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旅中記  作者: 琅來
第Ⅱ部 禁域の杜の社
33/74

第二章「予想外にも」―2

「来た……」

「えっ?」

 祭壇に向かって祈りを捧げていた老婆が突然上げた声に、周りで同じように祈っていた者達が、驚いて顔を上げた。

「……長老様? いかがなされたのですか?」

 その中の一人が恐る恐る声を掛けると、長老は、何故か微笑んでいた。

「……長老様?」

「ああ……申し訳ありませんね、ラグジャード。ついつい、自分の世界に浸ってしまいました」

 そう言うと、老婆は微笑んだまま言った。

「わたくしを求めし若人が、もう間もなくこちらへ参るでしょう。……森に、入って来るのを感じました」

 その言葉に、辺りはざわめき出した。

 だが、再び老婆が口を開いた途端、辺りは静まり返った。

「ですが……おやおや。これはまた、大人数でやって来たこと……」

 その言葉に、ラグジャードと呼ばれた男性は首を捻った。

「大人数、ですか?」

「ええ。最初にこちらへ来る時は、わたくしの時と同じように、たったの三人だったのですが……途中で六人に増え、それだけでも驚いたというのに……」

 老婆は、思わずくすくすと笑った。

「この森に入る頃には、三十六人に増えてしまいました」

 その言葉に、思わず辺りがざわめいた。

 しかも、先程のざわめきなど比ではない。

 妙に殺気だった、凄まじいものだ。

「落ち着きなさい」

 と老婆が声を掛け、それでようやくある程度は納まったものの、まだざわめいている。

「長老様。……いかがなさいますか? そこまでの大人数……ここまで来るのは危険です。……殺しますか?」

 その言葉に、老婆は首を捻る。

「そうですねぇ……。……おや? そう、ですか……そうなの……」

「……長老様?」

 老婆はその声に答えず、一人の女性の名を呼んだ。

「リィア」

「はい。何でしょうか?」

「わたくしにも、其方にも懐かしい者が現れそうですよ」

「懐かしい者……ですか?」

「ええ。……来れば、分かります。……ラグジャード。構いません。三十六人、全員こちらへお通しなさい」

 その言葉に、またもや辺りがざわめく。

「長老様っ! 宜しいのですかっ?」

「ええ。無論です。三十人を纏め上げている、彼に免じて……他の二十九人も、通すことに致しましょう」

 その言葉に、ラグジャードは真剣な顔をして言った。

「長老様。一つ、お訊ね致します」

「何でしょう」

「元々、ここを訪れる資格を持ちし者は……その三十六人の中で、一体何人いるのです?」

「それは……少し、難しい質問ですね」

 その言葉に、ラグジャードのみならず他の者も首を傾げる。

「純粋に資格を持っている者は、力を持ちし者と、その伴侶及び血縁のみ。それだけで限定するならば、資格を持っている者は六人(・・)。……ですが、目溢しの対象となる資格を持っている者は一人(・・)。ですから……純粋に言うならば、七人、といったところでしょうか。しかし、その対象となる者の一人が、残りの二十九人を率いております。……あとは、その二十九人の行動次第です。それ次第で、その者達が目溢しの対象になるか、そうではないかが決まります」

