第一章「帝都からの使者」―3
「何でだ……何でだ!」
オールクッドの足音が聞こえなくなった途端、ウィオは叫んだ。
「ちょっと、ウィオ」
「どうしてだよ! お前が副長の位にいるのは、代々続いて来た直系で、女はお前しかいないからだろうがっ! それなのに……何でだよ、どうしてだよ!」
ウィオの叫びは、そのままリラの胸に届いた。
だが、リラはそれを押し隠してウィオに告げた。
「確かに、そうだわ。私には、叔母さんや大叔母さんや、妹なんていない。いるのは、伯父さんや大叔父さん、弟だけ。私以外副長を務められる人はいないわ」
「だったら……!」
「聞いて、ウィオ」
リラの言葉で、ウィオのカッとした頭は、少し冷静になった。
「……何だよ」
「あのね……あくまでも臨時措置で、副長が大怪我とか大病をしたとか、とにかく何かの理由で一時的に副長の仕事ができなくなった時、そして直系女子が一人もいなかった時は、傍系でも臨時的に副長の位を務めることはできるわ。私には、十歳年上の……今、二十四歳の従姉がいる。彼女の父親は、母さんの兄だった人なの。彼女は副長になることはできないけど、臨時的な副長にならなることができるの! 私の母方の従姉妹は彼女と、あと私よりも小さい子しかいない。だから、彼女に代理を頼んで、それを受けてくれれば、この村に副長がいないなんてことにはならないわ! 勿論、その為には私が生きて帰って来なきゃいけないんだけど……」
「当たり前だろっ? 死んで堪るかよっ!」
ウィオの言葉に、リラは俯いた。
「そうだと、いいんだけど……」
その言葉に、ウィオは眉を顰めた。
「何だよ、その、『そうだといい』って……」
だが、リラは答えなかった。
ただただ俯いて、自分の握り締めた拳を見詰めていた。
「リラ……おい、リラ?」
ウィオが、少し可笑しいと思ってリラの顔を覗き込んだ時、シャンリンが入って来た。
「あら……どうしたの? ウィオ、リラ」
様子が可笑しいと感じたのか、そっとウィオとリラを覗き込んだ。
「母さん……」
「ん? どうしたの?」
「俺達、来月から旅をしなきゃならないらしいんだ」
「旅……? それも、来月? せめて、収穫の時期が過ぎてからにすればいいのに……」
シャンリンは、顔を顰めた。
「ああ。それで……道順とかは全部向こうで決めてくれるらしいんだけど、その目的ってのが……何だ? 《ウェリック》……だか何だか? とにかく、何か難しい名前の鳥を番いで、それも生きた状態で捕まえなきゃなんないらしいんだ」
「《ウェリック》……? 何、それ? あたし、聞いたことないわ」
その朗らかな言葉に、ウィオは説明を付け足した。
「あ~……《ウェリック》だったかどうかは忘れちまったけど、何か似たような名前で、確か……そうそう、すっごい珍しい、奇跡で幻の鳥だとかなんだかで、羽が七色に輝くとか、とんでもない鳥らしいぜ?」
その言葉に、シャンリンはしばらくの間沈黙した後、恐る恐る口を開いた。
「あの……それってもしかして……《ウェルクリックス》じゃない?」
「あ~……それだったかも……」
ウィオの言葉に、リラが大きな溜息をつき、言った。
「かもじゃなくて、《ウェルクリックス》よ……」
その言葉に、シャンリンは血相を変えた。
「リラ! 貴女、どうしてそう平然と言えるのっ? 分かってるの? 《ウェルクリックス》がどういう鳥かっ!」
「か……母さん?」
ウィオが途惑ってシャンリンを見ても、シャンリンはウィオのことを見ていなかった。
ただ、真っ直ぐにリラを見詰めていた。
「リラ、貴女、忘れたの? 貴女の母さんが……リャイが、どういう気持ちで貴女を隠したのかっ!」
「隠した……? どういうことだよ。リラは普通にここにいるじゃないか」
ウィオの疑問に、答える人は誰もいなかった。
そして、思いっ切り無視された。
「忘れては……いません。でも……分かるでしょう? もし私が拒否したら……それを認めることになります。それに……もしかしたら、何とかなるかもしれませんし。それに、私の力は封じられていますでしょう? あれをこの村に置いて行けば……もしかしたら……」
リラの言葉に、シャンリンはしっかりと首を振った。
「そんな危険を冒す訳にはいかないわ。あれと離れたら、どういうことになるか分かったもんじゃないもの」
「でも……」
「それに」
シャンリンはそう言うと、自らの首に掛けている首飾りを示して言った。
「もしこれをこのままにして、貴女に何かあったら……これをあたしに預けて逝った、リャイに顔を向けることはできないわ」
「えっ……? 母さん、その首飾りって……?」
ウィオの言葉に、シャンリンは首を振って言った。
