第四章「暴走と挑戦」―3
「わ、わわ、きゃあっ……!」
リラの周りで、風が刃のような鋭さを持って逆巻く。
その小規模の台風か竜巻のようなものの中心がリラだからか、リラ自身には、風で煽られる程度の影響しかない。
けれど、外にいるアーリン達は違う。
彼女達には、もろにこの風が叩き付けているのだ。
逆巻く風はその勢いのせいで白み、視界が不明瞭だから、彼女達が無事かどうかも分からない。
しかも――
リラは、絶望的な表情で空を見上げた。
先程までは明るく太陽が照っていたというのに、だんだんと薄暗くなってきている。
この雲は、間違いなく雪雲だ。
しかも、空一面を覆うその規模からすると、恐らく大雪になるだろう。
(何で、何でこんなことにっ……!)
焦って逆巻く風を止めようと前に踏み出すと、何故か風が勢いを増した。
「きゃあっ!」
しかもそれは、その風を生み出した(はずの)リラに向かってきたのだ。
「わ、わわ……え、嘘! これ、えっ……!」
その風が、リラの体にどんどんと近付く。
そして、胸先三寸まで近づいた時に、突然ぴたりとやんだ。
「え……?」
思わず動きを止め、恐る恐る風の向こう側を見やる。
すると、動きを止めた風の向こうに、アーリン達の無事な姿が見えた。
(よ、か……ったあ……)
ほっとしたリラの膝が崩れ、思わずその場に座り込む。
そして、アーリン達の方を見た時に、違和感に眉根を寄せた。
「何、これ……」
リラは、眼前に指先を伸ばす。
すると、びしりと音を立てて指が弾き返された。
よくよく目を凝らすと、どうやら風は動きを止めただけであり、それは濃縮された風の壁のようになっているのが見て取れる。
「アーリンさん! これ、どうしたらいいんですか!」
リラは、風の向こう側にも聞こえるように、大声で叫ぶ。
向こう側では、アーリンが遠い目をしているのが見て取れた。
アーリンはこちらに近付いてくると、リラから三丈ほど離れた場所で立ち止まる。
そして、指先を伸ばした。
アーリンの指先が伸ばされると、リラとアーリン達の間に立ち塞がっていた風の壁は、瞬く間に消え失せる。
どうやら、リラが作り出してしまった壁は、それほどまでに分厚かったらしい。
術の残滓までもが消え失せるのを感じて、リラはほっと溜息をついた。
リラは顔を上げ、だんだんと近付いてくるアーリンを見上げる。
途端に――
リラの頭に、容赦のない拳が叩き落された。
「い、ったあ~いっ!」
その攻撃に、リラは頭を抱えてうずくまる。
「アーリンさん……」
「リラさん。一体何ですか、貴女のその制御能力のなさは。もしリィアがわたくし達を護る結界を展開していなければ、今頃わたくし達は吹き飛ばされておりましたよ?」
「ご、ごめんなさい! でも私、ちゃんとアーリンさんに言われた通りにしただけです……」
「ですから、力が解放されたばかりなのですから、くれぐれも弱めで頼みますと、言いましたよね? 貴女の本来の力がどれほどのものなのかは検討が付かないから、感覚としてはそよ風程度でいいと。なのにあれほど盛大な竜巻は何事でしょうか? しかも、術の効力が切れても風は残りましたよ? 制御不能な証です。それに、この術はどちらかと言えば術者よりの力が必要な術です。なのに、ちょっとであれほどまでになるなんて……」
盛大な溜息をつくアーリンに、ミリーメイが声を掛けた。
「まあまあ、アーリンさん。リラさんだって、わざとやった訳じゃないんだし、あんまり怒り過ぎるのも酷じゃないでしょうか? それに、リラさんは自分の力を把握し切れてないんだから、多少の暴走も仕方ないと思いますけど」
「まあ、多少はそうですけれど……それにしても、リラさん。貴女は、どれくらいの強さの風を意識したのですか? わたくしは、そよ風を吹かせるつもりで、あの上空の雲に風を届かせるようにと言ったはずですが」
鋭い目でアーリンに見詰められて、リラは目を逸らした。
「……アーリンさんに言われた通り、そよ風です。それで、雲に風が届くくらいだから、上に上げればいいかと思って……上に」
