第二章「予想外にも」―2
「来た……」
「えっ?」
祭壇に向かって祈りを捧げていた老婆が突然上げた声に、周りで同じように祈っていた者達が、驚いて顔を上げた。
「……長老様? いかがなされたのですか?」
その中の一人が恐る恐る声を掛けると、長老は、何故か微笑んでいた。
「……長老様?」
「ああ……申し訳ありませんね、ラグジャード。ついつい、自分の世界に浸ってしまいました」
そう言うと、老婆は微笑んだまま言った。
「わたくしを求めし若人が、もう間もなくこちらへ参るでしょう。……森に、入って来るのを感じました」
その言葉に、辺りはざわめき出した。
だが、再び老婆が口を開いた途端、辺りは静まり返った。
「ですが……おやおや。これはまた、大人数でやって来たこと……」
その言葉に、ラグジャードと呼ばれた男性は首を捻った。
「大人数、ですか?」
「ええ。最初にこちらへ来る時は、わたくしの時と同じように、たったの三人だったのですが……途中で六人に増え、それだけでも驚いたというのに……」
老婆は、思わずくすくすと笑った。
「この森に入る頃には、三十六人に増えてしまいました」
その言葉に、思わず辺りがざわめいた。
しかも、先程のざわめきなど比ではない。
妙に殺気だった、凄まじいものだ。
「落ち着きなさい」
と老婆が声を掛け、それでようやくある程度は納まったものの、まだざわめいている。
「長老様。……いかがなさいますか? そこまでの大人数……ここまで来るのは危険です。……殺しますか?」
その言葉に、老婆は首を捻る。
「そうですねぇ……。……おや? そう、ですか……そうなの……」
「……長老様?」
老婆はその声に答えず、一人の女性の名を呼んだ。
「リィア」
「はい。何でしょうか?」
「わたくしにも、其方にも懐かしい者が現れそうですよ」
「懐かしい者……ですか?」
「ええ。……来れば、分かります。……ラグジャード。構いません。三十六人、全員こちらへお通しなさい」
その言葉に、またもや辺りがざわめく。
「長老様っ! 宜しいのですかっ?」
「ええ。無論です。三十人を纏め上げている、彼に免じて……他の二十九人も、通すことに致しましょう」
その言葉に、ラグジャードは真剣な顔をして言った。
「長老様。一つ、お訊ね致します」
「何でしょう」
「元々、ここを訪れる資格を持ちし者は……その三十六人の中で、一体何人いるのです?」
「それは……少し、難しい質問ですね」
その言葉に、ラグジャードのみならず他の者も首を傾げる。
「純粋に資格を持っている者は、力を持ちし者と、その伴侶及び血縁のみ。それだけで限定するならば、資格を持っている者は六人。……ですが、目溢しの対象となる資格を持っている者は一人。ですから……純粋に言うならば、七人、といったところでしょうか。しかし、その対象となる者の一人が、残りの二十九人を率いております。……あとは、その二十九人の行動次第です。それ次第で、その者達が目溢しの対象になるか、そうではないかが決まります」
その言葉に皆は、納得したような納得していないような、曖昧な表情になる。
「……本日は、もう宜しい。皆、下がりなさい」
その老婆の鶴の一声で、人々は三々五々散らばって行った。
「……曾お祖母様」
リィアは曾祖母のことを、長としての呼び名ではなく、近親者としての呼び名で呼んだ。
「一体……どういうことです? わたくしや曾お祖母様に、懐かしい者とは……」
その不安げな言葉に、老婆は苦笑して言った。
「よくお考えなさい、リィア。ここにいない、わたくし達を知っている者――。そして、この森が歓迎する者。該当者は、たったの一人しかおらないでしょうに」
その言葉に、リィアは大きく目を瞠った。
「そんな……曾お祖母様、まさか……あの子が……?」
「ええ。……あの最低な男の息子です。……ほんに、大きゅうなったこと……」
老婆は、どこか遠くへと視線をはせた。
「それは、まあ……あれからもう、二十年以上経っておりますし……」
リィアは、視線を落ち着かなさげにうろうろと移動させた。
「ほんに、時の経つのは速いですねぇ……」
老婆はもう、リィアの言葉を聞いていないようだった。
昔の思い出に、想いをはせているようだった。
そして、まだ遠くにいるのであろう、懐かしい者に。
