第三章「皇帝、弑逆」―2
アーフヴァンドが開け放った扉の前には、いつからいたのか、一部の高位の皇子と皇女がいた。
彼らは、アーフヴァンドが気付くのを待っていたかのように苛立ちを含んだ視線を二人に投げ掛け、そして、至極当然のような顔をしてファイリアの部屋に入り込んで来た。
「そんな……異母兄様、異母姉様……」
呆然とするファイリアに、シェリエイヌが嘲笑する。
「『そんな』? 其方、面白いことを言うの。ファイリア。妾達が、放って置くとでも思うていたか」
「コスタンツァ=シェリエイヌ。口が過ぎるぞ」
「アーフヴァンド異母兄上に指図されることではありませぬ故」
シェリエイヌとアーフヴァンドの間に、冷たい緊張が走る。
「そうか。ならば、アーデルハイトのことも放っておいてもらおうか」
「ほう? 何ゆえ、口出しするなと? 異母姉が異母妹を注意するのに、何かあるとでも? それに、其方も斯様に過保護だとは、思わなんだ。兄が妹に口出しし過ぎても、あまりよいことはないと言うに」
「お前がそれを言うのか? コスタンツァ。お前は、本当はサッセンリィ王国の王弟の二番目の息子と婚約する予定だったが、クラウディオ異母兄上に無理矢理頼み込んで、シュタイナー公爵の孫息子――それも、後継ぎに変えてもらったと聞いたが?」
その言葉に、サッとシェリエイヌの頬に血の色が昇る。
「ユリアン・シュタイナーも大変だな。やたらと血筋に固執する上に他国へ嫁ぐのを嫌がり、その上気位の高い女なんかを嫁に貰うことになって。いくら第十四皇女で皇位継承権第三十八位を持っていても、お前は二十三歳で、ユリアンは十七歳だ。六歳も歳が離れている。それはそれは、いい迷惑だろうな?」
「なっ……!」
「それに、以前ユリアンが夜会に来た時にお前が一目惚れして、それで無理矢理婚約を結ばせた、とも聞いたが?」
「な、何を、根も葉もないことをっ……!」
シェリエイヌが噛み付くと、アーフヴァンドは冷笑した。
「根も葉もないこと? これは、城の中でも相当な噂になっていたが? それに、あの夜会の後のお前の様子が可笑しかったのと、ユリアンに会いに後宮を抜け出していたのも、紛れもない事実だろう?」
「なっ……何ゆえ、そのことをっ? 斯様にしてそれを知ったのだ、異母兄上っ?!」
「そうか。では、私が言ったことは事実だと、そう認めるのだな? コスタンツァ」
自分の失言に、シェリエイヌはハッと息を呑んだ。
「あ……兄上!」
シェリエイヌは、カーティスに助けを求めた。
カーティスは妹思いのようで、すぐにそれに応え、アーフヴァンドとシェリエイヌの間に割って入った。
アーフヴァンドは、それを鼻で笑う。
「おやおや。これはクラウディオ異母兄上。見事な過保護ぶりで。幼い子供ならばいざ知らず、コスタンツァはもう二十三です。立派な大人でしょう?」
「それを言うならばアーフヴァンド、お前こそ、ファイリアに対してはかなり過保護だろう? そのことは何と心得る?」
「ああ。私は別に過保護な訳ではありませんよ。過保護とは、クラウディオ異母兄上のように、何でもかんでもしてあげることです。私は、確かにアーデルハイトの手助けはします。できるだけ、悲しい思いをさせたくありませんから。ですが、私達には親がいなかった。『過保護』だけで、アーデルハイトを育てられたと、本気でそうお思いですか?」
アーフヴァンドのからかうような言葉に、トラヴィスが口を挟んだ。
「アーフヴァンド。親がいない、だと? アラベラ妃は亡くなっていたからな。彼女はしょうがないとしても、父上のことも端から除外するのか?」
アーフヴァンドは、凪いだ目でトラヴィスを見詰める。
その目からは、何の感情も、思惑も読み取れなかった。
だが、トラヴィスはそれを、自分の都合のよいように解釈したようだ。
「そうか、そうか。ならば、我らに協力してくれるな? アーフヴァンド。お前は父上に対して、恨みを持っているだろう? だったら容易いことだ。それに、もし断ったら……」
