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旅中記  作者: 琅來
第Ⅱ部 禁域の杜の社
36/74

第三章「ウェブラムの森」―2

 メイファは、必死でリューシュンの袖を掴んでいた。

「ああっ? だから何だって言うんだっ?」

「お前こそ、ふざけんじゃない。誰がそんなことを言ったってんだ?」

 何故かは、よく分からない。

 だが、突然隊員達の間で、諍いが始まってしまったのだ。

 しかも、頼みの綱となる隊長のリューセムはどこかへと消えてしまい、副隊長のフェムリヴドはそれを捜しに行ってしまっている。

 唯一リウェムスだけは止めようとしているが、彼はこの独立隊の中では下っ端中の下っ端。

 彼の言うことを聞く先輩の隊員は、誰一人としていない。

 救いは、諍いをしているのは一部の隊員だけで、後は遠巻きにしているということだけだろうか。

 リューシュンはそれを止めに行こうとして、メイファにきつく袖を掴まれているのに気付き、もどかしげに振り返って言った。

「なあ、離してくれ、メイファ。あれ、俺が止めに行かなくちゃ駄目だ。他に誰もいないんだから」

「駄目。今行ったら……駄目。巻き込まれる……」

 メイファは、必死に体の震えを押さえていた。

 この恐怖には、覚えがある。

 巫女としての力――それからの、警告。

 これに、関わってはいけないと。

 関わったら、大変なことが起こると。

 そう、力は告げていた。

「……メイファ。それは……何故か、訊いてもいいか? それに、何に巻き込まれるって言うんだ? メイファが言ってるのは、あいつらの喧嘩のことじゃないだろう」

「それ、は……」

「リューシュン、やめなさい」

 ミリーメイは、鋭く言う。

「何故です? お義母かあさん」

「感覚で感じたことを、上手く言葉にできると思っているの? これは巫女としての警告よ。これに関わってはいけないというね。それに、巫女の言葉は言霊になりやすいって知ってるでしょう? 下手に言葉にしたら、何が起こるかしら? それに、忘れてはいない? ここは聖域。そして、〝鬼の森〟の言い伝えが正しければ、ここには集落があるのよ。そこに巫女や術者が大勢いるとしたら?」

