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旅中記  作者: 琅來
第Ⅱ部 禁域の杜の社
42/74

第五章「《ウェルクリックス》」―1

 ウィオは、朝早くに目が覚めた。

 だが、眠りについたのがつい先程のように、ほんの一瞬で時間が過ぎ去った気がする。

 でも、疲れはすっきりと抜けているのは不思議だ。

「さて、と」

 ウィオが起き上がって見ると、同室のマウェやリューシュンはまだ眠っている。

 それもその通りで、まだ朝日が昇る前である。

「……ちょっと、早く起き過ぎちまったかな……?」

 ウィオは、自分で自分に呆れた。

「ん……と。時間もあるし、また散歩でもすっかな……ランクェルは全然知らないし」

 ウィオは、ゆっくりと外に出る。

 季節はもう秋も深まり、冬が近い。

 あと二ヶ月もすれば、年が明けてしまうような時期になっていた。

 だからこそ、朝の冷え込みは厳しい。

 ウィオは、小さく身震いをした。

(もう……村を出てから二ヶ月近く、一月半ぐらいか。早いなぁ。村を出たのは、ついこの前みてぇに思えるけどさ、でも、もう何年も昔にも思える。不思議だなぁ……。でも、あんま余裕ぶっこいてられねぇよなぁ。俺ら)

「おはようございます、ウィオ殿」

 突然後ろから掛けられた声に、ウィオは顔を強張らせて振り向いた。

 そこにいたのは、アーリンだ。

 それは、声で分かったが……問題なのは、ウィオが全くアーリンの気配を感じなかったことだ。

 しかも、足音すらも何も聞こえなかった。

 いくら気を抜いていたとはいえ、足音すらさせないのは――相手が老婆だということも考えると、あまりにあり得ないことだ。

「お、はようございます、アーリンさん」

 ウィオは、微かに顔を顰めて言う。

「それにしても、驚いたな」

「ああ、年寄りは、朝が早いですからねぇ」

 ……噛み合わない。

 ウィオは、彼らしく直接的に訊くことにした。

「いや、そっちじゃなくって、アーリンさんの気配、全然感じなかったから。それと、足音も。だから、ちょっとびっくりしたなって思って」

 その言葉に、アーリンは目を瞬いた後に笑った。

「まあ、そうですか。ですがそれは、ここの地の特性もあるからでしょうね」

「特性?」

 ウィオは、訝しげに眉を寄せる。

「ええ。ここランクェルは、ウェブラムの森の一部。わたくし達は、ほんの片隅を使わせて頂いているだけに過ぎません。そして、言うなれば……ここも、神域ということです。人の感覚が狂わされたとしても、全く可笑しくはありません。わたくし達にとっては、丁度よいのですが」

「? 丁度いいって……何が丁度いいんだ?」

 ウィオの言葉に、アーリンは読めない微笑を浮かべる。

「ここに長くいる者は――特に、この地で生まれた者は、感覚が狂わされるということはありません。恐らく、慣れているからでしょうね。ですが、他の地から来た者は違います。其方のように感覚が狂わされます。そして、其方達のようにこちらに害意を持っていなければよいのですが、そうではない者もおります。殺気をみなぎらせて入り込んでくる、不心得者や大馬鹿者もおるのです。そういった者を相手取り、追い出す時には、向こうの感覚が狂っている方が楽なのです。ですから、わたくし達にとっては、この特性は丁度よいものであり、なくてはならぬものともなっております」

「はあ……そうなんだ」

「ええ」

 ウィオは、難しい話に眉根を寄せる。

 そして、すぐに考えるのを放棄した。

(ああ、やめだやめ。こんなん考えたって、何の得にもなんねぇよ。俺には難し過ぎる。無理だ、無理。絶対に無理。こういうのはリラとかマウェが担当することで、俺はちげぇよ)

「それでは、失礼致します。朝の祈りに行かなければなりません故」

「あ、じゃあ、また……」

「はい」

 ウィオはアーリンを見送ると、溜息をついて首を振った。

(全く……全っ然分っかんねえなあ……やっぱ、俺は頭脳派じゃねぇよ。……もうちょっと散歩でもすっか)

 ウィオは、ぶらぶらと当てもなく歩き始める。

 しばらく歩いていると、ランクェルの端まで行ってしまった。

 目の前に、巨木やら古木やらが立ち塞がっている。

 分け入って行けないという訳ではないし、獣道のように細い小道もあるので行けない訳ではないが、強いて入って行くほどの興味もない。

「……戻るか」

 飽きるまでそれを眺めた後、ウィオは踵を返す。

 しばらく歩いて、泊めてもらっていた所の近くに来ると、リラが突進してきた。

「おおうっ?!」

 ウィオは驚いて飛び退る。

 リラは、ウィオと比べると足が遅いし、腕力などの力もウィオとは比べ物にならない。

 だから、別に突進してきたところで、そのまま止めてしまえば何の問題もない。

 だが、それをするには、リラの形相があまりにも凄まじ過ぎた。

「ウィオっ!!」

 いきなり立ち止まってザッと凄まじい勢いで振り返ったリラに、思わずウィオは引いた。

「な、なな、何だよ、リラ」

「何だよ、じゃないわよ! 一体朝からどこに行ってんのよ! ずっと待ってたのに全っ然戻って来ないから、慌てて捜しに来たってのに……のんびり歩いてるんだからっ!」

 その言葉に、ウィオは顔を引き攣らせる。

「なっ……そんなに経ってたかっ?」

「経ってるわよ! 最初は散歩に行ってるのかなぁって思って、アーリンさんからも、お祈りに行く途中にウィオに会ったって聞いて待ってたんだけど! 全っ然来ないから、もう先にご飯食べようってことになって、それで食べ終わっても全っ然帰って来なくって! だから、みんなで手分けして捜してたのよ! 今日は、アーリンさん達に《ウェルクリックス》のこと聞くっていうことだから、そんなに余裕かましている暇なんてないんだから!」

