第三章「ウェブラムの森」―3
「え……」
「今……何て……?」
微かに聞こえる、途切れ途切れの声。
それに、今自分が聞いたことが、空耳でも聞き違いでも何でもないということを知る。
「あね、うえ……?」
「ひ、ひい、おばあ、さま……?」
その言葉に、女性は苦笑する。
「はい。……確かに、わたくしはこの子の姉で、リィアと申します。そしてこちらは、我らの長老にして、わたくしの曾祖母です」
その言葉に、マウェが何とか言葉を搾り出した。
「……詳しいご説明を、して頂けますか」
その言葉に、リューセムは苦笑して言う。
その笑みは……リィアと名乗った女性と、よく似ていた。
「きょう、だい……?」
思わずウィオは、知らず知らずのうちに呟いていた。
だが、あまりにも動揺していたせいか、誰も気付いていなかった。
「取り敢えず、わたくし達の居住地へといらして下さい。話は、それからです」
リィアと言う女性の言葉に、ウィオは口を開いた。
「ここで、ちょっと話すってのは、駄目なのか? いくら何でも、これじゃあ混乱するだけだ」
その言葉に、リィアは真顔になって言う。
「ええ。ここは、貴方方が思っている以上に危険な場所です。ここは……噂だけではなく、本当の神域なのですから。それに、一族の者が、貴方方にまた手出しをしないとも限りませんし。ですから……お早く、お決め下さい」
その言葉に、ウィオの隣にいたリラが真っ先に言った。
「リィアさん。……私達は、行きます。……ね、ウィオ、マウェさん、メイファさん、ミリーメイさん、リューシュンさん」
その言葉に、ウィオは仰天して大声を出した。
「はぁっ?! リラ、お前、何をっ……! 何も説明受けてないのに、いきなり現れたこいつらを信用するってのか!」
「だってウィオ、私達の目的って、何?」
その言葉に、思わずウィオは口を噤む。
「それを考えたら、分かるよね? 軍の人達や、マウェさんやミリーメイさん達が行かないって尻込みしても、私達は行かなきゃ駄目だって。……もしも罠だったとしても、私達はそれにすら縋らなきゃいけないくらい、切羽詰まってるんだって」
その真摯な言葉に、思わずウィオはたじろぐ。
「それ、は……」
「だから、リィアさん、お婆さん。私達は、行きます。……行かなければ、ならないんです」
その言葉に、リィアは頷く。
そして、周りを見回した。
「それでは、他の方は? いかがなさいます」
その言葉に、ミリーメイ達四人は顔を見合わせ、頷く。
その中から代表して、ミリーメイが口を開いた。
「私達も、一緒に行くわ。そうじゃなきゃ、何の為に寄り道したのか、分かったものではないもの」
フェムリヴドも、一歩進み出て言う。
「ラムドウェッド大尉――貴女の弟君率いる私達ジョーゼット皇帝陛下直属シャーラーヴ独立小隊も、貴女方に同行致します。ラムドウェッド大尉は弟君であるということでお答えにはなれないでしょうから、その代わりに、副隊長である私、フェムリヴド・フラッドリスが返答致します。……いいな? お前達」
その言葉に、隊員達は途惑いの表情を見せ、不安そうに顔を寄せ合ったが、フェムリヴドが決めたことなら、と頷く。
それを見て、リィアが言った。
「それでは、参りましょう」
その言葉の最後の音が消えるか消えないかのうちに……辺りの視界が、ぼやけ始めた。
ウィオは驚いて辺りを見渡すと、白い霧のようなものが立ち込めている。
それを目にした途端、ウィオの腕に鳥肌が立った。
「…………?」
訝しく思っているうちに、白い霧はどんどんと濃くなり……すぐ隣にいたはずのリラの姿ですら見えなくなった。
少し不安になって声を掛けようとしたが……何故か、声が出なかった。
(なっ……?!)
