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旅中記  作者: 琅來
第Ⅱ部 禁域の杜の社
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終章「喧噪の裏に」―1

「鎮守のもり、だと?」

 訝しげに眉を寄せて訊ねる男に、目深くフードを被り粗野な服装をした男は、左手を出す。

「これ以上のもんが欲しいっつうなら割増料金だなぁ。マンウェル銅貨一枚で、そこまでは言えねぇや。餓鬼の遣いじゃねぇんだからよ」

 いけしゃあしゃあと言って退ける男に、こんな下町の酒場には相応しくないような、どこか貴族的な雰囲気のある男は、舌打ちを洩らしてレックォン銅貨を弾く。

 男はその手に納まった銅貨を持ち上げ、しげしげと眺めてから面白そうに口を開いた。

「へえ~。ケチなもんだなぁ。お前さん。この俺から情報を聞き出したいのに、レックォン銅貨一枚とは。ブウォル銀貨ぐれぇくれたら、結構俺の口も緩くなんのによぉ」

 貴族的な男は、再び苦々しげに舌打ちを洩らすと、今度はブウォル銀貨を弾いた。

 粗野な服装の男はそれを空中で掴むと、ニヤリと笑みを洩らす。

「ほ。こりゃあ言ってみるもんだねぇ。あんがとさん」

 そして、レックォン銅貨ごと(・・・・・・・・・)懐に仕舞った。

「おい」

 貴族的な男の出した剣呑な声に、粗野な服装の男は、いっそ朗らかに答えた。

「何だぁ?」

「ブウォル銀貨はくれてやる。だが、レックォン銅貨は返せ」

 凄まじい眼光で睨み付けられ、男は肩を竦めた。

「おお、怖い。にしても、ほんっとケチだなぁ。どうせお前さん、その雰囲気からして、貴族か何かだろう? それか、そこの家司か何か。そうじゃなきゃ、そんな雰囲気は出せねぇ。それに、俺達一般庶民にとっちゃあ、レックォン銅貨は一枚で一日は生きてけるぐれぇの大金だが、お貴族様達にとっちゃあ、価値なんかないに等しいはずの金だろうに。いくらブウォル銀貨に、レックォン銅貨の十倍の価値があるからってなぁ」

 それに対し、貴族的な男は、嘲るような吐息で答えた。

「何が一般庶民だ。銀貨の名称と価値まで知っておきながら、一般庶民を騙る気か」

「おやおや。これは一本取られたねぇ。でも、こんな稼業をやってると、自然と銀貨や銅貨のことには詳しくなるもんさぁ。さすがに俺でも、金貨についちゃあよく知らんがね。――にしてもお前さん、貴族の関係者っつうのは否定しないんだ。ふ~ん?」

 軽薄に笑う粗野な服装の男に、貴族的な男はふっと笑みを浮かべる。

「ハッ。銀貨を詳しく知ってる情報屋は、どうせそれなりに名の知れた情報屋だろう。そういう情報屋ほど、金払いのいい客の情報を洩らさないと聞いているが?」

 意味深に微笑まれた男は、初めて軽薄で調子のよい態度を崩した。

「……ふん。ただの頭の悪い貴族じゃないようだな、あんたは」

「これはこれは、お褒めに預かり光栄だ」

 貴族的な男はそう言うと、片手を上げて店員を呼び、酒を注文する。

 すぐに出て来たそれを、男は粗野な服装の男に差し出した。

「レックォン銅貨を返してくれるなら、ここのお代は俺が持ってやる」

 粗野な服装の男はフードの下から、まじまじと貴族的な男を見詰めた。

「……俺が飲んだ量、知ってるか? レックォン銅貨一枚こっきりじゃあ、とても払えねぇ額だぜ」

「知ってるさ。お前が酒を飲みながら客を漁ってるのと同じように、俺も料理を食いながら、たむろしている情報屋を吟味していたからな」

 言外にずっと観察していたと告げられて、粗野な服装の男は、顔から表情を削ぎ落とした。

「……そうかい。じゃあ俺も、迂闊にお前さんのことは口にできねぇな。その鋭い目に高い身分。それなりに名は知れてるが、俺みたいにただのしがない情報屋なんて、簡単に消されちまうだろうよ。下町にゃあ下らん理由で死体になる奴なんか、ごまんといっからな。俺は、そんな奴らの仲間入りするのは真っ平ごめんだ」

