第八章「故郷」―2
「……失礼致します、ラムドウェッド大尉、フラッドリス中尉」
リウェムスは深夜、恐る恐るリューセムの天幕の中に入って来た。
「ああ、来たか、リウェムス。こちらへ来い」
リューセムはリウェムスをテーブルに着かせると、革のコップに入った酒を渡した。
「まあ、取り敢えず飲め」
「……はい」
リウェムスはコップを受け取ると、それを一気に飲み干した。
「……それで……その、噂の、ことですよね」
リウェムスは、恐る恐る言った。
その言葉に、リューセムとフェムリヴドは強く頷き、リウェムスは目をうろうろと彷徨わせた。
「……それほどまでに、言いにくいことなのか? その噂は」
「ええ、まあ……そうです」
リウェムスは深く息を吸い込むと、覚悟を決めたのか、真っ直ぐな強い目をして言った。
「その……陛下は、妃殿下方の捜索に、異様なほどまでに熱心でいらっしゃいますよね?」
「ああ。そうだな」
やはり、リウェムスは気付いていたのだ。
彼が気付いていたということは、恐らく他の者も皆気付いているのだろう。
「それで……その、口にするのも汚らわしいことなのですが……その、噂……一応、噂ですので……」
よくよく見ると、リウェムスの額には汗が浮かんでいる。
暑さのせいと言うには、季節はいささか過ぎている。
つまりは――脂汗だ。
そこまで緊張することなのだろうか。
「ですから……その、あまり、真に受けられない方が宜しいのではないかと思います!」
リウェムスはそう言うと、顔を顰めて言った。
「その噂には、色々なものがあります。ですが、だいたい共通している部分というものがありまして……その部分を、お話ししたく存じます」
リウェムスは深呼吸をすると、目を伏せて言った。
「その、噂では……陛下は、皇妃殿下と甥御様は処刑して、皇女殿下は……その……」
リウェムスは、目を逸らした。
だが、意を決したのか……小さな声で、吐き捨てるように言った。
「ご自分の妃のお一人にするとの、もっぱらの噂にございます!」
リウェムスは顔を上げると、上司二人を真っ直ぐに見詰めた。
「この頃、このような不潔極まりない下郎のごとき噂が流れ、て……」
だが、リウェムスの言葉は途切れてしまった。
リューセムとフェムリヴドの、あまりの顔の恐ろしさに。
「あ、あの……ラムドウェッド大尉……フラッドリス中尉……?」
恐る恐る掛けた言葉で、ようやく二人の顔から恐ろしげな様子が減少した。
だが、その剣呑さは全く減っていない。
「――く、下らない噂話ですよねっ! はい! 全く、こんな噂をする者の気が知れませんっ! そ、それでは、あの、僕はこれで! ……その! 本当に、本当にただの下らない噂話ですからっ! ですから……だからあの、その……あま、あまり、お気になさらない方が宜しいかと存じますっ! それでは、あの、失礼致します! お休みなさいっ!」
リウェムスは勢い良く言うと、ギクシャクとした動きで天幕を出て行った。
天幕に残ったリューセムとフェムリヴドは、リウェムスが出て行った途端、再び殺気を噴き上げた。
まるで地獄の番人のような、呻くような声で、リューセムは言った。
「……なるほど、な……そういう、こと、か……」
「ただの噂話と、流すこともできます。ですが……」
「ああ、そうだな……」
「以前にも、噂話を無視して、痛い目に遭いましたから、ねぇ……」
「多少は尾鰭が付いても仕方がないとは、思うが……思うのだが……」
「それにしても、いささか頂けないお話、です、ねぇ……」
「真に、不潔不浄汚濁極まりない。下郎の仕業だな。年上として、老人として――いや、それどころか人として風上に置けんわ」
「ですよ、ねぇ……仮にも、一国の主たる者がそのようなことをすれば、どのようになるか……お分かりでないとは思えないのですけれど……」
「まあ、それだけあの老人も耄碌したということだろうな」
……口調が静かなだけに、むしろ恐ろしい。
リューセムの方は、どこかぶっきら棒だからまだマシとも言えるが、フェムリヴドの方は……柔らかい猫撫で声で、むしろ穏やかにニコニコと微笑みながら言っているので……本当に、恐ろしい。
むしろ、フェムリヴドの方が恐ろしく見えるぐらいだ。
「ですが、あの老人って……宜しいのですか? 仮にも、現主君でしょう」
フェムリヴドは、『現』というところを嫌に強調して、穏やかににっこりと微笑みながら言った。
だが、その背後では寒風が吹き荒れている。
「ああ。そんな暴挙に踏み切った以上、他国からの評判を気にする者……特に貴族が、陛下かフェイネット皇女殿下を暗殺するだろう。まあ、両方かも知れないがな。だが、その可能性は陛下の方が高い。耄碌したボケ老人に、いつまでも国を任せておく訳にはいかないだろうし。ま、跡継ぎのジェールズ=ルウォンメル・フェーヌラブム殿下は、平凡な方でいらっしゃるし……別に、何の問題もなかろう」
仮にも自国の皇帝、主君が殺される話をしているというのに、しかも第一皇子を『平凡』と言い放ってしまったというのに、その態度は泰然とし過ぎている。
すると、フェムリヴドは少し可笑しそうに笑って言った。
「おや、もしかして、あのことをまだ気にしていらっしゃるんですか? もう、何年も昔のことでしょうに」
その口調は完全にからかっていて、リューセムはムッとした表情で押し黙った。
どうやら昔、ジョーゼットとの間に、何か良くない思い出でもあったようだ。
リューセムの表情から、それがよく窺える。
「……もう、昔のことだ。とにかく、今の方が遥かに問題だ。……さて、これからどうするか……」
「どうする、とは?」
「いや……勿論、メミリオン皇妃殿下達の捜索は続ける。しかし、見付けたとしても、帝都まで連れ戻すか否か……」
「です、ねぇ……」
フェムリヴドもしばらく考え込んだが、ふと、あるものを思い出したように、パンと膝を打った。
「そうだ。ラムドウェッド大尉。……こんなお話を、ご存知でしょうか?」
「どんな話だ?」
「このまま真っ直ぐ行きますと、ブラムウェル山に行き着き、それを更に越えると、シャブワル村という村がございます」
「ああ……そうだな」
「そのシャブワル村には、昔、度々妃が物見遊山で、泊まって行ったことがあるそうです。……そして、これが重要ですが、その妃達は、丁度我々と同じような道を進んで行っていたそうですよ。不思議だとは、思いませんか?」
「あ、ああ……そうだな。そう言えば……その先は、ウェブラムの森か……」
「……? ラムドウェッド大尉?」
フェムリヴドは、急に黙り込んだリューセムに首を傾げた。
「いや……何でも、ない。それよりフェムリヴド。もう、お前は休め。明日も早いからな」
「はい、はい……それではラムドウェッド大尉、お休みなさいませ」
フェムリヴドは茶化すように言うと、リューセムの天幕を出て行った。