「そうしたら、竜巻になってしまったと?」
「う……はい」
リラは、否定できずに俯いた。
「本当に……何て出鱈目な強さであること」
「……? アーリンさん?」
上目遣いにアーリンを見上げると、リラの予想に反して、アーリンの顔にはいつもの微笑みがあった。
「ここまで強い強さの巫女に会ったのは、先代様以来です。リラさん、貴女は、恐らくわたくし以上の力を持っているでしょう。……もっとも、制御はできておりませんので、ただの宝の持ち腐れですが」
「アーリンさん……」
冗談のように言うアーリンに、ようやくリラの肩から力が抜けた。
「けれど、やはりここまで離れておいて正解でしたね。ご覧なさい、リラさん。貴女のいる所から半径三丈ほどは草も木も雪もなくなり、土も抉れておりますし、何の被害もない場所には……そうですね、十丈ほど歩かなければなりません」
リラは、思わず首を竦めた。
改めて言われてみると、確かにどれほどの力が猛威を振るったのかが身に沁みて感じる。
「本当に、鍛え甲斐があること。ここまで力が強いのに制御が出鱈目なんて例はありませぬ。腕が鳴ります」
至極真面目な顔で言われたその言葉に、リラは笑ったらいいのか真剣に答えたらいいのか分からなくなった。
「そ、そう、ですか……」
「曾お祖母様!」
その時、やけに切羽詰まったリィアの声がして、リラもアーリンも振り返った。
「どうしたのです、リィア」
「ひ、曾お祖母様、あれを!」
リィアが指差す先にあるのは、空だ。
訝しげに上を見上げて――リラは、凍り付いた。
「そ、そう言えばさっき、暗い雪雲が近付いてるなあ、なんて思ったような……」
リラの見上げた先にあった雪雲は、先程よりも大きく広がっている。
唖然としているうちに、はらはらと雪片が舞い落ちる。
――かと思ったら、ぼたぼたと落ちてきた。
「えっとぉ…………雪の土砂降り?」
メイファが発したのは何とも暢気な言葉であったが、現在の状況を考えると、まさに『土砂降り』としか言いようがない。
たとえ、降っているのが雪であっても、だ。
だが、そう暢気に構えてもいられなかった。
雪の威力が、突如として増したのである。
「え、何これ……! 曾お祖母様、どう致しましょう?」
リィアが困惑の声を上げたが、その姿はどこか雪に霞んでいる。
おまけに、足元が雪に埋もれ掛けている。
本当に、あっと言う間に、雪が盛大に積もっているのだ。
「とにかく……ランクェルに、戻りましょう」
アーリンの言葉が終わるか終らないかのうちに、視界が雪ではないもので白く霞んでいく。
その霞みが晴れた時、五人はもうランクェルに着いていた。
「えっと……今のはどういうこと? 何で、あんな大雪が?」
メイファが問い掛けると、咄嗟にリラは顔を背けた。
……あれの原因が自分であるということは分かり切っているから、余計に気まずい。
「……恐らくですが、リラさんの巻き起こした風によって、近くの雪雲が掻き集められ、濃縮された結果、あのような雪が降ったのかと」
アーリンに呆れたように言われて、リラは頬に血が昇るのを感じた。
「ご、ごめんなさい……私、あんなに……」
「そうですね、ならば、次からはお気を付けなさい。……まあ、雹や霰でなかっただけ、ましだとお思いなさいな」
「はい、分かりました」
リラはそう答えると、ぱんと両頬を叩いた。
そんなリラの様子を微笑ましく眺めていたミリーメイだが、ふと何かを思い付いたようにアーリンに問い掛けた。
「あの、アーリンさん。今の……やっぱり、凄い力が使われていましたよね?」
「ええ、そうですが……それが何か?」
「……もしかしたら、今のリラさんの力、ヒーリアまで――帝都まで、伝わったんじゃないですか? そうだったとしたら、ここに人が来る可能性だってありますよね?」
ミリーメイの言葉に、アーリンは苦笑した。
