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旅中記  作者: 琅來
第Ⅲ部 覚醒と決意
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第二章「覚醒と覚悟」―1

 リラは、深々と降る雪の中に佇んでいた。

 彼女達がランクェルに来て、もう一ヶ月以上が経っていた。

 つまり、もう年が明けてしまったのだ。

 もうリラは、十六歳になってしまった。

 満年齢で言えば、まだ十四歳になったばかりなのだが……それでも、十六になったという意味は――成人したという意味は、消せない。

 もし、こんな旅に出ることになっていなかったら、今頃は成人の儀式を受けて、ウィオと結婚していたはずだ。

 勿論、村の皆が十六で結婚する訳ではない。

 むしろ、十六では成人するだけで、結婚するのは二十歳前後になることが多いのだ。

 けれど、メイラン村の特殊な事情が、リラ達に『普通』を許してくれない。

 次代のむらおさふくおさを遺すという役目が、重く課せられているのだ。

 けれど。

 リラは、深い溜息をついた。

 確かにそれは、自分達に課せられた義務。

 だが、今は違う。

 自分は、早く巫女としての力を使えるようにならなければならないのだ。

 瞑想をして、精神統一をすることができるようになれば、生まれ持った才能にも依るが、大抵の術は使えるようになる。

 そうすれば、《ウェルクリックス》を捕らえることも容易だ。

 けれど、皇帝との期限は今年の秋まで。

 まだ半年以上はあるが、ここから帝都に行くまでは何ヶ月も掛かる。

 それを考えると、あまり猶予はなかった。

 ――この雪の中に入って、一体どれだけの時間が経っただろうか。

 体に、少しずつ雪が積もってきた。

 息が、白く曇る。

 けれどリラは、それに気付くこともなく、ただぼんやりと雪を眺めていた。

 今頃皆は、宴で盛り上がっているのだろう。

 年明けの宴で。

 もう年が明けて二日目になるが、そんなことは、彼らにとってはどうでもいいことなのだろう。

 このような閉鎖的な所では、面白いことが少ない。

 それに年が明けてすぐは、祈りやら何やらで騒ぐ機会が少なかったのだ。

 長老が百三歳だから、そこまで騒がしくはないだろうが、それでも随分と賑やかに、楽しそうに年明けを祝っていることだろう。

 ぼんやりとした瞳で、リラは虚空を見据えた。

 そこには、何もない。

 けれど、何もないからこそ、そこを見詰めるだけの価値はある。

 その時、そっと、肩に何かが掛かる感触がした。

 そして、肩や頭に薄っすらと積もった雪を、軽く払われる。

 ぼんやりとした瞳で見上げると、凄い仏頂面のウィオが睨み下ろしてきた。

「あれ……? どうしたの、ウィオ?」

「『あれ?』、じゃねぇだろ、こんの阿呆が! こんな大雪の中で上着も羽織んないで外に突っ立ってるなんて、お前馬鹿か? 馬鹿だよなっ? お前頭いいはずなのに、何でこんな阿呆なことやらかすんだよ! 風邪引くに決まってんだろっ?! いくらうちの村じゃあんまし雪が降らないし積もってもすぐ融けちまうっても、こんな雪ん中にいたら体冷えるってことぐらい知ってんだろうがっ!!」

