは唸ると、吐息をついた。
確かに思い返せば、リラが突風を引き起こしたのは、自分の言葉が切っ掛けになっていたような気がする。
そこに、メイファが首を捻って言った。
「あの、確かにアーリンさんの仰ることは当たってるんですけど……何で知ってるんですか? アーリンさん、今来たばっかりなのに……」
メイファの疑問に、アーリンはにこりともしないで答えた。
「ウィオ殿の心を読ませて頂きました。巫女や術者の心は読みにくいですが、ウィオ殿は徒人ですし、直情径行型の素直な方でもありますから、心を読むのは実に容易いことです」
その容易く心を読まれたウィオは、顔を引き攣らせた。
「ア、アーリンさん……俺って、そんなに単純ですか?」
「はい。さらっと撫でただけで、粗方のことが分かってしまうくらいには」
アーリンのあっさりした返答に、ウィオは頭を抱えた。
けれど、アーリンはそれを無視し、リラに向き直る。
「リラさん。……貴女が謝らなければならないとすれば、それは、自分を責め過ぎて、感情の起伏を激しくしたこと。貴女の属性は風。今後も、感情が暴走すれば暴風が巻き起こるでしょう」
「そんな……!」
小さく悲鳴を上げるリラに、アーリンは微笑んだ。
「ですから、わたくしが力の制御を叩き込みます。力が制御できるようになれば、感情が乱れたとしても、微風程度で済むでしょう」
「……制御できても、やっぱり出るんですか?」
上目遣いにアーリンを見上げるリラに、アーリンは苦笑した。
「ええ、そうですね。どうしても耐えがたいことがあれば、力が体から溢れます。それは、人の属性や得意とすることによって様々ですが、何らかの影響を他者に及ぼす。……情けない話ですが、わたくしも、子が亡くなった折や孫が亡くなった折には、力の制御が大層難しくなりました」
その言葉に、リラは首を傾げて不思議そうに言った。
「そう……なんですか? 私、力が暴走するのは、若い人だけかと思ってたんですけど……」
「いいえ。勿論、力が覚醒したばかりの頃は、暴走しやすくなります。それは、自分の力がどれほどの物であるのか、また、どうすれば暴走せずに制御できるのかを知らないからです。ですが、それを会得するのは、力の少ない者の方が早いと言われております。力が強大であればあるほど、自らの力の大きさを把握しにくく、制御も難しい。そう、例えば――」
アーリンは視線を厨の方に移すと、そこの棚が崩れているのを見て困ったような表情をした。
「全て割れてしまったようですが、あそこにあった湯飲みに入るだけの水が、力の弱い者の持つ力の全量だとお考えなさい。そして、貴女やわたくしの力が、あそこに転がっている大鍋です。……湯飲みを持ち上げるのは、二、三歳くらいの幼子には難しいかもしれませんが、五つくらいになれば、誰でも持ち上げられます。けれど、あの大鍋は、少女ならば八歳くらい――いえ、十歳くらいにならなければ、一人で持ち上げることすら困難でしょう。それに、普通に持ち上げられるようになるのは、精々十二、三歳くらいからでしょうね」
アーリンは呟くように言うと、リラを向き直り、にっこりと微笑んだ。
「力の制御とは、それと同じことです。小さな力の者は、それほど訓練をしなくとも制御が楽ですが、大きい者は、鍋を持ち上げるのに力が要るように、強い精神力を持たねばなりませぬ。そして、その持ち上げる力が揺れれば、鍋の中の水は漏れる――つまり、力が溢れ、暴走する。湯飲みの水がこぼれるのと、鍋の水がこぼれるのと。一体どちらの影響の方が大きいでしょうか?」
突然の問いに、リラは目を白黒させながら答えた。
「えっと……お鍋の、方?」
「ええ。そうです。だから、力の強い術者の方が『暴走した』と白い目で見られますが、力が溢れてしまうのは、弱い術者も同じこと。ただ、それが人目に付くか付かないかという問題に過ぎません。そして、精神制御を覚えれば、暴走などそう起こりはしませんよ。……それは、力の覚醒した巫女の義務の一つです」
その場に立ち上がったアーリンは、リラを見下ろして決然と告げた。
「リラさん。そこで諦めたら、一生貴女の力は暴走します。今のうちに、制御を覚えねばなりません。周囲に被害を与えぬ為にも。……分かりますね?」
「……はい」
ゆっくりと、力強く頷いたリラに、アーリンも頷きを返した。
「さすがに、この雪では無理です。今日は、もう食事を摂って休みなさい。明日も、一日ゆっくりと体を休めなさい。できるだけ、今日のことは思い出さず、気持ちも緩めるのですよ」
その言葉に、リラは途惑ったように言った。
「え、でも……私、大丈夫です。今日は駄目でも、明日には訓練できますっ!」
「……ええ、貴女は大丈夫かも知れませぬ。ですが、わたくしも年寄りです。明日すぐには、とは参りませんでしょう?」
悪戯っぽく微笑まれて、リラは呆気に取られてぽかんと口を開けた。
「それに、色々と準備があります。貴女の力が暴走しても、それを一定の空間に抑え込めるようにするには、わたくしの力程度だと、結界では力不足です。だから、陣を張らねばならぬでしょう。その場所の選定と、使用の許可を神から得、整地し、最後に陣を張る。それは、この村中の術師と巫女を動員したとしても、一日がかりとなるでしょう。……その代わり、明後日は日が明ける前に向かいます。夜明けとともに制御の訓練が始められるように。だから、明後日は早く起きて、日が差し込む前に朝食を終えておいて下さい。……宜しいですね?」
「はい、分かりました!」
リラは力強く頷くと、ふらつきながら立ち上がった。
それを見て、アーリンがからかうように言う。
「まあ、力を使い過ぎたのですか? そんなにふらついて」
「えっと……そうかも知れません」
リラが照れたように笑ったその時、再び扉が空いて、冷たい突風とともに雪が舞い込む。
「きゃっ!」
「うわっ!」
すぐに扉は閉まったものの、どうやらその風はウィオとメイファに直撃したようで、二人とも服や髪に雪が付いている。
扉の方を振り返れば、そこにはミリーメイとリューシュンがいた。
どうやら、雪掻きを終えて来たようだ。