どんなに頑張っても、喉が締め付けられているかのように、吐息しか零れない。
あまりの状況に、軽く混乱状態に陥っていると、やがて、霧が晴れてきた。
そして、霧が完全に晴れた時――ウィオは、驚愕の声を上げていた。
「なっ……! あれ、はっ……?!」
樹の向こうに、建物があるのが見えた。
愕然として辺りを見回すと、先程までいた所よりももっと広い空間が開いていて、おまけに頭上からは燦々と陽光が差し込んでいる。
先程の鳥肌や、ウェブラムの森に入った頃から感じていた何となく嫌な感じが、まるで嘘のように消え去っている。
「こ、れは……一体……?」
ウィオが呆然と呟くと、ミリーメイが唖然とした様子で言葉を発した。
「これは……まさか、瞬間移動……?」
「お恥ずかしいことながら、『瞬間』と言えるほど立派なものではありませんが……確かに、移動は致しております。……皆様、ようこそいらっしゃいました。ここは、わたくし達の住まう集落、古来より伝わって来ました名を、ランクェルと申します」
老婆が言ったその言葉に、ウィオは愕然とする。
(しゅ、瞬間移動……? それって、話の中だけじゃなかったのかよ……? 本当に、現実にそんなことって……)
「……あの、お恥ずかしいってどういうことです? いくらここが神域とはいえ、場所を移動するだけでも、普通の術者や巫女には不可能と言ってもいいほど難しいことだと思いますが。現に、あたしもお母さんも、ほんの少しだけの移動ならできるかも知れませんが、こんな長い距離を……それも、こんなに大勢の人も一緒になんて、できっこありません」
メイファが真剣な目をして言うと、老婆は苦笑して言った。
「わたくしの先代の長老は、この国の端から端までを楽に移動できました。先代様は、それはそれは素晴らしいお力をお持ちでいらっしゃいましたので……。それと比べては、わたくしなど……。もしも先代様だったのであれば、本当に一瞬で移動をしていたでしょう。それに、わたくしとリィアだけで術を発動させた訳ではありません。我らの中の、術者や巫女の力を、借りて行いましたから」
「それでも、凄いことに変わりはありません」
ウィオは、頭が痛くなってきた。
全く、彼女達の話している内容が理解できない。
「あ~……ちょっと、いいか?」
「何でしょう?」
そう訊ね返してきたリィアに、ウィオは訊ねる。
「それで……『姉上』と『曾お祖母様』って……結局、どういうことだ?」
その言葉に、リラも頷いた。
「あ、確かに……ちょっと、気になります。だって、リューセムさんって……男爵家の方なんですよね? なのに、どうして……」
その言葉に、リューセムは苦笑する。
「確かに、私はラムドウェッド男爵家の人間だ。だが……幼い頃は、ここに――ウェブラムの森に、暮らしていたのだよ。つまりは、ここは私の故郷だ」
その言葉に、リィアと老婆を除く皆が驚愕の表情を浮かべる。
「勿論その頃は、私が男爵家の人間だと……貴族の端くれだと、そんなことは、全く知らなかった。確かあれは、八歳の頃だったか……」
リューセムは、どこか遠い目をした。
「私の母は、私がこの森を出て行くより少し前に病で亡くなっていた。だからそれまでは、この森の中で、姉上や父上や母上、曾お祖母様達と共に暮らしていた。私は、ここが……とても好きだったよ。それに、私は術を使う才能があったようで、六歳の時から、父には内緒で術者から術を習っていた。だから私は、今でもある程度の術なら使えるのだよ。まあ、父が術者だったということもあるかも知れないが」
その言葉に、ウィオの思考は半停止状態になる。
(何、だって……? リューセムさんが、術者……? っつうことは、さっき何かを唱えてたのは、呪文ってこと、か……? マジかよ。……なんか、帝都からオールクッドっつう使者が来てから、ことごとく常識やら平穏やらがぶち壊されてる気が……)
ウィオは、思わず遠い目をした。
(うっわ……こうして思い出すと、何か、普通は体験しねぇようなことばっかしてる気がするぞ……)
ウィオが思考に浸っているうちにも、リューセムの話は続いて行く。
「それで……どうして、この森を離れたんですか?」
リラが訊ねると、リューセムの表情が暗く陰った。
