第七章「修業」―2
カキィン、という音がして、男の手から剣が跳ね飛ばされる。
剣を跳ね飛ばしたのは、その男の前に汗だくで立ち、軽く踏鞴を踏んだ十代の黒髪の少年。
ウィオだった。
剣を跳ね飛ばされた男は、信じられないような顔でウィオを見詰める。
何故なら、彼は国でも一、二を競うほどの強さを誇る皇帝直属部隊、シャーラーヴ独立隊の一員なのだ。
それなのに、一回りも小さな少年に、いくらほぼ互角に近い激戦を繰り広げたのちとはいえ、剣を叩き落とされたのだ。
これで、驚かない方が可笑しい。
周りで彼らと同じように競っていた者も、見学に回っていた者も、そして、噂を聞き付けて野次馬をしていたランクェルの住人も、皆一様に目を瞠っていた。
最初に動いたのは、リューシュンだった。
「凄いなあ、ウィオ。僕より五歳も年下なのに、あっさり勝っちゃって……」
その言葉に、ウィオは流れる汗を男らしく(つまりは適当に)拭いながら、振り返って苦笑する。
「おいリューシュン。今のどこが『あっさり』になんだよ。そりゃあ俺の方が勝ったけどさ、全っ然あっさりじゃねぇぞ。むしろ、今のがあっさりに見える方が驚きだな」
「だとしても凄いだろう? 相手が僕ぐらいの歳ならともかく、一回りも違うような歳の差じゃないか。それで互角の戦いを繰り広げた挙句に勝つなんて、やっぱり凄いよ」
リューシュンの感嘆の声に、ウィオは照れ臭そうに笑う。
「や、別に、そんな……」
そこに、突然リューセムが口を挟んできた。
「別に、謙遜することはないぞ、ウィオ。其方が強いのは、見れば分かる」
「リューセムさん……」
ウィオは少しだけ目を瞠ると、笑って言った。
「でも、俺より強い人は、それこそ腐るぐらいいるはずだぞ? 特に、リューセムさんとかフェムリヴドさんとかマウェとか……」
ウィオの言葉に、リューセムは密やかな笑い声を洩らすと、リューシュンに目を向けた。
「……えっと、何でしょう?」
リューシュンが首を傾げて訊ねると、リューセムは微笑を浮かべて言った。
「次は、ツェーヴァン公爵閣下とウィオでなされてはいかがか」
その言葉に、リューシュンは飛び上がった。
「え、僕とウィオで、ですかっ?」
「ああ。楽しみだ」
リューセムの言葉に、今までぶらっと剣を引っ提げてウィオ達を見ていた者は、皆一斉に下がり、二人を取り囲むような円を作る。
……何故か、年甲斐もなく子供のように、目をきらきらと輝かせている者ばかりである。
はっきり言って、不気味だ。
リューシュンは軽く顔を引き攣らせているが、それとは逆に、ウィオは顔を輝かせている。
「俺、一度はやってみたかったんだよなぁ。リューシュンと」
「ちょ……ちょっと、ウィオ。だ、だからって、そんなに意気込まなくてもいいんじゃないかなぁ?」
半ば腰が引けているリューシュンに、マウェが苦笑して告げる。
「諦めて下さい。ラムドウェッド卿とウィオさんがこんな目をしたら、もう誰にも止められませんから」
「うう、マウェさんまで……」
リューシュンはそう言いながらも、最早諦めたのか、大人しくと言うよりも渋々と剣を引き抜いた。
「よっしゃあ! そうこなくっちゃ」
ウィオは、ぺろりと唇を舐める。
リューセムはウィオとリューシュンの間に立つと、二人がそれぞれ剣を構えるのを見て頷き、片手を振り下ろした。
「では、始めっ――!」
リラは、しょんぼりと項垂れて森から出て来た。
結局、あんなに時間を掛けたのに、上手く瞑想をすることができなかったのだ。
瞑想と言うのは、巫女にとっては重要であると同時に基本中の基本だ。
予見や千里眼などの、遙か先を見通す力を持った巫女は、勿論夢の中や日常生活の中にふと『視る』こともあるが、ほとんどは瞑想中にそれを見るのだ。
それに、そういったものとは違う力を持った巫女でも、その力を行使する前には精神統一が必要で重要となっており、心を鎮めて無我の境地に到れなければ、自分の本来の実力を出し切ることができないのだ。
そして瞑想ができない巫女というのは、半人前以前の問題であり、『要修業』の烙印が押されてしまう。
(いくら、今日修業を始めたばっかりって言っても……私には、私達には時間がないのにっ……! 早く、早くしないとっ! 早く瞑想ができるようになって、《ウェルクリックス》を捕まえて、帝都に行ってっ……!)
