第四章「暴走と挑戦」―1
リラは、かなり途惑っていた。
(え、わ、わっ……!)
「ア、アーリンさん!」
リラは泣き声で助けを求めたが、そのアーリンも厳しい顔だ。
補佐としてその場にいたリィアやミリーメイやメイファは、顔を蒼褪めさせている。
かなりの、緊急事態だった。
唯一の救いは、ここがランクェルから離れていて、周囲三里ほどには人里がないと言うことだろう。
「これ、どうすればいいんですかぁっ?!」
リラの泣き声が、虚しく青空に響き渡った。
ことの起こりは、修行中に、アーリンがリラのしていた琥珀の首飾りを見付けたことだった。
リラは、動きの邪魔にならないように、そして琥珀という高価な宝石が目に留まって盗まれないようにと、いつも服の下に仕舞っていたので、特に年老いて視力の弱ったアーリンには見付け辛かったのだ。
「リラさん、それは?」
アーリンに問い掛けられたリラは、瞑想状態から現実に戻ったばかりで頭の回転が鈍くなっていたので、アーリンが何を指して言っているのか分からなかった。
「それ……とは?」
きょとんと眼を瞬いて訊ねたリラに、アーリンが苛立たしげにリラの胸元を指した。
「その、貴女が首に掛けている物です」
アーリンが泰然自若としていない姿など初めて見たので、リラは訝しく思いながら、普段は眠る時も身に付けている首飾りを取って渡した。
その瞬間、妙な虚脱感が全身を襲う。
そして、どこか閉塞感を覚えた。
リラは微かに眉を寄せる。
よくよく考えてみれば、どこか感覚が塞がれたような今の状況は、村にいた頃――ウィオの母のシャンリンから、リラの母のリャイの形見であるこの首飾りを受け取る前と同じだ。
やはり、あの琥珀の中には自分の力が籠められているのだと、改めて実感しながら、リラは首飾りをアーリンに渡した。
アーリンは、どこか厳しい顔でその首飾りを受け取る。
そして、目を眇めてそれを見詰める――と言うよりは、睨んだ。
「あ、あの、アーリンさん……?」
鬼気迫るアーリンの様子に、ようやく頭がはっきりしてきたリラは、慌てて声を掛けた。
「……これは、一体誰が?」
アーリンの言葉に、リラは訝しげに眉を寄せて答える。
「私の母が……。私の力が、帝都の人達にばれないようにって……」
すると、アーリンは深い溜息をついた。
そして、真剣な顔でリラを見詰める。
「リラさん。……貴女の母君は、術者でしたか?」
「あ、はい。帝都に呼ばれるほどの力量はありませんでしたけど、領主のお抱え術者になれるくらいの力は持っていました。……この首飾りも、母が亡くなる前に、私の力を封じた物です」
その返答に、アーリンはしばらく沈黙したのち、再び盛大な溜息をついた。
そして、立ち上がって家の外に出ると、偶々そこにいた村人に命じた。
「オーグ、ラグジャードをここへ。今は、恐らく鍛錬で森の中にいるはずです」
「はい、長老様」
きびきびとしたその返事は、リラも聞いたことのある、このランクェルで最も人気のある好青年だ。
彼は力も強く働き者で実直な青年なので、ランクェルの年頃の少女達によく囲まれている。
それでいて、同性の反感を買わないのは、その生真面目な態度と仕事の早さ故であろう。
……そう、オーグは何故か仕事が早い。
術者でもないのに、まるで時を止めているか遅くしているかに感じるほど、オーグはいつの間にか仕事を終えているのだ。
この時もそうで、あっと言う間に走って行ったかと思えば、しばらくも待たないうちにラグジャードを背負って駆けて来た。
「ああ、ご苦労様、オーグ。元の仕事にお戻りなさい」
「はい、長老様。失礼致します」
オーグは会釈をし、目を白黒とさせているラグジャードを降ろして駆けて行った。
「あの……ラグジャードさん? 大丈夫ですか?」
リラが思わずそう声を掛けてしまうほど、ラグジャードは呆然としている。
リラに声を掛けられて我に返ったのか、ラグジャードははっと目を瞬くと、動揺を隠せないままに頷いた。
「え、ええ……大丈夫、です」
その様子を見たアーリンは、いかにも可笑しそうに笑い声を上げる。
「まあ、ラグジャード。また、オーグは其方を掻っ攫ったのですか? 事情も承諾も何もなしで」
「……長老様! 好い加減、あ奴を伝令に使うのはおやめ下さい! 後進達の指導をしていたのに、それを途中で放り出すことになってしまったではありませぬか!」
「それは、其方の運が悪かったということで諦めなさい。わたくしが先程家の外に出た時、真っ先に目があったのはオーグだったのですから。それに、オーグは多少強引なところがありますが、基本的に仕事が早いので助かります」
その言葉に、ラグジャードは絶望したように天を仰いだ。
「多少どころではなく強引だから、こうやって困ることになるのでしょう……?」
「まあ、それはそれとして、ラグジャード。後進の指導は後日に回しなさい。其方には、別にやってもらいたいことがあります」
「やってもらいたいこと……?」
顔を引き攣らせたまま眉を顰めるラグジャードに、アーリンは深く頷いた。
「ええ、そうです。この術を解きなさい」
そう言ってアーリンが渡したのは、リラの琥珀の首飾りだった。
「これ、は……」
ラグジャードは、目元に険しく皺を刻んでそれを受け取る。
「この術は……一体、誰が?」
「私の母ですが……」
その言葉に、ラグジャードは驚いた顔で振り返る。
「リラ殿の母君が? しかし、女性で術者とは珍しい」
その素直な感嘆に、リラは首を傾げた。
「確かに、あまり数はいないと聞きますけれど……そこまで珍しいのですか?」
「ああ、勿論だとも。このランクェルにだとて、女性の術者はいない。国中でも、十年に一人生まれるか生まれないか……。それでも、大半は力が弱く、精々が村で医者や薬師、占者を兼任して何とかやっていくようなもので、これほどの術を掛けられる女術者は、それこそ百年に一人しかいない」
リラは、ラグジャードの言葉に表情を暗くした。
「リラ殿? いかがなされた?」
「あ……その、私の母は、その術を掛けたせいで、妹を早産で、しかも死産で亡くして……そして、そのまま死んでしまったんです。本当に……母は、命懸けでその術を掛けたんです。だから、母の本当の実力は、もっと下で……帝都からもお呼びが掛からない程度です」
「そうか……そのような事情が。しかし、だとしても、このような強い術で継続状態を貫いているのは、素晴らしい。……よい母君を持ったのだな。そこまでして、娘を庇ったのだから」
「ありがとう、ございます……」
穏やかに微笑まれて、リラは自然と入った肩の力を抜いた。




