第六章「帝都の……」―2
「父上? どうか、したんですか?」
どこか覚束ない声で、ルウォンメルは目を覚ました。
「ああ……何でもない」
エンディは、不思議そうにルウォンメルを見上げている。
「そうですか? でも、珍しいですね。父上が、お昼寝をするなんて」
エンディの言葉に、ルウォンメルは苦笑する。
「そうか?」
「そうですよ。僕、初めて見ました」
エンディはそう言うと、何か訴え掛けるような目でルウォンメルを見上げる。
「父上。僕達、いつまでお城にいるんですか? 僕、家に帰りたいです」
その言葉に、ルウォンメルは息を詰める。
そう、普段ルウォンメルは、呼ばれない限り皇城に来ることはない。
彼は第一皇子で、生母が隣国の姫君だということもあり、十六歳になった時に公爵位を貰っている。
それからはずっと、基本的に領地で暮らしていた。
跡継ぎと目されている為、二、三ヶ月に一度は必ず伺候しているが、子連れで伺候するのは年に一度、二度もあれば多い方だ。
勿論、これは他の成人した皇子達も同じである。
それぞれの皇子達は、母親の身分を考慮して爵位を与えられている。
例えば、他国から嫁いで来た王皇族や公爵家、侯爵家の女性が母ならば公爵位を、宮中伯家、辺境伯家、伯爵家の女性が母ならば侯爵位を、子爵家や男爵家、准男爵家、そして平民出の女性が母ならば伯爵位を、といった具合に。
ちなみに、母が巫女であった場合でも、その巫女の元々の身分から爵位が与えられる。
だから――はっきり言ってしまえば、兄弟仲はあまり良くない。
例えば、第四皇子の母は平民出の巫女だから伯爵位を与えられたが、第五皇子の母は侯爵家の娘だから公爵位を与えられ、領地の広さや土地の肥沃さにかなりの差があるし、保有する財産も領地からの上がりも差が大きい。
だが、いくら同い年だといっても、第四皇子の方が先に生まれた異母兄なのだ。
異母弟の方が高い位を貰っていては、少々面白くない。
このような格差が、兄弟達の中には歴然と横たわっているのだ。
そして、それはその子供達をも巻き込んだものになっている。
ルウォンメルを含めた兄弟姉妹達は、全員謹慎させられているが、それはこの皇城内に閉じ込めるという意味で、部屋から出てはならないという意味ではない。
謹慎のせいでむしゃくしゃした気持ちを、嫌いな兄弟の子供にぶつけるのは、仕方がないことなのだろう。
エンディは第一皇子の長男ということで、ルウォンメルの弟達やその子供――つまり、エンディの従弟妹達から、色々なことを言われているようだ。
元々が大人しい性格の子供だから、この皇宮の闇が肌に合わないのだろう。
だから、すぐに家に帰りたいと言い出したのだろう。
全く、こんなことになるのだったら、この子を連れてくるのではなかった。
ルウォンメルはそう思い、嘆息した。
滅多に来ない所だし、エンディとその妹が行きたがったので連れて来たのだが、間違いだった。
こうなっては、子供だとはいえ、しばらくは帰れないだろうから。
ルウォンメルは、瞳を閉じて言った。
「それは無理だ、エンディ」
「どうして……ですか?」
エンディの瞳には、薄っすらと涙が浮かび掛けている。
ルウォンメルは、無理に感情を押し殺した声で言う。
「私達は父上――つまり、お前のお祖父様から許可を取り、皇宮に来た。その父上がお許しにならない限り、私達は帰れないのだ」
それを聞くと、エンディは素早く立ち上がる。
「エ、エンディ?」
「僕、お祖父様の所に行って来ます! それで、帰らせて下さいって、お願いします!」
その言葉に、ルウォンメルは腰を抜かしかける。
何とか素早く立ち上がると、エンディの前に立ち塞がった。
「ち、父上?」
「駄目だ、スージェン」
その言葉に、エンディは黙り込む。
父が『エンディ』ではなく『スージェン』と呼ぶ時は、いつもお説教が待っているのだ。