「リラさん」
焦燥に駆られていたリラに、アーリンが穏やかな声を掛ける。
その声に、リラは自分の気持ちが落ち着いていくのを感じた。
「は、はい」
「落ち着かれなさい? 気持ちばかりが逸っても、体は付いて行きませぬ故」
「はい……申し訳、ありません」
確かに、今の自分は気ばかりが急いている。
そして、どんなに心が望んでいても、急いていても、体がその動きに付いて行くとは限らないのだ。
(そう……落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ。落ち着かないと、瞑想なんて夢のまた夢になっちゃうわ)
リラはそう思うと、拳を握って気合いを入れる。
と、その時。
いきなり大歓声が響き、リラのみでなく、アーリンまでが驚いた顔になる。
「今の、一体……」
「ああ、そう言えば、曾孫達が剣の訓練をするとか何とか……」
アーリンは呆然と呟くと、悲哀に満ちた嘆き声を上げる。
「それにしても、いきなりあのような声を上げるなど……老い先短い老いぼれと致しましては、そのような心の臓に悪いことは、やめて頂きたいものですねぇ……」
「…………い、行きましょう、アーリンさん」
アーリンの嘆きを、リラはさり気なくスルーする。
まだ数えで十五、満年齢で言えば十三でしかないリラにとって、齢百を数えようという老婆に意見を申し出ることは、非常に困難であった。
そもそも、この発言が心からの嘆願なのか、それとも臨場感溢れる冗談の演技なのか、リラには判断が付かない。
そしてそうである以上、何と言葉を返していいのかも分からないのだ。
二人は、(リラにとってはとってもすっごく)重(苦し)い空気のまま、ランクェルの中に入った。
そして、喧騒が聞こえてくる場所へと足を進める。
その間にも、聞こえてきた歓声は納まらず、それどころか大きくなっているようにも思える。
まあ、これは二人が近付いているからというのもあるだろうが。
二人はしばらく経って、ようやく喧騒の醸し出されている場所に着いた。
その中心にいる人物を目にして、リラは思わず大声を上げる。
「ウィオ?! リューシュンさんっ?!」
その声に、二人はリラがいるのに気付いた。
「ん? リラ?」
「あ、リラさん。来てたんだ」
リューシュンに笑い掛けられ、リラは二人に近付きながら頷いた。
「はい。ついさっき。でも、びっくりしたよ、ウィオ。いきなり、あんな大歓声が上がるなんて」
「ああ、それは俺もすげぇびっくりしたぞ? 人が試合を終えた途端に大声で騒がれて……」
ウィオは、いかにも心外そうに顔を顰めた。
「ああ、僕も驚いたよ。何か、結構見られてるなぁとは思ったけどさ、まさかここまで騒がれるなんて……」
リューシュンの方は、何だか照れ臭そうだ。
リューシュンは、いくら皇帝の甥とは言っても、その皇帝の子供は現時点で五十三人もいるし、彼自身には皇位継承権もない。
両親が死んでから後宮で暮らしていても、それは単なるお情けでしかないのだ。
だから、いくら公爵位を持っていても、リューシュンに取り入ろうとする者はほぼ皆無だったし、注目度もかなり低く、下手をすれば、貴族からもその存在を忘れられるような状況だった。
なので、ここまで注目されることは生まれて初めてなのだ。
照れ臭くても、仕方がないだろう。
その様子を、いつの間に来ていたのか、メイファとミリーメイが嬉しそうに眺めている。
メイファにとっては従兄であり夫であり、ミリーメイにとっては甥であり義息子である相手が注目を浴びているとあれば、それは嬉しくて堪らないだろう。
対するウィオは、農民といえど代々村長を継いで来た家の長男で、武術の腕も立ち、とにかく色んな意味で注目を浴びて来たので、皇族の血を引くリューシュンよりもこういった状況に慣れているのだった。
何だか、あべこべな二人である。
「それで……どっちが勝ったの?」
リラが首を傾げて言うと、何だか二人は微妙な顔で目を見合わせる。
「……? ウィオ? リューシュンさん?」
リラが不思議そうに訊ねると、二人は苦笑した。
「えっと……まあ、端的に言うと、な」
「その……勝負が付かなかった、と言うか、何と言うか……」
「まあ、リューシュンの言ったそのままでしかないんだけどな」
その言葉に、リラは目を瞠った。
