第四章「ランクェル」―3
「まあ、それは、昔語りになってしまったのですか」
そして、遠い目をした。
「確かに、それと似たようなことがあったのは事実です。ですが……それは、ただ騙しただけです」
「騙……した?」
全員、ぽかんとした。
「少し長い話になりますね……。確かあれは、ウェブラムの森に入った日の夜だったでしょうか。先代様が、まだ幼かったわたくし達に接触してきたのは」
「接触……ですか?」
「ええ。と言っても、案内役のイージュンを除いた、わたくしと背の君だけでしたけれど。先代様は、そこでわたくし達に事実を教えて下さいました。《ウェルクリックス》とは、巫女しか捕まえることのできない鳥であること。イージュンは案内役ではなく、わたくし達の見張り役でしかないこと。皇帝がわたくしを妃にしようとしていること。そして、わたくしと背の君を、ランクェルに誘って下さいました。
『このまま進めば、いずれ其方らは別れてしまう。そして、家を継ぐこともできなくなる。妾の下に来れば、家を継ぐことこそできぬが、別れることはない。それに、其方らは知らぬかも知れぬが、其方の両親は、帝都の人間に殺されたのじゃ。そのような仇の役に立つことはなかろう? 向こうの世に、大した未練もないはずじゃ。妾と一緒に来たければそれでも構わぬが、来ぬか?』
と。わたくし達はそれを了承しました。そして……」
アーリンは、昔の悪戯を思い出すようにゆったりと笑った。
「イージュンを騙す為に、わたくし達に策を授けて下さいました。わたくし達は数日の間真っ直ぐ進み、最初に見付けた小屋に入る。そして、その中にいる老婆に、《ウェルクリックス》のことを訊ねる。老婆はそれを聞いてここに留まるように言うが、わたくし達はそれを断る。小屋を出ると、老婆はわたくし達を追い掛ける。わたくし達は老婆に捕まり、老婆はイージュンを脅し、立ち去る。そう決めたのです。それをイージュンから見たものが、その〝鬼の森〟になったのでしょうね……。色々と、脚色されていますけれど」
老婆の言葉に、ウィオは呆れた顔になった。
「なあ、マウェ……お前の曾祖父さんが見たそいつの――イージュンの様子って、まさに『死に物狂い』だったんだよな?」
「はい……私は、そう聞いております……」
「だったら、さ。その先代の長老って、どんだけの形相してたんだ?」
その言葉に、アーリンは遠い目をした。
「……前もって聞いていたわたくし達ですら、本気で引いてしまい、思わず本気で走って逃げたほどですねぇ……」
その言葉を聞き、一同は沈黙した。
「それ……やり過ぎでは……?」
ミリーメイが恐る恐る訊ねると、アーリンは苦笑して言った。
「まあ、自らのお年を隠す為もあったのでしょうし、無闇にここに干渉されたくないというのは、本当のことですので……」
その言葉に、リューシュンが首を傾げた。
「『お年』って……その先代の長老は、一体その時おいくつだったのです?」
「そうですねぇ、わたくしが十四でしたから、二十歳そこそこだったはずです」
その言葉に、ランクェル出身者以外の顎が落ちた。
「――……二十歳、そこそこ?」
ウィオが何とか声を搾り出すと、アーリンはおっとりと笑って言った。
「ええ。下手な変装では年若いことが分かってしまうので、思い切って老婆を演じたそうなので……。まあ、迫力は充分にあり、こちらも少し――いえ、大分、結構、かなり怖かったのですけれど」
アーリンの言葉に、皆沈黙してしまった。
「あ、でも、その方って二十歳で長老を?」
リラの問いに、アーリンは笑って首を振った。
「いいえ。先代様が長老となったのは、先代様が三十六になった頃です。その時点の先代様は、次期長老――つまり、副長でした。けれど、のちに先代様は病に侵されてしまい、五十歳で亡くなってしまいました。ですから、わたくしは四十四から今までの、ええ……何年でしたっけ?」
その言葉に、リィアが静かに言った。
「五十八年です」
「そうでした、五十八年、長老を務めております」
その言葉に、リラの顔がすっと蒼くなった。
「え……ってことは……アーリンさんは、今、百二歳……ですか?」