「ああ……風邪? 大丈夫よ。引く訳ないじゃない」

『阿呆』と『馬鹿』を連呼されてもそれに対して反応せず、おまけにどこか空ろなリラの声に、ウィオは焦った顔をする。

「はっ? ちょ、リラ! お前、それ明らかに大丈夫じゃねぇから!」

 ウィオは背後に回ると、掛けていただけの上着をリラにきっちり着せ、きつく抱き寄せた。

 布越しに、ウィオの体温がリラの体に伝わる。

 触れる体はとても熱くて、リラは首を傾げた。

「あれ? どうしたの、ウィオ? 体、結構熱いよ……?」

 その言葉に、ウィオはリラの耳元で大袈裟なくらいに深い溜息をつく。

「ウィオ……?」

「ったく……お前を捜して、走り回ってたからだろうが」

「え……?」

 リラは驚いて振り返ろうとするが、更に強く抱き締められて、身動きできない。

「こっちの身にもなれよ。ついさっきまでそこにいた奴が、外套だけ置いて忽然と消えやがったんだぜ。驚いたに決まってんだろ」

 そっと自分の体に回っている手に触れると、それは驚くほど冷たかった。

「ほんと、冷たい……」

「まあ、ずっと外にいたからな……。んで、何で俺よりもずっと外にいたはずのお前の手は、そんなにあったけぇんだよ。まさか、もう熱が出てるとか言わねぇよなっ?」

 妙に慌てるウィオに、リラはくすりと笑った。

「まさか……半刻程度で、熱が出る訳ないじゃない」

「ってことは、お前は半刻も、何も羽織んねぇで外にいたって訳だな?」

 不意に低くなった声に、リラは思わず顔を引き攣らせた。

「い、いや……その、べ、別に、ね、その、ウィオ……?」

「帰るぞ、おら」

 ウィオは無理矢理リラの手を引っ張って歩き出した。

「もう、ウィオ……もうちょっと、遅く歩いてよ……」

 小走りに歩かなければ追い付けないリラが不満げに言うと、ウィオは軽く舌打ちを洩らし、けれど速度を緩めてくれた。

 リラは歩きながら、今更ながら襲ってきた寒気にぶるりと体を震わせる。

「寒い……」

「当たり前だろ。今真冬だぞ?」

「だって、さっきまではこんなに寒くなかったもん」

 リラが唇を尖らせると、ウィオは驚いたことにそれに異を唱えず、首を傾げた。

「そう言えば、さっきお前がいたとこ、何となく他のとこよりあったかかったような気がするな。さすがに雪がないって訳じゃなかったけど、他よりも少なかった気がするし……何でだ?」

「さあ……? ここ、神域の中だし……何か、不思議なことが起こっても普通なんじゃない?」

「……そういうもんか?」

「そういうものじゃない?」

 リラはあっけらかんと言うと、期待するように呟いた。

「私達の周りだけでいいから、あったかくなればいいのにな……」

「いや、それ無理だろ」

 ウィオはばっさりとそれを切り捨てた。

「分かってるわよ。ただ、そうなったらいいなっていう願望」

 リラはそう言うと、曇天を見上げた。

「でも……本当に、ここだけでいいから、暖かくなればいいなぁ」

 リラがそう言った途端、

「え……?」

「おい、嘘だろ……?」

 二人の周りにだけ、降る雪がやんだ。

 だいたい三尺四方の範囲にだけ、雪が全く降っていないのだ。

「何、これ……」

 おまけに、暖かな微風が二人の周りを取り囲んだ。

 そのお蔭で、寒さは感じなくなったのだが。

「……なあ、リラ」

「……なあに、ウィオ」

「何でもありって……これもありか?」

「どうなんだろう……」

 二人は唖然として、思わず呆然と立ち尽くした。

 いつまでそうしていたのだろうか。

 気が付くと、百三歳の老体とは思えないほどの勢いでアーリンが駆けて来ていて、その後ろをリィアが必死に追い掛けていた。

 二人の向かう先は……恐らく、自分達の所だろう。

 やがて、アーリンは暖かい空気の流れている一歩手前で止まった。

 そして、何故かリラに微笑んでみせる。

「おめでとう、リラさん」

「え……? 何が、ですか?」

 驚いて目を瞬くリラに、アーリンとリィアは目を瞠った。

「おやおや……全くの、無自覚だったということですか……まあ、それはそれで、仕方のないことですが……」

 アーリンはそう言うと、少し呆れたように首を振った。

 その意味が分からずに首を傾げるリラに、リィアが笑いを噛み殺しながら言った。

「そうですね……今、貴女達の周りは暖かいでしょう?」

「は、はい……」

「じゃあ、そうね……目を閉じて、それを一丈の広さに広げる感覚を持って」

「一丈に、広げる……」

 ぼんやりとリラが繰り返すと、リィアは力強く頷いた。

「そう。一丈に、広げる」

 リラが素直に瞳を閉じると、途端に、今までウィオとリラを取り囲んでいた暖かな微風がアーリンやリィアをも取り囲む。

「これ、って……」

 それまで、自我を喪っていたかのように忘我の境地にいたリラは、辺りで起こった事象に驚いて目を瞠る。

「これって……やっぱ、お前が……?」

 ウィオが珍しく目を瞠って、リラを見下ろした。

「え……でも、だって私、まだ瞑想もろくにできてないのに……」

 呆然とするリラに、アーリンが厳かに告げた。

「ええ。ですが、たった今、できるようになったのでしょう。巫女としての力を意識して使うその始まりは、大抵このようなものです。無意識に使って、それで力を使えることに気付く。まあ、他人に指摘されるまで気付かないということは、あまりないことですが……」

