第二章「予想外にも」―3
物々しい軍備の軍隊に、ヴェンとヴァルクの兄弟は、身を竦ませて寄せ合った。
あと一刻もすれば夕暮れだなぁ、今日ももうそろそろ終わるなぁ、今日の夕ご飯は何だろうと思っているところへ、いきなり騎馬の軍隊が現れたのだ。
いくら副長の家系に産まれ、姉がたったの十一歳の頃から副長を務めているとはいえ、彼らはたったの十歳と七歳の子供でしかないのだ。
彼らは物々しい様子で、こちらの迷惑などお構いなしに、家という家、倉庫という倉庫、挙句の果てには隣接する林の中までもを、こちらの許可や了承を得るどころか、たったの一言も断ることなく漁って荒らしたのだ。
しかも、あまりにも当たり前のようなその様子に、さすがに腹を立てた村長のウェルが、
「これはあまりにも横暴に過ぎましょう」
と柔らかくたしなめると、たったの一言、
「我らは国軍である!」
と高圧的に言い放たれたのだ。
しかも、
「我らに手向かいするは、偉大なるフェーヌラブム帝国皇帝陛下に歯向かうと同じことぞっ! 我らの邪魔をする者はすぐさま叩っ斬るっ!」
とまで言われ、メイラン村の村人達は、ただ息を殺して見守るしかなかった。
畑は収穫を終えていたので良かったが、もしもまだ作物が植わっていたのなら、それすらも危ないところだっただろう。
何しろ、彼らはかなり家の中にある家具すらをも壊していたのだ。
それに、村の備蓄倉庫にも、飢饉用の義倉にも、遠慮なくずかずかと我が物顔に踏み込んで来る。
そして――冬の為の食料を、
「これは、我が軍の糧食として徴発する!」
と言って、特に質がいい物を、無理矢理強奪して行ったのだ。
そんなにされたのでは、到底堪ったものではないし、義倉を開けて村中から食料を掻き集めても、今年の冬を飢えで乗り切れない者が出るかも知れない。
「……兄ちゃん」
ヴァルクが泣きそうな顔で兄を見上げると、ヴェンは首を振り、弟の体をぎゅっと抱き締めた。
「こんな時、姉ちゃんがいてくれたら……」
その言葉に、思わずヴェンは息を止める。
「うん、だけど、姉ちゃんは……」
旅に、出てしまった。
婚約者であり、村長の一人息子のウィオと、帝都から来たという、奴隷のマウェと共に。
先の見えない……戻って来るのに、一年以上掛かるのかも知れない旅に。
それに、姉もその婚約者もはっきりとは言わなかったが、大人達の様子から、その旅がとても大変そうなものだということは分かっていた。
そして、だからこそ……今のこの場に姉が来ることは、ない。
「姉ちゃん……」
ヴェンは唇を噛み締め、ただ、姉を呼んだ。
今の自分と近い十歳の時に、母が亡くなって保護者がいなくなり、それなのにまだ幼い二人の弟を抱え、不安だらけだったろうに、身無し子となってしまった自分達兄弟を育て、それと同時に副長も務めていた、とても頼もしい姉を。
「……父さん」
「ああ……シュリーか。どうした?」
「どうした、って……だって、いいの? あいつら……国軍なんて言っても、やってることは盗賊紛いじゃない」
シュリーは顔を歪め、ウェルに訴える。
「うちの村の物壊しまくって、その挙句に何? 夜になったからここに泊まってくのはまだしも、糧食にって、うちの村の食べ物、大量に持ってくって? 信じらんないわよ。どうして、あたし達がそこまでしなきゃなんないの? このまんまじゃ、冬を越せない子が沢山出ちゃうわよ」
シュリーは、もう泣きそうだ。
これから、季節は冬になる。
メイラン村のあるフェーヌラブム帝国の東南地方は温暖な気候で、冬の間も滅多に雪が積もることがない。
けれども、全く雪が降らないということはなく、冬の寒さも身に沁みる。
その間に食料がなかったら、飢え死にするしかないのだ。
それなのに、食べ物を奪って行く。
メイラン村の、特に血気盛んな若者達は、もう我慢ができない、と暴動を起こしかねないほどにいきり立っている。
まあそれは、ウィオとリラのこともあるのだろうが。
「父さん。あたしも、シュリー姉さんに賛成だわ」
そう言ったのは、いつの間にか二人の話を聞いていた、シャレイとシュミアだ。
シャレイはまだ十一歳、シュミアもまだ八歳の子供なので、さすがにウェルもシュリーも驚いた顔だ。