トラヴィスは、ファイリアに視線を投げる。
「どうなるのか、分かっているだろう?」
その恫喝のような言葉に、ファイリアは自分を人質に取られていると知って、真っ蒼になる。
だが、その言葉に対しても、アーフヴァンドは何の反応も示さなかった。
ただ、静かな視線を投げ掛けている。
それを怪しんだトラヴィスは、不機嫌そうに声を掛けた。
「おい、一体どうしたのだと言うのだ、アーフヴァンド。お前は――」
だが、その言葉が続けられることはなかった。
一体どこに隠し持っていたのか、アーフヴァンドは一見丸腰であったのに、瞬時にトラヴィスとの距離を詰め、その喉元に短剣を突き付けたのだ。
「……無駄なお喋りは、命を削りますよ、パーヴェル=トラヴィス異母兄上。……そうでしょう? 父上、ジェールズ異母兄上」
その言葉に、兄弟達は一斉に背後を振り返る。
そこには、フェーヌラブム帝国の皇帝であるジョーゼット=ヴァングー・フェーヌラブムと、その長男であるジェールズ=ルウォンメル・フェーヌラブム、そして更にその長男であるスージェン=エンディ・フェーヌラブムの姿があった。
その三人が揃っているのは――と言うよりも、父の姿自体、ファイリアにとっては久し振りに見た為、思わず目を瞠った。
「そうだな、第九皇子よ。……それにしても、ひい、ふう、みい……十二人か。世も末だな。ここまでの皇族が、離反するとは。……だが、一息に数を減らせるな、これで。特に、皇子が八人か。それも、その全員が公爵、もしくは公爵位を叙爵予定と来ている。国有領が少なくて、困っていたところだ。都合がいい」
酷薄な笑みを浮かべるジョーゼットに、兄弟達は顔色を失う。
だが、何とか勇気を振り絞ったシェリエイヌが、掠れた声で訴えた。
「何ゆえ……何ゆえ、アーフヴァンド異母兄上とファイリアは含みませぬのか。ここはファイリアの部屋にありますぞ。それなのに、含まぬというのは、得心がゆきませぬ」
「何、簡単なことだ。余を呼びに来たのは第一皇子とその長男だが、その長男に余を呼べと命じたのは、他ならぬ第九皇子だ。そうであろう?」
その言葉に、兄弟達は皆絶句して、アーフヴァンドを振り返る。
ファイリアまでもが、目を丸くして言った。
「兄様、いつの間に?」
「ああ……。お前の部屋に来る前だよ。異母兄上達に呼ばれたから、何となく予感はしていたんだ。だから、スージェンを呼び止めて頼んだだけだ」
アーフヴァンドがそう言っているうちに、近衛兵達が部屋に乗り込み、皇子皇女達を捕らえていった。
皇族の誇りからか彼らは抵抗をするが、特に選りすぐった者を連れて来たのか、皇族達の軟弱な抵抗をものともせず、彼らは淡々と仕事をこなす。
やがて、彼らの罵倒と足音は遠くなった。
部屋に残ったのは、アーフヴァンドとファイリア、ジョーゼットとルウォンメルとエンディだ。
「それにしても、よく近衛兵まで連れて来ましたね、父上。異母兄上」
アーフヴァンドが呆れたように言うと、ジョーゼットはあっさりと言った。
「ふん。余を暗殺しようと其方らの兄弟が画策しておることは、余の耳にも入ってきておるわ。全く、隠し事の苦手な奴らだ。仮にも皇帝を暗殺しようなどと企むなら、ことは極秘裏に運ぶものだ」
「ええ。そうでしょうね。皇帝の暗殺なんて、考えるだけで死罪だ。それを考えると、異母兄上や異母姉上達は、慎重ではなかったということでしょう」
アーフヴァンドの言葉に、ジョーゼットは重々しく笑った。
「この城からは離れて育ったくせに、そちはずる賢く育ったものだ」
「逆でしょう? ここを離れて保護者がいなくなったから、狡猾にならなければ生きていけなかったのですよ」
「そうか。……ならば、何故そちは、このことを余に報せたのだ? 黙認しても良かろうに」
ジョーゼットが可笑しそうに問うと、アーフヴァンドも口の端に微笑を浮かべた。