 密やかに笑い声を立てられて、リラは思わず真っ赤になって俯いた。

「そ、そう、ですか……」

 だが、ふと思い付くとパッと顔を上げた。

「あ、じゃあ私、これで先に進めるってことですよね!」

 目が輝いているリラに、アーリンとリィアは視線を交わし、苦笑しながら頷いた。

「……ほんっと、良かったぁ……」

 思わずその場にへたり込んでしまったリラに、アーリンは微笑んだ。

「それでは、今日は無理ですから、明日から指導を始めましょう。本当ならば、基礎から少しずつ教えていきたいところですか、時間がありませんからね。余分なところは省いて、突貫で仕上げますよ? 《ウェルクリックス》を捕まえられるくらいに」

「はい! 宜しくお願いします!」

 リラが頬を紅潮させて言うと、リィアが笑いながら言った。

「頑張ってね? 曾お祖母様のご指導は、結構厳しいから。それと、あまり根を詰めすぎないこと。ね?」

「はい。リィアさん」

 リラが少し照れたように首を竦めると、ウィオがからりと笑って言った。

「じゃあ、もう戻ろうぜ? いくらちょっとあったかくても、こんままじゃ風邪引くかもしれねぇだろ?」

 ウィオに促されて、リラは一緒に歩いて行こうとする。

 だが、ウィオをアーリンが引き止めた。

「ウィオ殿。少し、お話があるのですが、宜しいでしょうか」

「え、っと……俺? リラじゃなくってか?」

「はい。リィア、リラさん。貴女方は、先に戻っておりなさい?」

「はい、曾お祖母様」

「分かりました」

 二人が立ち去ると、アーリンはその歳には似合わない鋭い眼光でウィオを見詰めてきた。

「え、っと……何、だ?」

 そのあまりに鋭い眼光に、ウィオは思わず一歩後退りする。

 だが、アーリンはそれを詰め、本当に間近まで寄ってきて、ウィオを見上げた。

「何、でしょうか……」

 普段、というよりも、ほぼ絶対に敬語を使わないウィオなのだが、勿論敬語を全く知らないという訳ではなく、アーリンの迫力に圧され、思わず敬語が出てしまった。

 アーリンは老婆とは思えぬ強い眼光でウィオを見据えると、静かに告げた。

「貴方は、リラさんの婚約者。つまり、巫女の夫となる者。……巫女として生きる道は、大変険しく、また辛いものなのです、ウィオ殿。……わたくしとても、ここに来る前も、来てからも、苦労をしました。そして、そういう時に助けになって下さったのは背の君です。つまり、リラさんの立場でなら、貴方なのです。ウィオ殿」

 アーリンはそう言うと、リラ達が立ち去って行った方向を見詰めた。

「特に、彼女の今後の道程は、大変険しくなることでしょう。……そういう時は、未来の背の君である貴方が支えてやらなければなりません。……わたくしの言っていることの意味、分かりますね?」

 アーリンはそう言うと、ウィオの腰辺りを見詰めた。

 今日は宴だったからしていないが、このランクェルに入ってから、ウィオはほぼずっと、そこにリューセム達から借りた剣を下げていた。

 そして、暇を作り出しては自主稽古に励んでいたのだ。

 それを見透かすような視線に、思わずウィオはたじろぐ。

「……ウィオ殿。貴方は連日、リューセム達と剣稽古を交わしているでしょう。……ですが、それだけではリラさんを護れません」

 その言葉に、ウィオは思わず動揺して肩を揺らした。

 だが、アーリンはその様に気付いていないように言葉を綴る。

「本当に、身も心も護りたいと、そう願うのであれば。腕の強さを――武を極めるだけでは、足りませんよ」

 忠告のような言葉を告げると、アーリンはウィオを促して歩き出した。

 そして、宴が開かれている場所に近付いた途端、アーリンは歩みを止めた。

「……アーリンさん?」

 ウィオの訝しげな視線に、アーリンは苦笑する。

「今のリラさんは、大変不安定な状態です。いくら瞑想ができるようになったとはいえ、焦りは消える訳でもありません。そのリラさんを支えるのは、ウィオ殿、貴方の役目ですよ。もしその役目を他人に譲り渡すのであれば、貴方はリラさんの婚約者として相応しくありません。しかと、覚悟なさい」

 そう言い置くと、アーリンは静かに宴の場に戻って行く。

 ウィオは、薄っすらと肩に積もった雪を払いながら、苦笑いした。

「参ったな……。ったく、俺みたいな奴に発破を掛けるなんて……アーリンさんの世界って、一体どんな世界なんだよ……。巫女って、意外と侮れねぇのかなぁ……」

 ウィオはそう呟くと、アーリンの後を追って宴の席に混ざり込んだ。

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