「ええ。間違いなく、帝都の巫女や術者達は、リラさんの力を感じ取ったでしょうね。精査すれば、このウェブラムの森が力の発信地だということも分かるでしょう」
「では……どうして、そこまで落ち着いているのですか?」
リラは、はっとしてアーリンを見た。
確かに、そうだ。
巫女や術者は、力が使われればそれが分かる。
勿論、『それ』を感じる感覚は普段は閉じているし、普段から開きっ放しにしていては気分も悪くなるから、通常の術程度であれば、何も問題はない。
けれど、例外もあるのだ。
一つ目は、覚醒したばかりの巫女。
覚醒したばかりだと、力をどう扱っていいのか分からず、垂れ流し状態となってしまうのだ。
ただ、力の制御法を学んだ巫女が力を垂れ流していてもあまり気付かれないので、やはり『覚醒したばかり』という条件が、他の巫女や術者に働き掛けているのだろう。
そして、二つ目が、まだ力を制御できていない未熟な巫女や術者が、力を暴走させた時だ。
『暴走』というのは、未熟だから起こる場合と、生命の危機に瀕しているから起こる場合の二通りがある。
そして、後者の場合、周りに助けを求めようとする本能のようなものがあるのだろうか。
否が応でも、暴走した力は他の巫女や術者の体に働き掛ける。
しかも、その範囲は広く、最大で一国の広さにまで及ぶのだ。
だから、間違いなく、リラの力の暴走は帝都の人間の知るところとなるだろう。
「そんな……私のせいで?」
呆然と呟くリラに、アーリンは首を振る。
「いいえ、大丈夫です、リラさん。お忘れですか? ここは神域。ここに立ち入る資格のない者は、ここには入ってこられませぬ。そして、野蛮な行為を行いし者には、神罰が下ります」
「神罰……? え、でも、神様って……いるんですか?」
きょとんと目を瞬くリラに、アーリンは微かな笑みを浮かべる。
「ええ。勿論おります。ただ、それがいわゆる『神話』に描かれている神と同じかどうかは分かりませぬ。そうですね……神、と言うよりは、精霊のような存在でしょうか。我々を守護し、余人の立ち入りを拒み、害をなす者には制裁を加える。そうして、このランクェルは成り立っております。ですから、我々は神々に感謝を捧げ、祈りを忘れることはない。……だからこそ、我らはここで穏やかに暮らすことができているのですし、これから討伐隊や調査隊のようなものが組織されて派遣されても、森が彼らを拒みます。なので、心配は要りませぬ」
きっぱりと言い切ったアーリンに、リラはほっと息をついた。
アーリンがそこまで言うのなら、確かに心配しなくてもいいのだろう。
ふと、リィアが顔を上げる。
「あの、曾お祖母様」
「何ですか、リィア」
「私達が先程いた場所は、ランクェルから見ると、どうやら風上だったようです。雪雲が、こちらに近付いております」
その言葉に、リラは顔を引き攣らせた。
先程の雲が、こちらに来る――ということは、多少威力は弱まっているかもしれないが、たったの三里しか離れていないのだから、ここも大雪になるということだ。
しかも、このランクェルには、まだまだ根雪が残っている。
「おやまあ……リィア、皆に報せなさい。大雪が来るから、皆家に戻るようにと」
「畏まりました、長老様」
リィアはそう言って頭を下げると、すぐに駆け出して行く。
リラは、絶望的にまた空を見上げた。
(ほんと、何てこと……。私、こんなことを引き起こしちゃうなんて……)
リラが内心溜息をついていると、アーリンが声を掛けてきた。
「リラさん」
「……はい、何でしょうか」
「明日から、頑張りましょうね」
にこりと笑って言われ、リラは思わず視線を遠くに飛ばした。
「が、頑張ります……」
その時、背後から急に声が掛かった。
「おい、リラ! どうしたんだ? いきなり雪降るとかって……」
ウィオに不意を突かれたリラは、思いっ切りそっぽを向く。
「ん? リラ? 何だ?」
「別に、何でもないわよ!」
「お~い、待てよ! ったく、一体何だってんだよ……」
ぼやくウィオを尻目に、リラは家の中に駆け込んだのであった。




