第一章「危殆に瀕す」―3
「すみませんっ! 失礼致します、ラムドウェッド大尉、フラッドリス中尉っ!」
どたばたと派手な音を立てて入って来たのは、まだ二十代前半ほどの、歳若い男だった。
「リウェムス。来客中だぞ」
「えっ! はわっ! し、失礼致しましたっ!」
彼は奇妙な声を上げると、がばっと一気に頭を下げた。
……本当に、元気である。
その様子に、思わずミリーメイはくすりと笑い声を上げてしまった。
その声に、頭を下げた状態のリウェムスは真っ赤になり、ちらりと目を上げた。
と……凄まじい勢いで顔を上げ、ミリーメイ達を――その中でも、特にメイファを、穴の開くほど凝視した。
「あ、あの……?」
思わずメイファが途惑った声を上げると、リウェムスは、声を零した。
「もしや……メイファさん?」
その言葉に、六人の顔色が変わった。
そして、六人だけではない。
リューセムと、フェムリヴドもだ。
「おい……リウェムス。一体、どういうことだ?」
「え? その……えっと、メイファさん、憶えていないですか? ほら、八年前……僕が皇宮に行って、それで父上達とはぐれて迷子になった時、僕を案内してくれたじゃないですか」
その言葉にメイファが答えようとした途端、リューセムは口を挿んだ。
「待て。……ということは、何か? リウェムス、お前、知り合いなのか?」
「はい。一度しか会ったことはありませんが、貴族のお嬢さんですよ」
その言葉に、リューセムは顔を顰めながら言った。
「……何故、貴族と分かる?」
「え? だって、皇族にメイファと言う名前の皇女様はいらっしゃらないでしょう? 苗字までは訊いてませんが、そうすると貴族のお嬢さんって考えるのが普通ですよ」
その言葉に、フェムリヴドが額を押さえながら言った。
「……そう言えばお前は、公爵家の六男坊だったな……」
「いやですねぇ、フラッドリス中尉。公爵家って言っても、先代とか今の当主やそこらが妾を囲い過ぎて散財しまくったせいで、今じゃ零落寸前っていう公爵家ですよぉ。それに長男次男、辛うじて三男ぐらいまでならともかく、僕は妾の息子な挙句に六男ですからねぇ。せめてお前が女だったら政略結婚に使えたのにって、耳胼胝なくらいに散々嘆かれましたし。だから、あの家での扱いは、もう使用人と大して変わんなかったですよ。十四になるまでは、本家じゃなくって分家に預けられてましたからねぇ。僕が騎士になるって言った時も、いい厄介払いができるとか、いい口減らしになるとか考えたんじゃないですか?」
……そう、これでも、一応は公爵家の身内で、一応父親は当主なのだ。
こんなのがそうだとは……世も末である。
「……全く、お前という奴は……知り合いなら、何故三日前に草原で会った時、そう言わなかったのだ?」
「えっ? いたんですか?」
逆に、リウェムスの方が目を瞠っている。
「え、ええ、まあ……でも、その時は、後ろの方にいたから、見えなかったのかしら……?」
メイファは、緊張しながら言った。
そして、八年前――十歳の時のことを思い出した。
自分より四、五歳ほど年上に見える少年が、泣きそうな、狼狽えた顔で、庭をうろうろと歩いていたのだ。
庭を一人で歩いている男性なんて初めて見たものだから、メイファは興味津々に近付いて、声を掛けたのだ。
そうしたら、縋り付くような表情で、年下のこちらに、必死で道を訊いてきたのだ。
メイファは軽く笑いを噛み殺しながら、その少年を本宮まで案内した。
本宮からメイファがいた後宮までは、かなりの距離がある。
それも、庭ならば尚更だ。
そして、見張りに呼び止められなかったということは、この少年はかなり身分の高い貴族なのだろう。
後宮の庭から本宮に行く間、メイファはその少年と話をした。
メイファは二十一番目でも皇女の一人で、皇位継承権も持っている、正真正銘の深窓の姫君だ。
この頃、丁度メイファは巫女だということが分かったばかりで、それまでの生活とは異なる生活を始めたばかりだった。
そして、それまでもあまり外の人間と……特に男性とは会う機会はあまりなかったが、巫女だということが分かってからは、更に厳しく制限されだしたのだ。
だから、メイファはむしろ喜んでこの少年との会話を楽しんでいた。
そして、別れる頃になって……その少年は、やっとこちらの名前を訊いてきた。
『あ、そう言えば僕、名乗ってなかったよね。僕、リウェムスって言うんだ。ねえ、君の名前は?』
と。
メイファは、皇女としての『フェイネット』と言う名か、それともミリーメイの娘としての『メイファ』と言う名のどちらを名乗るかをしばらく迷ったが、楽しい時間を過ごせたということと、この少年とは、皇女として接していなかったことを考え、答えた。
『あたしは……メイファ』
と。
『ここまでありがと、メイファ。じゃあ、また会えるといいね』
『うん。バイバイ』
そう言って、二人は別れたのだった。
リューセムが、厳しい目をして、ミリーメイとメイファとリューシュンの三人を見詰めてくる。
メイファは、緊張しながらその目を見返した。
「なるほど、な……」
リューセムはふと苦笑を零すと、それとは一転して真剣な顔になって言う。
「貴方方は、メミリオン妃殿下、フェイネット皇女殿下、ツェーヴァン公爵閣下で間違いございませんね?」
その言葉は、既に確信しているようで、六人は、言い訳などが無駄であるとすぐに覚った。
ただ、狼狽えたのはリウェムス一人だ。
「ラ……ラムドウェッド大尉? いきなり何を言い出すのです?」
すると、リューセムは苦笑して言った。
「お前が言ったのではないか。彼女の名前が『メイファ』であると。フェイネット皇女殿下のお名前のお一つは『メイファ』だ。そして、『フェイネット』とは陛下がお付けになられた名だが、『メイファ』の方はメミリオン皇妃殿下がお付けになられた名。名乗る時にそちらを選ばれたとしても、何の問題もない」
その言葉に、リウェムスはあんぐりと口を開き、メイファに訊ねた。
「皇女……殿下、ですか?」
「……ええ、一応は……」
その言葉に、リウェムスは跳び上がって言った。
「どどど、どうして、言わなかったんですかっ? 皇女だってっ!」
「え、だって……あそこは後宮ですし……後宮に入れる女性は、皇妃と皇女と女官ぐらいしか……どんなに高位の貴族の女性でも、皇族でなければ後宮に入れないし……それに、その時あたしが着てた服は、女官服じゃなくって、普通のドレスですし……あたし、てっきり気付いていると思って……」
逆にメイファの方が狼狽えている。
「え、で、でも……あの時、僕迷ってたんですよ? って言うか、あそこ、後宮だったんですかっ?」
「え、ええ……後宮の中でも、本宮に近い、外れでしたけど……」
その時、静かにリューセムが口を挿んだ。
「……つまり、其方達は……本当に、皇族で、私達が追っているお三方、そのご本人であらせられると……そういうことで、宜しいですね?」
その鋭い眼光に、六人は射抜かれて詰まった。
確かに、それは……偽りようのない、真実だった。
そして、この三人が……国軍から追われていることも。
リューセム達が、三人を捕らえ、帝都に連れ戻す為に、ここまで来ていることも。
全て、覆しようのない、事実であった……。




