第三章「皇帝、弑逆」―1
「兄様……ロルフ兄様!」
年が明けたと同時に謹慎が解かれたアーフヴァンドは、領地の確認の為にファイリアを置いて城を出ていた。
そして、およそ一月が経って落ち着いたところで、アーフヴァンドは異母兄達からの要請で、再び城に戻ってきたのだ。
一ヶ月ぶりに目にする妹は元気そうで、全力で駆けてきてしがみ付いたファイリアを、アーフヴァンドはしっかりと抱き締めた。
「ああ……ただいま、ハイディ。元気だったか?」
「うん! 兄様も、元気だった? 領地の人達も?」
「ああ、みんな元気だったよ。ほら、中に入ろう? ハイディ。城内とはいえ、廊下は寒い。どうして上着を着ていないんだ?」
アーフヴァンドがじっとファイリアを見詰めると、ファイリアは目を逸らした。
「だ、だって……兄様が帰るの、明日って聞いてたのよ。なのに、今日帰ってくるし……いきなり報せが来て、とってもびっくりしたんだから」
唇を尖らせるファイリアを促しながら、アーフヴァンドは苦笑した。
「はいはい。思ったよりも、早く進めたんだよ。だけど、ハイディ。いくら焦っていても、上着を着なきゃ寒いに決まっているだろう? 風邪でも引いたらどうするんだ」
「う~……ごめんなさい……」
ファイリアは項垂れ、アーフヴァンドに促されるままに、足早に室内に戻った。
「ところで……ハイディ。三日前に、異母兄上達から戻って来いという命令を頂いたんだが……」
その言葉に、ファイリアが俯いた。
アーフヴァンドはその様子に眉根を寄せ、部屋で控えていた侍女に目線をやる。
彼女らは、その視線を受けて途惑ったような表情を見せたが、渋々と頭を下げ、部屋を出て行った。
彼女らが完全にいなくなり、気配も感じられなくなってから、アーフヴァンドはファイリアをソファーに座らせると、その隣に座った。
「ハイディ……アーデルハイト。一体、何があったんだ?」
ファイリアは、アーフヴァンドを見上げると、すぐにまた俯いた。
「……ハイディ? ……アーデルハイト=ファイリア。何があったのか、このルドルフ=アーフヴァンドに話せ」
アーフヴァンドが、いつになく厳しい口調で言うと、ファイリアが益々俯いた。
「…………が」
「何?」
「……が、……って」
小さな声でぼそぼそと呟くファイリアに、アーフヴァンドは苛立ち交じりの溜息をつく。
「ハイディ。はっきり話せ」
「……異母兄様、達が……」
「異母兄上達が?」
「……来、月……お、お父様を、暗殺する……って、言ってて……。わ、私……」
ファイリアは、ぽろぽろと涙をこぼす。
「と、めようとしたけど、止められ、なくってっ……! そ、それで、ロルフ兄様を、呼べって……異母兄様達に、お、おど、されっ……!」
アーフヴァンドは耐え切れずに、きつくファイリアを抱き締めた。
「分かった……分かったよハイディ。だから、もういい。もう、言わなくていい……」
けれど、ファイリアはそれが聞こえないかのように、言葉を続けた。
「わ、わた、し、呼んじゃ、駄目って、分かって、たの、に……! なのに、ロルフ兄様を、呼んで……! だ、だって、お、お父様、なのよ? い、いくら、私、会って五年、経ってな、けっ……! で、でも、父親、なの、にっ……!」
「ハイディ」
「なのに、私、止められなかったの! そ、それに、兄様をこんなことに、巻き込む、なんてっ……! わ、私、妹なの、に……ック、ヒック……」
「ああ……分かってる。分かってるよ、ハイディ。……どうせもう、限界なんだよ」
涙に濡れた顔でファイリアが顔を上げると、アーフヴァンドが苦笑していた。
「げん、か、って……」
「ああ。……うん。父上の政権は、もう終わりなんだ、ハイディ。どうせが、力技で造られた国なんだから」
「ちから……わざ?」
「ああ。……ほら、父上に帝位が移った時、大きな戦いがあったって、知ってるだろう?」