「だって、兄さんとリラお姉ちゃん、旅に出ちゃったんでしょ? 可笑しいわよ、そんなの。悪いこと何にもしてないのに、なんであたし達が嫌な思いをしなきゃなんないの? うちの村が潰れなきゃなんないの? 可笑しい。そんなの、可笑しいよ」
「それに、あたし達はそこまでしているのに、これ以上の物を出せって言うの? 無理よ、そんなの。変だわ。可笑しいわよ。あたし達がそこまでしなきゃならない理由って、何?」
「待って。……ちょっと待って、シャレイ、シュミア。何で、いきなりそんな……」
ウェルが顔を顰めて二人を見ると、きょとんとした表情で呆気なく返された。
「だって、話してたもん」
「何を?」
「あいつら追い出そう、って。兄さん達にあんなことを強いておいて、こんなことは可笑しい、俺らが追い出すしかないって」
その言葉にウェルが顔色を変える。
「何だとっ? それは本当か、シャレイ、シュミアっ!」
「本当だけど?」
「だって、もう農具は必要ないのに、何か引っ張り出してたもん」
その言葉に益々血相を替え、ウェルは飛び出して行った。
「ちょっ……父さんっ! ああもう、あんた達は絶対にうちから出ないでねっ?! ここで大人しくしてなさいっ!」
そして、シュリーも家を飛び出した。
いくら国軍に対する不満が募っていても、そこはさすが村長の娘、国軍相手に武器を持ち出したら、どんなことになるのかは知っていた。
向かった先は、副長の代理を務めているリラの従姉、フィーリィの家だ。
「フィーリィっ!」
「え、どうしたの? シュリー」
フィーリィとシュリーは、二十四歳と十八歳で、そう歳が近いとは言えない。
だが、家が近いので、幼い頃からよく遊んでいた年上の幼馴染なのだ。
「大変なのっ! 何かうちの村の血気盛んな奴ら、勝手に、あいつらを追い出そうとしてて……一応、父さんが止めに行ったんだけど……」
その言葉に、フィーリィが血相を変える。
「……なんてことっ! そうか……だからうちの人もいないのかっ……!」
その言葉に驚き、家の中を見てみると、確かにフィーリィの夫がいない。
フィーリィは二歳の息子をシュリーに押し付けると、家を飛び出して行った。
「ごめんシュリーっ! ジェシン宜しくっ!」
突然二歳の子供を押し付けられたシュリーは、狼狽えながらも大声を出した。
「分かったわっ! お願い、止めてあげてっ!」
フィーリィは軽く片手を挙げると、遠ざかって行く。
シュリーはジェシンを抱え上げると、家に戻って行った。
すると、そこにはシャンリンもいる。
「ねえシュリー。一体……」
シュリーは力なく首を振ると、ジェシンを床に下ろす。
「フィーリィも、父さんと一緒に止めに行ったわ。旦那さんも、追い出そうとする人の中にいるんだと思う。それで、それまでジェシン預かっておいてって……」
「そう……ほら、ジェシン。シャレイとシュミアが遊んでくれるってよ? ちょっとあっちに行ってなさいな」
「あい!」
元気に返事をするジェシンとは対照的に、シャレイとシュミアは顔を引き攣らせた。
「え~っ?!」
「ちょ、母さん、あたし達何にもっ……」
「いいから。ほら、向こうで遊んでいなさい?」
シャンリンは強引に押し通すと、シュリーを外へと促した。
「ねえ、シュリー。貴女も、気になっているでしょう?」
「うん……」
「だから、行きましょう?」
その言葉は軽いものでもあったが、表情は全く正反対で、強張ってすらいた。
――二人が駆け付けた時には、案の定、騒ぎは一触即発になっていて、血の気の多い十代後半から二、三十代の若者達が集まっていた。
中には、女性の姿も多く見える。
「――じゃあ村長は、どうだっていいって言うのかっ?!」
怒りに猛り狂った若者の一人が、見るからに怒髪天を衝く表情でウェルに詰め寄る。
「いいや」
ウェルが深い溜息をつきながら言うと、別の一人が更に詰め寄る。
「だったら、何で俺達を止めんだよっ!」
「そうよっ! あたし達はあたし達の生活を護る権利があるはずだわっ!」
「いくら国軍だからって、やっていいことと悪いことがあるわよっ!」
女性達も声を張り上げ、いよいよ収集が付かなくなってきている。
そんな中、フィーリィが大声を上げた。
「いいから、とにかく落ち着きなさいよっ! 焦ってちゃ、纏まるもんも纏まんないでしょっ?!」
