第七章「真実」―3
「まだ見付からぬのか、二人はっ!」
「申し訳ございませぬ、陛下! ただ今、方々を捜させてはおりますが、いかんせん、この帝国は発展しているが故に、とても広いので……」
「言い訳など聞きたくもないっ! さっさと捜し出せ! 見付けろっ!」
ジョーゼットは足音も荒く言うと、ドサッと椅子に腰掛けた。
「全く、第三十六皇妃と第二十一皇女とツェーヴァン元公爵め……よくも、余をからかってくれたものだ。第二十一皇女を誑かしただけでは物足りぬというのか」
その声には、紛れもない怒気が籠められていた。
しかし、その三人も可哀想といえば可哀想である。
自らの妻、娘、甥であるのにも拘らず、番号、地位でしか覚えられていない――こんな状況になる前から、そしてなってからも、決して名前を呼ばれることはないのだ。
何を言おうとしたのか、意を決した様子でシェリンヴス宮中伯は顔を上げた。
だが、皇帝の苛烈な視線に射竦められた途端、再び顔を伏せてしまった。
その眼光は、まるで虎の目のようであり、見る者全てを萎縮させた。
「……シェリンヴス宮中伯」
「はっ」
シェリンヴス宮中伯が身を竦めて言うと、ジョーゼットは目を細めて言った。
「余が出した命令に、変更を加えたい」
「は。……一体、どのような?」
「三人のうち、第三十六皇妃は、この帝都に連れ帰り次第処刑しろ。……しかし、第二十一皇女とツェーヴァン元公爵は殺すな。……捕らえて、後宮まで連れて来い」
その言葉に、思わずシェリンヴス宮中伯は顔を上げた。
「……お二人を、ですか?」
「ああ、そうだ。そして、第二十一皇女を第四十八皇妃として召し上げる。その様を、じっくりとあのツェーヴァン元公爵に見せ付けてくれよう。そして、絶望を植え付けてやろう。ツェーヴァン元公爵を処刑するのは、その後だ。ああ、それと、その二人の処刑の際には、二人とも立ち合わせてやろう。そして、自らの母または伯母と、従兄が死ぬところを、くっきりとその目に焼き付ければよい」
ジョーゼットはまるで独り言のように呟くと、手を振った。
「行け、シェリンヴス宮中伯よ。そして、余の命令を果たせ。果たせなかった場合……分かるな?」
「はっ。この身命に代えましても、完遂致します」
「……その言葉、忘れるでないぞ」
「はっ」
シェリンヴス宮中伯は、床に額が付くほど深々と叩頭した。
するとジョーゼットは、何の気紛れか、再びシェリンヴス宮中伯に語り掛けた。
「時に、シェリンヴス宮中伯よ」
「何でございましょうか、陛下」
「巫女といえば、あの、『村の』巫女はどうなったかな?」
その問いに、シェリンヴス宮中伯は、叩頭したまま答えた。
「さあ、そこまでは計りかねます。ですが、予定ではもうそろそろ旅立つはずです。それに、行程は一年を掛けても往復が難しい程度に作っておりますので……ですから、あの巫女――確か、メイラン村の副長の……リラ、と申しましたか。あの少女が陛下の妃となることに、間違いはありますまい。たとえ《ウェルクリックス》を連れて期限通りに戻って来たとしましても、《ウェルクリックス》を楯に妃の一人にすることができます」
「そうか。ならばよい。……下がれ」
「はっ」
シェリンヴス宮中伯はそう言い、また深々と叩頭すると、部屋を出て行った。
そして戸を閉めた途端、シェリンヴス宮中伯の顔付きが一転した。
眉が顰められ、深々と溜息をついたのだ。
(全く……陛下は、何をお考えになられているのやら……)
全く、この頃は信じられないことばかりする。
年老いて、意地汚く生に執着するようになったのか。
そう考えれば、自分の娘を妃に求めたのも、年若く、まだ稚いほどの歳の巫女を妃に求めたのも、己を若く保つ為の執着だと解釈することも可能だ。
シェリンヴス宮中伯は、小声で呟いた。
(そう……いくらフェイネット皇女殿下が巫女だといえども、どんなに美しくて愛らしく、性質のよい方でいらっしゃるといえども、皇女殿下は皇女殿下だ。妃になどと……あり得ない。いくらなんでも、血が近過ぎる。まあ、ウォルフェム様とも従兄妹同士ではあり、それなりに血は近いが……でも、陛下の妃になるよりはましだ。……いっそのこと、このまま、鮮やかに消え去ってくれればよいが……)
シェリンヴス宮中伯は、またもや深い溜息をついた。
(このままお三方が消え去ってくれた方が、皇妃殿下と皇弟殿下のお子を処刑し、皇女殿下を妃として迎え入れるよりも、余程外聞が悪くない。今ならばまだ、フェイネット皇女殿下とウォルフェム様のご結婚に陛下がご反対し、それが理由で出て行かれたと取り繕うこともできる……いっそのこと、陛下にはもうご退場願うしかあるまいか……)
歴史上、それぞれに様々な理由はあるものの、殺された――暗殺された皇帝は、数多いる。
それに気付いている者は少ないが、その殺された皇帝の数は、決して少なくない。
だから、ジョーゼットが殺されるのも、このような暴挙に打って出た以上、最早時間の問題と思われた。
シェリンヴス宮中伯自らが動かなくても、このままでは、と危ぶんだ貴族達が、先を争うようにして暗殺を命じるだろう。
そしてシェリンヴス宮中伯は、自分が側近中の側近として仕えている皇帝の暗殺を命じるほど、危険な綱渡りをするつもりはなかった。
けれど、暗殺決行の為の協力を申し入れられたら、それに力を貸すことは決意していた。
見事な処世術と言えよう。
ふと、シェリンヴス宮中伯は、先程口にしたメイラン村の副長のことを思い出した。
(あれも、可哀想といえば可哀想な少女であるな。確か……まだ、たった十五歳の少女であるのに、副長であり、巫女であり……。まあ、御代が替われば、その少女も救われるかも知れんな……。仮に救われなかったとしても、既に六十を超えた爺の妃になるよりは、十歳かそこらの子持ちとはいえども、まだ三十二歳の第一皇子の妃になる方が、余程ましであろうな。普通の妃ならばともかく、巫女の妃は皆、代替わりしてもその代替わりした皇帝の妃となるし、彼女の方は放置しても大丈夫であろう)
シェリンヴス宮中伯はそう決め付けると、自室に戻って行った。
いくら横暴で、その命令が正当性と道徳性に欠いているとしても、今のフェーヌラブム皇帝がジョーゼット=ヴァングー・フェーヌラブムであることに間違いなく、その臣下であるシェリンヴス宮中伯には、その命令に従わなければならない義務がある。
だから、いくら客観的に見て彼の行動に正当性がなく、正義的でないからと言って、シェリンヴス宮中伯が糾弾されることはない。
なので、シェリンヴス宮中伯は、安心して己の責務に励むことができた。
――この会話が交わされたのは、ウィオとマウェ、リラが旅立つ、ほんの一週間ほど前のこと。
そして、ミリーメイ、リューシュン、メイファが帝都を抜け出してから、二週間近く経った頃だった。