「お前は、父上を知らない。メミリオン妃やフェイネット、ウォルフェムの二の舞になりたいのか。父上は、お前が孫だからといって容赦はしないぞ」
その言葉に、エンディは暗い目をする。
「それは……僕も、殺されるかも知れない、ってこと?」
「……ああ」
エンディは、きつく唇を噛み締める。
「そんな……可笑しいよ。だって僕、先生から教わったよ? 兄妹とか親子で結婚できないって。叔父さんと姪? でも、無理だって。メイファ叔母様は、お祖父様と親子なんでしょう? だったら、結婚できないよ。お妃様になるなんて、そんなの可笑しいよ」
エンディの言葉に、ルウォンメルは息を呑む。
「エンディ。お前……どこで、その話を……」
ルウォンメルは、そんな汚い話など息子の耳に入れたくないからと、遠ざけて来たのに。
「どこで、って……みんな、言ってます。叔父上も、叔母上も、お妃様も、従弟妹達も、みんな……」
その言葉に、ルウォンメルは額を押さえた。
「そうか……」
「それよりも父上。どうして、そんな可笑しいことをしているのに、誰も止めないんですか?」
ルウォンメルは驚き、まじまじと息子を見下ろす。
「だって、悪いこととか変なことをしたら、捕まるって教わりました。僕が皇帝陛下の孫でも、悪いことをしたら罰を受けるって、言われました。……お祖父様がやろうとしていることは、悪いことじゃないんですか? 悪いことなんでしょう? だったら、どうしてお祖父様は捕まらないんですか?」
ルウォンメルは、エンディから目を逸らす。
「父上は……皇帝だ。皇帝を捕らえることは、誰にもできやしない……」
「じゃあ、どうやったらお祖父様を止められるんですか?」
その答えは――暗殺。
だが、それを言うことはできない。
「誰にも……止められないさ。臣下の諌言を皇帝が受け入れれば、止めることはできるだろう。だが……無理だ。今の父上は……皇帝は、誰にも止められない。方法も……」
ルウォンメルの溜息のような言葉に、けれど、エンディは諦めなかった。
「でも、絶対に方法がないなんて、そんなことはないんじゃないですか? 絶対に……可能性が低くっても、一つはあると思います」
ルウォンメルは、思わず俯く。
確かに……あるには、あるのだ。
だが、それをこんなに幼い息子に言うのは、忍びない。
その時、ルウォンメルに救いの手が入った。
エンディの妹の、ジェシー=リレィヌ・フェーヌラブムが入って来たのだ。
彼女はまだ七歳の子供だ。
だから、本当はここまで連れて来たくはなかった。
ルウォンメルの妻、つまりリレィヌの母親は領地にいるのだ。
エンディは十歳で男の子だから、まだ我慢はできるだろう。
だが、リレィヌは七歳の女の子だ。
まだ、とても我慢ができるような歳ではないだろう。
だが、ジョーゼットがあんな命令を下したからには、それを諫めるのは第一皇子であるルウォンメルの役目だし、しかもリレィヌが絶対に行きたいと言ってどんなに諭しても引かなかったのだから、連れて来るより他はなかった。
まだ幼い三歳の娘、エヴァ=ミシュア・フェーヌラブムと、二歳の息子、ラウレス=アジェス・フェーヌラブムと妻達は置いて来たが、でもそのせいで、二人をこんなに長く母親と引き離してしまった。
「リレィヌ? どうかしたのか?」
ルウォンメルは、内心ほっとしながら問い掛けた。
「おとうさま……」
リレィヌは、そっとルウォンメルに近付いた――かと思うと、エンディの方に歩み寄った。
「リレィヌ?」
「おにいさま。ほうほう……あるわよ?」
「は?」
思わず、二人はぽかんとする。
それに焦れたように、リレィヌは唇を尖らせた。
「だから! おじいさまを、とめるほうほう。あるでしょ? おとうさま。そうすれば、ミリーメイさまとか、メイファおばさまとか、リューシュンさまもたすけられるでしょう?」
リレィヌの言葉に、ルウォンメルは固まる。