「うん……知ってる」
「あの時、国内の有力貴族という強固な後ろ盾のあった第二皇子の父上が帝位に即くか、後ろ盾は弱くとも皇家の血を最も色濃く引いた第一皇子の伯父上が帝位に即くかで、国が真っ二つに割れたんだ。文字通り、ね」
アーフヴァンドは息をつくと、天井を仰いだ。
「先帝――つまり、俺達の祖父が急死してから始まった戦いは、七年に及んだ。そして、その戦いが終わった頃には、伯父上の味方をした貴族はほぼ全滅、父上の味方をした貴族も多くが亡くなり、民も大勢死んだ。それで、父上が帝位に即いたのは、確か二十四歳の時だったかな。そうして、第一皇子であるジェールズ異母兄上の母君であるディアーナ様が嫁いで来られて、他にも貴族達が――特に負けた貴族達が、自らへの害を恐れて、次々に娘や姉妹を後宮に入れた。……俺達の母親が後宮入りした理由も、巫女であること以上に、その意味が強い。だから、俺達異母兄弟は、こんなに多くいる」
アーフヴァンドは吐き捨てるように言うと、苦々しげな笑みを浮かべた。
「そして、その数多くの皇子達に領地を与えることが叶っているのも、大戦の折に大勢の貴族から没収した広大な土地が、ろくな整備もされずに国有領となっているからだ。余しておくくらいなら、後々面倒なことになるのは承知の上で、皇子達に地位と土地を分け与えて整備、開墾させようと」
「に……さま?」
不審げに見上げて来るファイリアに、アーフヴァンドは笑って頭を撫でた。
「ちょっと、話が逸れたな。……つまり、父上の政は、今までずっと力押しだったんだ。貴族から女を取り上げて後宮に囲い、父上の案に反対する貴族を捕らえて処刑し、領地を取り上げ、恐怖政治を行って来た。農民達を効率良く働かせようと、特産物に階級付けをして、それによって税の程度が異なると言う方式を編み出したのは素晴らしいと思うが、それによって生じた軋轢や反対を押し籠めた方法だって、力技――処刑とか、処罰とかだ」
淡々と語るアーフヴァンドに恐怖を感じたのか、ファイリアの体が細かく震える。
アーフヴァンドは妹の背中を撫でて落ち着かせると、言葉を続けた。
「だから、所詮は限界が来るんだ。今までは何とかなったけど、父上はもう老齢だ。いつ亡くなっても可笑しくはないし、歳を取ったお蔭で益々頑迷になった。おまけに……俺達が、邪魔になったんだろうな。何かと理由を付けては、俺達に与えた領地のことについて口出ししてくるし、隙を見せれば国有領として分割される。公爵令嬢の母親を持つクラウディオ異母兄上だって、政務の失策を理由にして、領地の一部を割譲された。……異母兄上が暗殺を決意した理由にも、それはあるだろうな」
その言葉に、ファイリアは震えた。
「そんな……何で、そんなっ……!」
「多過ぎるからな」
怯えるファイリアに対して、アーフヴァンドは簡潔過ぎる言葉を吐くと、目を瞑った。
「皇女達は、別にいいんだ。貴族や、他国の王族や……嫁ぎ先など山ほどある。だが、皇子が他国へ婿に行くなんて、という考えがこの国では主流だ。かなり高位の、それも自分と繋がりのある貴族の家なら、まだ婿養子に行くのは許されるだろう。けれど、そんな都合のいい家なんて、そうそうない。だから皇子達は、それぞれ爵位と領地を貰っている。けれど、その皇子は何人いる? 二十四人だ。今はまだいい。二十四人全員に、領地を与えることができるだろう。だが、その次の代は? 皇帝の孫に当たる男児は、今の時点でもう十人近い。長男ならば父の領地を受け継げるが、弟達は? それに、ジェールズ異母兄上が帝位に即いた後、更に子供が産まれないとも限らない」
アーフヴァンドは立ち上がると、扉を開け放った。
「良くも悪くも、ではなく、悪いことに、我々は多過ぎる。――そういうことでしょう? 異母兄上方」