 リラの矢継ぎ早の言葉に、ウィオは絶句した。

 正直言って、そんなに時間が経っているとは思っていなかったのだ。

「ほら、早く戻るわよ、ウィオっ! 朝ご飯も急いで掻っ込まなきゃ駄目だからね!」

 そう言って腕を引っ張るリラに、ウィオは何も言えないまま付いて行ったのだった。




「あ、メイファさん!」

 メイファは、借りていた家の近くに戻ってくると、リラが満面の笑みで待っていたのでほっと胸を撫で下ろした。

「あ、良かった~。ウィオさん見付かったの?」

「はい。でも、酷いんですよ、ウィオ。散歩に出掛けたまま、ずっと私達が捜しに行くぐらい時間が経ってるって気付かなかったんです!」

 リラの拳を握り締めた真剣な訴えに、思わずメイファは笑みを零した。

「そう。でも、良かったじゃない。万が一の事態にならなくって」

「え、ええ、まあ……」

 リラは視線を彷徨わせると、メイファの背後に視線を転じた。

「あ、ウィオ! や~っと食べ終わったの?」

 その言葉に、メイファの後ろからやって来たウィオは顔を顰めた。

「そりゃあ食い終わったけど、何変なことメイファさんに吹き込んでんだよ」

「え? 何、ウィオ? 私が嘘を言ったって言うの?」

「そういう訳じゃなくって、事実をびみょ~に捻じ曲げんのはやめろよ!」

「捻じ曲げてなんかないわよ!」

 突如始まった言い争いに、メイファは慌てて仲裁に入った。

「ちょ、ちょっとリラさん、ウィオさん、やめなさいよ、喧嘩なんて! ほら、早くアーリンさんの所に行きましょう? 《ウェルクリックス》のこと聞かなくちゃならないんだから!」

 その言葉に、二人はお互いに視線を漂わせ、気まずそうに顔を逸らした。

 その様子を見ていたメイファは、思わず吹き出してしまった。

「……何が可笑しいんですか? メイファさん」

 リラの、少し恨みがましい視線に、メイファは声を立てて笑った後に言った。

「だって、貴方達がそんな小さいことで言い争いをするところなんて、初めて見るもの。だから、面白いって言うのもあるし、新鮮だなぁって思うのもあるし……」

 その言葉に、ウィオとリラは目を瞬いた後、苦笑いをする。

「私達……村にいた頃は、結構こういう言い争いをしてたんです」

 その言葉に、今度はメイファの方が目を瞬いた。

「え? そうなの?」

「まあ、そうだな。俺とリラが生まれたのって、ほぼ一年違うんだ。俺が十四年前――もうそろそろ十五年前の年の最初に、リラの方はぎりぎりその年って言える頃に生まれて、だから数えでは同い年って言っても、実質的には一年近く生まれた日の差があって……そのことで、年上だ年下だ、同い年だってよく言い争ってたなぁ」

 ウィオの沁々とした言葉に、メイファは少し気まずい思いになった。

 リラは、そのメイファの様子を振り切るように、パンと手を叩く。

「えっと、じゃあ、アーリンさんの所にさっさと行きましょう! 《ウェルクリックス》のこと、さっさと聞かなきゃ駄目ですし!」

 リラの言葉に、思わずメイファは小さく笑みを零す。

(ふふ、リラさんったら……駄目ね、あたしは。三つも年下の子に励まされるなんて……。でも、二人とも、村にいた時は本当に仲が良かったのね。ふくおさと次期(むら)おさではなく、普通の男の子と女の子でいられて。でも、それを壊したのは……お父様だわ)

 メイファの顔が、知らず知らずのうちに翳る。

(お父様は……どうしてそんな……親子以上に歳の離れた女の子を、妃に欲しがるのかしら? リラさん自身のことを考えたら、そんなことをすれば、不幸にしかならないのに……。ウィオさんとリラさんは、それこそ生まれた時に一方的に決められた婚約者だけど、とっても仲がいいし、多分好き合ってる……なのに、何で引き離して、二人が大切に思っている村を潰さなくちゃならないのかしら? ううん、それよりもまず、どうして巫女が皇帝の妃にならなくちゃならないの?)

 メイファは、きつく唇を噛み締めた。

(確かに、巫女には特別な力がある。でも……それなら、国に仕えてもらえばいいじゃない。術師には、絶対皇帝に仕えなきゃいけないって制約もないのに、何で巫女だけ、皇帝と結婚しなくちゃならなかったり、他の人間と結婚しては駄目だったりするの? 結婚しても、巫女の力が衰えるとか、そんなことないのに。歳を取ってから力が衰えるなんてこともないし、むしろ強くなることが多いし……。何でなんだろう? どうして巫女は……こんなに制限を受けなきゃならないの? 術師は男が多いから? 巫女は女だから? まさか、これだけの理由で、こんな馬鹿げたことが続いてるの? もう、分かんない……分かんないよ)

 答えは……出なかった。

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