 その言葉に皆は、納得したような納得していないような、曖昧な表情になる。

「……本日は、もう宜しい。皆、下がりなさい」

 その老婆の鶴の一声で、人々は三々五々散らばって行った。

「……曾お祖母様」

 リィアは曾祖母のことを、長としての呼び名ではなく、近親者としての呼び名で呼んだ。

「一体……どういうことです? わたくしや曾お祖母様に、懐かしい者とは……」

 その不安げな言葉に、老婆は苦笑して言った。

「よくお考えなさい、リィア。ここにいない、わたくし達を知っている者――。そして、この森が歓迎する者。該当者は、たったの一人しかおらないでしょうに」

 その言葉に、リィアは大きく目を瞠った。

「そんな……曾お祖母様、まさか……あの子が……?」

「ええ。……あの最低な男の息子です。……ほんに、大きゅうなったこと……」

 老婆は、どこか遠くへと視線をはせた。

「それは、まあ……あれからもう、二十年以上経っておりますし……」

 リィアは、視線を落ち着かなさげにうろうろと移動させた。

「ほんに、時の経つのは速いですねぇ……」

 老婆はもう、リィアの言葉を聞いていないようだった。

 昔の思い出に、想いをはせているようだった。

 そして、まだ遠くにいるのであろう、懐かしい者(・・・・・)に。




 その森はとても深く、そして険しかった。

 もう日は暮れ、赤々と燃え盛る焚き火の明かりだけが唯一の光源だ。

 メイファは、そっとリラに声を掛けた。

「ねえ……リラさん」

「何ですか? メイファさん」

「大丈夫……よね? あたし達……これから先、ちゃんと進めるわよね?」

 その瞳は、不安げに揺れていた。

「すみません、そこまでは、私にも……それに……」

 リラは、首に下げていた琥珀の首飾りをきゅっと握り締めた。

「私は巫女ですけれど……今まで力を使ったことなんて、一回もないんです。ただの勘――直感ぐらいならあるんですけど……でも、分からない。それに……」

 リラは、メイファを真っ直ぐ見据えて言った。

「〝鬼の森〟では、巫女とその恋人は鬼に攫われて……もう一人は、逃げ切れたけれど、途轍もない恐怖を味わって……。それを私達に当てはめると、混乱しますよね」

 その言葉に、思わずメイファは苦笑を洩らす。

「ええ。そうね……。巫女はあたしとリラさんとお母さん。その恋人は、お母さんにはいないけど、あたしにはリューシュン、リラさんにはウィオさん。で、そのもう一人、って……」

 メイファはくすりと笑い、それにつられて、リラも思わず笑みを零した。

「ええ。そうですね……。多分、最初だったら、マウェさんだけだったんです、きっと。でも、それが、今では三十人も増えて……」

「普通、あり得ないわよね。昔語りの人もびっくりだわ」

 しばらく、二人でくすくすと笑っていたが、ふとリラが真面目な顔になって言った。

「でも……〝鬼の森〟の最後の場面の鬼の台詞……」

「『これ以上妾の条件に値せぬ者が来た場合は殺すぞ。見せしめとして、はらわたを取り出し、顔は残して挽肉の塊としよう。そしてその血の雨を、其方達が帝都と呼ぶ場所に降らせようぞ』」

 メイファは厳かにその部分を暗誦すると、眉を顰めた。

「……もし、それが本当だったとすれば……マウェさん達三十一人、みんな、殺されるのよね……」

「でも、本当に、そう言ったのかは……何の証拠もない。それに、こういうお話って、大抵脚色されちゃうんですよね。この鬼の台詞が、どこまで脚色されているのか……」

 二人が思わず考え込むと、そこに声が掛かった。

「おい、何やってんだ?」

「あ、ウィオ……」

「ウィオさん、どうかしたの?」

 二人が不思議そうに首を傾げると、ウィオは居心地悪げに身じろぎした。

「いや、別にそういう訳じゃねぇんだけど……こんな隅っこに二人っきりで、一体何してんのか気になってさ」

「あ、ううん。別に、大した話じゃないわ。私達の今の状況を〝鬼の森〟に例えたら、鬼から逃げ切れた一人の役は、三十一人もいるんじゃないかって話」

 リラの言葉に、ウィオは思わず目を点にした。

「……そんなこと、考えるか? 普通」

「考えるわよ。ですよねぇ?」

「ええ。そうよねぇ?」

 二人がそう楽しげに言い合うと、いきなり現れたリューシュンが首を振った。

「いいや……僕には、全然分からないよ。メイファ、リラさん」

「え~……?」

「リューシュンさんも、ウィオとおんなじなんですか?」

 リラとメイファが唇を尖らせるのを見て、思わずウィオとリューシュンは顔を合わせた。

「……男女の違い、か?」

「男女の違い……だよな?」

「え~っ!」

「ちょっとウィオ、リューシュンさんっ! そういうのは男女関係ないわよっ! 単なる性格の違いでしょう? っていうかそんなことで男女差別しないで下さい!」

 四人が楽しげに談笑していると、そこにミリーメイが顔を覗かせた。

「あらあら、楽しそうねぇ」

「あ、お母さんまで! どうかしたの?」

「どうかしたのは、貴方達でしょう?」

 どこか呆れたような口調で言ったのは、いつの間にか現れていたマウェだ。

「マウェさんまで……」

「皆さん、お話しするのは宜しいですが、そろそろ眠らないと、明日の朝起きられませんよ? もうお喋りはやめて、続きは明日になさった方がいいです」

 マウェにぴしゃりと言われ四人は渋々と立ち上がった。

「しょうがねぇなぁ……」

「まあ、マウェさんが言うんだったら……」

「しょうがないかな……」

「しょうがないわよねぇ……」

 そして、男女の組に分かれると、挨拶を交わして天幕の中に潜り込んだ。

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