その言葉に、激昂した若者がすぐさま言い返す。
「代理の副長になんか、んなこと言われたくねぇよっ!」
「そうだっ!」
その言葉に、フィーリィの顔が強張る。
「それにあいつらは、うちの村に難癖付けやがったじゃねぇかっ!」
「そうだよっ! そのせいで今、副長とウィオがいねぇんだろうがっ!」
「ここであいつら叩きのめせば、あの二人も喜ぶぜっ!」
その言葉に、シュリーが切れた。
「好い加減にしなさいよっ!!」
その怒声に、思わず辺りは静まり返る。
「あんたら、んなことして本当にウィオが喜ぶと思ってんのっ?! だとしたら相当の馬鹿だね! ウィオは、この村が取り潰されないようにって……ただそれだけで、戻って来れないかも知れない危険な旅に出ることを承知したのよっ? なのに帰ってみたら、うちの村の若いもんが暴れて? 国軍に仇なして? そのせいでうちの村が取り潰されたって? そんなこと言ったら、ウィオがどんだけ悲しむと思ってんのっ?! ウィオとリラが危険にさらされた――もしかしたら、今もさらされているかも知れないし、これからさらされるかも知れない。そのことが、全然意味のないものに成り下がるんだよっ? それにウィオが戻ってきた時にあんた」
シュリーは、ジロッと近くにいた者達を睨み付ける。
「自分達が暴れたせいで村が潰れました~って言えんのっ? 危険な長い旅に出て帰って来たウィオに向かって?」
その言葉に、彼らは思わず視線を泳がせる。
「それは……リラ姉ちゃんもだよ」
場違いなほどに幼く、それでいてしっかりとした声に、群集は思わずそちらを見た。
そこにいたのは、まだ七歳の弟を連れた、副長の弟――ヴェンだった。
「だって姉ちゃん、本当に、この村のこと考えてるもん。僕は今十歳だけど、十歳だからこそ分かるよ。だって姉ちゃん、僕より一個上の頃に母さん亡くして、副長にもなったんだよ? まだ六歳の僕と三歳のヴァルクを抱えてたのにさ。今十歳の僕だから、分かるよ? いくら副長を継げるのが姉ちゃんしかいなくってもさ。今みたいに、代理は立てられるんでしょ? だったら、大きくなるまで別の大人の人に任せることもできたんだよ? でも、姉ちゃんはそうしなかった。代理じゃなくって、自分が副長に就いたんだよ?」
その言葉に、村の若者が言う。
「は? だから何なんだよ」
「糞餓鬼のくせに、分かったような口利くんじゃねえっ」
「だったら、できるって言うの? 両親を亡くした十一歳の子供が、六歳と三歳の弟を抱えて、副長の仕事を投げ出さずに? 本当に、お兄ちゃん達は、できるって言うの? 投げ出さないって、言えるの? それに、どんなに仕事ができなくても、仕事が辛くっても、大変でも、弟達にも誰にも当たらないで、頑張り続けることが、できるって言うの?」
その真摯な言葉に、思わず二人は顔を歪める。
こんな小さな子供に諭されてからでないと、リラが副長を継いだことの大変さやその思いを、解ることができなかったのだ。
そして、その幼い言葉に、周囲の人間達は少しずつ落ち着いてきた。
ヴァルクが、ぽつりと言う。
「あのね……僕、思うんだ。今ここで騒いで、村が潰れたら……姉ちゃん達は、絶対に悲しむ。でも……それだけじゃない。何で、こんな大事な時に自分が村にいれなかったんだって……自分がいたら、止められたのかも知れないって……姉ちゃんのせいじゃないのに、きっと姉ちゃんは、自分を責めるんだ。だから、僕は……あんまり、騒いで欲しくないな。姉ちゃん達が、帰ってきた時に……僕は、笑って迎えたいんだ。何にもなかった、とは、もう言えないけど……村が潰された、なんて……僕……言えないよ……」
ヴァルクは、突然しゃくり上げる。
その様子を見て、先程まで殺気立っていた者達も落ち着いてくる。
泣く幼子には、大抵の大人は勝てない。
何しろ彼らは、村の物をこれ以上盗られたり壊されたりしては堪らないという『義憤』で集まったのだ。
なのに、泣いている子供を放っておいて、その子供を望まないことをするのは、自分にもいくらかの引け目があるので、いくら何でも良心が咎める。
皆が落ち着いていく様子を見守っていたウェルとフィーリィとシャンリンとシュリーは、ようやく安堵の溜息をついたのだった。