その森はとても深く、そして険しかった。
もう日は暮れ、赤々と燃え盛る焚き火の明かりだけが唯一の光源だ。
メイファは、そっとリラに声を掛けた。
「ねえ……リラさん」
「何ですか? メイファさん」
「大丈夫……よね? あたし達……これから先、ちゃんと進めるわよね?」
その瞳は、不安げに揺れていた。
「すみません、そこまでは、私にも……それに……」
リラは、首に下げていた琥珀の首飾りをきゅっと握り締めた。
「私は巫女ですけれど……今まで力を使ったことなんて、一回もないんです。ただの勘――直感ぐらいならあるんですけど……でも、分からない。それに……」
リラは、メイファを真っ直ぐ見据えて言った。
「〝鬼の森〟では、巫女とその恋人は鬼に攫われて……もう一人は、逃げ切れたけれど、途轍もない恐怖を味わって……。それを私達に当てはめると、混乱しますよね」
その言葉に、思わずメイファは苦笑を洩らす。
「ええ。そうね……。巫女はあたしとリラさんとお母さん。その恋人は、お母さんにはいないけど、あたしにはリューシュン、リラさんにはウィオさん。で、そのもう一人、って……」
メイファはくすりと笑い、それにつられて、リラも思わず笑みを零した。
「ええ。そうですね……。多分、最初だったら、マウェさんだけだったんです、きっと。でも、それが、今では三十人も増えて……」
「普通、あり得ないわよね。昔語りの人もびっくりだわ」
しばらく、二人でくすくすと笑っていたが、ふとリラが真面目な顔になって言った。
「でも……〝鬼の森〟の最後の場面の鬼の台詞……」
「『これ以上妾の条件に値せぬ者が来た場合は殺すぞ。見せしめとして、はらわたを取り出し、顔は残して挽肉の塊としよう。そしてその血の雨を、其方達が帝都と呼ぶ場所に降らせようぞ』」
メイファは厳かにその部分を暗誦すると、眉を顰めた。
「……もし、それが本当だったとすれば……マウェさん達三十一人、みんな、殺されるのよね……」
「でも、本当に、そう言ったのかは……何の証拠もない。それに、こういうお話って、大抵脚色されちゃうんですよね。この鬼の台詞が、どこまで脚色されているのか……」
二人が思わず考え込むと、そこに声が掛かった。
「おい、何やってんだ?」
「あ、ウィオ……」
「ウィオさん、どうかしたの?」
二人が不思議そうに首を傾げると、ウィオは居心地悪げに身じろぎした。
「いや、別にそういう訳じゃねぇんだけど……こんな隅っこに二人っきりで、一体何してんのか気になってさ」
「あ、ううん。別に、大した話じゃないわ。私達の今の状況を〝鬼の森〟に例えたら、鬼から逃げ切れた一人の役は、三十一人もいるんじゃないかって話」
リラの言葉に、ウィオは思わず目を点にした。
「……そんなこと、考えるか? 普通」
「考えるわよ。ですよねぇ?」
「ええ。そうよねぇ?」
二人がそう楽しげに言い合うと、いきなり現れたリューシュンが首を振った。
「いいや……僕には、全然分からないよ。メイファ、リラさん」
「え~……?」
「リューシュンさんも、ウィオとおんなじなんですか?」
リラとメイファが唇を尖らせるのを見て、思わずウィオとリューシュンは顔を合わせた。
「……男女の違い、か?」
「男女の違い……だよな?」
「え~っ!」
「ちょっとウィオ、リューシュンさんっ! そういうのは男女関係ないわよっ! 単なる性格の違いでしょう? っていうかそんなことで男女差別しないで下さい!」
四人が楽しげに談笑していると、そこにミリーメイが顔を覗かせた。
「あらあら、楽しそうねぇ」
「あ、お母さんまで! どうかしたの?」
「どうかしたのは、貴方達でしょう?」
どこか呆れたような口調で言ったのは、いつの間にか現れていたマウェだ。
「マウェさんまで……」
「皆さん、お話しするのは宜しいですが、そろそろ眠らないと、明日の朝起きられませんよ? もうお喋りはやめて、続きは明日になさった方がいいです」
マウェにぴしゃりと言われ四人は渋々と立ち上がった。
「しょうがねぇなぁ……」
「まあ、マウェさんが言うんだったら……」
「しょうがないかな……」
「しょうがないわよねぇ……」
そして、男女の組に分かれると、挨拶を交わして天幕の中に潜り込んだ。