 粗野な服装の男は肩を竦めると、じっくりと、貴族的な男を観察しながら言った。

「……で? 何が知りたい? 俺ぁ必要以上に恨まれたくないからな、これで割増料金は終わりだ。俺が知ってる限りのことは教えてやらぁ」

「そうか。……なら、その『鎮守の杜』とやらを詳しく教えろ」

「ああ……鎮守の杜、っつうのは、こっちの人間が勝手に呼んでるだけのもんだ。地元民やその中に住んでる奴らは、もっと別の名前で呼んでるらしい」

 粗野な服装の男はそう言って肩を竦めると、一気に酒を呷った。

「ああ、いい酒だねぇ。……で、鎮守の杜っつうのは、実は結構大人しい名前だ。そこは、もっと物騒な名で知られている。……その名も、『殺戮の森』。そこで起こんのは、いわゆるホロコーストだ」

大虐殺ホロコースト、だと?」

 貴族的な男が思わず顔を強張らせると、粗野な服装の男は真剣な顔で頷いた。

「ああ。あっさり言やぁ、『死の森』だな」

 殺戮の森、というだけでも物騒なのに、大虐殺、おまけに死、とは――

 貴族的な男は、目を細めた。

「一体そこで、何が起こる? いや、それとも、何かが起こった、の方か?」

 その言葉に、粗野な服装の男は、何が面白いのか忍び笑いを洩らした。

「クク……あんた、やっぱ賢いねぇ。……いや、その両方だ。そこでは昔、『何か』が起こって、それは今でも起こる。……その森の入り口らへんは、別に問題ない。地元民も、飢饉なんかが起きた時の最後の綱としてる。だが……奥は、マジでヤバい。あの森の奥まで入って……帰って来た奴ぁ、ほとんどいない。それこそ、巫女だか術者だか、そんな摩訶不思議な奴らだけだ」

 その言葉に、貴族的な男はごくりと唾を飲み込んだ。

「誰も戻って来ない。普通は死体も還って来ないんだが、何回かな、血が抜かれてカラッカラに干乾びて、この世のもんとは思えねぇ凄まじい形相をした死体が見付かってる。それも、その森の周辺で、だ。一度は、業を煮やしたそこの領主が兵を送り込んだが、そいつらは四ヶ月後に、さっき言ったような死体で見付かった。つまりだ」

 粗野な服装の男は、酒の入った杯をタンと置く。

「その森に入った奴らは、ジェノサイドされる。特別な力を持っている奴を除いてな」

集団殺戮ジェノサイド、か」

『ホロコースト』と、『ジェノサイド』。

 意味の違いはあまりなく、どちらも大量の殺人を意味する。

 けれど、『ホロコースト』ではただの大虐殺だが、『ジェノサイド』には、戦時に起こる虐殺のように、明確な『殲滅』の意思が働いているという意味合いが含まれているのだ。

 この違いは大きい。

 すっと、貴族的な男の目が細められた。

「ああ。そうだなぁ。まさに、あれはジェノサイド(・・・・・・)だ。具体的な数字は知らんが、相当な奴らが、あの森で死んでるぜ」

 貴族的な男は重い溜息をつくと、粗野な服装の男に訊ねた。

「それで、お前はその森から出て来た奴を知ってるか?」

「知ってどうすんだい?」

 すかさず訊ねた粗野な服装の男に、貴族的な男は嘲りを持って答える。

「余計な詮索をしてどうする? 好奇心は猫をも殺すが?」

 粗野な服装の男は沈黙すると、再び口を開いた。

「……フン。俺が知ってんのは、もう既に死んだ奴らばっかりだ。先々代だか、その更に前だかの皇帝の時の巫女。そいつらは、普通に出て来やがった。その代だから、はっきり言って、もう生きてる奴はいない。もし生きてたら、百歳過ぎの婆ぁどもだ」

「お前は今、死んだ奴ら『ばっかり』、と言ったな。では……生きている者も、知っているんだろう?」

 粗野な服装の男は、痛烈な舌打ちを洩らす。

 だが、素直に口を開いた。

「……ああ。最近のだと、アナーレイン・ラムドウェッド男爵だ。まあ、こいつは先代の男爵で、もう死んじまってるけどな。そんな歳でもなかったのによ」

「誤魔化そうとするな」

 貴族的な男が剣呑に目を光らせて言うと、粗野な服装の男は、まるで道化のような笑みを浮かべる。

「まあまあ、話は最後まで聞くもんだぜ。そのアナーレインだが、実はすんごい術者だった。それで、武者修行に出ると言って十四の時に家を出た。だけんど、そいつが家に戻って来たのは、何とその十年後。しかも、八つになる息子を連れてな」

「…………」

 貴族的な男は、無言で粗野な服装の男の話を聞く。

 それに気を良くしたのか、粗野な服装の男の舌の滑りは、益々滑らかになった。

「その息子が、今のラムドウェッド男爵のリューセム・ラムドウェッドだ。勿論、十年振りに帰ってきたアナーレインに、ラムドウェッド一族は必死に問い詰めた。婚約者がいると言うのに、その子供は何だ。一体今までの十年間、何をしていた――。だが、アナーレインは何も言わなかった。言ったのは、ただ