「ええ。いつの間にか、時が過ぎたようですねぇ……。ほんに、ここに来たのが昨日のように感じられます。時というのは、あっと言う間に過ぎ去ってしまいますねぇ」
その言葉に、ランクェル出身でない者達の頭が痛くなってきた。
「さて、《ウェルクリックス》のことでしたか?」
アーリンの言葉に、リラは自分がした質問を思い出した。
「え、ああ、はい……」
「そうですねぇ、今からでもしたいのですが、どうせ話すのなら、一日に全て纏めてしまった方がよいでしょう。詳しい情報を纏める為に、明日に回しても宜しいでしょうか?」
「はい。構いません」
「では、ラグジャード。彼らにも、部屋を与えなさい」
「はい。では、こちらに付いて来て下さい」
ラグジャードの後を付いて、ウィオ達は部屋を出て行った。
夜、リラはウィオと一緒に外にいた。
リラはミリーメイやメイファと一緒の部屋が与えられたが、まだそれほど眠くない為、外に出ていたのだ。
そうしたら、ウィオと遭遇した。
「なあ、リラ……」
「何?」
「何かさ……ここまであっという間って言うかさ……。まだ村を出て、二ヶ月も経ってないんだな……」
その言葉に、リラは目を瞠る。
「あ、確かに……そうね。何か、色んなことが一瞬で過ぎ去った感じだわ。そっか。もう二ヶ月、か……」
「そうか? 俺はむしろ一年ぐらい過ぎた感じがするな。何て言うか、すっげえ沢山起こり過ぎたせいで、まだ二ヶ月しか経ってないのか? って思うし。だって期限まで、まだ半年以上もあるんだぜ? 移動日数を考えても、何か余裕あるなってさ……」
「うん……それは、そうね……」
リラは小さく呟くと、それっきり黙った。
ウィオも、珍しく何も言わなかった。
ランクェルは、静かに静まり返っている。
ただ、吹き抜ける風が梢を揺らし、それによって、ここが森の中の集落だということを知らせる。
「あのさ、ウィオ……」
「ん?」
リラは、静かに言った。
「昼間、リューシュンさんを見付けた時……私、リューシュンさんが呟くの聞いたんだよね。『ここは、私の故郷だから』――って」
「え?」
ウィオは驚き、リラの顔を覗き込む。
「でも、その時は私達、リューシュンさんとここの関係、全然知らなかったでしょ? だから私、それは私の聞き間違いかなって思ってたの。でも、……聞き間違いじゃなかったんだよね、これって」
その言葉に、ウィオは頷いた。
「ああ。多分。……ってかさ、リューシュンさんが、ウェブラムの森の入り口にいた理由ってさ」
「うん?」
「懐かしく、思ってたのかなって思ってさ。やっぱ、自分が生まれたとこだろ? だったら、懐かしんでも当たり前……じゃねぇかな? それに、意外と積極的に俺らに付いて来た理由ってさ、帝都に戻ったら殺されるかもってのもあっただろうけど、姉さんや曾祖母さんに会いたかったってのも強かったんじゃねぇかなって……思って、さ。だから、結果的にこれって……良かったんじゃねぇかな」
ウィオの言葉に、リラは思わずくすりと笑った。
「何? ウィオ。どうかしたの? ウィオにしては珍しくいいこと言うじゃない」
「あ? 珍しくってどういうことだよ?」
「そのまんまの意味。それにしてもウィオ、十五になって変わったの? この前からずっと、ウィオにしては珍しいことばっかり言ってる」
その言葉に、ウィオは眉を顰めながらも胸を張る。
「俺が成長してるって、素直に認めりゃいいだろうが。そうだろ?」
その言葉に、リラは小声で言った。
「そんなの、認めたくないに決まってるわ」
「ん? 何か言ったか?」
「ううん? 何にも」
リラはうん、と伸びをすると、ウィオに笑い掛けた。
「じゃ、そろそろ寝るわ。お休み、ウィオ」
「ああ、お休み」
ウィオは手を振ると、立ち去ってしまった。
リラは、ウィオの後ろ姿を見詰めながら小さく呟く。
「私の知ってるウィオが、ウィオじゃなくなっちゃいそうで、怖いよ……。どんどん、みんな、変わっていく……。何か、私一人だけが、取り残されそうで……」
コワイ――
リラの瞳が、まるで泣きそうに揺れた。