「ええ。ですがこのままでは、愚鈍な異母兄弟達に否が応でも巻き込まれてしまいましたから。一種の保身でしょうか? それに、父上が今亡くなるのは困りますから。まだ、時期ではありませんからね」
その言葉に、ルウォンメルとエンディは怯んだ顔をして、ジョーゼットは鋭く眼光を尖らせる。
「時期ではない、とは……何の時期だ?」
「勿論、父上が譲位なさる時期ですよ」
アーフヴァンドは、ジョーゼットの眼光にも怯むことなく、淀みなく答えた。
「私には、父上を除害しても得られる益がありません。あの異母兄達が父上を暗殺した後は、きっと次代の帝位を狙って血みどろの血戦が始まるでしょう。ジェールズ異母兄上は、父上の暗殺には加わっていなかったようですし、そうであるのならば、異母兄上達がジェールズ異母兄上を大人しく帝位に即けるとは思えません。そうなれば、私もファイリアも、巻き込まれることは必至でしょう」
アーフヴァンドはそう言うと、くすりと小さく笑い声を洩らした。
「それを避ける為には、父上には安泰のうちに譲位頂くか、国内の情勢が安定した頃に崩御なさって、ジェールズ異母兄上が帝位に即かれるのが最もよい道筋です。ですから、そう致しましただけです」
さらりと答えたアーフヴァンドに、ジョーゼットは探るような目をする。
だが、やがて諦めたのか、目を逸らした。
「……二心がないのであれば、それでよい。これからも、帝国の為に励め」
「心得ております、皇帝陛下」
アーフヴァンドは、ジョーゼットに向かって慇懃な礼をする。
ジョーゼットは鼻を鳴らすと、背を向けて部屋を出て行った。
途端に、ほっとルウォンメルが息をつく。
「アーフヴァンド……。あまり、驚かせるな。こちらの心臓が保たない」
「そうですか? ジェールズ異母兄上。私はそこまで、異母兄上を驚かせたつもりはないのですけれど」
アーフヴァンドが言うと、ルウォンメルは溜息をついて首を振った。
白々しいとでも、思ったのだろう。
「それでは、異母兄上、スージェン。参りましょうか」
その言葉に、怪訝そうにルウォンメルは眉を顰める。
「参るとは……どこに行くというのだ? アーフヴァンド」
問われたアーフヴァンドは目を瞠り、次いで、くすくすと笑った。
「……アーフヴァンド?」
ルウォンメルが訊ねるのにも、答えない。
ひっそりと、アーフヴァンドの隣に控えていたファイリアも、どこか困ったような表情を浮かべていた。
「ファイリア……? アーフヴァンド? お前達、一体……」
「異母兄上」
アーフヴァンドの静かな声に、思わずルウォンメルは口をつぐむ。
「何故、異母兄上達は、ここに残られたのですか? スージェンもジェシーもまだ子供。母親である義姉上も、さぞご心配でいらっしゃるでしょう。異母兄上とて、領地に置いて来られた、まだ幼いエヴァとラウレスのことが心配ではないのですか?」
「そ、それは――」
アーフヴァンドは、ルウォンメルの言葉を待たずに告げた。
「ジェシーがこの城に留まりたいと言ったから、異母兄上達もこちらに留まったのでしょう? たかが侯爵の私と比べ、公爵である異母兄上の治める領地や領民は、数多い。侯爵である私が領地に戻った時には、留守にしていた分の仕事が多く溜まっていました。そして他の異母兄弟達も、成人している者のほとんどが領地に戻っている。まあ、私のように、またこちらに来た者もおりますが――それでも、一度も領地に戻っていないのは、今捕らえられた者達と、ジェールズ異母兄上のみ」
その言葉に目を瞠るルウォンメルとエンディに、アーフヴァンドは踵を返した。
そして、歩きながら告げる。
「まだ、一人残っているのですよ。……皇帝弑逆に関わった、謀反人が」
ぎくりと、エンディが肩を揺らす。
アーフヴァンドは、鼻から吐息を洩らした。
……やはり、予想は当たっていたようだ。
大して、面白くもない予想だが。