「父は、元々この森へと迷い込んで来たと言うか、見聞を広める為に旅をしていて、偶然、ここが神域だとは知らずに入り込んで来たと言うか……。とにかく、偶々ウェブラムの森に入り、そして術者であるということもあり、この村落への立ち入りを許された。そして、それを母が見初めて、出て行こうとする父を引き止めた。父も母を愛し、そしてここに留まることにした、と……そう、誰もが思っていた」
リューセムは深い溜息をつくと、静かに言う。
「だが父は、母を愛したのではなく、母の美貌を愛しただけであった。……最後まで、母が大事にしていたランクェルを好きにはなれなかったのだよ。母はただ、もてあそばれただけだった。元々父は、子供ができる前は、自分の気が済んだら――母といるのに飽いたら、母を見捨ててランクェルを出て行くつもりだった。だが……子供ができたことによって、父の考えは変わったらしい」
リューセムは吐き捨てると、溢れる感情を抑え込むように、きつく目を瞑った。
「父は男爵家の長男であり、将来は妻を娶り、子を儲けねばならない。だが、婚約者の娘を好きになれなかったそうだ。だから父は、母が産んだ子供をその婚約者の養子にすればいいと、そう思って留まっていた。けれど、産まれた子は女の子だった。だから父は、自分の眼鏡に適う男児を産ませればいいと、そう思ってランクェルに留まり続けた。そして、私が産まれ……成長し、弟妹達が産まれ、母が死に――その時、父は結論を出した。私を、自らの次の男爵位に就けようと。私は、弟に比べて優秀だったから、と。そう言って」
リューセムの顔に、苦いものが広がる。
「あのことは……今でも、よく憶えている。私にはその時、姉上の他に、一人の弟と二人の妹がいた。姉上はその頃九歳で、巫女としての才能が開花し、曾お祖母様から直接の指導を受けていて……だから、難を逃れることができた。父は……私と六歳の弟のどちらが優秀かを量りに掛け、そして、私を選んだ。そして、父には……他の子供は、不要だったのだ」
その言葉に、ウィオ達の顔から血の気が引いた。
「そ、それって……まさ、か……!」
「ああ。姉上の所にいる曾お祖母様に、父上が勝てるはずもない。父は強い術者であったが、それでも、曾お祖母様のような大巫女には勝てない。だから父は、姉上には手を出さなかった。けれど、その代わりに、まだたったの四歳と二歳だった妹と、六歳の弟を殺した。沢山の、血を流して。それを見た時、私は……父が、狂ったのかと思ったよ。父は、にっこりと笑っていたのだから」
リューセムは、記憶の中の父を思い起こした。
その時の言葉は、口に出したくもない。
けれど、今でも鮮明に脳裏に蘇ってくる。
『さあ、こんな所にいる必要など、もう何もない。野蛮人どもの所に留まる必要などはな。さあ、元の世界へ戻ろう。私達が本来いるべきだった、貴族の元に』
そう言って、弟妹達の血に塗れた手を差し出してきた。
その紅い血を――それが床に滴り落ち、己の服を汚す様をも、ありありと思い起こすことができる。
忘れたいのに、忘れられない――いや、決して忘れてはならない記憶だ。
リューセムは視線を上げると、少し肩の力を抜いた。
「父は、先程私達が運ばれて来たような瞬間移動をして、帝都へと戻った。私を……無理矢理連れて。それからは、恐らく其方らの想像通りだ。十四の時に帝都を出て以来、十年も行方不明だった父の帰還に、祖父や父の婚約者達は狂喜乱舞して喜んだ。たとえ、どこでつくったのかも分からない、私のような子連れでもな。その時の父は二十四で、婚約者は二十二で、結婚に遅過ぎるということはない。そして、父は婚約者と形ばかりの結婚をし、私をその義母の養子とした。……父はもう七年前に病死したが、それまでの十八年間で、その義母に子供ができたことはなかったよ」
リューセムの言葉に、辺りはしんと静まり返った。
いくら複数の妻を持つのがほとんどの貴族ではあり、そういったことが普通に容認されると言っても、リューセムの父――先代のラムドウェッド卿のそれは、決して許されるようなことではない。
第一、そんな不気味な考えを持つ者は、王侯貴族の中でも数えられるくらいしかいないだろう。
何より、『邪魔だ』と言って、いくら賤しい女の子供だとは言っても、我が子を殺すような人間は……最早、『狂人』と言っても言い過ぎではない。
「さて……納得したのならば、そろそろ参りましょうか」
老婆の声が、この小さな空き地に響く。
「いつまでも、ここで愚図愚図している訳には参りません。さあ、早く」
その言葉に、ウィオ達はゆっくりと動き出して行く。
まだほんの僅かしか見えない、ランクェルの村へと。