『リューセムは事実、私の息子だ。これが私の跡継ぎだ』

 だけだ。アナーレインは言った通りに、その婚約者と結婚した後、リューセムをその婚約者の養子にした。ああ、それと、

『私は今まで、聖域の森にいた。大勢の巫女や術者のいる、大変物珍しい場所だったな』

 とも言っていたようだな。それ以外は、な~んも」

 貴族的な男は、思わず顔を顰めて目を眇めた。

「……なら、何故その男がその森にいたと分かる」

「まあまあ、お考えなさんな。すぐに分かるだろう? この国に、『聖域』と呼ばれる場所は少ない。まして、その中に人が住んでいる聖域なんかありゃしねぇ。で、ちょっと推理を働かせりゃあ分かる。それならそこは、国から認知されてない場所だな、と。つまり、容易に人が立ち入れない場所だってな。あそこが『聖域』なのは、そこいらを知ってる奴なら分かるが、中がどうなってんのか、そこに何があんのかを知ってる奴は、誰もいない。だから、集落があっても誰も気付かないって寸法さ。何しろ、誰も立ち入れないんだからな。殺されちまうから」

 そう言って下卑たように笑う粗野な服装の男に、貴族的な男は慎重に問い掛けた。

「……つまり、そこが鎮守の杜――あの場所、だと?」

「ああ。だから、どーしてもそこについて知りたいなら、リューセム・ラムドウェッド男爵がここに帰って来るのを待つんだな。今は、逃げ出した皇妃さん達を追っ掛けて、帝都を出てっからよ。そいつ以外は、現地民くれぇしかあの森のことは分かんねぇよ。いや、そいつらでも詳しいことは知らねぇ。本っ当に知りてぇっつうんだったら、死ぬのを覚悟で乗り込むんだな。『殺戮の森』に」

 粗野な服装の男はにやにやと笑いながらそう言うと、ピンと銅貨を弾く。

 貴族的な男はそれを反射的に掴み、それがレックォン銅貨二枚だということに目を瞠った。

「一枚はあんたがさっきくれた分。で、もう一枚は俺の好奇心だ。……な、お前、いくつだ?」

 粗野な服装の男は、きらりと目を光らせている。

 本当に、好奇心旺盛な男だ。

 貴族的な男は、その粗野な服装の男の態度に眉を寄せた。

 確かに自分には答える義理はないし、年齢なんて、別に知られて困るものでもない。

 女性の中には

『女に歳を訊くなんて!』

 と憤慨する者もいるが、性別が男ということもあり、貴族的なその男は、別にそういう考えを持っていないのだ。

 それに、名前ならともかく、歳で個人を特定するのは不可能である。

 特に、どこの誰だという当てがなければ。

「……二十四だ。お前は?」

「俺かい? 俺は三十一だ。もう親爺だなぁ」

 粗野な服装の男はにやりと笑うと、音を立てずに席を立つ。

 貴族的な男は、その様子を、目を眇めて見詰めた。

 この粗野な服装の男は先程、『野垂れ死にたくない』というようなことを言っていたが、この男を野垂れ死にさせるのは、非常に難しいことではないだろうか。

 少なくとも、一見粗野に見えるのに、立ち上がる動作一つに物音立てないのは、徒人ではあり得ない。

 この男は、恐らく玄人だ。

 それなのに、ここまで情報を洩らしてくれたのは、恐らくは男の『好奇心』でしかないだろう。

 かなりこちらを苛立たせてはくれたが、今はこの男の盛大なる好奇心に、心から感謝せねばならない。

 何しろ、こちらに重要な情報を、いくつももたらしてくれたのだから。

 粗野な服装の男は、そのまま貴族的な男を置いて立ち去ろうとしたが、不意に振り返る。

「なあ」

「何だ」

「精々お帰りにはお気を付けなさんよ。第九皇子、ルドルフ=アーフヴァンド・フェーヌラブム様。実は謹慎中ってのを忘れないよーにな。いくら子供も妻もいないからって、油断してたら足元を掬われちまうぜ。唯一の同母妹の為にも、ちっとは大人しくしてるのが身の為ってことだ」

 ……あまりのことに、貴族的な男――ルドルフ=アーフヴァンドは、咄嗟に反応ができなかった。

 アーフヴァンドが硬直しているうちに、粗野な服装の男は出て行く。

 酒場の喧騒に、粗野な服装の男は紛れて消えた。

「何故……」

 掠れたアーフヴァンドの声もまた、その中に紛れて消えて行った。

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