「ウィオ、ちょっと外に行っててもらえる? あたしは、リラと話さなきゃならないのよ。このことを」
シャンリンのその真剣な声に逆らえず、ウィオは首を傾げながら家を出た。
「ったく、何なんだよ、一体……」
それは独り言のはずだった。
だが、それに答える者があった。
「お聞きしたいですか?」
「あっ?」
ウィオが振り返ると、誰もいないはずの林の中に、一人の人影があった。
「お前……誰だ?」
ウィオの問い掛けに、その人物は林の陰から出て来ることで答えた。
その男の全身を目にしたウィオは、スッと目を細めた。
「お前……奴隷か」
「ええ。そうです」
そう言ったのは、農民であるウィオの目から見ても粗末な衣服に身を包んだ、二十代後半頃に見える、ひょろ長い一人の男だった。
「どうしてお前のような者が、ここにいる?」
「ええ。泊めて頂いている宿のご主人から、茸や山菜を採って来てくれと頼まれましてね。我が主……ジョルア様は、私を含めまして六人の奴隷と、四人の護衛を連れて参ったものですから。用意していた食材が、どうも足りなくなってしまいそうだということで」
確かに、よく見てみれば籠を背中に背負っている。
「……で? 俺に、一体何の用だ」
「ですから、お聞きしたいですか、と申しております。あの方達が話していたことについて」
その言葉を聞いた途端、ウィオの体はその場所にはなかった。
一瞬の早業で、その男の胸倉を掴み上げていた。
「……ふざけんなよ。お前……話を、盗み聞きしていたのか?」
その声には、紛れもない怒りが籠められていた。
「……そうだと言えば、そうですね」
「あん? ふざけたこと抜かしてんじゃねぇよ。何だ? その曖昧な言い方は」
「確かに、私は貴方達にジョルア様が仰っていることを聞いていました。でも、その後の会話は聞いておりません」
その言葉に、ウィオの眉が吊り上った。
「はっ? だったら、何でそんなことが言えんだよ」
「でしたら……手を放して下さい」
その男に、ウィオは鼻を鳴らすと手をぱっと放した。
男は胸元の皺を丁寧に払うと、言った。
「こちらに来て下さい。話は、そこで」
ウィオがそれについて行くと、男は山深く木々が生い茂っている場所に連れて行った。
「……で? 何を聞かせてもらえんだ?」
「貴方の、婚約者のことです。……つまりは、この村の副長殿のこと」
「……リラのことか」
「ええ。そうです。……貴方達は、婚約者になるより他なかった。そうでないと、この村が潰れてしまうから」
「……ああ」
「貴方達が産まれた当初は、まだ考える余地がありました。取り敢えず貴方達は婚約者となり、これから産まれて来るであろう弟妹達に期待した。でも……結局貴方の兄弟は、姉が一人、妹が二人。そして、その末っ子が産まれた後、貴方の母君は体調を崩し、子供が産めなくなった」
「……それが、何だ」
ウィオの声は、険悪になってきた。
だが男はそれに気が付かないように、淡々と話を続ける。
「そして副長殿の方は、弟が二人いる。本当ならばもう一人いるはずだったが、その子供を産む時、当時の副長はその子供を死産して亡くなった。その子供は、女の子だった。……それが、四年前の出来事ですよね?」
その口調は疑問を訴えるものではなく、まるで確認をするかのような口調だった。
それも、かなり確信をしているかのような。
その話を聞いていくうちに、ウィオの顔色が少しずつ変化してきた。
「……どうして、お前がそこまで知っている」
「ジョルア様がお話し下さったからですよ。人は、物事を知りたがり、知ると話したがる。ジョルア様がそれを知ったのは、この村に来るほんの少し前のこと。そして、そのようなことは妄りに口になさってはならないという分別を兼ね備えてはいるものの、話したくて仕方がない。仕方がないものの、『人』に話してはならない。そこで、私のような奴隷に話したという訳ですよ。私のような奴隷は『人』として認められていませんし、奴隷は主の秘密をむやみやたらに洩らさないということが身上ですからね。ジョルア様は、私がこうして話しているとはちっとも知りませんよ」
その口調には、自嘲の響きはなかった。
ただ淡々と、事実を伝える響きのみがそこにあった。
その言葉でウィオは一応納得したものの、さっさと本題に入ってくれないかと少し苛々してきた。
「……で、リラがどうしたってんだ? さっさと答えろ」
その言葉は刺々しく、苛々していることが丸分かりだった。
それに気付いたのか、男は笑った。
「焦らないで下さい。今、お話し致します」
その顔には、哀れむような色もあった。
そして、ウィオはその話を聞いて絶句することになる。
母達が隠してきた、とんでもない秘密に……。