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旅中記  作者: 琅來
第Ⅱ部 禁域の杜の社
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第四章「ランクェル」―4

「スージェーフ中佐、そ、その、これはっ……!」

 彼らはウェブラムの森に入り、リューシュン達が造った道を通っていたが、夜になった為野営の準備をしていた。

「何だっ!」

 カリカリしていたヴァージェーンは、部下を怒鳴りつけた。

「これは、一体何事ですかっ?!」

 その部下が指し示す方向を見たヴァージェーンは、思わず喉を鳴らした。

「スージェーフ中佐!」

「隊長っ!」

 八十人もいたはずの部下達は、悲鳴を上げて逃げ惑っている。

 ヴァージェーンも、逃げないでいるので精一杯だった。

 目の前に広がるのは、まるで陰灯篭のような物だ。

 だが、それは確実に実体を持っている。

 それがあちこちを動き回り、襲い回っている。

 ゆらゆらと揺らめいたかと思うと、ふと影が薄くなり、それが()を認識すると、たちまち襲い掛かり、濃い影となって呑み込む。

 部下達や馬達が、次々とそれに呑み込まれ、断末魔の悲鳴を上げ、そして突然途切れる。

 後に残るのは、凄まじい形相で事切れた人馬の群れだ。

 その中の部下の一人は、窒息したのか、喉が掻き毟られて血まみれになり、顔の色はどす黒い。

 かと思えば、別の部下は全身が掻き切られていて血にまみれていない所はなく、最早誰なのかも分からない。

 かと思うと、逆に血が全て抜かれたかのように、からからに干乾び、口は絶叫の形に開いたままの死体もある。

 その、延々とした繰り返しだった。

 薄く濃くなり、決してこちらからは攻撃できない影灯篭なのに、間違いなく殺意を持って、確実にこちらをいでいく。

 ヴァージェーンは、本能的な恐怖に、堪らず逃げ出した。

 部下達の悲鳴が、ひっきりなしに響く。

 血しぶきの音すら聞こえそうなくらい、鮮明に。

(夢だ、夢だ、夢だっ……! これは夢だ! だから、走っていれば覚める! だから、私は逃げ出したのではない! 見捨てた訳ではないのだ! 逃げてなどいないのだっ!)

 支離滅裂なことを考えながらも、ヴァージェーンは死に物狂いに走る。

 やがて、部下達の悲鳴も聞こえなくなった。

「よ、よし……はは、逃れたぞ。はは、ははは、は……」

 ヴァージェーンはようやく立ち止まると、荒く息を切らす。

 まるで狂ったように、乾いた声で笑い続けた。

 と、その時。

「馬鹿だなぁ、お前は」

 突然、背後で声がした。

 ヴァージェーンは冷や水を浴びせられたかのようにびくりと飛び上がると、勢い良く背後を振り返る。

 だが、そこには何もない。

 先程の、不気味な陰灯篭のような物すらも。

 ただ、夜の深い森が、黒々と口を開いているだけだ。

 頭上から差し込む月や星の光でさえも、その不気味さを増す。

 森の中はしんと静まり返っていて、先程の声は空耳だったと思い込もうとした、その時、

「部下を見捨てて」

 またもや、背後で――先程まで、自分が向いていた方向で、声が響いた。

 だが、振り返っても誰も、何もいない。

 ヴァージェーンは、自分の吐息しか聞こえない――不気味なまでの静けさに気付き、ぞっとした。

 そうだ、こんなに深い森なのだから、何か野生の生き物がいなければ可笑しい。

 なのに、その気配も、鳴き声も……何も、聞こえない。

 自然と、かちかちと歯が鳴る。

「荷物すら持たずに」

 今度は、横だ。

 しかし、それでも、何もない。

 声が――あちこちから、聞こえてくる。

 今度は、絶え間なく。

「情けなく」

「みっともなく」

「走って走って」

「逃げて逃げて」

「逃げ惑って」

「どこまでもどこまでも」

「より深みに嵌っているとも気付かずに」

「愚か者のやること」

「本当に笑える!」

 くすくすと、不気味な笑い声が森中を響き抜ける。

 反響して、既にどこから声がしているのかも分からない。

 混乱状態のまま、ただひたすら、ヴァージェーンは不気味な声の出所を探して、辺りを見回す。

 けれど、何もいない。

 何の気配もない。

 なのに、あちこちで声だけはする。

 恐慌状態に陥ったヴァージェーンに向かって、嘲るような声が投げ掛けられた。

「こんな馬鹿なお前には」

「こういう死に方が」

「一番お似合いだよ」

「じゃあね」

「さようなら!」

 鈍い痛みと衝撃が、ヴァージェーンの胸を走る。

 見下ろすと、彼が身に纏っていた鎧すらも貫通して、剣が胸を貫いていた。

 そして、どこから飛んできたのか、矢が彼のこめかみを貫く。

 一瞬で、彼の意識は吹き飛んだ。

 ゆっくりと、ヴァージェーンの体は地に倒れ伏す。

 それから、すぐに。

 木の上から、数名の男女が飛び降りた。

「何か、いっつもやってることだけどさ、嫌な気分だよね、こういうのってさ」

「まあ、しょうがないよ。神域で剣を抜くこいつらが悪い」

「そうそう、神の祟りを知らない愚か者のやることだ。ただの自業自得」

「でも、巻き添えにされた部下達が可哀想だよねえ。確実に五十人以上はいたでしょ? かなりの大人数だよねえ。ま、百人はいなかっただろうけどさ」

「まあ、しょうがないよ。恨むなら、馬鹿な隊長。嘆くなら、選ばれてしまった己が身の不運、ってね」

「ま、リューセムみたいに、常識人が纏めてれば良かったんだけどねぇ。それか、こういう場所に対する畏怖心があればさ」

「だよね。そうすれば、こんな無駄死にはなかったのに」

「やれやれ、ご愁傷様」

 彼らは口々に感想を言い、ただ死体を見下ろしていた。

 すると、不思議なことに、死体が地中に吸い込まれて行く。

 やがて、完璧に消え去った。

「はぁ~、やれやれ」

「終わったかぁ」

「にしても、面倒な役だよねぇ。死体を吸収してくれるのは助かるけど、殺すのは僕らって」

「うん、何か一番の面倒事を押し付けられてる気がする」

「ま、しょうがないんじゃないかな? 神は殺生を行っちゃいけないんじゃないの? 穢れちゃうから」

「じゃあ、その『不浄』を吸収していい訳?」

「そこはまあ、自然の浄化作用?」

「ああ、確実に獣の死体とかも出るからねえ。だったら、百人足らずの人間も同等の扱いで吸収、分解されちゃうとか?」

「それか、そこはもう神様(・・)だから、こっちが大変な思いをするのが当然なんじゃない?」

「ん~、まあ、最終的には『神様だから仕方ない』ってことになるんじゃない?」

 彼らは口々に言うと、立ち去って言った。

 森を、再び完全なる沈黙が包み込んだ。

 やがて、野生の生き物達の気配が戻り出す。

 だが、その中に、人間の(・・・)気配はない。

 この森に踏み込んだ彼らの部隊で、生き残れた者は……ただの一人も、いやしなかった。

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