「……リレィヌ。お前……一体、何を」
「だって。きいちゃったんだもん」
リレィヌは、つんと頭を逸らす。
「聞いた……? 何を……」
「おじさまやおばさまがたが、おっしゃっていたのよ。おじいさまを、『アンサツ』しようって。そうしたら、ぜんぶうまくいくし、ミリーメイさまたちも、きっとよろこんでくれるって。でも、よくわからないの。『アンサツ』って、なに? それで、おじいさまをとめられるのなら、おとうさまがやってもいいんじゃないの?」
リレィヌの無邪気な言葉に、ルウォンメルとエンディは顔を強張らせた。
「リレィヌ……お前、本当に意味が分かっていないのか?」
「ええ。わからないけど?」
きょとんと目を瞬くリレィヌに、エンディが声を震わせて言う。
「『アンサツ』、って言うのは……つまり、殺す、っていうことだから……つまり、お前が聞いた叔父上や叔母上の話は……皇帝殺し?」
エンディは、恐怖に強張った顔でルウォンメルを見上げる。
「父上……そんな」
ルウォンメルは拳を握り締めると、リレィヌを見詰めて言った。
「リレィヌ。その話は、一体誰がしていた?」
リレィヌは首を傾げ、眉根を寄せる。
「……たしか、シェリエイヌおばさまとか、カーティスおじさまとか、トラヴィスおじさまとか……そのあたりだったと、おもう」
その言葉に、ルウォンメルは眉を顰めた。
「そうか……」
シェリエイヌとカーティスは、珍しく母親の同じ兄妹だ。
二人の母親は公爵家の姫君で、トラヴィスの母親も、同じく公爵家の姫君だ。
と、いうことは……。
(公爵家の母を持つ人間、もしくはそれに加えて、侯爵家の方も入るか……。だが、母上のような他国の姫君は、貴族などと協調するのを嫌がって、加わらない可能性の方が高い……)
ルウォンメルは、到って平静に訊ねた。
「リレィヌ。一体何人くらいがいたか、憶えているか?」
「え~っと、たぶん……じゅうにん? かな? たしか、それくらい……ううん、もうちょっと、いたかな?」
「そうか……」
(今ここにいて、公爵家の母を持つ皇子や皇女は七人。侯爵家の方は十二人。しかし、その十九人のうち、三人はまだ十歳にもなってはいなくて、二人はまだ十代の前半……。そう考えると、そうか。あの辺りが……。母親にでも、唆されたのか? どうせ、皇位を継げはしないのだからと自棄になったか、それともこれを手柄として、私に重用してもらおうとでも思ったのか……)
「父上……父上!」
エンディの必死の声に、ルウォンメルは思考を中断した。
「何だ? エンディ」
「と……止めなくてもいいんですかっ? だ、だってそんな、暗殺、なんてっ……!」
エンディの顔色は蒼い。
リレィヌは、よく状況が把握できていないのか、きょとんと目を瞬いていた。
「…………」
「父上! 返事をして下さい!」
「スージェン=エンディ・フェーヌラブム。ジェシー=リレィヌ・フェーヌラブム」
ルウォンメルが溜息をつきながら呼んだ二人の名前に、子供達は口を噤んで不思議そうに父を見上げた。
「お前達は、このことは忘れろ」
「え……?」
「わすれろ、って……きいちゃいけないこと、だったから?」
リレィヌが、真剣な顔をしてルウォンメルを見上げる。
「……ああ。お前達も……」
ルウォンメルは躊躇うと、ゆっくりと言った。
「何かが起きたくなければ、大人しくしておけ」
その言葉に、二人は顔を強張らせた。
はっきりとは言わなくても、二人はルウォンメルが言いたいことを理解したようだ。
「僕達にできることは……何もない、ということですか?」
「ああ。……分かったら、部屋に戻った方がいい」
ルウォンメルの冷たい言葉に、二人は大人しく部屋を出て行った。
ルウォンメルはそれを見送ると、片手で顔を覆った。
(駄目だな……全く。自分の子供に八つ当たりするなどと……)
ルウォンメルは、しばらくその体勢から動かなかった。