「つまり……引き分け?」
「んまあ、端的に言えば、そうなるかなぁ……」
リューシュンは、何故か遠い目をして言う。
……二人の試合中に、何かあったのだろうか。
「でも、これは試合だからさ、最終的には判定になるんだ。だから、厳密に言えば引き分けじゃないよ」
リューシュンはそう言うと、リューセムに視線を移した。
どうやら、リューセムが判定役だったようだ。
「……ラムドウェッド卿。判定を、宜しくお願いします」
ウィオも、静かに――と言うか、珍しくも神妙に、リューセムの様子を伺う。
その様子があんまりにも珍しくて、リラは目を瞬いた。
ウィオはいつも傍若無人と言うか何と言うか、相手に敬意を見せるといったことは皆無で、帝都から使者としてジョルア・オールクッドが来た時はさすがに敬語を使っていたが、実は、リラはそれまでウィオの敬語というものを一度も聞いたことがなかったのだ。
さすがにウィオも、それまで一度も敬語を使ったことがないということはないだろうが、少なくともリラの前で使ったことは一度もない。
そもそも、ウィオにとって敬意を払う人間は、そうそういないのだ。
リューセムやフェムリヴドは辛うじてその範囲に含まれるかも知れないが、最初の頃の疑心暗鬼が尾を引いているのか、かなり傍若無人と言ってもいいほどのタメ口だ。
だが、それにリューセム達は怒った様子を見せない。
その様は、リラを更に驚かせた。
皆、一様にリューセムを見詰めている。
そのリューセムは、呻りながら深く考え込んでいた。
よっぽど二人の試合は、甲乙付けがたいものだったのだろう。
長い時間黙考した後、リューセムはようやく口を開いた。
「そうだ、なぁ……本当に、難しいが……今回の勝者は、ウィオの方だ」
その言葉に、ウィオは目を丸くして驚き、リューシュンは少しだけ悔しそうな顔をする。
「だが、本当に僅差だったからな。もう一度やれば、結果は変わって来るだろう。だから、そういう意味で言えば、二人の実力は五分五分だ。運によってその勝敗が――結果が定まる」
けれど、その後に続いたリューセムの言葉に、二人は顔を見合わせ、照れ臭そうな笑みを見せた。
「ん、まあ……結局は、おんなじってことかな?」
「じゃねぇのか? ま、同じぐらいの腕前っつうことだから、これからも練習相手頼んでいいか?」
「勿論。こっちからお願いしたいくらいだ」
「そっか。じゃ、そういうことで」
ウィオとリューシュンは、それぞれ右の拳を合わせる。
これは、剣士同士の挨拶なのだという。
リラは村にいた時、ウィオの剣の練習を時々眺めていたことがあったが、その時、一緒に練習をしている人とこんな風に拳を突き合わせていたのだ。
ウィオの練習が終わった後に訊いたら、
『これは剣士の挨拶なんだっ!』
と、強い語調できっぱりと言い切られたことを、今でもよく憶えている。
この頃、まだウィオは騎士となる夢を諦めていなくて、自分もまだ母が生きていて、副長ではなかった。
確か……数えで、七歳か八歳か、それくらいではなかっただろうか。
ウィオの母のシャンリンは、ウィオが八歳の秋に末娘のシュミアを産んで体を壊してしまったので、この頃のウィオには『弟が生まれるかも知れない』という可能性はまだあり、『騎士』という人間になる為の現実を知らなかった。
だからこそ……この頃のウィオは、文字通り真剣に剣の練習に取り組んでいたのだった。
けれど、末の妹が産まれると同時に母が体を壊し――ウィオは笑いもせずに、ただ、
『そっか』
とだけ呟いたのだ。
そしてそれからは、それまでよりも剣を振るうことは少なくなった。
それでも、決して剣を振るうことはないということはなく、十三歳にして村の自警団に入り、盗賊を狩ることもあったのだ。
リラは、少し不思議な思いになった。
もしシュミアが生まれた時に、ウィオが完全に剣を諦めていたら、今頃、一体どんなことになっているのだろうか。
リラには、もしそうなっていた時の未来が、全く浮かばなかった。
そっと、リラはシャーラーヴ隊の人達と戯れているウィオの姿を見詰める。
今のリラにとっては、ウィオのその笑顔は、眩し過ぎた。
リラは知らず知らずのうちに俯くと、そっと人の輪を外れ、借りている小屋に戻って行く。
いつの間にか、その頬には涙の跡が残っていた。




