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旅中記  作者: 琅來
第Ⅱ部 禁域の杜の社
39/74

第四章「ランクェル」―2

 その集落に入り込んだ途端、ウィオ達は目を瞠ってしまった。

 そこは、驚くほど普通の村だった。

 小さな子供達が走り回り、家の中からは女たちが機を織る音が聞こえてくる。

 それに、遠くの方に見えるあれは……間違いなく、紛れもなく、収穫済みの畑である。

 どこからどうみても、村でしかあり得ない。

「それでは、兵士の方々はこちらへどうぞ」

 いつの間にか傍まで来ていた人が、そう言って彼らと馬を引き連れて行く。

 どうやら、ここには厩もあるようだ。

 馬が連れて行かれた厩は、まるで急ごしらえのようで、随分と木材が真新しい。

 けれども、造りはしっかりとしていて丈夫そうだった。

「それでは、貴方方はこちらへどうぞ」

 リィアはそう言って、ウィオ達八人を連れて行った。




 ウィオ達が案内されたのは、随分と大きくて広い建物の中だった。

「ここは――」

「わたくしの家です」

 ……実に明快な答えである。

 そう言った老婆は、ウィオ達に椅子を勧め、自らも座った。

「まずは、其方達に謝らねばなりません」

 老婆は、ゆっくりと話し出す。

「わたくし達は、其方達がウェブラムの森に入る前から其方達の存在を知っておりました。わたくしの持ちし力は、予見と千里眼ですから。なので、其方達が三人で旅立ち、途中で六人となり、更には三十六人という大人数になったことも、知っておりました。……ですが、それを警戒した者がおりました」

 そこで老婆は吐息をつくと、ゆっくりと八人を見渡した。

「わたくしも、三十六人全員を信用していた訳ではありません。この森に入る資格を持ちし者は、巫女や術者、ここを故郷とする者。そしてその伴侶や婚約者、血族。これが明確に定められた者達です。それと、ミカッチェ村の住民達――今は、その子孫達、と言った方がよいでしょう。その彼らと、更には資格を持っている者の指揮下、支配下にある者。彼らは目こぼしの対象となります」

 アーリンの言葉に、誰かがごくりと生唾を呑み込むのが聞こえる。

 そう、今アーリンが言ったことが確かであるなら、もし兵達を率いるのがリューセムでなければ、彼らは皆排除(・・)されていても可笑しくないのだ。

「元々、この森に立ち入ることが許されるのは、たったの六人でした。ですが、他の三十人のうち、一名がミカッチェ村の後裔であること――それと、リューセム。其方が残りの二十九人を率いているということで、彼らの行動次第では、こちらへ迎え入れることも可能となります。そして、それを警戒した者がおりました。……ラグジャード。出ておいでなさい」

 その言葉に、仏頂面をした壮年の男が出て来る。

「彼は術者で、この村では脇侍を務めております。其方達が見た、あの黒い物体。……憶えておりますね?」

 その言葉に、八人はそれぞれ頷く。

「あれは、このラグジャードが、他の非賛同的な術者と協力して創り出した物です。そしてそれだけではなく、その直前にあった諍い。……あれも、彼らがその者達の心に干渉し、気持ちをささくれ立たせて、わざとあのようなことを起こさせたのです。彼らを、ランクェルに入れさせない為に。……本当に、申し訳ありませぬ」

 老婆は静かに頭を下げ、リィアも頭を下げた。

 それに慌てたのは、ラグジャードと呼ばれた男だった。

「長老様っ! そんな、貴女様がお謝りになられることではありませぬ! 責任があるのは、私の方で……!」

「ですが、ランクェルの長老はわたくし。そして、ふくおさはリィア。其方らが行動を起こす前に、上に立つわたくし達が気付かねばならぬのです。わたくし達は、其方らの行動が成功する前に、阻止することはできました。ですが、最初から気付けたかと言えば、そして止められたかと言えば、決してそうではありません。ですから、わたくし達の責でもあります」

 老婆はそう言うと、ふんわりとウィオ達に笑い掛けた。

「わたくしは、ランクェルの長老を務めているアーリンと申します」

「アーリンさん、ですか?」

「ええ」

 老婆――アーリンは、穏やかに微笑んだまま、リラに目を向けた。

「さて。……貴女達は、わたくし達に聞きたいことがあるのでしょう?」

 その言葉に、ウィオとリラははっとした。

「ええ……。私達が聞きたいことは、あまりありません。ですが……」

 リラは、アーリンをしっかりと見詰めた。

「一つだけ、どうしても、聞きたいことがあります。……《ウェルクリックス》のことについて、教えてもらえる限りのことを教えて頂きたく思います」

 その言葉に、アーリンやリィア、ラグジャードは、ゆっくりと目を瞑った。




 アーリンは、長い沈黙を挟んだ後、ゆっくりと口を開いた。

「貴女は……わたくしと、同じことを言うのですね……」

 その言葉に、ウィオ達は目を瞠る。

「同じ、こと?」

「ええ。わたくしは、ランクェルの出身ではありません。わたくしの故郷は、ここから遠く離れた街――その当時は、ファーヴンと呼ばれていた街です。今はどうなっているのか、わたくしには分かりませぬが。わたくしが最後にあの街を見たのは、もう九十年近くも昔のことですからね」