 その言葉に、リューシュンは黙り込む。

「リューシュンさん、私達にできることは、何もありません。私達は、彼らにとっては部外者。その部外者に、余計な口出しはしてほしくないでしょう」

 マウェの言葉に、リューシュンはきつく唇を噛み締め、項垂れた。

「……それにしても、リラさんやウィオさん、一体どこに行ったのかしら?」

 メイファは、無理矢理明るく言った。

「リューセムさんもいないし……。リューセムさんかフェムリヴドさんがいれば、あの騒ぎを収めてくれるわよね」

 そう言って、メイファは視線を騒ぎにずらした。

「え……あれ、何……?」

 メイファは、思わず声を震わせる。

「え? メイファ、あれ、って?」

「み……見えないの? お……お母さん!」

「ええ、私にも見えるわ……」

 ミリーメイは、すっと目を細める。

「やっぱり、あれに関わったら最後、命はないようね……」

 リューシュンやマウェの目には見えていなかったが、メイファとミリーメイには見えていた。

 騒ぎを起こしている者の足元に、何やら黒い物が集まっているのが。

 それはとても強い力を発していて、一目で危険な物だと分かる。

 それがもっと弱い物だったら、メイファとミリーメイ、それとリラもいれば、祓うのには充分な力になっただろう。

 だがそれは、三人程度の力では決して祓えないような、強力な力を発していた。

 言い争いをしている者は、誰も気が付かない。

 そして、今にも刃傷沙汰になろうとしていた。

 その時、声が響いた。

「お前ら、一体何をしているっ!」

 その声に、今まで何かに取り憑かれたように諍っていた隊員達は、はっとした表情になり、次第に脂汗を浮かべていった。

「あ、その……ラムドウェッド大尉……」

「私は、休憩だと言ったはずだが? 言い争いをしろなどとは……ましてや剣を抜けなどとは、一言も言ってはおらぬはずだが?」

「も……申し、訳……」

「謝るぐらいなら、最初からするな!」

「すす……すみませんでしたっ!」

 メイファは、リューセムの後ろに、リラとウィオとフェムリヴドがいるのを見付けた。

「あ、リラさん達、いたんだ……」

 思わずメイファはそう零したが、言い争っていた者達の足元を見て、身を強張らせた。

 何故なら、そこにはまだ、黒い物体が残っていたからである。

 しかも、先程よりも放つ力が強い。

「な……何だ、あれは!」

 やがて隊員の中から、声が聞こえた。

 周りの反応からすると、どうやら、他の人にも黒い物が見えてきたらしい。

 周りの反応からか、もしくはその黒い物体が見えているからか、馬達が怯えて騒ぎ出す。

 リューシュンも、酷く顔を強張らせている。

「メイファ、あれ、さっき、メイファとお義母さんが見えてたって言う……あれか?」

「ええ……リューシュンにも、見える?」

「ああ……」

 遠くの方で、リューセムが大声を張り上げるのが聞こえる。

「この大馬鹿者めが! 聖域で剣を抜こうなどと、天罰が下っても可笑しくはないぞ!」

「ひっ……」

「うわあぁっ!」

 諍っていた者達は、てんでんばらばらに逃げ惑う。

 だが、黒い物体は力を増し、その逃げ惑う者達を付けまとっている。

 馬も大混乱を起こし、これを抑えることは容易ではない。

 その時、リラが駆け寄ってきた。

「メイファさん、ミリーメイさん!」

 その顔は、恐怖に蒼褪めている。

「あ、あれ、って……どうにか、なりませんか?」

「無理よ……あんな、あんなに力を持っているのは、三人だけじゃ無理。十人いても、できるかどうか怪しいものだわ……」

「それじゃあ、私達にできることって……」

「何も、ないわ。……悔しいけど」

 メイファは、唇を噛み締める。

 そう、これを生み出しているのは、途轍もなく強い力を持った者だろう。

 とても、太刀打ちできない。

 そう……悟らざるを、得なかった。

 その時、だった。

 何故か、黒い物体の動きが止まった。

 驚いて視線を巡らすと、リューセムが何やら呪文のようなものを唱えている。

 距離があるので、何を唱えているのかは分からない。

 そのお蔭か黒い物の動きは止まったが、力はそのままであり、メイファ達だけではとても消せるものではない。

 だが……いきなり、黒い物体が消えた。

 強い力も、ほんの一瞬で消え去る。

 まるで、今までのことが、嘘のように。

 おまけに、馬の動きすらも止まってしまった。

 まだ、少し落ち着かなげではあるが、暴れ出す様子はない。

 あまりのことに目を瞬いていると、老婆の声がした。

「――申し訳のないことをしました。若人が先走りをした故、このようなことを起こしてしまった。心から、謝罪致しましょう」

 声の出所を探ると……そこには、ぴしんと背筋を伸ばして立つ老婆と、三十代中頃ほどの女性が立っていた。

 だがよく見ると、老婆は背筋を伸ばしているとはいえ、かなりの高齢だということが分かる。

 そう、既に百歳を超えていても可笑しくはないほどの年齢だろう。

 老婆の隣にいた女性が、深々と頭を下げる。

「皆様、申し訳ありません。長老がご高齢の今、わたくしが皆をまとめ上げねばならないと言うのに、暴走を止めることができず……本当に、申し訳なく存じます。その代わりと言っては何ですが、貴方方の目的地――つまり、わたくし達の居住地に、皆様をご招待させて頂きたく存じます」

 その言葉に、メイファ達六人は顔を見合わせる。

 ということは、彼女達はあの〝鬼の森〟に出て来た老婆と同じ里の出身なのだろう。

 そして、リューセムへと視線を向けた。

 メイファ達にとっては、この申し出を断る理由がない。

 だが、リューセム達にとっては違うかも知れない。

 メイファ達が不安に思いながら見守っていると、リューセムは、意外なことを言った。

「……分かりました。少なくとも、私はそれを受けましょう。姉上、曾お祖母様」

 その言葉に、空気が凍った。

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