 その言葉に、マウェは眉を寄せた。

「ファーヴン、ですか……確か、今もありますね。ですが、今ではもう村になっております。街と呼べるほどの活力はもう、かの場所には残っていなかったと思います」

「そうですね。まあ、仕方のないことだとは思います。わたくしがいた当時ですら、活気が衰えて来ておりましたから」

 アーリンは、悲しげに微笑んだ。

「さて、話を戻しますね。わたくしは巫女でしたが、親はそのことを隠しました。わたくしの家は、ファーヴンを取り纏める伯爵家の補佐をしていた子爵家で、跡継ぎが絶対に必要だったのです。けれど、家にはわたくししか子供がいませんでした。ですから、親はわたくしが巫女だということを隠し、わたくしと背の君とで、家を継がせようと目論んでおりました。ですが……」

 アーリンは、そっと目を伏せた。

「わたくしの母は術者でしたから、わたくしが十四の頃までは、何とか隠し通すことができました。ですが、皇帝達には、いつの頃からか分かってしまっていたようです。彼らは、両親を謀殺しました。ですが、それは後になってから分かったこと。両親が亡くなってすぐには、そんなことを知りませんでした。わたくしも背の君もまだ幼く、どうすればよいのかも途方に暮れておりました。そんな時に、帝都から使者が参ったのです。そして彼らは、今では先々帝となった当時の皇帝からのご慈悲として、ウェブラムの森に行き、《ウェルクリックス》という鳥を捕まえて持って来れば、わたくし達を支援してくれると言ったのです」

「帝都、から?」

「《ウェルクリックス》を捕まえろ、と?」

 思わず、ウィオとリラは肩を強張らせた。

 自分達も、帝都から使者が来て、そして今旅に出ているのだ。

 だが自分達の所は、両親が殺されただとか、そんなことはない。

 しかしそれは、ウィオがむらおさの唯一の跡継ぎで、リラが村で唯一副長になり得る者だったからなのではないか。

 そんな二人が婚約者とならざるを得なかったから、ただ何もなくても難癖を付けやすかっただけだったのではないだろうか。

 もしそうでなかったら、一体自分達は、どんなことをされていたのか。

 それを想像して、思わず二人は鳥肌を立てた。

「ええ。わたくし達は、《ウェルクリックス》のことなど何も知りませんでした。だから、何も疑いもせず、ウェブラムの森へと行ったのです。案内役の男と共に」

 その時、ずっと沈黙を守っていたメイファが口を開いた。

「あの……少し、いいですか?」

「何でしょう?」

「昔語りの〝鬼の森〟は……もしかして、貴女達のことですか?」

 その言葉に、ウィオとリラは目を瞠った。

 確かに――そう考えれば、色々と辻褄が合う。

 まだ年若い少女と、その恋人の少年、二人の保護者である青年。

 それが、〝鬼の森〟の登場人物だ。

 マウェの記憶が確かなら、この〝鬼の森〟の元となる出来事が起こったのは、およそ八十年は昔のこと。

 全ての符合が合致する。

 だが、アーリンは首を捻って言った。

「〝鬼の森〟……とは、何でしょうか?」

 その言葉に、ランクェル出身者以外の者が固まる。

 そして、フェムリヴドがそれを笑い飛ばした。

「い、嫌ですねぇ、アーリン殿。〝鬼の森〟と言ったら、あの〝鬼の森〟しかないでしょう?」

「はて……わたくしは、そのような昔語りは、聞いたこともありませぬが」

 その言葉に、リューセムやリィア、ラグジャードも頷く。

 それを見て、他の七人は顔を引き攣らせた。

 七人を代表し、マウェが口を開く。

「あの……ですね。〝鬼の森〟、というのは、よく語られる昔語りで……」

 そして、少々長くはなったが、〝鬼の森〟の概要を七人で話し聞かせると、アーリンは苦笑し、他の三人は目を丸くした。

 リューセムが、額に手を当てて難しい顔で訊ねた。

「待て……ちょっと待て、マウェ。一体何がどうなってそうなるんだ?」

「さあ……?」

 その言葉に、リューセムはがっくりと肩を落とす。

「そのようなことは、ランクェルの歴史にはありませんが……」

 リィアは、困惑した表情で言った。

 ラグジャードも、深く頷いて告げる。

「ランクェルは、条件に適う者ならば来る者拒まずだが――来たくないと言っている人間を、わざわざ誘拐してまで連れて行くなんてありえない。それに、ここに余所者が来たら、はらわたを引きずり出して帝都に血の雨を降らせる、などと……そんな気味の悪いこと、たとえ脅しだとしても言わない気がするな」

 三人は、アーリンを見詰めた。

「曾お祖母様……」

 アーリンは苦笑すると、口を開いた。

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